ウィーン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「シューンブルン宮殿」を走り抜けた後はバスに乗って「ベルヴェデーレ宮殿」に移動しました。ジューンブルンで合流したガイドさんは車内で次の美術館の説明を始めます。ベルヴェデーレ宮殿には4回目なので着いたところで離団しようと考えていました。ところが車内の説明で2019年4月に「ユディットⅠ」が東京の展覧会に出品される話の後に「2017年6月1日から館内の写真撮影が出来るようになりました。いつまた禁止になるか分からないのでフラッシュは絶対に焚かないようにしてください。」という話を聞いたらテンションが上がって、予定変更して美術館の見学をする気になりました。30年前から我慢してきた「接吻」や「ユディットⅠ」です。ここの写真が撮れればウィーンで見たクリムトは全部写真に撮れたことになります。<br />ベルヴェデーレ宮殿の美術館見学もシューンブルンのように2階の片側のウイングだけの見学でしたが、クリムトの作品とセガンティーニの写真が撮れたのはうれしかったです。何故かエゴン・シーレの作品は1枚も展示されていませんでした。どこかへ貸し出しされているのかもしれません。30分ほどの見学を終えミュージアムショップでクリムトの風景画の本を買って、添乗員さんに離団を告げました。夜遅くなってもホテルに戻ったら連絡する約束です。この後トラム体験があるので1回券を2枚いただきました。買えば500円くらいにはなりますからね。この日はウィーン中のクリスマスマーケットを巡るつもりなので、宮殿の池側にあるベルヴェデーレのクリスマスマーケットからスタートします。団体行動から解放されただけで、なんとなく気持ちが軽くなります。日向ぼっこしながらグリューワインを飲んで、買い物をして2人の旅が始まります。

中欧4か国周遊のツアーをクリスマスマーケット巡りとして楽しむ。(8)ベルヴェデーレ宮殿でクリムトと再会しツアーを離団してマーケットを楽しむ。

6いいね!

2018/12/23 - 2018/12/23

3705位(同エリア6056件中)

kojikoji

kojikojiさん

「シューンブルン宮殿」を走り抜けた後はバスに乗って「ベルヴェデーレ宮殿」に移動しました。ジューンブルンで合流したガイドさんは車内で次の美術館の説明を始めます。ベルヴェデーレ宮殿には4回目なので着いたところで離団しようと考えていました。ところが車内の説明で2019年4月に「ユディットⅠ」が東京の展覧会に出品される話の後に「2017年6月1日から館内の写真撮影が出来るようになりました。いつまた禁止になるか分からないのでフラッシュは絶対に焚かないようにしてください。」という話を聞いたらテンションが上がって、予定変更して美術館の見学をする気になりました。30年前から我慢してきた「接吻」や「ユディットⅠ」です。ここの写真が撮れればウィーンで見たクリムトは全部写真に撮れたことになります。
ベルヴェデーレ宮殿の美術館見学もシューンブルンのように2階の片側のウイングだけの見学でしたが、クリムトの作品とセガンティーニの写真が撮れたのはうれしかったです。何故かエゴン・シーレの作品は1枚も展示されていませんでした。どこかへ貸し出しされているのかもしれません。30分ほどの見学を終えミュージアムショップでクリムトの風景画の本を買って、添乗員さんに離団を告げました。夜遅くなってもホテルに戻ったら連絡する約束です。この後トラム体験があるので1回券を2枚いただきました。買えば500円くらいにはなりますからね。この日はウィーン中のクリスマスマーケットを巡るつもりなので、宮殿の池側にあるベルヴェデーレのクリスマスマーケットからスタートします。団体行動から解放されただけで、なんとなく気持ちが軽くなります。日向ぼっこしながらグリューワインを飲んで、買い物をして2人の旅が始まります。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
航空会社
ルフトハンザドイツ航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社

PR

  • 駆け足の「シューンブルン宮殿」の見学が終わって、そのままバスに乗って「ベルヴェデーレ宮殿」に移動しました。午前8時32分に宮殿に入って、30分で見学してトイレの時間に庭園を覗いて、バスに乗って、ここに到着したのは午前10時です。体が動いていないのはトイレの中だけです。

    駆け足の「シューンブルン宮殿」の見学が終わって、そのままバスに乗って「ベルヴェデーレ宮殿」に移動しました。午前8時32分に宮殿に入って、30分で見学してトイレの時間に庭園を覗いて、バスに乗って、ここに到着したのは午前10時です。体が動いていないのはトイレの中だけです。

    アルペン ガルテン テーマパーク・動物園・水族館・植物園

  • オーストリアの20セント硬貨の裏面には門越しに見たベルヴェデーレ宮殿が彫られていてほとんどこのアングルです。ちなみに50セント硬貨はセセッションのドームで、10セントはシュテファン大聖堂です。

    オーストリアの20セント硬貨の裏面には門越しに見たベルヴェデーレ宮殿が彫られていてほとんどこのアングルです。ちなみに50セント硬貨はセセッションのドームで、10セントはシュテファン大聖堂です。

  • この宮殿はハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが建築家ヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントに夏の離宮として造らせたものです。1714年から1716年にかけて下宮が建設され、1720年から1723年にかけて上宮が建設されます。オイゲン公の死後1752年にマリア・テレジアに売却されます。

    この宮殿はハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが建築家ヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントに夏の離宮として造らせたものです。1714年から1716年にかけて下宮が建設され、1720年から1723年にかけて上宮が建設されます。オイゲン公の死後1752年にマリア・テレジアに売却されます。

  • 30年前の初めてのウィーンで南駅からヴェネツィアへ向かう夜行列車の時間を待つ間にこの庭園をぶらぶら歩き、2か月後に戻ってきた旅の最終日に美術館を見学しました。8月の暑い日に発ち10月の終わりに戻ったらすっかり秋になって感傷的な気分になったのを覚えています。<br />

    30年前の初めてのウィーンで南駅からヴェネツィアへ向かう夜行列車の時間を待つ間にこの庭園をぶらぶら歩き、2か月後に戻ってきた旅の最終日に美術館を見学しました。8月の暑い日に発ち10月の終わりに戻ったらすっかり秋になって感傷的な気分になったのを覚えています。

    ベルヴェデーレ宮殿 城・宮殿

  • 美術館はその当時から撮影禁止でした。何度も美術館は見ているしここの見学の前に離団も考えていました。ところが現地在住のガイドさんがバスの中で「数年前から写真撮影が出来るようになったのですよ。」という一言でがぜんテンションが上がり、見学することにしました。2017年6月1日から写真撮影が解禁になったそうです。

    美術館はその当時から撮影禁止でした。何度も美術館は見ているしここの見学の前に離団も考えていました。ところが現地在住のガイドさんがバスの中で「数年前から写真撮影が出来るようになったのですよ。」という一言でがぜんテンションが上がり、見学することにしました。2017年6月1日から写真撮影が解禁になったそうです。

