2015/08/21 - 2015/08/21
2722位(同エリア9831件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1484冊
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- フォロワー151人
今までイギリス絵画といえば風景画程度でそんなに素晴らしい物を観た記憶がありませんでした。イギリス人は絵を描くよりも集める方が上手い国民だと思っていましたが、この「テート・ブリテン」に行ってそんな考えが変わりました。特に今までほとんど印刷物でしか見た事の無かったラファエル前派の作品には心動かされました。その前兆はブリュッセルの国立美術館の世紀末美術館でも感じていたのですが、ここでミレイの「オフェリア」やウォーターハウスやロセッティの絵画を目の当りにしたら感動を禁じえませんでした。この美術館のもう1つの作品群がターナーの作品です。イギリスの田園の風景画だけかと思っていましたが、イタリアのローマやヴァチカンの風景もあり改めて勉強になりました。ラファエル前派は日本でも明治期に「明星」などの雑誌に紹介され、洋画家の青木繁らに影響を与えましたが、その波及力は画壇のみならず文壇そして夏目漱石も彼らの作品に強い関心を抱いたひとりでした。漱石は1900年から2年あまり、英国に留学して、このとき風景画家のターナーの絵に共感し「坊っちゃん」のなかでその舞台となった松山市にある四十島に生えた木がターナーの描く松に似ていることから、「ターナー島」として登場させているのは有名です。テート・ブリテンは市の中心部からは離れていますが、ブラブラ散歩するのも楽しかったです。アラビアのロレンスのモデルになったロレンスが住んでいた家を見つけたり、拝観料が高すぎて入れなかったウエストミンスター寺院のファサードも見ることが出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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翌日は別の橋でテムズ河を渡ります。ホテルから近いウォータールー橋です。ウォータールーはフランス語読みすればワーテルロー、ワーテルローの戦いでナポレオン率いるフランス軍に勝ったことを記念した橋です。ヴィヴィアン・リーの「哀愁」という映画はこの橋が舞台になっています。原題もウォータールー・ブリッジで、佐田啓二と岸恵子の「君の名は」はこの映画のリメイクです。
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イチオシ
隣のハンガーフィールド橋越しにビック・ベンと国会議事堂が見えてきました。
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橋の袂には「クレオパトラの針」と呼ばれるオベリスクが立っています。ロンドンとパリとニューヨークにクレオパトラの針は存在し、パリはコンコルド広場に立っているので有名です。ロンドンとニューヨークのものは元々1対のものだったそうです。ナイルの海戦でのネルソン提督の勝利とアレクサンドリアの戦いでのアバークロンビー将軍の勝利を記念してエジプトから贈られたものだそうです。
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テムズ河を往く伝統的なボートが見えました。いつかナローボートを借りてイギリスの運河を旅してみたいと思っています。
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200ミリの望遠レンズでビクトリアタワーを撮ってみるとゴシック様式の細部まで確認できました。
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形は違いますが対をなすように建つビッグ・ベンです。在位を記念してエリザベスタワーが正式名称だそうです。お2人とも小柄な方ですが、大きなものに名前を付けてもらったのですね。
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イチオシ
対岸のロンドン・アイの近くから今度は広角16ミリで撮ってみます。ロンドン・アイは巨大でインパクトあります。
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28年前にはバスの車窓から一瞬見ただけだったので、こうやってじっくり見ると感無量です。
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ロンドン・アイには乗りたいとは思っていなかったのですが、真下まで来ると気持ちが揺らいできます。でも値段を見ると正気に戻れます。ファストレーンでネット予約で28ポンドだったら前日のヒスパニョーラ号のディナーと同じ料金です。
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現在はコカ・コーラがスポンサーになっていました。昔青いライトアップだった印象がったのですが昨晩は赤いままでした。後日調べてみるとコカ・コーラのCIカラーに変わったそうです。
