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2022年3月11日(金)3時半過ぎ、駿府城公園の紅葉山庭園を出て、西側のかつての本丸跡に進む。本丸堀(内堀)がほとんどなくなってるので、厳密にはどこからが本丸跡なのかは分からない。<br /><br />現在公園となっている、本丸と二の丸エリアのちょうど中央の一番北の辺りにマロニエ園と呼ばれるエリアがある。1957年に当時の静岡市長である山田順策氏の依頼に応じて、パリからマロニエ(Marronnier=セイヨウトチノキ)が静岡市に寄贈された。<br /><br />それを記念して1965年に東御門付近にマロニエ園を整備したが、その後東御門・巽櫓が復元されることになったため、この地に移された。寄贈を依頼した山田氏の胸像もある。マロニエは、パリ(Paris)を象徴する木で、シャンゼリゼ通り(Les Champs-Elysees)は、マロニエの並木道となっている<br /><br />その右奥にも多くの胸像が並ぶ。一番南で東向きに建つのが戦後の1947年から8年間市長を務めた増田茂翁之像。作者は彫刻作家の山脇正邦で、1970年に建てられたものらしいが、それ以上の情報はない。<br /><br />その像の右手に南面して建つのが、同じく静岡市長を務めた宮崎通之助の胸像。現在の静岡市駿河区大里の生まれで、官選愛媛県知事の後、1931年から1933年まで、さらに1944年から終戦を挟んで1946年まで静岡市長を2期務めた。<br /><br />宮崎通之助像の右手(北側)には東面した杉山彦三郎翁像。日本のお茶の8割弱を占めているやぶきた茶の生みの親。江戸末期に現在の静岡市駿河区国吉田で生まれ、1908年(明治41年)にやぶきた茶を開発した。この胸像は1962年に杉山彦三郎翁像設立発起人会が建立した。徳川家康像を制作した堤達男の作品。<br /><br />この他、宮崎通之助像の横には青島平十さんを讃える碑も建つ。静岡県のみかんの代表品種である青島みかんの生みの親。糖度が高くコクのある独特の美味しさを持つ。現在の静岡市葵区福田ヶ谷の青島平十さんのみかん畑で、1935年(昭和10年)頃に発見されたもので、尾張温州という品種のみかんが突然変異したもの。青島みかん販売開始から50周年を記念し、2015年に静岡県柑橘委員会が建立したもの。<br /><br />これらの像の西側の一角は天守台の発掘調査現場で塀に囲まれている(下の写真1)が、この塀沿いに南西方向に進んで行くと行幸御野立所跡の碑がある。1930年(昭和5年)5月に天皇陛下が1週間の日程で静岡各地を廻り、歩兵第34聯隊を閲兵された記念碑。同年の静岡県御巡幸記録には「営庭内二本松の築山に設けたる御野立所に立たせられ、約350名に列立拝謁を賜る」とある。<br /><br />さらに進むと右手に家康公お手植えみかん。家康公が将軍職を退き駿府城に隠居した際に、紀州より献上された鉢植えのミカンを移植したものと伝えられ、静岡県の天然記念物に指定されている。鎌倉時代に中国から入った紀州ミカンの一種で、香りが強く、種のある小粒の実が特徴。<br /><br />そして、その先に天守台発掘調査現場の塀の前に建つのが、もしかしたらこの城跡で一番有名かもしれない徳川家康公之像。この公園のシンボル的な存在であることは間違いない。大御所時代に駿府で鷹狩に興じる家康を表現した家康晩年の姿をモチーフにしており、これで駅前の竹千代時代の像、壮年期の像と家康が駿府と関わった3つの時代を表わしている。これも堤達男の作品。<br /><br />入場無料で見学できるとのことで塀の中の天守台発掘調査現場も見学する。家康公之像の裏から発掘調査現場の東南寄りの部分が安土桃山時代に造られた天正期の天守台跡。発掘された石垣は野面積みなのが分かる。一方大御所時代の天下普請で造られた慶長期の石垣は打込接ぎで、建築技術の飛躍が明らか(下の写真2)。<br /><br />この慶長期の天守台は南北69m、東西63mあり、江戸城の天守台をしのぐ日本最大級の大きさ。石垣の高さだけで約12mあった。天正期の天守台は南北約37m、東西約33mで、その違いは明らか。天正期のものは1590年に秀吉が中村一氏に命じて築かせたもので、家康としては負けるわけにはいかなかったんだろうな。<br /><br />併設の発掘情報館きゃっしるにサイン色紙がたくさん飾られていたが、誰のものか1枚も分からなかった(下の写真3)。<br /><br />本丸跡の中心部は沈床園と呼ばれ、花壇で飾られている。この辺りには本丸御殿があった。東御門・巽櫓方向の桜はなかなか。この桜も伊東小室桜? あるいは土肥桜? 沈床園の東側に建つ、カラフルな建造物はカリヨンで静岡ライオンズクラブの寄贈により1988年に設置されたもの。<br /><br />反対側の西側にある丸い石の石碑はエミリー・M・ マッケンジーの碑。1974年に静岡市により建てられた。エミリー・マーガレッタ・マッケンジー(Emilie Margaretta Mackenzie)は1887年生まれのアメリカ(U.S.A.)出身の社会福祉家。1918年に夫の貿易商ダンカン・ジョセフ・マッケンジー(Duncan Joseph MacKenzie)と共に来日し、静岡市で日本茶輸出の振興にあたる。夫の逝去後も、静岡市に留まり、私財を投じて社会福祉の向上のために力を尽くし、乳児院を設立し経営にあたる。マッケンジー夫人と呼ばれ親しまれた。静岡市名誉市民。<br /><br />その右手にポールが並んでいるが、これは1971年に中部電力から寄贈されたオブジェ。年ごとの発電量の伸びをポールの高さで現わしている。当時は、水力発電から火力発電へのシフトが進んだ時期で、高度成長とともに電力需要がぐんぐん伸びた象徴としての意義もあったと思われる。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9859137554156180&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />西の丸跡に続く

