2022/02/23 - 2022/02/23
533位(同エリア1479件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1782冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,497,867アクセス
- フォロワー171人
お昼を食べた後は元気も出てきて、地下1階のゴヤの家から近世のヨーロッパヵイガの20部屋を一気に見学します。最初に1つの小さなコーナーがあってゴッホの7枚のヒマワリの絵が飾られています。この中の数枚は観たことがありましたが、心に残ったのは日本に合って第2次世界大戦の空襲で焼失してしまったものです。SOMPO美術館のヒマワリも近くにありながら観に行ったことが無いのも思い出しました。近いうちに行ってみたいと思います。続く部屋からは近代の絵画のコーナーが始まります。気分的にはルーブル美術館からセーヌ川を渡ってオルセー美術館に移動している感じです。オルセーだけではありませんがフランス絵画が多かった印象が残っています。ここでもこの30数年で観てきた美術館の作品が多く、懐かしさを感じることが多かったです。この時は確信はありませんでしたが、装丁されている額も立派ではありますがオリジナルと同じではないと感じました。帰宅してから過去の旅行の写真と見比べてみると確かに違いました。絵画は額と組み合わせて1枚の作品になるのだなと思いました。ただ、この美術館に収蔵されている絵画の額も素晴らしいもので、一体どれくらいの費用が掛かっているのだろうかと感じました。タイルで複製された絵画が引き立てられて、感動を呼び起こすのは額に起因することが大きいとも思いました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- エイチ・アイ・エス
-
地下1階のスペイン絵画のゴヤの作品の見学を終えると、この美術館の7つのヒマワリの部屋の見学に移ります。絶対に持ってこれない作品やシリーズをすべて揃えたり、失われたものを再現したりするのはこの美術館の妙だなと感じます。
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「ヒマワリ」フィンセント・ファン・ゴッホ/個人蔵
ゴッホがヒマワリを描き始めるのはアルルに移る前のパリの時代からで、どれもテーブルの上に置かれた花瓶に生けられたものです。この作品はアルルに来て最初に描かれたもので、花の本数も少なくシンプルな構図です。 -
「ヒマワリ」フィンセント・ファン・ゴッホ/兵庫県芦屋市で焼失
芦屋の実業家山本顧弥太という方が大正9年の1920年に購入したもので、作家の武者小路実篤と親しかったことから、武者小路が温めていた白樺派の美術館構想に共鳴し、ゆくゆくは寄贈するつもりだったそうです。 -
絵は山本邸に飾られていましたが、第2次世界大戦の終戦直前の空襲で焼失しています。武者小路実篤記念館所蔵の画集写真より再現したそうです。
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「ヒマワリ」フィンセント・ファン・ゴッホ/ノイエ・ピナコテーク
黄色い背景をもったゴッホ美術館(アムステルダム)のものに対して、ここでは背景が薄青色となっており、明るい光に満ちた空を暗示していると考えられます。ヒマワリはゴッホにとって「光」や「希望」そして「友情」の象徴であったそうです。
ミュンヘンのアルテ・ピナコテークとノイエ・ピナコテークはいつか訪れたい美術館の1つです。 -
「ヒマワリ」フィンセント・ファン・ゴッホ/ロンドン・ナショナル・ギャラリー
ロンドンの旅でナショナル・ギャラリーのイースト・ウイングで観た懐かしい作品です。
ナショナル・ギャラリー:https://4travel.jp/travelogue/11048504 -
「ヒマワリ」フィンセント・ファン・ゴッホ/SOMPO美術館
新宿という最寄りの街にありながら、まだ行ったことが無い美術館に収蔵されています。元々は「東郷青児美術館」の名称で、あまり好きな画家ではないのが原因でしたが、2020年に「SOMPO美術館」として開館したので行ってみようとは考えていました。 -
「ヒマワリ」フィンセント・ファン・ゴッホ/フィラデルフィア美術館
「大塚国際美術館」の7つのゴッホのヒマワリは2018年の開館20周年の記念事業として製作されたそうです。これからも作品は増えるのでしょうが、よい時に気に来たのかもしれません。 -
「ヒマワリ」フィンセント・ファン・ゴッホ/ゴッホ美術館
ベルギー・オランダ美術館巡り3週間の最後に行ったアムステルダムでは「国立美術館」や「市立美術館」で写真を撮ることが出来ましたが、唯一撮影禁止だったのが「ゴッホ美術館」でした。朝一番の比較的空いている時間に見学できたのは良かったです。その度では時間切れで「クレラミュラー美術館」に行けなかったのも残念な記憶の1つです。 -
「タラスコンへの道を行く画家」フィンセント・ファン・ゴッホ/1945年消失
ドイツ北部のマグデブルグのカイザーフリードリヒ美術館に収蔵されていましたが、第2次世界大戦時に塩杭に疎開させたそうです。終戦直前の1945年4月に戦火の犠牲になったとされますが、確たる証拠は無いそうです。第2次世界大戦中はヒットラーとスターリンと連合軍との美術品争戦争でもあり、ジョージ・クルーニー監督・脚本・製作・出演による映画「ミケランジェロ・プロジェクト(モニュメンツ・メン)」でも描かれています。先ほど観てきたゲントのヤン・ファン・エイクの三連祭壇画やフェルメールの天文学者、ブリューゲルの農民の祝宴などもヒットラーによって略奪された過去があります。その美術品はノイシュヴァンシュタイン城や岩塩杭で発見されています。 -
「ヒマワリを描く画家」ポール・ゴーギャン/ゴッホ美術館
ゴーギャンがゴッホと暮らしたのはわずか2ヶ月間のことでした。その間にゴーギャンはこの絵を描き、この絵を見たゴッホは「確かに僕だ。しかし発狂した時の僕だ。」と口にしたと伝えられています。この後ゴッホが自ら耳を切り落とすという事件が起こり、ゴーギャンはアルルを去り、この絵は2人が暮らした記念碑的作品になります。 -
「雨、蒸気、速力:グレート・ウエスタン鉄道」ウィリアム・ターナー/ロンドン・ナショナル・ギャラリー
雨が横殴りに降り霧が一面に立ちこめる中で、この作品が製作された当時の世界で最大の鉄道だったグレート・ウェスタン鉄道の黒色の蒸気機関車がテームズ川に架かる鉄道橋の上を猛スピードで疾走してくる様子を極端な遠近法で描いています。この絵をロンドンで初めて観た時は、山下達郎が1991年に発表したアルバム「ARTISAN」の「ターナーの汽罐車 -Turner's Steamroller-」を感慨深く思い出しました。ここでもその曲が頭の中にリフレインします。 -
「解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号、1838年(戦艦テレメール)」ウィリアム・ターナー/ロンドン・ナショナル・ギャラリー
トラファルガーの戦いで活躍した最後の2等戦列艦である「テメレーア」が、退役後の1838年に、スクラップとして解体されるためにロザーハイズにある最後の停泊地に向かってテムズ川をタグボートで曳航される様子を描いています。原題のThe Fighting Temeraire(戦うテメレール)とは、トラファルガーの戦いでの奮闘を讃えた愛称なので、邦題も変えた方が良いと思います。ターナーはこの作品に
The flag which braved the battle and the breeze,
No longer owns her.