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川沿いの空の広い所に建っているので大きさを実感できませんが、望遠レンズで寄ってみると迫力ある姿です。時計の文字盤だけで直径7メートルだそうです。
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ウエストミンスター橋の先まで足を伸ばしました。ここからだと国会議事堂の全景が見渡せます。
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この橋のたもとのお土産の屋台は絵葉書が安くて種類が多かったです。12枚で1ポンドだったと思います。他では安くても1枚0.2ポンドですからね。
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橋の中央辺りでバグパイプを演奏するおじさんがいました。
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イチオシ
ゆっくり演奏を聴いていたい所ですが、おじさんとの間をバスや車が行き交います。
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ウェストミンスター橋の街灯もクラシックな感じで美しいです。
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ストランド通りを9時に出てここまで散歩するのに1時間ちょっとかかりました。
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この先は川沿いを歩けないので国会議事堂に沿って歩きます。
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チャーチル首相の銅像がありました。28年前の視察旅行のときビッグ・ベンを撮った写真にこのチャーチルの銅像が映っていました。写した記憶は残っていないのですが懐かしく感じます。パリのアレクサンドル2世橋からプティ・パレの前を通ると同じようなチャーチルの像がありました。そちらにはたくさん献花されていましたが、本家の女王の御膝下では人気無いようでした。
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ロンドン警察のお巡りさんはヘルメットが可愛らしい感じがします。子供用のおもちゃがお土産物屋さんに並んでいましたが、姪が被ってくれる保証は無いので買いませんでした。
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ウエストミンスター寺院の東側を通り過ぎます。
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ウエストミンスター宮殿に建つ「リチャード獅子心王の騎馬像」です。
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イチオシ
生涯の大部分を戦闘の中で過ごし、その勇猛さから獅子心王(リチャード・ザ・ライオンハート)と称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範とたたえられます。在位中イングランドに滞在することわずか6か月で、その統治期間のほとんどは戦争と冒険に明け暮れたそうです。
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手に持った剣はエクスガリバーでしょうか。ロンドンで観た騎馬像としては一番良かったです。リチャード1世とはここでお別れです。
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ビクトリアタワーの下まで来ました。巨大なユニオンフラッグがたなびいています。
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ゴシックの塔を守る獅子の像です。
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ロンドンで見た獅子の像はどれもどう猛には見えず、ちょっと滑稽な感じがしました。
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テムズ河をしばらく南側へ歩いて「テート・ブリテン」に到着です。テート・ブリテンは1500年代のテューダー朝美術以降、現代に至るまでの絵画を中心としたイギリス美術を時代順に展示しています。今回どうしても外せない美術館の1つでした。
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エントランスホールはドーム天井のガラスから太陽光線が入って驚くほど明るいです。巨大な井戸のような螺旋階段を下りてクロークに荷物を預けます。
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上を見上げるとバロック教会のような印象も受けます。
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ホールではインスタレーションの展示が行われていました。作家さんらしい方もいらっしゃいましたがそのまま素通りです。