静岡 駿府城本丸跡(Inner Citadel area,Sumpu Castle,Shizuoka,Japan)

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2022/03/11 - 2022/03/11

1527位(同エリア1662件中)

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月11日(金)3時半過ぎ、駿府城公園の紅葉山庭園を出て、西側のかつての本丸跡に進む。本丸堀(内堀)がほとんどなくなってるので、厳密にはどこからが本丸跡なのかは分からない。

現在公園となっている、本丸と二の丸エリアのちょうど中央の一番北の辺りにマロニエ園と呼ばれるエリアがある。1957年に当時の静岡市長である山田順策氏の依頼に応じて、パリからマロニエ(Marronnier=セイヨウトチノキ)が静岡市に寄贈された。

それを記念して1965年に東御門付近にマロニエ園を整備したが、その後東御門・巽櫓が復元されることになったため、この地に移された。寄贈を依頼した山田氏の胸像もある。マロニエは、パリ(Paris)を象徴する木で、シャンゼリゼ通り(Les Champs-Elysees)は、マロニエの並木道となっている

その右奥にも多くの胸像が並ぶ。一番南で東向きに建つのが戦後の1947年から8年間市長を務めた増田茂翁之像。作者は彫刻作家の山脇正邦で、1970年に建てられたものらしいが、それ以上の情報はない。

その像の右手に南面して建つのが、同じく静岡市長を務めた宮崎通之助の胸像。現在の静岡市駿河区大里の生まれで、官選愛媛県知事の後、1931年から1933年まで、さらに1944年から終戦を挟んで1946年まで静岡市長を2期務めた。

宮崎通之助像の右手(北側)には東面した杉山彦三郎翁像。日本のお茶の8割弱を占めているやぶきた茶の生みの親。江戸末期に現在の静岡市駿河区国吉田で生まれ、1908年(明治41年)にやぶきた茶を開発した。この胸像は1962年に杉山彦三郎翁像設立発起人会が建立した。徳川家康像を制作した堤達男の作品。