  • 写真撮影については記憶に残ることがあります。最初のベルヴェデーレ宮殿の見学で、クリムトの「接吻」の前に立っていると日本人の親子がやってきました。閉館に近い時間で観覧者は他にいませんでした。するとお母さんが息子にカメラを渡して「接吻」の前に立つ自分を撮るようにいいました。息子は撮影禁止を知ってか「お母さん、嫌だよ。」と言いますが「早くしなさい!」と叱咤します。息子がシャッターを押すとフラッシュが焚かれ、係員が注意すると息子のせいにして足早に逃げていきました。その息子も今では35歳くらいになっていると思いますが、その後の親子関係がどうなったのか…。

    写真撮影については記憶に残ることがあります。最初のベルヴェデーレ宮殿の見学で、クリムトの「接吻」の前に立っていると日本人の親子がやってきました。閉館に近い時間で観覧者は他にいませんでした。するとお母さんが息子にカメラを渡して「接吻」の前に立つ自分を撮るようにいいました。息子は撮影禁止を知ってか「お母さん、嫌だよ。」と言いますが「早くしなさい!」と叱咤します。息子がシャッターを押すとフラッシュが焚かれ、係員が注意すると息子のせいにして足早に逃げていきました。その息子も今では35歳くらいになっていると思いますが、その後の親子関係がどうなったのか…。

  • 池をぐるりと廻り宮殿の入り口に向かいます。チケットはツアー代金い含まれているので、ガイドさんがチケットを買いに行くのを待ちます。

    池をぐるりと廻り宮殿の入り口に向かいます。チケットはツアー代金い含まれているので、ガイドさんがチケットを買いに行くのを待ちます。

  • ほんの1週間前はエジプトのギザにいて、スフィンクスとキスしている写真を撮っていたので不思議な感じがします。ここのスフィンクスは何年かおいてペイントされてきれいになります。

    ほんの1週間前はエジプトのギザにいて、スフィンクスとキスしている写真を撮っていたので不思議な感じがします。ここのスフィンクスは何年かおいてペイントされてきれいになります。

  • 奥に見えているオレンジ色の屋根の宮殿がオイゲン公の住まいだった下宮です。8年前はエゴン・シーレの展示会が開かれていて、改めてシーレの良さを感じました。今回は絶対に下宮にはいかないと思います。

    奥に見えているオレンジ色の屋根の宮殿がオイゲン公の住まいだった下宮です。8年前はエゴン・シーレの展示会が開かれていて、改めてシーレの良さを感じました。今回は絶対に下宮にはいかないと思います。

  • この美術館を見学した後はトラムに乗ってオペラまで移動して、旧市街の中心部を歩くようなので、添乗員さんにここで離団することを伝えました。どこかで離団する話は事前にしておきましたので離団書にサインするだけです。

    この美術館を見学した後はトラムに乗ってオペラまで移動して、旧市街の中心部を歩くようなので、添乗員さんにここで離団することを伝えました。どこかで離団する話は事前にしておきましたので離団書にサインするだけです。

  • ベルヴェデーレとは「美しい眺め」という意味で、その名の通りウィーン市街を見渡すことができます。

    ベルヴェデーレとは「美しい眺め」という意味で、その名の通りウィーン市街を見渡すことができます。

  • 入口ホールはサーラ・テレーナと呼ばれており、繊細な彫刻が施された白い柱が立っているのが特徴的です。巨人族が宮殿を担いでいるように見えます。

    入口ホールはサーラ・テレーナと呼ばれており、繊細な彫刻が施された白い柱が立っているのが特徴的です。巨人族が宮殿を担いでいるように見えます。

  • ここでクロークに荷物を預けてカメラだけ持って見学に進みます。ニッチ(壁龕)に銅像があったので近寄ってみます。

    ここでクロークに荷物を預けてカメラだけ持って見学に進みます。ニッチ(壁龕)に銅像があったので近寄ってみます。

  • 「ハンガリー女王マリア・テレジア」<br />フランツ・クサーヴァー・メッサーシュミット<br />ハンガリーの十字架が曲がった王冠を被り、笏と玉を持つマリア・テレジアの姿です。この3点セットはブダペストの国会議事堂で見たことがありますが、王冠の縁の形や笏の形が違っています。

    「ハンガリー女王マリア・テレジア」
    フランツ・クサーヴァー・メッサーシュミット
    ハンガリーの十字架が曲がった王冠を被り、笏と玉を持つマリア・テレジアの姿です。この3点セットはブダペストの国会議事堂で見たことがありますが、王冠の縁の形や笏の形が違っています。

  • 8年前はこの会談に足場が組まれて、塗装の塗り直しをしていました。無事に工事が終わっていたのを確認しました。

    8年前はこの会談に足場が組まれて、塗装の塗り直しをしていました。無事に工事が終わっていたのを確認しました。

  • 1955年オーストリア独立条約が調印された壮大華麗な大広間です。第2次世界大戦の末期のドイツ降伏に伴って1945年4月に解放されたオーストリアはドイツと同様にアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国による分割管理となります。ただドイツと異なって臨時政府の樹立は認められます。しかし連合国との正式な講和と独立の承認は、東西冷戦が深刻になる中で協議は進みません。

    1955年オーストリア独立条約が調印された壮大華麗な大広間です。第2次世界大戦の末期のドイツ降伏に伴って1945年4月に解放されたオーストリアはドイツと同様にアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国による分割管理となります。ただドイツと異なって臨時政府の樹立は認められます。しかし連合国との正式な講和と独立の承認は、東西冷戦が深刻になる中で協議は進みません。

  • スターリンの死去後の1955年5月になって連合国とオーストリアの間で、その独立を承認した条約が成立します。ナチスドイツによって併合されたオーストリア国家を回復する条約という意味で「国家条約」と呼ばれます。

    スターリンの死去後の1955年5月になって連合国とオーストリアの間で、その独立を承認した条約が成立します。ナチスドイツによって併合されたオーストリア国家を回復する条約という意味で「国家条約」と呼ばれます。

  • そんなことを考えながら大広間を歩くと感慨深いものがあります。

    そんなことを考えながら大広間を歩くと感慨深いものがあります。

  • 赤茶色い大理石はバロック様式に整えられ、柱の上部は金が施されてとても豪華です。そこから上部はトロンプ・ルイユ(だまし絵)になって、さらに天井が高いようにフレスコ画が描かれています。そして天井は天上へと繋がります。

    赤茶色い大理石はバロック様式に整えられ、柱の上部は金が施されてとても豪華です。そこから上部はトロンプ・ルイユ(だまし絵)になって、さらに天井が高いようにフレスコ画が描かれています。そして天井は天上へと繋がります。

  • 「古代の犠牲」<br />ハンス・マカルト<br />アカデミック美術に属するオーストリアの画家で「画家の王」と呼ばれた19世紀後半のウィーン美術界を代表する人物です。当時のウィーン社交界の中心人物として君臨したそうです。代表作に「五感」「カール5世のアントワープ入城」などが有名です。アルフォンス・ミュシャやグスタフ・クリムトなど、若い頃にマカルトの影響を受けた画家は数多いと言われます。

    「古代の犠牲」
    ハンス・マカルト
    アカデミック美術に属するオーストリアの画家で「画家の王」と呼ばれた19世紀後半のウィーン美術界を代表する人物です。当時のウィーン社交界の中心人物として君臨したそうです。代表作に「五感」「カール5世のアントワープ入城」などが有名です。アルフォンス・ミュシャやグスタフ・クリムトなど、若い頃にマカルトの影響を受けた画家は数多いと言われます。