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3日目にして毎日歩き過ぎで、妻はすっかりおばあさんのようになってしまいました。
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「チャムリー家の令嬢」
17世紀に描かれて作者は不明です。ベッドの上で体を起こして座る2人の女性は同じ赤いお包みの赤ん坊を抱いています。彼女たちは姉妹と言われていますが目の色が違うので一卵性双生児ではありません。トーマス・チャムリーとメアリーの夫妻のコレクションでした。 -
2人は同じ日に生まれて同じ日に結婚したと言われています。絵は1600年から1610年に描かれているのでチャムリー夫婦の娘と姪ではないかとも言われています。
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イチオシ
このような構図の絵は絵画として描かれることは珍しく、お墓の彫刻ではよく見られるそうです。赤ん坊が生まれた「生」の絵画ですが、生命感を感じられず「死」をイメージしたのですが、あながち間違ってはいなかったようです。
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「An Allegory of Man:ある男の寓話」
16世紀のイギリス画家の作品です。
この時期の宗教的な主題を描いた英国で描かれた作品はとてもわずかだそうです。 この作品の描かれた経緯は分かっていませんが、画上の銘が英語なので英国で使用されるために描かれたと思われます。 -
濃い雲間から小さな翼のある天使たちは天上のキリストの姿を見守ります。1540年代後半の宗教改革の後で宗教的なイメージを描くことは許されなかったので、キリストの表現をこの期間の英国の絵画で発見することはとても珍しいそうです。
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描かれた当初の目的は不明ですが個人の信仰的な使用のためだったと思われます。書き込まれた 銘文は見た者にうぬぼれに対する人間の魂の脆さと世界の危険性について警告しています。復活する男は古典的な軍の服装を着ていますのでこの絵がが兵士のために描かれたであろうことを想像させます。
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またこの絵には非常に注意深い詳細がちりばめられています。(例えば男性の人物が石弓で狙われているとか)机上にはコインや開かれた本とお金を入れる袋。豪華な服を着た女性は砂時計をウエストから真珠の紐で吊り下げています。おそらく怠惰さによって無駄になる時間の寓意でしょう。右下の火焔のくぼみから狙いを定める男の姿は悪魔のようです。右手には盾を持った骸骨が長い槍で刺そうとしています。
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「レディー・アン・ポープ」
ロバート・ピーク
エリザベス1世の統治時代後半からジェームズ1世統治時代全般を通して活躍したイギリス人画家です。1604年にヘンリー皇太子付きの絵師に任命された後ジェームズ1世の主席宮廷画家に任命されました。 -
イチオシ
カーネーションとバラとイチゴの刺繍が施されるジャケットを着たレディー・アンの姿はすべては愛の象徴と解釈されることができます。 彼女は首と手首のレースは純粋さを表し、真珠は高位の地位を意味します。 また解かれた長い髪は処女性の徴候でもあります。背景の桜の木の枝にはサクランボが実り、これは美徳の報酬であると考えられます。この絵は1933年に売られるものまで義理の姉妹エリザベス・ポープの肖像と同じ家族のコレクションの中にあったそうです。
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「エリザベス1世の肖像」
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ヘンリー8世の王女として生まれましたが2年半後に母アン・ブーリンが処刑されたため庶子とされます。弟のエドワード6世はジェーン・グレイへの王位継承に際して姉たちの王位継承権を無効とします。続くカトリックのメアリー1世の治世ではエリザベスはプロテスタントの反乱を計画したと疑われて1年近く投獄されますが、1558年にメアリー1世が死去すると王位を継承します。
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イチオシ
さすが女王陛下となると肖像画も非常に美しい装飾が施されると思いました。
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「サー・トーマス・リーの肖像」
マーカス・ギーラーツ2世 -
トーマス・リーはアイルランドのイギリス植民地の軍隊に所属しました。彼の裸足はアイルランドの兵士の衣装とローマの英雄を想像させます。トーマスはエリザベス1世に違約の疑いがあって、これを論破するためにロンドンを訪れます。額のラテンの銘はローマのスカエボラに言及して、トーマス・リーが誠実なことを意味します。
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「ニール・オニール卿」
ジョン・ミッシェル・ライト