闘いと風に耐えた旗、
もはや彼女のものではない。
と言葉を添え、ターナーはこの絵を死ぬまで自身のアトリエに置いたそうです。 -
「真夏の夜の夢」ヨハン・ハインリヒ・フュースリー/チューリッヒ美術館
このスイス人の画家の絵を見て思い出したのが、ロンドンの旅で行った「テートブリテン」のことでした。ここでも同じような幻想的な絵画を見た覚えがあったのですが、この時は題名などが思い出せませんでした。帰宅してその絵が「妖精たちを伴うタイターニア」ということが分かりました。
テートブリテン:https://4travel.jp/travelogue/11048534 -
「山上の十字架(テッチェン祭壇画)」カスパル・ダーヴィッド・フリードリッヒ/ドレスデン近代絵画館
一般的にはテッチェン祭壇画と呼ばれるフリードリヒの「山上の十字架」は、モミの木で覆われた山頂にある大きな十字架を描いています。雲に覆われた空は赤とピンクと紫の色調で描かれ、画面の下に向かうにつれて明るくり、5つの光線が遠くの地平線から発せられているようです。画家の友人である彫刻家キューンによって彫られた精巧な額に収められ、5人の天使や星、ぶどうと蔓、麦や神の目など、キリスト教の象徴が彫られています。額の細部まで再現されていることに驚きました。 -
「朝」フィリップ・オットー・ルンゲ/ハンブルグ美術館
ルンゲは「一日の四つの時」の連作を試みますが、この「朝」だけが完成され、「昼」「夕べ」「夜」は完成しませんでした。広い野原に朝日が射し、空は曙の色を残しながらも金色から青に変わりつつあります。天を舞うのは曙の女神アウローラで、草地には生まれたばかりの朝の子供が横たわります。まるで今朝の鳴門の夜明けを思い出しながら、サルバドール・ダリの絵も思い出しました。 -
「レカミエ夫人の肖像」ジャック・ルイ・ダヴィッド/ルーブル美術館
ジュリエット・レカミエはパリの銀行家の妻で、当時最も著名な女性の1人でした。世界の歴史の中でも最も美しい女性といわれ、ジャック・ルイ・ダヴィッドやフランソワ・ジェラールの描いた肖像画やナポレオンとの関わりによって歴史に名を残しました。ナポレオンの皇帝就任に反対し、皇帝になったナポレオンにから手紙と部下の伝達によって愛人になるよう強要されたがこれも断っています。 -
「泉」ドミニク・アングル/オルセー美術館
彼女は2つの花の間に立っており、花は「それらを引き抜こうとする男性への脆弱性」を示し、周りを縁取るヘデラ(蔦)は騒乱、再生、恍惚の神ディオニュソスを象徴する植物とされます。彼女の注ぐ水が川となって境界線を生みだしていると解釈されます。アングルの作品はルーブルとオルセーの2つの美術館に収蔵されていますが、ここに古典と近代の絵画の境界があるのでしょうか。 -
「グランド・オダリスク」ドミニク・アングル/ルーブル美術館
アングルは人間の形を極限まで理想化するというダヴィッドの教えを採用したことにより、サロンでこの絵を発表した際には批評家から「このように劇的で捻った姿勢には、もう2、3本の背骨が必要である」と戒められます。確かに女性の足も引き延ばされた上に関節が外れているようであり不自然に見えます。彼女はと美しくと共に不気味に見えるのはそれらの違和感からのようです。 -
「ヴァルパンソンの浴女」ドミニク・アングル/ルーブル美術館
ローマ留学の初期に制作した作品で、モデルを特定化せずに後ろ向きに座らせ、背中を少しねじらせて背中をあらわにさせています。こうすることで目を合わせることなく、客観的に鑑賞することができます。アングルの女性ヌードは後期のものほど正面を向くようになり、観る者と目を合わせるポーズが多くなっていきます。 -
「トルコ風呂」ドミニク・アングル/ルーブル美術館
アングルは年齢を重ねた後も官能的な作品を生み出すアイロニーを楽しんでおり、この作品にも自分の年齢を「AETATIS LXXXII(「82歳で」の意)」と銘打っています。この作品を描くに際しアングルは生身のモデルを使わず、数枚のクロッキーとともに、が生涯にわたって描き続けた「浴女」や「オダリスク」を主題にした以前の作品のモチーフを再び描いています。 -
「ナヴォ―ナ広場」ジョヴァンニ・パオロ・パンニー二/ルーブル美術館
パンニーには画家で建築家だったということから納得がいくほど建物の描写が素晴らしいと思いました。ローマではヴェドゥータ(都市景観画)を得意とする画家のカナレットと知り合い影響を受けたということにも納得がいきます。 -
「カナル・グランデのレガッタ」カナレット/ロンドン・ナショナル・ギャラリー
ヴェネツィアをパノラマ風に描き、光や大気の効果を巧みに表現したカナレットは写真のような絵を数多く残しました。ほとんどの絵にカメラ・オブスクーラを使って下描きしています。カメラ・オブスクラの原理はちょうどピンホールカメラと同じようなものです。原始的なタイプのカメラ・オブスクラは部屋と同じくらいのサイズの大きな箱を用意して、片方に小さな針穴を開けると外の光景の一部分からの光が穴を通り、穴と反対側の黒い内壁に像を結ぶというものです。画家がこの箱の中に入り壁に映った像を紙の上に描き移すことで、実際の光景とそっくりの下絵をつくることが出来ました。 -
1991年の9月1日の日曜日、ウィーンからの夜行列車でヴェネツィアに到着した日はレガッタ・ストリーカというヴェネツィアのお祭りの日でした。もちろんこの日を目指してのヴェネツィア入りしたのですが、カナル・グランデを行きかう中世の船やゴンドラや着飾った人々たちのあでやかさは忘れる事の出来ない思い出です。
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「サン・マルコ広場」フランチェスコ・グァルディ/ロンドン・ナショナル・ギャラリー
グァルディは父親も姉も画家で、後に息子も画家になった画家一族でした。カナレットと同様にグランド・ツアーなどでイタリアを訪れるイギリス人の観光土産用に風景画を描いたものと思われ、同じサンマルコを描いたグアルディの作品が複数存在します。 -
「キオス島の虐殺」ウジェーヌ・ドラクロワ/ルーブル美術館
オスマン帝国統治下のギリシャのキオス島で独立派らを鎮圧するため、トルコ軍兵士が一般住民を含めて虐殺した事件の一場面を描いています。1820年末よりギリシャ独立のための武装蜂起が始まり、翌年よりギリシャ独立戦争として一連の戦闘が開始されるますが、トルコ側による鎮圧も過酷なものでした。人物写真もなく、活字による報道だけであった1820年代では絵画によるイメージという手法により、ギリシャ独立についてヨーロッパ市民の目を注がれ、フランスやイギリスがギリシャ独立勢力の支援に動きます。 -
「民衆を導く自由の女神」ウジェーヌ・ドラクロワ/ルーブル美術館
銃剣の付いたマスケット銃を左手に持ち、フランス国旗を目印に右手で掲げ民衆を導く果敢な女性はフランスのシンボルであるマリアンヌの姿です。女性は自由を乳房は母性すなわち祖国をという具合に、ドラクロワはこの絵を様々な理念を比喩(アレゴリー)で表現しています。1988年に初めてパリへ行ったときにはルーブルとオルセーと、何故かドラクロワのアトリエにある美術館へ行った記憶があります。 -