  • 市立公園の中に彼の像が置かれてあります。「画家の王」と言えばピーテル・パウル・ルーベンスの名前が浮かびますが、そのルーベンスの生誕300年を記念して制作したのが「カール5世のアントワープ入城」です。名声と富を享受しますが1881年にバレリーナとの結婚を境にして、上流社会から次第に遠ざけられるようになり1884年に44歳で亡くなります。

    市立公園の中に彼の像が置かれてあります。「画家の王」と言えばピーテル・パウル・ルーベンスの名前が浮かびますが、そのルーベンスの生誕300年を記念して制作したのが「カール5世のアントワープ入城」です。名声と富を享受しますが1881年にバレリーナとの結婚を境にして、上流社会から次第に遠ざけられるようになり1884年に44歳で亡くなります。

  • 「ドン・カルロスの衣装を身に着けるヨゼフ・ルインスキー」<br />グスタフ・クリムト<br />1894年クリムトはブルグ劇場の芸術家の肖像画を請け負います。1858年にルインスキーはフリードリヒ・シラーの劇 「スペイン王子ドン・カルロス」でデビューします。

    「ドン・カルロスの衣装を身に着けるヨゼフ・ルインスキー」
    グスタフ・クリムト
    1894年クリムトはブルグ劇場の芸術家の肖像画を請け負います。1858年にルインスキーはフリードリヒ・シラーの劇 「スペイン王子ドン・カルロス」でデビューします。

  • 肖像画のフレームは劇場のアレゴリーを表し、ルインスキーは画面の中央部分に直立しています。 この絵と対になる作品として、同じような画面構成の「愛」があります。どちらもジャポニスムの影響を感じさせる画面構成です。

    肖像画のフレームは劇場のアレゴリーを表し、ルインスキーは画面の中央部分に直立しています。 この絵と対になる作品として、同じような画面構成の「愛」があります。どちらもジャポニスムの影響を感じさせる画面構成です。

  • 「マリア・ケルナー・フォン・マリラム」<br />グスタフ・クリムト<br />1862年に結婚したマリア・ケルナーの肖像画です。クリムト自身が1862年生まれなので直接本人に会って描いたものではないでしょう。

    「マリア・ケルナー・フォン・マリラム」
    グスタフ・クリムト
    1862年に結婚したマリア・ケルナーの肖像画です。クリムト自身が1862年生まれなので直接本人に会って描いたものではないでしょう。

  • 純白のウェディングドレスを着て、ジャスミンの花輪を頭に載せています。ジャスミンの花言葉は「amiability(愛想のよさ)」「You are cheerful and graceful(あなたは朗らかで気品がある)」です。クリムトにしては官能性の全く感じられない清楚な肖像画なので強く心に残ります。

    純白のウェディングドレスを着て、ジャスミンの花輪を頭に載せています。ジャスミンの花言葉は「amiability(愛想のよさ)」「You are cheerful and graceful(あなたは朗らかで気品がある)」です。クリムトにしては官能性の全く感じられない清楚な肖像画なので強く心に残ります。

  • 「フラウエンビルトニス(女性の肖像)」<br />グスタフ・クリムト<br />この作品も1893年と若いころの作品です。

    「フラウエンビルトニス(女性の肖像)」
    グスタフ・クリムト
    この作品も1893年と若いころの作品です。

  • 左手には長く黒い手袋をしていながら、右手は肘まで腕を出したりと謎を感じます。壁のタペストリーはトルコのキリムだろうかとか余計なことを考えてしまいます。

    左手には長く黒い手袋をしていながら、右手は肘まで腕を出したりと謎を感じます。壁のタペストリーはトルコのキリムだろうかとか余計なことを考えてしまいます。

  • 「悪しき母たち」<br />ジョヴァンニ・セガンティーニ<br />この作品も写真に撮りたかったものですが、窓からの光が反射してうまく撮れませんでした。この絵のためか幻想美術のカテゴリーに紹介されることもある作家です。ガイドさんはクリムトの数枚しか説明しないので、その間に見たい作品を写真に収めないとなりません。まあ他の方にとっても特別な作品ではないと思います。

    「悪しき母たち」
    ジョヴァンニ・セガンティーニ
    この作品も写真に撮りたかったものですが、窓からの光が反射してうまく撮れませんでした。この絵のためか幻想美術のカテゴリーに紹介されることもある作家です。ガイドさんはクリムトの数枚しか説明しないので、その間に見たい作品を写真に収めないとなりません。まあ他の方にとっても特別な作品ではないと思います。

  • 大原美術館収蔵の「アルプスの真昼」の2年後の1894年の作品です。凍てついた雪原で、枯れ枝に搦めとられた女性の姿が描かれています。女性の胸元に目をこらすと、右脇から顔を出した幼子が一心に乳を吸っているのが分かります。この作品はイリカの「涅槃」という詩をもとに描かれた作品です。罪を犯した女性の魂が雪原をさまよい、母親としての役割に目覚めることでその魂は救済されるというものです。

    大原美術館収蔵の「アルプスの真昼」の2年後の1894年の作品です。凍てついた雪原で、枯れ枝に搦めとられた女性の姿が描かれています。女性の胸元に目をこらすと、右脇から顔を出した幼子が一心に乳を吸っているのが分かります。この作品はイリカの「涅槃」という詩をもとに描かれた作品です。罪を犯した女性の魂が雪原をさまよい、母親としての役割に目覚めることでその魂は救済されるというものです。

  • セガンティーニを教えてくれたのは登山好きだった父でした。40年ほど前だったと思いますが、東京で開かれた展覧会に一緒に行った覚えがあります。30年前のウィーンをスタートした旅の途中でサン・モリッツにも立ち寄りました。スイス最初の都市だったので湖と周辺の山々の美しさには驚かされました。駅近くの安宿から湖畔の道を延々と歩いて「センガンティーニ美術館」にも行きました。午後4時ころに入って閉館までの1時間、ドームの展示室に並んだアルプス3部作の前に座っていたことも思い出されます。その2か月の旅の終わりに父が成田空港まで出迎えてくれたことは、出来の悪い息子としては初めて父に認められた気がしました。それ以来ずっと旅をつづけて父が亡くなった現在でも旅先から毎日絵葉書を出しています。

    セガンティーニを教えてくれたのは登山好きだった父でした。40年ほど前だったと思いますが、東京で開かれた展覧会に一緒に行った覚えがあります。30年前のウィーンをスタートした旅の途中でサン・モリッツにも立ち寄りました。スイス最初の都市だったので湖と周辺の山々の美しさには驚かされました。駅近くの安宿から湖畔の道を延々と歩いて「センガンティーニ美術館」にも行きました。午後4時ころに入って閉館までの1時間、ドームの展示室に並んだアルプス3部作の前に座っていたことも思い出されます。その2か月の旅の終わりに父が成田空港まで出迎えてくれたことは、出来の悪い息子としては初めて父に認められた気がしました。それ以来ずっと旅をつづけて父が亡くなった現在でも旅先から毎日絵葉書を出しています。

  • 「オーヴェルの平野」<br />フィンセント・ファン・ゴッホ<br />ゴッホもパリにじっくり滞在したり、ベルギーとオランダを時間をかけて旅していて好きになりました。なぜこの作品がここに収蔵されているかの方が気になりました。