ニール・オニール卿は同時代のアイルランドの族長の豊かに飾られた衣装を着ています。 -
彼の側には首輪に彼の名前が刻めらたアイリッシュウルフハウンドが座っています1652年からこの貴重な犬は輸出が禁止されたそうです。
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この美術館もあまりに巨大なので気に入った作品を探し求めて歩き回ります。夫婦でも好みは違うのでそのうちに離れ離れになってしまいます。
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「妖精たちを伴うタイターニア」
ヨハン・ハインリッヒ・フュースリー
この絵には惹かれました。パリでギュスターブ・モローに感銘を受けた時に近い感覚でした。フュースリーは1700年代の画家ですが、絵画史上最大の教養人であり、その教養を武器にそれまでにない人間の深層心理に迫る絵画を生み出しました。フュースリーの絵画はゴヤとともに象徴主義やシュールレアリズムの先駆けとなるものです。間違いなく絵画史上もっとも偉大な画家の一人ですがかなり難解です。 -
タイタニアはウィリアム・シェイクスピアの戯曲「夏の夜の夢」の登場する妖精(フェアリー)の女王です。物語においてタイタニアは非常に誇りの高い存在であり夫であるオーベロンと同等の力を持っています。取り替え子を手に入れるべきかという夫婦喧嘩が戯曲の他の登場人物たちを争いと混乱に駆り立てる原因となっていきます。夫オーベロンの従者であるパックがかけた魔法により、タイタニアは粗野な機械工である織工ニック・ボトムへの恋に落ちてしまいます。またボトムの性格に似つかわしいと感じたパックによってロバの頭をつけられてしまいます。
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タイタニアとロバの頭をしたニック・ボトム。エンドウの花の妖精はロバの頭をかきむしります。カラシナの種子の妖精は彼を助けるため手の上に乗っています。
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クモの巣の妖精はミツバチを殺して蜂蜜のバッグを持ってきます。 横目で見ている若い女性は、彼に乾燥エンドウの一かごを提供します。 リードのような紐で老人を繋いだ若い女性は老いについての青春期の心についての感覚と女性の強さを暗示しています。 右の上のフードをかぶった老婦人は取替え子を抱いています。 絵の左の子供たちのグループは魔女によって作られた物の怪です。
フュースリーはレオナルド・ダビンチのレダから着想してタイタニアの誘惑的なポーズを作りました。 右で萼に飛び込んでいる小妖精はダンテのパラディソやボッティチェルリの影響を受けています。 -
「パンチまたはメイ・デー」
ベンジャミン・ロバート・ハイデン
この絵も非常に心惹かれるものがありました。 -
ハイデンはこの絵でメーデーの祝祭のようなロンドンだけでは無く普通の活気を捕えて描こうとしたそうです。
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ナポリ発祥の道化師「プルチネッラ」は海を渡りイギリスに入ると黒い顔をした「パンチ」と変わっていきます。「メーデー」も本来は五月祭を意味し、この日に夏の訪れを祝う祭がヨーロッパの各地で催されてきました。
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市井の人々が夏の訪れを祝っている楽しさが伝わってきます。軍人も船乗りも男も女も皆楽しそうです。特に犬を連れて箒を持った少年の表情が良いです。
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人形劇を見せるために娘を持ち上げる若い母親の姿もあります。この人形劇もイタリアからの移民が持ち込んだものでしょうか。
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やんごとなきお方たちも馬車の中からお祭りを楽しんでいます。
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「リンゴを収穫している8人の女性」
E・C・バーン・ジョーンズ
この絵の主題はヘスペリデスの庭の伝説に関連しているように思えます。形状から暖炉のためのオーバーマンテルとして、または装飾的なパネルとして制作されたのかもしれません。壁画は娘のホーナー夫人が同様のパネルを所有していた画家の後援者でもあるウィリアム・グラハムによって委託された可能性があります。 -
ブリュッセルの王立美術館で観た「プシュケの結婚」を思い出しました。思えばあの絵を見てからラファエル前派の絵画に興味を持つようになったと思います。
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「愛に導かれる巡礼者」
E・C・バーン・ジョーンズ -
ジェフリー・チョーサー翻訳の13世紀フランスの「薔薇物語」を題材にした一連の絵画の中の一枚です。この絵も高い所に飾られているので見上げるようにしか見ることが出来ません。
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「セント・マーティン・イン・ザ・フィールド」
ウィリアム・ログズデール -