「無原罪の御宿り」ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ/プラド美術館
ティエポロ晩年を代表する宗教画作品の1つで、1762年に当時のスペイン王カルロス3世から王宮の装飾画制作のためにマドリッドに招かれた際に依頼を受けます。画中ではヨハネの黙示録に記載される「太陽を着て、足の下に月を踏み、頭上に12の星の冠を被っていた。」という記述のままの姿のようです。 -
「アポロとダフニ」ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ/ルーブル美術館
数多くの絵画や彫刻で表現されている場面です。ある日アポロンは弓矢で遊んでいたエロス(キューピッド)を揶揄します。そのことで激怒したエロスは相手に恋する金の矢をアポロンに、逆に相手を疎む鉛の矢を近くでフネ川遊びをしていたダフネに放ちます。金の矢で射られたアポロンはダフネに求愛し続ける一方、鉛の矢を射られたダフネはアポロンを頑なに拒絶します。ついにアポロンはペーネイオス河畔までダフネを追いつめましたが、ダフネはアポロンの求愛から逃れるために、父である河の神に自らの身を変える事を強く望みます。その望みを聞き届けた父はダフネの体を月桂樹に変えました。アポロンはひどく悲しみ、その愛の永遠の証として月桂樹の枝から月桂冠を作り永遠に身に着けています。 -
指先から月桂樹に変わっていく姿は、絵画よりもボルゲーゼ美術館にあるジャン・ロレンツォ・ベルニーニの大理石彫刻は見事で全身に鳥肌が立ったことをよく覚えています。
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「第九の波濤」イヴァン・アイヴァゾフスキー/ロシア美術館
アイヴァゾフスキーの作品の中で最も有名で、最も人気の高い作品です。船乗りの間では、嵐のなかの九番目に来る波は最も激しく強力で、そして最も破壊的な波であると言い伝えられているそうです。その九番目の波が刻一刻と迫りつつあります。数人の人々が船のマストの残骸にしがみつくなか、無情にも荒れ狂う波が彼らに襲い掛かってきます。そうした危機的な状況のなかにも、希望の光が夜の闇を打ち破ろうとしています。鳴門の渦を前日に見てきた身としてはリアルに感じる1枚です。この作品は八王子の富士美術館で観たことがありました。 -
「エトルタの断崖、嵐の後」ギュスターヴ・クールベ/オルセー美術館
エトルタはフランス北西部のノルマンディー地域にある村で、19世紀初めからその空気の明瞭さと光の質により、ウジェーヌ・ブーダンやクロード・モネといった画家たちを惹き付け多くの絵に描かれています。映画「ルパン」では最後に祖父であるアルセーヌ・ルパンの秘密のアジトがこの先のL'Aiguille 針の岩でした。L'Aiguille Creuse 空洞の針はモーリス・ルブラン著「奇巌城」の原題です。 -
「眠り」ギュスターヴ・クールベ/プティ・パレ美術館
プティ・パレはパリでも気に入った美術館で、ここで初めて陶芸家のジャン・カリエスを知った場所でもあります。
プティ・パレ美術館:https://4travel.jp/travelogue/10624898 -
「笛を吹く少年」エドゥアール・マネ/オルセー美術館
「オランピア」の不評でスペインに逃れたマネが、ディエゴ・ベラスケスの「道化師パブロ・デ・バリャドリードを見て、「背景が消え、空気だけが人物を包んでいる」とアンリ・ファンタン・ラトゥールに手紙を書いています。そしてベラスケスを「画家の中の画家」と呼びました。確かに先ほどスペイン絵画のコーナーで観たベラスケスへのオマージュのようにも感じます。 -
「エミール・ゾラの肖像」エドゥアール・マネ/オルセー美術館
友人で小説家のエミール・ゾラの肖像を描いたもので、日本人であれば気になる背景の浮世絵は大鳴門灘右エ門の相撲絵で作者は歌川国明のようです。さらに自ら描いた「オランピア」とベラスケスの「バッカスの勝利(酔っ払いたち)」の複製画も飾られています。 -
「フォリー・ベルジェ―ルのバー」エドゥアール・マネ/コートールド美術館
ロンドンで1週間かけて有名な美術館の数々を訪ねました。最後に行ったのがこのコートールド美術館でした。近くにあるトワイニングまでは妻と一緒でしたが、さすがに美術館巡りは飽きてしまったようでパスされました。ロンドンの美術館で唯一有料だったのですが、この美術館も素晴らしかったです。
コートールド美術館:https://4travel.jp/travelogue/11049047 -
「都会のダンス」オーギュスト・ルノワール/オルセー美術館
踊っている2人はモデルで画家のシュザンヌ・ヴァラドンとルノワールの友人ポール・オーギュスト・ロートです。 -
「田舎のダンス」オーギュスト・ルノワール/オルセー美術館
栗の木の下で踊る男女を描いています。 男性はこちらもポール・オーギュスト・ロートで、女性はのちにルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴです。 2人の人物像は等身大で描かれ、絵の大部分を占めていますが、背景にはテーブルと地面の帽子が見えています。 女性は右手に扇子を持っており、観る者に向かって微笑んでいます。 -
「ピアノに向かう娘たち」オーギュスト・ルノアール/オルセー美術館
リュクサンブール美術館の依頼によって1891年末からルノワールはピアノを楽しむ2人の少女をほぼ同サイズで6枚描き始めました。同時代の詩人ステファヌ・マラルメは、この作品を「成熟期のもっとも自由で、いかにもじっくりと落ち着きのある作品」と評しています。オランジェリー美術館の地下にも同じ構図の作品が納められています。 -
「団扇をもつ少女」オーギュスト・ルノアール/クラーク研究所
モデルとなった人物はコメディー・フランセーズの人気女優であったジャンヌ・サマリーです。当時流行していた英国風タータンチェックの旅行着を着ている姿や、手に持たれた日本の団扇など当時の流行を取り入れた作品です。1878年のパリ万国博覧会の開催によって、ジャポニスムが大流行していた時期でもあり、団扇のほか、当時流行していた日本の菊を思わせる花々が描かれています。 -
「サン・ラザール駅」クロード・モネ/オルセー美術館
モネはサン・ラザール駅の構内やその周辺で絵を描く許可を得るために奮闘し、また駅の付近に絵を描くための部屋を借り、同駅の連作の製作に取り組んでいます。黒煙を撒き散らしながら進む人工的な鉄道のイメージとは全く相反するもののように思えますが、印象派と鉄道は様々な繋がりがありました。鉄道は印象派の画家たちに好まれた画題で、当時の鉄道は近代生活の象徴であり、当時の都市部の華やかな生活を描こうとしていた彼らにとって理想的なテーマでした。 -
「日傘の女」クロード・モネ/オルセー美術館