    「オーヴェルの平野」
    フィンセント・ファン・ゴッホ
    ゴッホもパリにじっくり滞在したり、ベルギーとオランダを時間をかけて旅していて好きになりました。なぜこの作品がここに収蔵されているかの方が気になりました。

  • 「ソニア・クニップスの肖像」<br />(旧姓ソフィー・アマーリア・フライフラウ・ポティエ・デ・ゼシェル)<br />グスタフ・クリムト

    「ソニア・クニップスの肖像」
    (旧姓ソフィー・アマーリア・フライフラウ・ポティエ・デ・ゼシェル)
    グスタフ・クリムト

  • クリムトには裕福な実業家のパトロンがいました。クリムトや分離主義の芸術家を熱心に応援していたのはユダヤ人実業家たちで、鉄鋼業のウィトゲンシュタインや繊維業のヴェルンドルファー、金属産業のクニップスといった人々です。

    クリムトには裕福な実業家のパトロンがいました。クリムトや分離主義の芸術家を熱心に応援していたのはユダヤ人実業家たちで、鉄鋼業のウィトゲンシュタインや繊維業のヴェルンドルファー、金属産業のクニップスといった人々です。

  • これは実業家アントン・クニップスの妻ソニアの肖像画で、当時25歳のソニアをリアルなタッチで描いています。シュールな画法のクリムトも肖像画を描くときはリアルさを重んじた一方で、背景や小物の配置には遊びの感覚を取り入れています。衣装はドガのような印象派風にふわりとした感じに描き、また背景は思いっきり暗くすることで、モデルが浮かび上がってくるように工夫しています。ソニアが右手に持っている赤い手帳のようなものは、クリムトが愛用していた小型のスケッチブックです。

    これは実業家アントン・クニップスの妻ソニアの肖像画で、当時25歳のソニアをリアルなタッチで描いています。シュールな画法のクリムトも肖像画を描くときはリアルさを重んじた一方で、背景や小物の配置には遊びの感覚を取り入れています。衣装はドガのような印象派風にふわりとした感じに描き、また背景は思いっきり暗くすることで、モデルが浮かび上がってくるように工夫しています。ソニアが右手に持っている赤い手帳のようなものは、クリムトが愛用していた小型のスケッチブックです。

  • 「フリッツァ・リードラーの肖像」<br />グスタフ・クリムト<br />ドイツ出身でウィーンの高級官僚となった男の妻である「フリッツァ・リードラーの肖像」です。写実的に描写された彼女の顔と、それとは全く対照的に平面的かつ抽象的描写で表現される背景や装飾具や家具などの対比が面白いです。

    「フリッツァ・リードラーの肖像」
    グスタフ・クリムト
    ドイツ出身でウィーンの高級官僚となった男の妻である「フリッツァ・リードラーの肖像」です。写実的に描写された彼女の顔と、それとは全く対照的に平面的かつ抽象的描写で表現される背景や装飾具や家具などの対比が面白いです。

  • 裕福なブルジョワ階級らしく気品に溢れたフリッツァ・リードラーの顔は、古典的な自然主義的な写実によって描写されているものの、その頭部の極めて独創的な装飾的表現はウィーン美術史美術館に所蔵されているスペイン・バロック絵画の大画家ディエゴ・ベラスケスの「マリア・テレーサ王女の肖像」やエジプト美術からの影響を指摘されます。

    裕福なブルジョワ階級らしく気品に溢れたフリッツァ・リードラーの顔は、古典的な自然主義的な写実によって描写されているものの、その頭部の極めて独創的な装飾的表現はウィーン美術史美術館に所蔵されているスペイン・バロック絵画の大画家ディエゴ・ベラスケスの「マリア・テレーサ王女の肖像」やエジプト美術からの影響を指摘されます。

  • 「ひまわり」<br />グスタフ・クリムト<br />クリムトが風景画を描くようになったのは、愛人のエミーリエ・フレーゲの実家の別荘があるオーストリア中部ザルツブルク近郊のアッター湖畔に避暑のために訪れたことがきっかけだったそうです。<br />

    「ひまわり」
    グスタフ・クリムト
    クリムトが風景画を描くようになったのは、愛人のエミーリエ・フレーゲの実家の別荘があるオーストリア中部ザルツブルク近郊のアッター湖畔に避暑のために訪れたことがきっかけだったそうです。

  • こうして描かれることになった風景画は印象派やポスト印象派、とくにホイッスラーやモネやゴッホの作品を参考にしているようです。そう言われるとひまわりはゴッホの咲く人も思い浮かべてしまいます。

    こうして描かれることになった風景画は印象派やポスト印象派、とくにホイッスラーやモネやゴッホの作品を参考にしているようです。そう言われるとひまわりはゴッホの咲く人も思い浮かべてしまいます。

  • ただそれよりも足元の小さな草花に目が留まります。

    ただそれよりも足元の小さな草花に目が留まります。

  • クリムトの絵画はこんな空間の中に収蔵されています。

    クリムトの絵画はこんな空間の中に収蔵されています。

  • 「ひまわりの咲く農家の庭」<br />グスタフ・クリムト

    「ひまわりの咲く農家の庭」
    グスタフ・クリムト

  • この作品が一番のお気に入りです。8年前に妻と来たときは春真っ盛りの4月中旬でした。ベルヴェデーレ上宮から下宮へ歩く庭園に咲く小さな草花はクリムトの絵に見えて仕方ありませんでした。

    この作品が一番のお気に入りです。8年前に妻と来たときは春真っ盛りの4月中旬でした。ベルヴェデーレ上宮から下宮へ歩く庭園に咲く小さな草花はクリムトの絵に見えて仕方ありませんでした。

  • グラフィック的な絵画なので、どこを切り取っても絵になってしまいます。

    グラフィック的な絵画なので、どこを切り取っても絵になってしまいます。

  • 「けしの咲く野」<br />グスタフ・クリムト<br />この作品も屏風に描かれた絵画のようで、ジャポニスムを感じる作品です。

    「けしの咲く野」
    グスタフ・クリムト
    この作品も屏風に描かれた絵画のようで、ジャポニスムを感じる作品です。

  • 第1次世界大戦が始まるのはこの作品が描かれた7年後ですが、ポピーの咲く野を見ると1915年にカナダ軍医師のジョン・マクレイ陸軍中佐の書いた「In Flanders Fields(フランダースの野に)」という詩を思い出します。

    第1次世界大戦が始まるのはこの作品が描かれた7年後ですが、ポピーの咲く野を見ると1915年にカナダ軍医師のジョン・マクレイ陸軍中佐の書いた「In Flanders Fields(フランダースの野に)」という詩を思い出します。

  • 「ワイゼンバッハのフォレスターの家」<br />グスタフ・クリムト

    「ワイゼンバッハのフォレスターの家」
    グスタフ・クリムト

  • 自然と人工物の境界があいまいになっています。

    自然と人工物の境界があいまいになっています。

  • この部分だけでも真似して描けないかなと思ってしまいます。

    この部分だけでも真似して描けないかなと思ってしまいます。

  • 「カンマー城前の公園の並木道」<br />グスタフ・クリムト<br />菩提樹の並木がきれいです。菩提樹といっても釈迦が悟りを開いたものとは違って、リンデンバウムと呼ばれるシナノキの一種です。