18世紀に建てられたセント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会はトラファルガー広場の北東側、国立ポートレート・ギャラリーの目の前にある教会です。毎日歩いているところが絵になっていると不思議な気分です。馬車や花売りの子供の姿はもうありませんが。
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「コフェチュア王と乞食娘」
E・C・バーン・ジョーンズ
アフリカの王コフェチュアは女性を軽蔑して嫌っていましたが、彼女に会って一目で恋に落ちてしまいます。そして彼女と結婚して女王にすると誓います。アルフレッド・テニソンの詩「乞食の少女」から発想を得てこの絵を描いています。上手く写真が撮れないように天井の照明が写り込んで良く見えませんでした。この美術館の欠点は良い絵を2段3段に重ねて展示しているので鑑賞しにくいです。 -
「シャーロット姫」
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
今までプレ・ラファエルの絵画には拒絶反応的なものがあったのですが、この春のベルギー旅行でブリュッセルの国立美術館でかなりの作品を見ているうちに食わず嫌いだったと思うようになりました。ベルギーの後にロンドンに来て良かったと思いました。 -
この絵もアルフレッド・テニスンの詩が題材になっています。
川の中州にシャーロット姫は住んでいましたが、外の世界を直接見ると死ぬという呪いをかけられていました。川岸にはランスロット卿の住むキャメロット城があります。シャーロット姫の部屋には鏡があってそれを通してしか外の世界を知ることができません。シャーロット姫は来る日も来る日も織物を織りつづけるしか仕方ありません。恋愛を楽しむ恋人たちの姿を鏡を通して見るたびにシャーロット姫は鏡に映る虚像の世界に退屈し始めます。 -
イチオシ
ある日ランスロット卿が川のほとりで歌を歌います。その歌声に惹かれシャーロット姫は織物の手をとめて外の世界を覗いてしまいます。とたんに呪いが現実となり織物は飛び散り、その糸はシャロット姫に巻きつきついて鏡は割れてしまいます。ランスロット卿を追い、舟に乗って岸まで行こうとしたシャーロット姫ですがキャメロットの岸に舟が着いたときには息絶えていました。
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「黄金の階段(王の結婚)」
E・C・バーン・ジョーンズ
純白のドレスの女性たちがタンバリンやトランペットやヴィオラやシンバルなどの楽器を持ち黄金の階段を天から降りてくる場面です。上部の屋根に留まっている鳩と空が天上界を意味して、下方の家へ入る扉が地上界を意味しています。天上の世界と地上の世界を結びつけようとしたラファエル前派の特徴が表れています。この絵は物語を語るより装飾性に対するジョーンズの実験例でもあるようです。この絵も天井の光が反射して良く見えませんでした。 -
「サンタ・リリアス 」
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
この絵の主題はロセッティの自身の詩に由来します。
祝福されたダモゼルは天国の
金の棒から身を乗り出した。
彼女の目は水深よりも深
く、まだ水の深さも残っていた。
彼女は手に3つのユリを
持っていました, そして彼女の髪の星は7でした。
この詩はまだ生きている彼女の恋人のために死んだ女性が感じた憧れを表しています。完成した絵画では彼女はプレデラに描かれている彼女の最愛の人に向かって見下ろします。彼女の後ろの恋人たちは天国で再会し喜んで抱き合います。ロセッティのインスピレーションはラウダナムの過剰摂取で亡くなった妻のリジー・シダルの早死だったのは明らかです。 -
「オフェーリア」
ジョン・エヴァレット・ミレイ
夏目漱石が「草枕」にこの絵について書いています。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択(えら)んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶はもとより、全幅の精神をうち壊こわすが、全然色気ない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以(もっ)て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。」 -
ウィリアム・シェイクスピアが手がけた四大悲劇のハムレット第4幕7章の一場面です。この場面はデンマーク王子ハムレットが父を毒殺して母と結婚した叔父に復讐を誓うものの、その思索的な性格のためになかなか決行できずにいます。その間に恋人のオフィーリアは小川で溺死してしまうという場面です。
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イチオシ
自然主義的な美的理念に基づき本背景の中に描写される草花には象徴的な意味が込められ、ヤナギは見捨てられた愛、イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折、ケシの花は死を意味しています。
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「受胎告知」
アーサー・ハッカー