モネは同じような構図の絵を何枚か描いていて、この絵のモデルになったのは同棲中のアリス・オシュデの娘のシュザンヌであろうと考えられています。モネは同じ衣装で右向きのポーズの女性を対として描いています。 -
「ルーアン大聖堂」クロード・モネ/オルセー美術館
当時ジヴェルニーに住んでいたモネはノルマンディー地方のルーアンに取材旅行に出かけ、大聖堂の西側正面の建物にイーゼルを構え、わずかに異なる3つの場所から30枚の連作を描きました。 -
「睡蓮:バラ色のハーモニー」クロード・モネ/オルセー美術館
この日本風の太鼓橋はモネのジベルニーの庭にあるものですが、同じようなものを池袋の百貨店の屋上に造ったことがあります。昨年リタイアしたのでもう関わることはありませんが、末永く残ってほしいと願うばかりです。 -
「ロンドンの国会議事堂」クロード・モネ/オルセー美術館
モネは1899年から1901年にかけて数回に分けてロンドンに滞在し、ロンドンとテムズ川の風景を連作的に制作しています。霧に包まれる冬の国会議事堂と陽光を描いたものです。モネは1870年に普仏戦争を避けて半年間ロンドンへと移住しており、1898年にはロンドン留学中に病に臥してしまった息子ミシェルを訪ねた滞在がきっかけになったようです。 -
「印象、日の出」クロード・モネ/マルモッタン美術館
マルモッタン美術館で感動した「印象、日の出」です。この Impression, soleil levantという題名から「印象派」という言葉が生まれています。モネはこの作品に関して「ル・アーヴルで部屋の窓から描いた作品で、霧の中の太陽と、そそり立つ何本かのマストを前景に描いた」と述べています。この町は1944年9月5日から6日にかけて、戦時中の最も苛烈な爆撃がイギリス空軍によって遂行されました。これは占領中のドイツ軍を弱体化させるのが目的でしたが、中心市街は廃墟となり、連合国軍によって解放されたときル・アーヴルはヨーロッパの都市のなかで最大級の惨状を呈した都市の1つでした。 -
「ダンス教室」エドガー・ドガ/オルセー美術館
ドガに限ったことではありませんが、印象派の構図には日本の版画からも影響を受けています。日本の版画には枠の位置で対象を切り落とす「断ち切り」の構図が劇的に使われていますが、ドガはこの作品をはじめ作品の全般でこの構図を用いています。 -
「花束を持つ踊り子」エドガー・ドガ/オルセー美術館
小さいころからバレエを始めた姪が発表会の度に写真を撮ってアルバムにしてくれるように頼んできます。発表会の当日のゲネプロの時にだけホールの2階から写真撮影が出来ます。毎年ゲネプロと本番の2回通しで見るのはしんどいのですが、ドガになった気分でシャッターを押すのも楽しいものです。 -
「舞台の踊り子(エトワール)」エドガー・ドガ/オルセー美術館
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「花束を持って挨拶する踊り子」エドガー・ドガ/オルセー美術館
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「青い踊り子」エドガー・ドガ/オルセー美術館
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「浴槽」エドガー・ドガ/オルセー美術館
行水する女性を俯瞰的に見下ろす視点は、女性に対するドガの心理的なスタンスとは無関係ではないようです。ドガに言わせるとこれらの女性は「自分の身体を舐めている猫のように、自分にかまけている人間の姿をした動物である。」ということのようです。ひどく気難しく皮肉屋な性格のため、画家仲間との衝突が絶えなく、晩年はドレフュス事件で有罪を主張したために、ゾラなどの数少ない友人を失ってしまいます。 -
「モンマルトル大通り」カミーユ・ピサロ/エルミタージュ美術館
ピサロがこのモンマルトル大通りを連作で描いていることは知りませんでした。建物や煙突の並ぶ屋根の姿は現在も変わらないと思いますが、何度か行ったパリでもこの辺りを歩いた記憶が残っていません。 -
「セーヌ川とノートル・ダム」ヤンキント・ヨハン・バルトルト/オルセー美術館
パリを旅していると何度となく見ることになる風景です。早くノートルダム大聖堂の修復が終わることを祈るばかりです。 -
「揺り籠」ベルト・モリゾ/オルセー美術館
出産のために参加しなかった第4回以外すべての印象派展に出品したモリゾは印象派の画家としても女性画家のさきがけとしても重要な人物です。姉のエドマとその子を描いているこの作品は、第1回展に出品され好評を博しました。結婚と育児に阻まれて画業を断念することなった姉の複雑な表情をとらえているともいわれます。 -
「灰色と黒のアレンジメントNo,1画家の母の肖像」ホイッスラー/オルセー美術館
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「化粧する女」トゥールーズ・ロートレック/オルセー美術館
トゥールーズ・ロートレックは化粧や身づくろいといった私的な場面の女性を描いた作品を多く残しました。ここでは女性が画面の中心を大きく占め、鑑る者に彫刻のような背中を見せています。背景に描かれた籐椅子はこの作品がクーランクール通りにあったロートレックのアトリエで制作されたことを示唆しています。 -
「ムーラン・ルージュにて」トゥールーズ・ロートレック/シカゴ美術研究所
父はシャンソンが好きでフランス語も勉強していて、会社の勤労25年の休暇を母を伴いヨーロッパのツアーに出掛けました。当時は自由時間などほとんどないツアーだったようで、バスのフロントガラス越しに撮ったムーラン・ルージュの写真が残っていました。本当は自由にムーラン・ルージュに行ったり、ラパン・アジルでシャンソンを聴いたりしたかったんだろうなと思います。リタイヤした後は病気になって自由な旅行の願いは叶わずに終わってしまいました。 -
「サーカス」ジョルジュ・スーラ/オルセー美術館
サーカスを題材とすることは1880年代には頻繁にあり、ルノワールやドガ、ロートレックも描いています。その中でもこの「サーカス」が、分割描法の理論が最も印象的に適用された作品であると考えられます。動きのあるステージと演者のための空間は躍動的で、座席と観客のための空間は厳格で直交性があり、動きがなくて厳密な幾何学的形状となっています。 -
「グランド・ジャット島の日曜日の午後」ジョルジュ・スーラ/シカゴ美術研究所
グランド・ジャット島は19世紀後半ではパリ市街から遠く離れた田園の島でした。クロード・モネ、フィンセント・ファン・ゴッホ、アルフレッド・シスレー、シャルル・アングランといった印象派・新印象派・ポスト印象派の画家らの絵にも描かれています。 -
「草上の昼食」エドゥアール・マネ/オルセー美術館