    「カンマー城前の公園の並木道」
    グスタフ・クリムト
    菩提樹の並木がきれいです。菩提樹といっても釈迦が悟りを開いたものとは違って、リンデンバウムと呼ばれるシナノキの一種です。

  • 「アッター湖のシュロスカンマー」<br />グスタフ・クリムト<br />愛人のエミーリエ・フレーゲと避暑に来た時に描かれたものだと思います。

    「アッター湖のシュロスカンマー」
    グスタフ・クリムト
    愛人のエミーリエ・フレーゲと避暑に来た時に描かれたものだと思います。

  • アッター湖には行ったことはないですが、ハルシュタットには行ってみたいと思っているのですがなかなか叶いません。

    アッター湖には行ったことはないですが、ハルシュタットには行ってみたいと思っているのですがなかなか叶いません。

  • 「ブッシュベルグの農家」<br />グスタフ・クリムト<br />何でもない風景ですが心惹かれます。

    「ブッシュベルグの農家」
    グスタフ・クリムト
    何でもない風景ですが心惹かれます。

  • 「ニンフの半身像(ヴィヴィアン)」<br />フェルナン・エドモン・ジャン・マリー・クノップフ<br />クノップフの作品はベルギーを旅していていくつか見る機会がありましたし、ブルージュでは描かれた運河を実際に見ることができました。

    「ニンフの半身像(ヴィヴィアン)」
    フェルナン・エドモン・ジャン・マリー・クノップフ
    クノップフの作品はベルギーを旅していていくつか見る機会がありましたし、ブルージュでは描かれた運河を実際に見ることができました。

  • ブリュッセルの世紀末美術館には作品がいくつかありましたが、立体の作品は初めて見ました。ブリュッセルにあるストックレー邸はヨーゼフ・ホフマンの設計で、内装はクリムトとクノップフだったと思いだしました。

    ブリュッセルの世紀末美術館には作品がいくつかありましたが、立体の作品は初めて見ました。ブリュッセルにあるストックレー邸はヨーゼフ・ホフマンの設計で、内装はクリムトとクノップフだったと思いだしました。

  • 「ユディットⅠ」<br />グスタフ・クリムト<br />アッシリア王ネブカドネツァルの命により、ホロフェルネスが軍を率いて侵攻するも、暗殺を目論むユディトが敵将ホロフェルネスの気を惹くために近づき、酒宴に招かれたその夜に酔いつぶれた将軍の首を切り落とし、ベツリアの街を救ったとされる逸話が題材です。

    「ユディットⅠ」
    グスタフ・クリムト
    アッシリア王ネブカドネツァルの命により、ホロフェルネスが軍を率いて侵攻するも、暗殺を目論むユディトが敵将ホロフェルネスの気を惹くために近づき、酒宴に招かれたその夜に酔いつぶれた将軍の首を切り落とし、ベツリアの街を救ったとされる逸話が題材です。

  • チェスキー・クロムロフ城の中庭にもフレスコ画がありましたが、あの時ちゃんと絵を読み解いていたご褒美がもらえたような気になりました。まさかこの美術館が写真撮影可能になっているとは…。最高のクリスマスプレゼントです。

    チェスキー・クロムロフ城の中庭にもフレスコ画がありましたが、あの時ちゃんと絵を読み解いていたご褒美がもらえたような気になりました。まさかこの美術館が写真撮影可能になっているとは…。最高のクリスマスプレゼントです。

  • カラヴァッジョの「ホロフェルネスの首を斬るユディット」やルーカス・クラナッハの数点のユディット、そしてギュスターヴ・モローの作品などを思い出させますが、このベルヴェデーレ宮殿のユディットⅠが一番印象に残る作品です。

    カラヴァッジョの「ホロフェルネスの首を斬るユディット」やルーカス・クラナッハの数点のユディット、そしてギュスターヴ・モローの作品などを思い出させますが、このベルヴェデーレ宮殿のユディットⅠが一番印象に残る作品です。

  • この日は土曜日でしたが絵画を勉強に来ている小学生のグループがいました。こんな世界的な美術館が近くにあって、実物で学べるのはうらやましく素晴らしい事です。小学生の図工の教科書で見て衝撃を受けたブリューゲルの「雪中の狩人」の本物を見るのにそれから20年以上かかりましたから。

    この日は土曜日でしたが絵画を勉強に来ている小学生のグループがいました。こんな世界的な美術館が近くにあって、実物で学べるのはうらやましく素晴らしい事です。小学生の図工の教科書で見て衝撃を受けたブリューゲルの「雪中の狩人」の本物を見るのにそれから20年以上かかりましたから。

  • 「接吻」<br />グスタフ・クリムト<br />やっぱりこの絵は素晴らしいですね。30年間で3回見る機会に恵まれました。この絵が貸し出されることは絶対に無いと思うので、安心してくることができますね。ちなみにユディットⅠはこの翌年2019年4月から日本で公開されると知りました。

    「接吻」
    グスタフ・クリムト
    やっぱりこの絵は素晴らしいですね。30年間で3回見る機会に恵まれました。この絵が貸し出されることは絶対に無いと思うので、安心してくることができますね。ちなみにユディットⅠはこの翌年2019年4月から日本で公開されると知りました。

  • クリムトと恋人であったエミーリエ・フレーゲと最も良い関係であった頃に自身らをモデルにして、当時タブーとされていた題材である「接吻」を主題とし描いた作品です。1908年にウィーンで開催された総合芸術展クンストシャウで検閲を逃れ発表された本作は、熱狂的なまでに大好評を博して展覧会終了の直後にオーストリア政府に買い上げます。ファム・ファタール(運命の女)思想とエロス的表現を、クリムト独自の世界観を表した作品です。日本人にとってはジャポニスムを感じ取れることでさらに心に残る作品です。

    クリムトと恋人であったエミーリエ・フレーゲと最も良い関係であった頃に自身らをモデルにして、当時タブーとされていた題材である「接吻」を主題とし描いた作品です。1908年にウィーンで開催された総合芸術展クンストシャウで検閲を逃れ発表された本作は、熱狂的なまでに大好評を博して展覧会終了の直後にオーストリア政府に買い上げます。ファム・ファタール(運命の女)思想とエロス的表現を、クリムト独自の世界観を表した作品です。日本人にとってはジャポニスムを感じ取れることでさらに心に残る作品です。

  • 「若者の立像」<br />コロマン・モーザー<br />クリムトが設立したウィーン分離派に参加し、後にウィーン美術学校の教授になります。同時代の建築家オットー・ワーグナーと関わりが深く、アム・シュタインホーフ教会のステンドグラスや祭壇は素晴らしかったです。

    「若者の立像」
    コロマン・モーザー
    クリムトが設立したウィーン分離派に参加し、後にウィーン美術学校の教授になります。同時代の建築家オットー・ワーグナーと関わりが深く、アム・シュタインホーフ教会のステンドグラスや祭壇は素晴らしかったです。

  • ベルヴェデーレ宮殿の美術館は1階の右ウイングと2階3階の左右のウイングがあり、中央のホールから2階の左ウイングを見学してきました。ここからホールまで戻って見学は終わりのようです。