この他、宮崎通之助像の横には青島平十さんを讃える碑も建つ。静岡県のみかんの代表品種である青島みかんの生みの親。糖度が高くコクのある独特の美味しさを持つ。現在の静岡市葵区福田ヶ谷の青島平十さんのみかん畑で、1935年(昭和10年)頃に発見されたもので、尾張温州という品種のみかんが突然変異したもの。青島みかん販売開始から50周年を記念し、2015年に静岡県柑橘委員会が建立したもの。

これらの像の西側の一角は天守台の発掘調査現場で塀に囲まれている(下の写真1)が、この塀沿いに南西方向に進んで行くと行幸御野立所跡の碑がある。1930年(昭和5年)5月に天皇陛下が1週間の日程で静岡各地を廻り、歩兵第34聯隊を閲兵された記念碑。同年の静岡県御巡幸記録には「営庭内二本松の築山に設けたる御野立所に立たせられ、約350名に列立拝謁を賜る」とある。

さらに進むと右手に家康公お手植えみかん。家康公が将軍職を退き駿府城に隠居した際に、紀州より献上された鉢植えのミカンを移植したものと伝えられ、静岡県の天然記念物に指定されている。鎌倉時代に中国から入った紀州ミカンの一種で、香りが強く、種のある小粒の実が特徴。

そして、その先に天守台発掘調査現場の塀の前に建つのが、もしかしたらこの城跡で一番有名かもしれない徳川家康公之像。この公園のシンボル的な存在であることは間違いない。大御所時代に駿府で鷹狩に興じる家康を表現した家康晩年の姿をモチーフにしており、これで駅前の竹千代時代の像、壮年期の像と家康が駿府と関わった3つの時代を表わしている。これも堤達男の作品。

入場無料で見学できるとのことで塀の中の天守台発掘調査現場も見学する。家康公之像の裏から発掘調査現場の東南寄りの部分が安土桃山時代に造られた天正期の天守台跡。発掘された石垣は野面積みなのが分かる。一方大御所時代の天下普請で造られた慶長期の石垣は打込接ぎで、建築技術の飛躍が明らか(下の写真2)。

この慶長期の天守台は南北69m、東西63mあり、江戸城の天守台をしのぐ日本最大級の大きさ。石垣の高さだけで約12mあった。天正期の天守台は南北約37m、東西約33mで、その違いは明らか。天正期のものは1590年に秀吉が中村一氏に命じて築かせたもので、家康としては負けるわけにはいかなかったんだろうな。

併設の発掘情報館きゃっしるにサイン色紙がたくさん飾られていたが、誰のものか1枚も分からなかった(下の写真3)。

本丸跡の中心部は沈床園と呼ばれ、花壇で飾られている。この辺りには本丸御殿があった。東御門・巽櫓方向の桜はなかなか。この桜も伊東小室桜? あるいは土肥桜? 沈床園の東側に建つ、カラフルな建造物はカリヨンで静岡ライオンズクラブの寄贈により1988年に設置されたもの。

反対側の西側にある丸い石の石碑はエミリー・M・ マッケンジーの碑。1974年に静岡市により建てられた。エミリー・マーガレッタ・マッケンジー(Emilie Margaretta Mackenzie)は1887年生まれのアメリカ(U.S.A.)出身の社会福祉家。1918年に夫の貿易商ダンカン・ジョセフ・マッケンジー(Duncan Joseph MacKenzie)と共に来日し、静岡市で日本茶輸出の振興にあたる。夫の逝去後も、静岡市に留まり、私財を投じて社会福祉の向上のために力を尽くし、乳児院を設立し経営にあたる。マッケンジー夫人と呼ばれ親しまれた。静岡市名誉市民。

その右手にポールが並んでいるが、これは1971年に中部電力から寄贈されたオブジェ。年ごとの発電量の伸びをポールの高さで現わしている。当時は、水力発電から火力発電へのシフトが進んだ時期で、高度成長とともに電力需要がぐんぐん伸びた象徴としての意義もあったと思われる。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9859137554156180&type=1&l=223fe1adec


西の丸跡に続く

  • 写真1 天守台発掘調査現場

    写真1 天守台発掘調査現場

  • 写真2 天守台発掘説明図

    写真2 天守台発掘説明図

  • 写真3 色紙

    写真3 色紙

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