1863年のサロン(官展)に出品しましたが「現実の裸体の女性」を描いたことが「不道徳」とされ落選します。その後、同サロンに落選した作品を集めた落選展にも展示されましたが、同様の理由で批評家たちに批判されるなどスキャンダルを巻き起こします。作品の背景に描かれている森林はティツィアーノの「田園の合奏」に、作品中の手前の3人の人物の配置はラファエロの「パリスの審」」を基にしています。 -
「オランピア」エドゥアール・マネ/オルセー美術館
マネはこの作品を1865年のサロン(官展)に出品し、作品自体は入選しましたが、「草上の昼食」と同様に現実の裸体の女性を主題とした事が批判されました。「オランピア」という名が当時のパリにおける娼婦の通称だったこと、黒人女性が白人女性の召使として描かれていること、ベッドに横たわっている裸体の女性はサンダルと首に巻いたひもを身につけているが、このような裸体の女性が当時の娼婦を表している事が明らかであった事も非難の対象となります。 -
「ナナ」エドゥアール・マネ/ハンブルグ美術館
タイトルと多数のディテールから、この絵画は高級売春婦と彼女の顧客を描いていると考えられます。タイトルの「ナナ」は19世紀後半の売春婦に人気の偽名でした。現在においてもフランス語の「ナナ」は軽薄な女性を表すのに使われています。1877年に完成したこの作品は同年のパリのサロンへの出展を拒否されています。 -
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」オーギュスト・ルノワール/オルセー美術館
ムーラン・ド・ラ・ギャレットはモンマルトルに存在した「ギャレット(ガレット)の風車」の名を持つダンスホールで現在も「ラデの風車」が残っています。 -
「ラ・ジャポネーズ」クロード・モネ/ボストン美術館
モネの日本趣味は有名で、彼のジヴュルニーの家には233枚もの浮世絵版画が残されていたほどでした。おそらく1871年にオランダのザーンダムを訪れたとき初めて浮世絵を購入したと思われます。活発な世界貿易を続けていたオランダには日本からの陶磁器の包装として使われた浮世絵が早くから出回っていたようです。フランスでも1867年のパリ万国博覧会が日本からの出展を得て、日本への興味を刺激し始めます。 -
「落ち穂拾い」ジャン・フランソワ・ミレー/オルセー美術館
1856年から57年にかけてミレーは貧窮のどん底にあり、一時は自殺も考えたといわれます。そういう時期に描かれたのがこの作品です。落穂拾いとは刈り取りの終わった畑に落ちている糧を1粒1粒拾っていく作業のことで、最も貧しい農民が行うつらい労働であり、それをとり上げたミレーの作品は政治的プロパガンダの意味合いをもつのではないかと評されたほどです。 -
「晩鐘」ジャン・フランソワ・ミレー/オルセー美術館
ミレーが子供のころ夕方の鐘が鳴ると、祖母は農作業の手をやめさせ、帽子を脱ぎ、哀れな死者のためにアンジュラスの祈りをするように言うのが習慣であったそうです。そういう思い出を描いたのがこの「晩鐘」です。 -
「アトリエの壁」アドルフ・メンツェル/ハンブルグ美術館
今回初めて知った画家ですが、妙に印象に残り、いろいろ調べてみたいと思います。 -
「見知らぬ女」イヴァン・クラムスコイ/トレチャコフ美術館
いまやロシアで最も有名な作品のひとつですが、発表当時は高慢でふしだらな女性を描いたものだとして多くの批判を浴びていたそうです。また、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」の女主人公に触発されたものである可能性も指摘されています。同書が出版されたのは「見知らぬ女」が描かれる10年ほど前であり、実際にこの絵をカバーに採った版がいくつか存在するそうです。この作品には渋谷の文化村ザ・ミュージアムでお会いしています。 -
「静かな修道院」イサーク・レヴィタン/トレチャコフ美術館
場所は違いますが、スーズダリ郊外のスパソ・エフフィミエフ修道院から川の対岸のポクロフスキー修道院を眺めたことを思い出します。そしてタルコフスキーの映画「アンドレイ・リュブロフ」のことも。 -
「ヴォルガの船曳き」イリヤ・レーピン/ロシア美術館
河川での船の運航は動力がなかった時代には下流へ行く場合は風を帆に受けたり、風がなくても川の流れに乗って進むことができましたが、流れに逆らって上流へのぼるには人や馬が曳くしかありませんでした。船曳き人夫らは主に春と秋に、それぞれ皮や布でつくった幅広のベルトを身体に巻いて、何時間も何日間も岸辺や浅瀬を歩き続けて船を曳きました。船曳きと呼ばれるこうした労働は1929年にソビエト連邦の政府によって正式に禁止されるまで続けられました。画中には蒸気船の姿も見えるので船曳きの時代の終わりを感じさせます。 -
「松の木のあるサント・ヴィクトワール山」ポール・セザンヌ/コートールド美術館
20代の終わりまで印象派の絵画はあまり好きではありませんでした。モンペリエからアルルへ日帰りで出かけた帰りの電車の車窓から糸杉や山並みを眺めていたら、印象派の絵画のように思え、それ以来気持ちが変わっていきました。 -
「リンゴとオレンジ」ポール・セザンヌ/オルセー美術館
不自然に盛り上がったテーブルの上に、これまた不自然に果物と水指が配置されており、白いクロスの幾何学的なジグザグのラインが全体の構図に調和と安定感をもたらしています。画面の中にはさまざまな視覚的な「遊び」があり、現実の構図だけじゃなく、それを画面上にどう表現するかもセザンヌは緻密な計算に基づいて行っています。 -
「自画像(レ・ミゼラブル)」ポール・ゴーギャン/ゴッホ美術館
1888年ゴッホとの共同生活をするためアルルへ旅立つ前にゴッホと交換した自画像です。貧しさのあまり盗みをはたらくユーゴーの小説「レ・ミゼレブル」の主人公に自らを重ね、ゴーガンは「ならず者の顔」と自身を自嘲的に語っています。
同時に「僕らの仲間すべての肖像でもある、悲しい社会の犠牲者たちの肖像だ」ともつけ加えています。 -
「光輪のある自画像」ポール・ゴーギャン/ワシントン・ナショナル・ギャラリー
この作品は赤一色の背景をバックにし、光輪を頭上に載せたゴーギャンの姿が描かれており、絵の手前には花と植物が描かれています。ゴーギャンの自画像のすぐ側にはりんごが2個ぶら下がっており、手の指と指の間には蛇も描かれています。 -
「イア・オラナ・マリア(マリアを拝む)」ポール・ゴーギャン/メトロポリタン美術館
ゴーギャンの第1次タヒチ滞在期の代表作で、タヒチを形成する小さな島の1にある村マタイエアの人々を描いた作品です。マタイエアの現地民は他の島民とは異なりカトリック教徒が多く、ゴーギャンもそれに触発されて制作したとされます。 -
「ヴァイルマティ」ポール・ゴーギャン/オルセー美術館
ゴーギャンはタヒチの古い習俗に関する本を読み、アリオイという独自の共同体やオロ神についての解説に惹きつけられました。そして想像に基づいて絵や木彫りの彫刻を制作します。その最初がアレオイの種であり、オロ神の現世での妻ヴァイラウマティを表しています。 -
「黄色いキリスト」ポール・ゴーギャン/オールブライト・ノックス美術館