    ベルヴェデーレ宮殿の美術館は1階の右ウイングと2階3階の左右のウイングがあり、中央のホールから2階の左ウイングを見学してきました。ここからホールまで戻って見学は終わりのようです。

  • 「青いガラス瓶とつぶした鶏のある静物」<br />ジェームス・アンソール<br />1910年に描かれた作品なので、ベルギーのオステンドの実家の屋根裏をアトリエとして使っていたころです。いわゆるアンソールらしさを全く感じない作品です。

    「青いガラス瓶とつぶした鶏のある静物」
    ジェームス・アンソール
    1910年に描かれた作品なので、ベルギーのオステンドの実家の屋根裏をアトリエとして使っていたころです。いわゆるアンソールらしさを全く感じない作品です。

  • ベルギーやオランダを旅しているといくつかのアンソールの作品に出合えますが、クレラー・ミュラー美術館の「ホップ・フロッグの復讐」を見た時の衝撃は忘れられません。エドガー・ア・ランポーの小説「ホップ・フロッグの復讐」の劇的な終焉を描き切っています。<br />

    ベルギーやオランダを旅しているといくつかのアンソールの作品に出合えますが、クレラー・ミュラー美術館の「ホップ・フロッグの復讐」を見た時の衝撃は忘れられません。エドガー・ア・ランポーの小説「ホップ・フロッグの復讐」の劇的な終焉を描き切っています。

  • 「羊とヒヤシンスのある静物」<br />オスカー・ココシュカ<br />ココシュカはクリムトやシーレと並び近代オーストリアを代表する画家の一人で、表現主義に分類されることが多いですが、ウィーン分離派や青騎士、ブリュッケなどの当時の芸術運動やグループには参加せずに独自の道を歩みます。

    「羊とヒヤシンスのある静物」
    オスカー・ココシュカ
    ココシュカはクリムトやシーレと並び近代オーストリアを代表する画家の一人で、表現主義に分類されることが多いですが、ウィーン分離派や青騎士、ブリュッケなどの当時の芸術運動やグループには参加せずに独自の道を歩みます。

  • 潰されて皮を剥かれた羊とその上を歩くカメ、水の入ったガラス容器にはウーパールーパーのような両生類が泳ぎ、テーブルのネズミはエサを探しています。水差しの横に清楚に咲く白いヒヤシンス…。

    潰されて皮を剥かれた羊とその上を歩くカメ、水の入ったガラス容器にはウーパールーパーのような両生類が泳ぎ、テーブルのネズミはエサを探しています。水差しの横に清楚に咲く白いヒヤシンス…。

  • ウーパールーパーはメキシコサンショウウオの幼生ですが、この頃のヨーロッパで手に入ったのでしょうか?しかしこの絵は何だろう。心の琴線に触れるような…、この絵は。ブレード・ランナーという映画でデッカード(ハリソン・フォード)がレイチェル(美しかったころのショーン・ヤング)に質問するシーンがあります。

    ウーパールーパーはメキシコサンショウウオの幼生ですが、この頃のヨーロッパで手に入ったのでしょうか?しかしこの絵は何だろう。心の琴線に触れるような…、この絵は。ブレード・ランナーという映画でデッカード(ハリソン・フォード)がレイチェル(美しかったころのショーン・ヤング)に質問するシーンがあります。

  • その質問の回答をするときの角膜の動きを専用の機械で解析して、人間かレプリカントかを見分けるのですが、その時の質問が「砂漠でひっくり返った亀がいる、君はどうするか」だったのを思い出しました。

    その質問の回答をするときの角膜の動きを専用の機械で解析して、人間かレプリカントかを見分けるのですが、その時の質問が「砂漠でひっくり返った亀がいる、君はどうするか」だったのを思い出しました。

  • 「アダムとエヴァ」<br />グスタフ・クリムト<br />クリムト最晩年の作品で、右手などが未完成のまま終わっています。旧約聖書中に書かれた天地創造の6日目に、神が自らの姿に似せて地上の塵から創造したとされる最初の人間「アダム」と、アダムの肋骨から創造された最初の女性「エヴァ(イブ)」の姿です。

    「アダムとエヴァ」
    グスタフ・クリムト
    クリムト最晩年の作品で、右手などが未完成のまま終わっています。旧約聖書中に書かれた天地創造の6日目に、神が自らの姿に似せて地上の塵から創造したとされる最初の人間「アダム」と、アダムの肋骨から創造された最初の女性「エヴァ(イブ)」の姿です。

  • 首を傾けてまるで観る者へ媚びるかのような視線を向け、薄く口角を上げた勝ち誇った表情を浮かべた艶めかしいエヴァが柔和な光を浴び、脱力しながらゆったりと立っています。後ろに立つアダムは肌の色も沈み苦悩の表情にも見えます。人間の男性にとっては全ての女性は「ファム・ファタール」なのかもしれませんね。

    首を傾けてまるで観る者へ媚びるかのような視線を向け、薄く口角を上げた勝ち誇った表情を浮かべた艶めかしいエヴァが柔和な光を浴び、脱力しながらゆったりと立っています。後ろに立つアダムは肌の色も沈み苦悩の表情にも見えます。人間の男性にとっては全ての女性は「ファム・ファタール」なのかもしれませんね。

  • 「皇后エリザベート」<br />ゲオルグ・ラーブ<br />エリザベートの肖像画はフランツ・ヴィンターハルターのものが有名ですが、ラーブも皇帝家族の肖像画をいくつも残しています。<br />

    「皇后エリザベート」
    ゲオルグ・ラーブ
    エリザベートの肖像画はフランツ・ヴィンターハルターのものが有名ですが、ラーブも皇帝家族の肖像画をいくつも残しています。

  • 1874年に描かれているので36歳の肖像画になります。現在でもフォトショップなどで写真は加工できますが、絵画なのでいくらでも美化できたと思います。元々美人だったことには変わりないと思いますが。ガイドさんはエリザベートが嫌いなのか、シューンブルンでもここでも一言もエリザベートについて説明しませんでした。

    1874年に描かれているので36歳の肖像画になります。現在でもフォトショップなどで写真は加工できますが、絵画なのでいくらでも美化できたと思います。元々美人だったことには変わりないと思いますが。ガイドさんはエリザベートが嫌いなのか、シューンブルンでもここでも一言もエリザベートについて説明しませんでした。

  • 「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」<br />ゲオルグ・ラーブ<br />44歳の肖像画です。68年に及ぶ長い在位と国民からの絶大な敬愛からオーストリア帝国の「国父」とも称されました。晩年は「不死鳥」とも呼ばれ、オーストリアの象徴的存在でもあります。

    「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」
    ゲオルグ・ラーブ
    44歳の肖像画です。68年に及ぶ長い在位と国民からの絶大な敬愛からオーストリア帝国の「国父」とも称されました。晩年は「不死鳥」とも呼ばれ、オーストリアの象徴的存在でもあります。

  • 後継者となった最後の皇帝カール1世は統治期間が2年に満たなかったため、オーストリア帝国の実質的な「最後の」皇帝と呼ばれます。激動の19世紀から20世紀初頭を生きた皇帝ですが、果たしてし幸せだったのでしょうか…。妻はジュネーブのレマン湖畔で刺殺され、長男は自殺してしまいます。