1892年にモロッコの風景を背景にしたこの絵がロイヤル・アカデミーに購入されました。マリアは井戸から水を汲みながら目に見えない天使に出会います。天使は彼女に赤ちゃんが生まれ、彼はイエスと名付けるべきだと伝えます。ロンドンとパリに留学した後にアーサー・ハッカーはスペインとモロッコで過ごしました。 -
イチオシ
これは彼の芸術に強い影響を与えた。マリアの服はおそらく彼の旅行中に見たイスラムのドレスを反映しています。赤外線写真ではもともとマリアの後ろに座っている赤いスカーフを被った女性が描かれていたことを示しています。
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「アウグスト・ブルー」
ヘンリー・スコット・トゥーク
当時の一般的な風景であるファルマス港周辺で海水浴をしている少年たちをチュークで描いた多くの作品の1つです。同じような作品を前日のウォリス・コレクションでも見た気がしますし、アムステルダムでも見た気がします。 -
その詩的なタイトルはアルジャーノン・スウィンバーンの詩「サンデュー」から取られ、作品を満たした青い色に反映されています。トゥークはコーンウォールで育ち、ニューリンに拠点を置くアーティストのグループであるニューリンスクールを手伝いました。彼は「ボートの肖像画家」としてよく知られていました。
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「聖燭祭」
マリアンヌ・ストークス
マリアンヌ・ストークスは宗教的な主題を描く画家として知られていました。 1855年にオーストリアで生まれててパリに行く前にグラーツとミュンヘンのアカデミーで絵画を勉強しました。1884年にブルターニュで英国の画家エイドリアン・ストークスに会って結婚します。その後王立美術院やグローブナー・ギャラリー、ロンドン・ギャラリーなどロンドンで定期的に展示しました。「聖燭祭」は「蝋燭の明かりによって読んでいるオランダ人の女の子」としても知られていました。 -
「Applause :拍手」
エドワード・オンスロー・フォード
謡う女性は古代エジプトのヨーロッパのファンタジーを記述します。恍惚としたようなポーズは美しさと神秘主義と古代社会の神話を表現しています。これはフォードの最初のネオ・エジプトの小像で、彼は模造の宝石とエナメルを組み込み、彫刻と応用芸術の境界を曖昧にしています。 -
「ハレルヤ」の賑やかな絵の前でたたずむ大理石の女性です。
今までラファエル前派の絵画にはあまり興味が持てませんでした。特にロセッティの描く女性の表情が駄目でした。ただここ数年の旅行で象徴主義や世紀末美術から広がって興味が持てるようになりました。また日本に戻って勉強しなければならない事が増えました。 -
この美術館のもう一つのコレクションがターナーの絵画です。実はイギリス絵画の風景画もあまり好きでは無いジャンルの1つでした。
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「自画像」
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
ターナーは学校教育もほとんど受けず、特異な環境で少年時代を過ごしたようで13歳の時に風景画家トーマス・マートンに弟子入りして絵画の基礎を学んでいます。当時の風景画家の仕事は特定の場所の風景を念入りに再現した名所絵のような作品を制作することだったそうです。ターナーは手元にあった主要作品をすべて国家に遺贈したため、彼の作品の多くはロンドンのナショナルギャラリーやテート・ギャラリーに残されています。 -
「エジプトの10の災い」
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー -
出エジプト記に記されたイスラエル人を助けるために神がもたらした10の災いを題材に描いています。
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「吹雪: ハンニバルとアルプス山脈を横断している彼の軍」
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー -
グラン・サン・ベルナール峠は古代からアルプス山脈を越える重要な交通路です。紀元前217年にハンニバルが戦象を連れてアルプス山脈を越えた進路でもあり、その場面を描いています。そして1800年にはナポレオンがこの峠を越えてイタリアへ進軍しています。サン・ベルナールは英語読みするとセント・バーナードで首に記の樽を付けたあの大型犬名前もこの峠に由来します。
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「薄い色の馬に乗る死神」
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー -
主題はヨハネの黙示録からで死の日を発表する四騎士の最後の残りと思われます。この題材を選んだのは直前にターナーの父の死亡があったかもしれません。
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「ハイデルベルグ」
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