この作品はゴーギャンの代表的1枚であり、19世紀北フランスの状況を絵にした作品です。黄色い木造のキリスト磔刑像の周りに集まっているブルターニュの女性達がお祈りをしている様子が描かれています。描かれている像のモデルはポン・タヴァンの近くにあるトレモロ教会に飾られている7世紀に造られたキリスト像と伝えられています。 -
「美しきアンジェ―ル」ポール・ゴーギャン/オルセー美術館
この作品のユニークさはモデルを円形の枠に入れて周囲から独立させていることです。この構図は安藤広重の名所江戸百景にも見られます。モデルはゴーギャンの友人の妻アンジェ―ルで、左下に丁寧に書かれた彼女の名前には画家が親愛の情と感謝を込めて製作したことが現れていますが、夫はその出来栄えが気に入らず受け取りを拒否したそうです。 -
「麦藁帽子の自画像」フィンセント・ファン・ゴッホ/デトロイト美術館
パリについて2年目の頃に描かれた自画像で、パリに着いた頃のものより色彩は格段に明るくタッチにも生彩が見られます。 -
「自画像」フィンセント・ファン・ゴッホ/オルセー美術館
1888年12月のゴーギャンへの傷害未遂とその後の耳切事件はそれまで潜在的だったゴッホの「狂気」の最初の表れでした。この作品は1889年9月ころの作品なので、それらの事件の後のものです。背景にはうねりがはっきりと見られますが、同じ頃に描かれた自画像より明るくなっており、顔にも陰陽が表現されています。またスーツを着て、上着をはおり、おしゃれに見える。服装の方もしっかりと描かれていることから精神状態が暗くなったり明るくなったりと不安定だったことが窺われます。 -
「アルルのゴッホの部屋」フィンセント・ファン・ゴッホ/オルセー美術館
この作品は1889年9月にゴッホの母のためにサイズを縮小して複製して描かれたもので、後に松方幸次郎が購入しコレクションに加えられていましたが、第2次世界大戦当時はフランスに残され、サンフランシスコ講和条約による戦後賠償の一環として1959年にフランスの国有となり、現在はオルセー美術館に収蔵されています。1921年頃に松方がパリに滞在し絵を購入していた際には美術評論家の矢代幸雄が同行していました。この作品がルノアールの「アルジェリア風のパリの女たち」と共に売りに出されていたため、矢代は「希代の傑作」であるとして松方に購入を勧めたが松方は一度はこれを断り矢代は落胆したといいます。その後、矢代が知らない間に松方はこの作品を購入していたことになります。 -
「ローヌ川の星月夜」フィンセント・ファン・ゴッホ/オルセー美術館
この作品はゴッホがアルル時代に描いた夜景の1枚です。描かれているのは当時ゴッホが借りていたラマルティーヌ広場に面する「黄色い家」から徒歩1、2分のところにあるローヌ川岸からの眺めです。夜空と灯りの鮮やかな対比は同時期に描かれた「夜のカフェテラス」や後の傑作「星月夜」にも表れる主題です。7月の暑い日にアルルのローヌ河畔を歩いたことを思い出します。 -
「種まく人」フィンセント・ファン・ゴッホ/クレラー・ミュラー美術館
最初のベルギーとオランダの美術館巡りは3週間もあったにもかかわらず、アムステルダムで時間切れになっていました。数年後のクリスマスマーケット巡りの旅では機会があって見学することが出来ました。前の晩から雪が降って幻想的な雰囲気だったことを覚えています。
クレラ―ミュラー美術館:https://4travel.jp/travelogue/11313898 -
「ガシュ博士の肖像」フィンセント・ファン・ゴッホ/オルセー美術館
モデルとなったポール・ガシェはフランス・パリ近郊のオーヴェル・シュル・オワーズ在住の精神科医でした。彼は週に数度パリで診察を行っていましたが、1890年3月に初めてゴッホの診察をし、健康回復のために彼をオーヴェールに招きます。オーヴェールに着いたゴッホはガシェとその一家と親しくなり、再び創作意欲がよみがえって村の風景や村人たちを描き、ガシェ自身もモデルとなりました。7月末に自殺を図ったと思われる大怪我を負って死去するまでの2か月間、ゴッホはこの村で80点ほどの作品を残しています。 -
「オーヴェールの教会」フィンセント・ファン・ゴッホ/オルセー美術館
この作品はゴッホの最晩年、パリ北西のオーヴェール地方で友人である精神科医ポール・ガシェのもとで療養生活を送っていた時に描かれた作品です。オーヴェールにあった実在の教会を描いた絵ですが、かつてゴッホがオランダニューネン地方で暮らしていた頃の作品を彷彿させる情景です。この作品が描かれた頃のゴッホはかつて暮らした北の地方への郷愁が募っていたと言われています。 -
「田舎の結婚式」アンリ・ルソー/オランジェリー美術館
19世紀末頃から20世紀初頭にかけて活躍した素朴派の画家アンリ・ルソーの代表的な肖像画かつ集団人物画です。画家とは関係は認められないものの、古いアルバムの記念写真(ポストカード)を基にして制作された作品です。オランジェリー美術館の地下に収蔵されていた作品は素晴らしいものが多く、ギョーム・コレクションの質の高さを感じました。
オランジェリー美術館:https://4travel.jp/travelogue/10624899 -
「子供と人形」アンリ・ルソー/ヴィンタートゥール美術館
ルソーが子どもを単独で描いたのは、数点といわれています。ルソーには最初の妻クレマンスとの間に7人の子供がいましたが、そのうち6人が20歳になる前に亡くなってしまっていますす。また、その妻も1888年に亡くなるなど、短い間に多くの家族を失いました。 -
「戦争」アンリ・ルソー/オルセー美術館
ルソーはこの絵について「それは到る所に恐怖と絶望を残し、そして涙と廃墟を後に通り過ぎてゆく」と説明を添えています。彼自身は前線に出たことはないものの1870年のフランコ・プルシアン戦争や1871年のパリ=コミューンより20年以上経過してもも、その恐怖や憎しみ、そして矛盾について感じていたようです。
ルソーの才能を発見し、彼の評伝を著したウーデは、ルソーが戦争について語った際に「もし王様が戦争を始めようとしたら、母親が出かけていって断じてとめなければなりません」と激高したと記しています。中央ではしかめ面をした少女が剣とたいまつを持っています。ローマ神話の戦争の女神ベローナのようなこの女性は、モンスターのような馬に乗っています。暗い地面は死体の山で覆われており、カラスがその死肉をついばんで、木々は黒く焦げたようであり、雲は赤く染まっています。 -
「オフィーリア」ジョン・エヴァレット・ミレイ/テート・ギャラリー
ウィリアム・シェイクスピアが手がけた四大悲劇のハムレット第4幕7章の一場面です。この場面はデンマーク王子ハムレットが父を毒殺して母と結婚した叔父に復讐を誓うものの、その思索的な性格のためになかなか決行できずにいます。その間に恋人のオフィーリアは小川で溺死してしまうという場面です。自然主義的な美的理念に基づき本背景の中に描写される草花には象徴的な意味が込められ、ヤナギは見捨てられた愛、イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折、ケシの花は死を意味しています。 -