    後継者となった最後の皇帝カール1世は統治期間が2年に満たなかったため、オーストリア帝国の実質的な「最後の」皇帝と呼ばれます。激動の19世紀から20世紀初頭を生きた皇帝ですが、果たしてし幸せだったのでしょうか…。妻はジュネーブのレマン湖畔で刺殺され、長男は自殺してしまいます。

  • 「死の床の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」<br />フランツ・フォン・マッシュ<br />1916年の11月に高熱を出し、皇帝自身が「今度は助からないかもしれない」と呟いたほどだったそうですが持ち直し、20日にカール大公夫妻が見舞いに訪れると2人に向かって「早く回復したい。仕事が多く残っている。とても病気になどなっておられない」と口にしたそうです。

    「死の床の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」
    フランツ・フォン・マッシュ
    1916年の11月に高熱を出し、皇帝自身が「今度は助からないかもしれない」と呟いたほどだったそうですが持ち直し、20日にカール大公夫妻が見舞いに訪れると2人に向かって「早く回復したい。仕事が多く残っている。とても病気になどなっておられない」と口にしたそうです。

  • 21日の夜に明朝3時半に起こすように言い、午後9時に亡くなります。カプツィーナー納骨堂のフランツ=ヨーゼフ納骨堂に葬られます。8年前には皇太子ルドルフと皇后エリザベートと共に並んだ棺にお参りしました。マッシュの作品で印象深いのが皇后エリザベートの愛したギリシャのコルフ島の別荘であるアヒリオンパレスの大階段の「凱旋するアキレス」と礼拝堂の「星と聖母子」です。

    21日の夜に明朝3時半に起こすように言い、午後9時に亡くなります。カプツィーナー納骨堂のフランツ=ヨーゼフ納骨堂に葬られます。8年前には皇太子ルドルフと皇后エリザベートと共に並んだ棺にお参りしました。マッシュの作品で印象深いのが皇后エリザベートの愛したギリシャのコルフ島の別荘であるアヒリオンパレスの大階段の「凱旋するアキレス」と礼拝堂の「星と聖母子」です。

  • 「東方三博士の礼拝(マギの礼拝)」<br />ハプスブルグ派の画家<br />クリスマスなので1枚くらい宗教画を見ておきましょう。伝統的な当方三博士の礼拝の図です。昨年2017年のクリスマスマーケット巡りではケルン大聖堂で三賢王礼拝室の聖櫃を拝みました。

    「東方三博士の礼拝(マギの礼拝)」
    ハプスブルグ派の画家
    クリスマスなので1枚くらい宗教画を見ておきましょう。伝統的な当方三博士の礼拝の図です。昨年2017年のクリスマスマーケット巡りではケルン大聖堂で三賢王礼拝室の聖櫃を拝みました。

  • イタリアではエピファニア(公現祭)と呼ばれ、1月6日は祭日で、ベファーナという籠を背負い箒を持つおばあさんがやってきて、良い子にはお菓子をくれて、悪い子にはコークスをくれる伝説があります。昔チェルヴィニアへスキーに行ったときにお菓子をもらったことを思い出します。

    イタリアではエピファニア(公現祭)と呼ばれ、1月6日は祭日で、ベファーナという籠を背負い箒を持つおばあさんがやってきて、良い子にはお菓子をくれて、悪い子にはコークスをくれる伝説があります。昔チェルヴィニアへスキーに行ったときにお菓子をもらったことを思い出します。

  • サン・ベルナール峠のナポレオン」<br />ジャック・ルイ・ダヴィッド<br />ああ、この絵はここにあったんだと思い出しました。ナポレオンがアルプスのサン・ベルナール峠を越えるシーンですが、実際はロバに乗って寒さからコートの中に手を入れていたようです。サン・ベルナールは英語読みするとセント・バーナードで、山岳救助犬の名前で有名な峠です。

    サン・ベルナール峠のナポレオン」
    ジャック・ルイ・ダヴィッド
    ああ、この絵はここにあったんだと思い出しました。ナポレオンがアルプスのサン・ベルナール峠を越えるシーンですが、実際はロバに乗って寒さからコートの中に手を入れていたようです。サン・ベルナールは英語読みするとセント・バーナードで、山岳救助犬の名前で有名な峠です。

  • ダヴィッドの絵はブリュッセル王立美術館の「マラーの死」やルーブル美術館の「レカミエ婦人の肖像」、そして「ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」などが頭に思い浮かびます。

    ダヴィッドの絵はブリュッセル王立美術館の「マラーの死」やルーブル美術館の「レカミエ婦人の肖像」、そして「ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」などが頭に思い浮かびます。

  • 「マルティンスワンドの皇帝マクシミリアン1世」<br />モリッツ・フォン・シュヴィント<br />マルティンスワンドはインスブルック近くにある600メートルの高さの岩山です。遭難したマクシミリアン1世は洞窟に避難して、農民の少年に助けられたという伝説が描かれています。

    「マルティンスワンドの皇帝マクシミリアン1世」
    モリッツ・フォン・シュヴィント
    マルティンスワンドはインスブルック近くにある600メートルの高さの岩山です。遭難したマクシミリアン1世は洞窟に避難して、農民の少年に助けられたという伝説が描かれています。

  • 自身や子や孫の結婚政策で成功をおさめ、ハプスブルク家の隆盛の基礎を築いたことから、マクシミリアン大帝と称されれます。また武勇に秀いで体躯に恵まれ、芸術の保護者であったことから中世最後の騎士とも評価されます。

    自身や子や孫の結婚政策で成功をおさめ、ハプスブルク家の隆盛の基礎を築いたことから、マクシミリアン大帝と称されれます。また武勇に秀いで体躯に恵まれ、芸術の保護者であったことから中世最後の騎士とも評価されます。

  • 2階のウイングの片側の1900年代の作品だけの見学で終わりました。このまま残ろうかとも思いましたが、クロークが全員一緒の箱に荷物を入れているので同行しなければなりません。もう一度クロークにとも思いましたが、先があるので荷物をもってミュージアムショップへ向かいました。

    2階のウイングの片側の1900年代の作品だけの見学で終わりました。このまま残ろうかとも思いましたが、クロークが全員一緒の箱に荷物を入れているので同行しなければなりません。もう一度クロークにとも思いましたが、先があるので荷物をもってミュージアムショップへ向かいました。

  • ツアーの人たちとはここで別れて翌朝まで自由行動にしてもらいます。夜ホテルに戻ったら添乗員さんに連絡は入れる約束です。次はトラム体験なのでチケットだけは添乗員さんからもらっておきました。この辺は抜かりなく。

    ツアーの人たちとはここで別れて翌朝まで自由行動にしてもらいます。夜ホテルに戻ったら添乗員さんに連絡は入れる約束です。次はトラム体験なのでチケットだけは添乗員さんからもらっておきました。この辺は抜かりなく。

  • まずは建物の反対側のクリスマスマーケットに向かいます。ここのカップがかわいいので大興奮。売っている人たちも中世の衣装を着ているのでかっこいいです。2人並んで写真を撮らせてもらいました。フランス以外のヨーロッパの国ではこういう時にノリがいいので助かります。フランスでは嫌な顔されるのが落ちなので頼みませんが。