1800年以前に画家やデザイナーらはすでに、この街の城址と山あいの川が織りなす調和した美しさを知っていました。その頂点をなすのがターナーで彼は1817年から1844年の間に何度もハイデルベルクに滞在し、ハイデルベルクとその城を描いた作品を何点か制作しています。 -
「チチェスター運河」
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
ターナーは西部サセックスのチチェスターからペットワースの宮殿のような屋敷と地所を描いています。その地所の所有者はターナーの絵のコレクターでもありました。 -
「Reclining Venus:くつろぐヴィーナス」
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
この未完成の作品は1828年にローマでターナーによって描かれた一群の作品のひとつです。 -
ターナーはローマのヴィラ・ボルゲーゼで多分ポーリーン・ボルゲーゼの大理石像の影響を受けたと思われます。新古典主義イタリアの彫刻家A・カノーヴァの作品が収蔵されています。 カノーヴァはローマの聖ルーク・アカデミーにターナーを推薦して「偉大な天才」と称えます。
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「ピュートンとアポロン」
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
ピュートーンとはギリシア神話に登場する巨大な蛇の怪物です。「ホメロス風讃歌」の「アポロン讃歌」によると雌蛇だとされますが、絵画などではドラゴンのような姿で表されることが多いです。 -
ピュートンは自分がレートの子によって殺されるという予言を受けます。そこでアポロンとアルテミスを身籠もっていたレートを世界の果てまで追い回し、彼女を亡き者にしようとします。しかしレートはゼウスやポセイドンの助けによって無事出産します。アポロンはピュートンの亡骸を手厚く扱い、デルポイ(デルフィ)のアポロン神殿の聖石オムパロスの下の地面の裂け目に葬ります。オムパロスとは「へそ」の意で、デルポイが世界の中心たることを示します。これはデルフィの博物館で見たことがあります。
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「バチカンの ロッジアの装飾のために彼の作品を準備しているラファエロ」
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー -
ターナーは42才の時に初めてローマを訪問します。ローマはターナーが彼の絵画で劇化した古典的な神話などの主題となりました。この絵ではバチカンのロッジアからサン・ピエトロ広場のこの広い眺めを描きました。
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ベルリーニの石柱や噴水など現在と変わらない姿のようです。通りの突き当りにはサンタンジェロ城の姿を見ることが出来ます。手前でラファエロは悩んでいるのでしょうか。フィレンツェのピッティ宮殿の「小椅子の聖母子」などの作品が読み取れます。
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「ソーン博物館のためのフォロ・ロマーノ」
ローマで最も重要な場所のひとつはフォロ・ロマーノ(古都の中心を表す荒廃した寺院と記念碑の区域)です。 荒廃していたフォロは19世紀までに修復されていました。 -
この絵はカンピドリオの丘の方を見ていると思われます。 左の上にローマ皇帝テトスの凱旋門のアーチはあります。そして右には巨大なコンスタンティンのバシリカが続いています。ターナーの絵で見たかった「雨、蒸気、速度 グレート・ウェスタン鉄道」はここに収蔵されているとばかり思っていましたが、昨日に行ったナショナル・ギャラリーにあったと知ってガッカリしました。昔好きだった「ターナーの汽罐車」という山下達郎の曲の元になった作品だからでした。
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「パオロとフランチェスカ・ダ・リミニ」
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
昨日ウォレス・コレクションで観た絵と同じ題材の作品です。題材としてはラファエル前派の作家が好みそうなものではあります。 -
「モンナ・ポモナ」
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ -
物憂げな表情で金の首飾りを指でもて遊ぶ女性モンナ・ポモーナは1894年に制作されました。タイトルの意味は「リンゴの貴婦人」です。右手に赤いリンゴを持っていますが、濃い緑のドレスと壁に張られた緑の布のせいで女性の美しさや装飾品が引き立って見えます。
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「The Spiritual Form of Pitt Guiding Behemoth:巨獣を導いているピットの精神的な形」
ウィリアム・ブレイク
ブレイクの絵もほとんど今回初めて観たと言って過言ではありません。ギュスターブ・モローの作品に似ているなと思いましたが、年代で見るとブレイクの亡くなった頃にモローは生まれているので逆でした。 -
この絵の主題はイギリスの首相ウィリアム・ピット(息子の小ピット)です。 ブレイクは1809年の古典でこの絵を出品しました。そしてピットを「神の命令を実行して旋風に乗る天使(戦争の嵐を指示する)」と言いました。ピットはイギリスをフランス及びナポレオンとの大戦争に導いたことでよく知られています。彼自身は効率と改革のために尽力した傑出した行政官であり、優れた行政官が政治を行う新しい世代を確立しています。
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レバイアサンを導いているネルソンの精神的な形」
ウィリアム・ブレイク
ブレイクはネルソン提督をレバイアサン(ブレイクが戦争の象徴として使った大きな聖書の海の怪物)として描いています。ブレイクは薄いキャンバスとチョーク・ベースの下絵を使ったので絵の痛みが著しいです。ヒビを止めるために接着剤が使われたために画面が暗くなったそうです。 -
朝から1時間以上散歩して美術館を見学したのでへとへとになりました。テート・ブリテンの地下には綺麗なセルフのカフェがありました。ここでジンジャービールを飲んでしばらく休憩しました。そしてウェストミンスター寺院へ向かいます。
セント・ジョン・スミス・スクエアを通過しましたがここは劇場のようです。昼休みの休憩場所のようで近くの会社員らしい人達が音楽を聞いたり寛いでいます。 -
テムズ河から1ブロックはいるとこんな高級住宅街でした。これはロンドンの町中のどこでも感じることでした。ハロッズの裏側もすぐにこんな町並みが現われます。
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アラビアのロレンスのモデルになったT.E.ローレンスが住んでいた家がありました。この青いプレートは「ブルー・プラーク」と言って、有名な人物がかつて住んだ家、もしくは歴史的な出来事があった場所に建物の歴史的なつながりを伝えるために設置するものです。ちなみに日本人として夏目漱石がロンドン時代に最後に住んだ5番目の下宿にもこのプレートが設けられています。この日は漱石に思いを馳せました。
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幾つもの時代を潜り抜けて同じ扉が取り付けられたのでしょうね。
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ウエストミンスター寺院の白い塔が見えてきました。
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「ウエストミンスター寺院」のファサードです。寺院の参拝には多額の費用が必要なので諦めます。2人で7,000円くらいかかりますからね。アントワープのノートルダム大聖堂のルーベンスの絵を見られなかったネロとパトラッシュの気分です。
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ここが出口なのでたくさんのお金持ちの観光客の姿を見ることが出来ました。
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近年ではダイアナ妃の葬儀で中継を見たことと、ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」のアイザック・ニュートンのお墓の秘密を見つけるシーンが思い出されます。
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上部には20世紀の聖人が並んでいます。上の段の10人で左からアウシュビッツの聖者と呼ばれたマキシミリアノ・コルベ。マンシュ・マセモラ、ヤナニ・ルアム、エリザヴェータ・フョードロヴナ、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、オスカル・ロメロ、ディートリッヒ・ボンヘッファー、エスター・ジョン、ルシアン・タピエディ、王志明です。王志明は中国の少数民族の苗(ミャオ)族の神父で文化大革命のときに処刑された人のひとりです。
ここから地下鉄でシティに移動です。
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この旅行記へのコメント (2)
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- mireiraさん 2015/09/15 05:25:53
- 凄いです
- はじめまして、イギリスにいきますが、こんなに絵には色々なエピソードがあることを知り感動しながら、みいってしまいました。
これからも、参考にさせて頂きます。
- kojikojiさん からの返信 2015/09/15 21:47:53
- RE: 凄いです
- 旅行記にお立ち寄りありがとうございます。仕事の後の夜間に少しづつ進めているのでなかなか進まないのですが、こうやってメールをいただくと励みになります。今年はベルギーとオランダで美術館巡りをした影響かロンドンでも美術館ばかり巡っていました。教会などは以上に料金が高い事もあったと思いますが。またお時間がありましたらお立ち寄りください。良いイギリス旅行になりますように。
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