夏目漱石が「草枕」にこの絵について書いています。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択(えら)んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶はもとより、全幅の精神をうち壊こわすが、全然色気ない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以(もっ)て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。」
-
「蛇使い」アンリ・ルソー/オルセー美術館
ルソーはあらゆる素朴画家たちの中でも最も優れた画家であると考えられていますが、発表された当時は批評家たちの間で笑いものの種であったようです。一方で前衛画家やピカソからは高い評価を受け世評も両極端に分かれました。この絵はルソーの作品を賞賛していた画家のロベール・ドローネの母親から依輪されたものです。ドローネ夫人はインドへ行ったことがあったので、エキゾティックな主題は彼女にふさわしいものでした。 -
「異国風景」アンリ・ルソー/ノートン・サイモン美術館
元々ルソーはパリの税関で職員として働いて、空いた時間に絵を描いていたと言います。今で言う日曜画家として絵を描いていたわけで、そのためドゥアニエ(税関吏)とも呼ばれていました。ルソーが本格的に画家として活動し始めたのが40歳頃からで、アンデパンダン展に42歳から参加し、それ以降毎年の様に出品しています。 -
「ベアタ・ベアトリクス」ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ/テート・ギャラリー
ロセッティは1862年にアヘンの多量摂取により死去した妻であり、頻繁に彼の作品のモデルを務めたエリザベス・シダルをモデルにして本作を描きました。この絵は妻が生きているときに描いた多くのスケッチから作成されています。「ベアータ・ベアトリクス」はロセッティ作品の中でも最も有名なものの1つであり、シダルの名をダンテのベアトリーチェと関連付けさせるものになります。 -
「モンア・ヴァンナ」ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ/テート・ギャラリー
ロセッティがよく用いたモデルのアレクサ・ワイルディングを正面から描いた肖像画であり、頭は少し右に傾いています。当時の耽美主義に則した淡く輝く繊細な肌と、強く刺すようなまなざしを持って描かれています。正直、ラファエル前派の作品はあまり好きではありませんでした。ロンドンを旅してからだいぶ変わりましたが、ロセッティはまだ…。 -
「天地創造の5日目/6日目」エドワード・バーン・ジョーンズ/フォッグ美術館
「天地創造」は6つのパネルから成る連作で、バーン・ジョーンズ作品の中でも傑作の1つとされます。天使のモデルはウィリアム・モリスの当時15歳だった長女ジェニーが主に務め、妹のメイもいくつかのパネルに登場しているようです。創造の日は全部で7日間あり、それぞれの日に対応する7人の天使が描かれています。天使はその日の出来事に対応する地球儀を持っています。 -
ようやくギュスターヴ・モローの作品が現れました。モローの絵画に傾注したのはいつの頃からだったか記憶にありませんが、澁澤龍彦の影響があったと思います。2回目の妻とのパリ旅行では念願の「モロー美術館」に行くことが出来ました。
モロー美術館:https://4travel.jp/travelogue/10624901 -
「岩の上のサッフォー」ギュスターヴ・モロー/ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館
古代ギリシャの女流詩人サッフォーは若く美しい乙女だけを集めた美の学園を主宰しました。若く美しい青年ファオンに恋心を抱くものの、ファオンに受け入れられず、あまりの悲しみからレウカディアの岬から身を投げて生涯を終えてしまいます。
ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館の巨大な空間の中にこの小さな作品があったのか全く記憶にはありません。
ビクトリア&アルバート美術館:https://4travel.jp/travelogue/11049004 -
「クレオパトラ」ギュスターヴ・モロー/ルーブル美術館
2本のオベリスクからエジプトを描いたものだとは分かりますが、描かれた女性からはクレオパトラを感じることはありません。ルーブルには3回行っていますが、この絵を見た記憶はありません。 -
「オルフェウス」ギュスターヴ・モロー/オルセー美術館
ギリシア神話に登場する吟遊詩人で、歌と竪琴の名手としても語り継がれるオルフェウスの首と竪琴を抱きかかえるトラキアの若い娘を描いた作品です。神話上では愛妻エウリュディケとの永遠の死別に絶望したオルフェウスは、冥府の秘儀を男のみに伝え、全ての女性を避けたことが原因で、酒神バッコスの信女たちに八つ裂きにされた後、海に投げ込まれます。その後、トラキア(レスボス島)の岸辺に流れ着いたオルフェウスの首と竪琴を若い娘に拾われたとされます。 -
「一角獣」ギュスターヴ・モロー/モロー美術館
モローの代表作のひとつであるこの作品は午前中に観てきたクリュニーのタピスリーからその主題だけでなく、一角獣の表現や女性たちの衣装や装身具など多くを引用しています。リヨン出身のブルジョワであるル・ヴィスト家のために製作されたタピスリーは、赤地に切花と小動物を散らした千花文の装飾的背景の中に、楕円形の島形をした草花の生い茂る「緑の野」が置かれています。この閉ざされた庭には、処女性の隠喩が含まれ、モローの「一角獣」でもきらびやかな貴婦人たちと一角獣が集まるのは、海に囲まれた島のようです。 -
「秘儀の花」ギュスターヴ・モロー/モロー美術館
モローが若き日に滞在したイタリアでの過去の偉大なる巨匠たちの模写に基づいた本作は、玉座に在る聖母マリアを主題とした作品です。画面上部中央には純潔を意味する白百合の玉座に座りながら十字架を掲げる聖母マリアが凛とした堂々たる姿で描かれています。その頭上には父なる神と一体として考えられる聖霊(白鳩)が描き込まれています。また聖母マリアが座する玉座の白百合の茎を地面へと辿ると、キリスト教の教理に殉じた幾多の聖人や殉教者たちが描かれています。 -
「黄金の階段」エドワード・バーン・ジョーンズ/テート・ギャラリー
他の多くの作品とは異なりこの作品は文学的主題に基づいて描かれていなようです。白いドレスに身を包んだ若い女性達が、らせん階段を下りながら楽器を運んでいます。画家の娘マーガレットは上から4番目でトランペットを持っています。上から7番目にいて身を屈めているのは女優のエディス・チェスターで、ウィリアム・モリスの娘メイ・モリスはヴァイオリンを持っています。この作品はテート・ギャラリーの展示室の高い場所にあって見にくかった記憶があります。 -
「コフェトゥア王と物乞いの少女」エドワード・バーン・ジョーンズ/テート・ギャラリー
乞食の娘ペネロフォンに一目ぼれした王子コフェチュアの物語「王と乞食娘」の場面を描いています。バーン・ジョーンズはエリザベス朝時代のバラッドに基づいたこの物語について、トーマス・パーシーの「古代英語詩のアンソロジー」や、アルフレッド・テニスン卿による16行の詩「乞食娘」を通じて熟知していたようです。 -
「死と乙女」エゴン・シーレ/オーストリア美術館
シーレは28年の短すぎる人生の中で狂気に満ちた生活を送りました。シーレのインスピレーションの多くが少女で、卑猥なポーズをとらせたり性的関係を持ったことで禁固刑もされています。ヴァリ・ノイツェルもそんなモデルの1人で17歳の時にエゴンシーレと出会いますが、2人は恋人同士になり共に生活しました。しかしシーレはヴァリ・ノイツェルと長く生活を共にしたにもかかわらず、裕福な家庭の女性エディト・ハルムスが現れるとあっさり別れてしまいます。この「死と乙女」はシーレと彼にしがみつくヴァリ・ノイツェルを描いています。ボロ服をまとったヴァリ・ノイツェルの悲しい姿は観る者に哀れみを感じさせます。シーレは結婚の数ヶ月前にこの作品を描き、2人の関係の終焉を表しました。 -
「四本の樹」エゴン・シーレ/オーストリア美術館
この作品の焦点は背景にある山のむこうに見える美しい太陽です。木はこの風景画の前景全体に均等に点在するよう描かれています。美しい明暗のコントラストはシーレのファンの中でも人気があり、彼の多作なキャリアの中でも最も模写が多く作られている作品でもあります。中央ヨーロッパをツアーバスで走っていると朝や夕に同じような景色に出会い、この絵を思い出すことがあります。 -
「家族」エゴン・シーレ/オーストリア美術館
この作品は最も静かで悲しいシーレ作品の1つです。シーレ自身と妻のエディト・ハルムス、そして生まれることのなかった2人の子供が描かれています。シーレはいかにして切迫した死を予感し、悲劇を予測できたでしょうか。 -
「アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像Ⅰ」グスタフ・クリムト/ノイエ・ギャラリー
この絵はウィーンの銀行家で実業家のフェルディナント・ブロッホ・バウアーの妻、アデーレをモデルに描いており、彼の注文により描かれました。フェルディナントは製糖業で富を得た裕福な実業家であり、多くの芸術家のパトロンとなり、クリムトもその中の1人でした。アデーレはクリムトの絵をオーストリア・ギャラリーに寄贈するよう遺言し、1925年に髄膜炎により死去しました。ナチスの没収を経てフェルディナントに返還され、遺言で資産の相続人として甥や姪のマリア・アルトマンもその中に指名されます。アメリカとオーストリアの間で長らく法廷闘争が繰り広げられた後に所有権が認められます。その後この作品ももう1枚のアディーレⅡも共に売却されています。 -
「接吻」グスタフ・クリムト/オーストリア美術館
オーストリア美術館はベルヴェデーレ宮殿にあり、これまでに3回行ったことがありました。3回目はクリスマスマーケット巡りで組み込まれていましたが、離団して自由行動にしようと考えていました。ところが現地のガイドさんから「みなさん、最近写真撮影が許可されるようになって、クリムトと写真が撮れますよ。」と聞いて美術館を見学してから離団することにしました。
オーストリア美術館:https://4travel.jp/travelogue/11451983 -
「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」ジャック・ルイ・ダヴィッド/ルーブル美術館
全長が10メートル近くもあるこの作品をよく陶板で製作したものだと思いました。戴冠式は1804年12月にノートルダム大聖堂で行なわれ、ナポレオンは市民に支持されて皇帝になったことを示すために冠を自分で頭に載せました。しかし絵になりにくいために、ダヴイッドは皇帝から皇妃へ戴冠する場面を採用しています。画面に臨場感をもたせるために空間は実際よりも縮小され、人物はほぼ等身大に描かれています。実際は出席していなナポレオンの母親も描かれています。同じ作品はヴェルサイユ宮殿でも観ることが出来ます。 -
「メデューズ号の筏」テオドール・ジェリコー/ルーブル美術館
メデューズ号は1816年に今日のモーリタニア沖で座礁し、少なくとも147人の人々が、急ごしらえの筏で漂流しなければなりませんでした。そのほとんどが救出までの13日間で死亡し、生き残った15人も飢餓や脱水や狂気にさらされることになります。事件は国際的スキャンダルとなり、フランス復古王政の当局指揮下にあったフランス軍指揮官の無能が遠因になったとされました。 -
「衰退(アルプス三部作)」ジョヴァンニ・セガンティーニ/セガンティーニ美術館
この作品には特別な思い出があります。1か月のイタリア旅行の後にミラノからベル二ナ線でサン・モリッツに入った時に行ったセガンティーニ美術館に行きました。セガンティーニを教えてくれたのは山が好きだった父で、小学生の頃にセガンティーニの絵を観に連れて行ってもらった記憶もあります。 -
「存在(アルプス三部作)」ジョヴァンニ・セガンティーニ/セガンティーニ美術館
セガンティーニ美術館の円形のドームの展示室は夕方ということもあって、自分以外誰もいませんでした。目の前に並んだこの3連の絵を目の前にして父に見せてあげたかったと思いました。 -
「生成(アルプス三部作)」ジョヴァンニ・セガンティーニ/セガンティーニ美術館
この時に美術館で買った大判の絵葉書は父へのお土産にしました。両親が亡くなって実家を取り壊す際に遺品の本の間からこの絵葉書が出てきたときはいろいろな思いが込み上げて涙が止まりませんでした。 -
「湖を渡るアヴェ・マリア」ジョヴァンニ・セガンティーニ/ザンクト・ガレン美術館
湖に小舟が1艘浮かんでいます。乗っているのは沢山の羊と子どもを抱く女性、船を漕ぐ男性です。この3人は明らかに聖家族(幼子キリスト・聖母マリア・養父ヨセフ)に見立てられています。羊が描かれてことからも宗教画を意識していることが分かります。タイトルにある「アヴェ・マリア」、聖母マリアへの祈祷の言葉です。遠くに教会の尖塔が見えることと、男性がオールを手にしながらも船を漕いでいないことから、ちょうど祈りの時間で聖母マリアへの祈祷の言葉を唱えているのだと思われます。 -
「生命の泉に寄る愛の天使」ジョヴァンニ・セガンティーニ/ミラノ市立近代美術館
アルプスの風景などを題材とした絵画を残し、アルプスの画家として知られているセガンティーニは一方で、この後にも出て来る「悪しき母達」など神秘的、退廃的な作品を残したことから、作風は世紀末芸術とされることもあります。大塚国際美術館からはまだ逃れられません。
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