    まずは建物の反対側のクリスマスマーケットに向かいます。ここのカップがかわいいので大興奮。売っている人たちも中世の衣装を着ているのでかっこいいです。2人並んで写真を撮らせてもらいました。フランス以外のヨーロッパの国ではこういう時にノリがいいので助かります。フランスでは嫌な顔されるのが落ちなので頼みませんが。

  • 団体行動から解放されただけでもくつろげます。日向ぼっこしながら熱々のグリューワインをいただきます。

    団体行動から解放されただけでもくつろげます。日向ぼっこしながら熱々のグリューワインをいただきます。

  • 一応天使のカップです。もちろん持って帰ってきました。妻は「もういい加減にしなさい。」と言いながらウェットティッシュとビニール袋を出してくれます。

    一応天使のカップです。もちろん持って帰ってきました。妻は「もういい加減にしなさい。」と言いながらウェットティッシュとビニール袋を出してくれます。

  • さすがに朝一番の時間なのでマーケットとしての賑わいはありませんが、土曜日なので子供連れの家族が多くてほほえましかったです。

    さすがに朝一番の時間なのでマーケットとしての賑わいはありませんが、土曜日なので子供連れの家族が多くてほほえましかったです。

  • 獅子が守る黄金の紋章の周りには「金羊毛勲章」の火口金と火打石の意匠が連なり、中央に羊が吊るされています。金色の羊はギリシャ神話のイアソンのアルゴ号の物語に出てくる秘宝の1つで、翼を持つ金色の羊の毛皮のことです。コルキスの王が所有して眠らないドラゴンによって守られていました。

    獅子が守る黄金の紋章の周りには「金羊毛勲章」の火口金と火打石の意匠が連なり、中央に羊が吊るされています。金色の羊はギリシャ神話のイアソンのアルゴ号の物語に出てくる秘宝の1つで、翼を持つ金色の羊の毛皮のことです。コルキスの王が所有して眠らないドラゴンによって守られていました。

  • 金羊毛騎士団はブルゴーニュ貴族の身分と地位及びアイデンティティの象徴でしたが、フィリップ善良公の孫娘で、ヴァロワ朝ブルゴーニュ家最後の君主となったマリー女公が、ハプスブルク家のマクシミリアンと結婚したことで、同家の君主が騎士団主権者となり、16世紀にかけてハプスブルク家の勢力拡大により、権威が増大していきます。王宮宝物館に騎士団の「頸飾」がマントと共にいくつも展示してあります。

    金羊毛騎士団はブルゴーニュ貴族の身分と地位及びアイデンティティの象徴でしたが、フィリップ善良公の孫娘で、ヴァロワ朝ブルゴーニュ家最後の君主となったマリー女公が、ハプスブルク家のマクシミリアンと結婚したことで、同家の君主が騎士団主権者となり、16世紀にかけてハプスブルク家の勢力拡大により、権威が増大していきます。王宮宝物館に騎士団の「頸飾」がマントと共にいくつも展示してあります。

  • 個人的には成人式の時に買ってもらったブルックス・ブラザースの「オウンメイク」のブレザーの方が思いが強いです。海外初進出の青山本店が出来てすぐの頃で、金色のボタンのゴールデン・フリースが誇らしかったです。

    個人的には成人式の時に買ってもらったブルックス・ブラザースの「オウンメイク」のブレザーの方が思いが強いです。海外初進出の青山本店が出来てすぐの頃で、金色のボタンのゴールデン・フリースが誇らしかったです。

  • 本物はオレンジにクローブを刺していくポマンダーというクリスマスの飾りですが、これはスチロールの球に貼ってあるだけでした。その分安いのですが。このマーケットでは以前ブダペストで買ったドライフルーツとシナモンの香りのよい飾りを買いました。クリスマスにオレンジとシナモンを飾るのは、幸福をよぶ意味があります。

    本物はオレンジにクローブを刺していくポマンダーというクリスマスの飾りですが、これはスチロールの球に貼ってあるだけでした。その分安いのですが。このマーケットでは以前ブダペストで買ったドライフルーツとシナモンの香りのよい飾りを買いました。クリスマスにオレンジとシナモンを飾るのは、幸福をよぶ意味があります。

  • 一昨年ザルツブルグでこの人形の白いバージョンを買って、母と姪のお土産にしました。

    一昨年ザルツブルグでこの人形の白いバージョンを買って、母と姪のお土産にしました。

  • モーツアルトバージョンのオーナメントは初めて見ました。

    モーツアルトバージョンのオーナメントは初めて見ました。

  • 夜になったら楽しそうなベルヴェデーレ宮殿のクリスマスマーケットでした。反対側に戻って、庭園を下りながらカールスプラッツのマーケットに向かうことにします。

    夜になったら楽しそうなベルヴェデーレ宮殿のクリスマスマーケットでした。反対側に戻って、庭園を下りながらカールスプラッツのマーケットに向かうことにします。

  • この庭園はアンドレ・ル・ノートルを師とするジラールの設計です。ル・ノートルはフランスの造園家で パリのテュイルリー庭園、ヴォー=ル=ヴィコント城の庭園、ヴェルサイユ宮殿の庭園などを設計しフランス式庭園の様式を完成させた人物です。

    この庭園はアンドレ・ル・ノートルを師とするジラールの設計です。ル・ノートルはフランスの造園家で パリのテュイルリー庭園、ヴォー=ル=ヴィコント城の庭園、ヴェルサイユ宮殿の庭園などを設計しフランス式庭園の様式を完成させた人物です。

  • ここのスフィンクスには種類があって、このスフィンクスはメナス頭巾を被ったファラオのような姿です。

    ここのスフィンクスには種類があって、このスフィンクスはメナス頭巾を被ったファラオのような姿です。

  • 上宮を背にして下宮に向かってブラブラ坂道を下っていきます。

    上宮を背にして下宮に向かってブラブラ坂道を下っていきます。

  • 途中途中に置かれた彫刻の台座のレリーフがあまりに面白いので数枚写真に撮りました。

    途中途中に置かれた彫刻の台座のレリーフがあまりに面白いので数枚写真に撮りました。

  • 子どもの風神と雷神みたいで可愛らしいです。

    子どもの風神と雷神みたいで可愛らしいです。

  • この庭園には何度も来ていますが、水盤から水が出ているところを見たことがありません。

    この庭園には何度も来ていますが、水盤から水が出ているところを見たことがありません。

  • 下宮の脇から表通りに抜けられます。チケットが無いので下宮の美術館を見る事は出来ません。

    下宮の脇から表通りに抜けられます。チケットが無いので下宮の美術館を見る事は出来ません。

  • ここからフランス大使館の裏を抜けてカールスプラッツへ行く道は地図が無くても歩けます。ウィーンは3週間近くブダペストは1週間歩き回ったことがあるので地図が無くても歩き回れます。

    ここからフランス大使館の裏を抜けてカールスプラッツへ行く道は地図が無くても歩けます。ウィーンは3週間近くブダペストは1週間歩き回ったことがあるので地図が無くても歩き回れます。

6いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

オーストリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
オーストリア最安 355円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

オーストリアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP