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2020年12月10日(木)2時半前、かつての伏見インクラインの登り口があった辺り、現在は国道24号線の曙橋から、鴨川運河の散策を再開。ここからは通称は濠川(ほりかわ)と呼ばれているが、京都市上下水道局はこの部分はまだ鴨川運河の一部としている。濠川は以前伏見薩摩藩邸跡から南の部分について書いている(以下の旅行記参照)。<br />https://4travel.jp/travelogue/11657847<br /><br />国道24号線は京都から奈良を経て和歌山まで繋がる全長約235㎞の1929年(昭和4年)に全通した国道15号線が1952年(昭和27年)に24号線と改称された国道。烏丸五条を起点とし、烏丸通から七条通、河原町通を通り、勧進橋で鴨川を東に渡り南進し、この辺りで東にずれて、さらに南に下り観月橋で宇治川を渡り、宇治から城陽に進む。<br /><br />この曙橋は南側にしか川はなく、橋の下で、墨染発電所から放水され24号線の北側沿いの暗渠を流れた水が流れ出している。橋から南を見ると近鉄京都線の橋梁が見える。この線は元々は1896年(明治29年)に全通した京都と奈良を結んだ奈良鉄道のルートだった。奈良鉄道は1905年(明治38年)に関西鉄道に譲渡され、さらにその2年後に国有化され国鉄奈良線となった。<br /><br />しかし、1921年(大正10年)に東海道本線の現在のルートの京都・山科間が開通し、それまで東海道線として使われていた京都・稲荷間が桃山に延伸され奈良線に繋がれ、現在の奈良線と同じルートとなった。この結果、それまで使われていた旧奈良鉄道ルートの京都・桃山間は放置されたままとなっていたのだが、1928年(昭和3年)に現在の近鉄奈良線の前身となった奈良電鉄が11月に行われた京都御所での昭和天皇の即位大典に間に合わせるために、この旧省線(国鉄)の廃線敷を使って新線を敷設し、京都・奈良間を開通させた。<br /><br />現在の近鉄線はこの橋梁の前後、ずっとコンクリート高架になっているが、元々奈良鉄道は普通に地面に敷設されていたので、この橋梁の下には旧線のレンガ橋脚が残る(下の写真1)。竹田駅の南から宇治川までの間の2つの高架橋は京都で最も古い鉄道高架橋で、わずか3か月の工期で完成された。当時としては画期的なコンクリ―ト製高架だが、100年近く経つ今も線路をしっかり支えている(下の写真2)。<br /><br />ちなみに丹波橋駅北側から京都寄りの伏見第2高架橋(全長1008m)は、建設当時には京都電気鉄道と交差しており、旧奈良線時代に列車の衝突事故も起きていたことから高架とされたが、桃山御陵前駅北側から奈良寄りの伏見第1高架橋(794m)は当初は深さ9mの掘割で計画された。これは、桃山御陵への参拝者が多いので大手筋東方の踏切設置は不可で、また、南に陸軍の工兵隊練兵場があるので高架は認められなかったから。<br /><br />しかし、ここで猛反対したのが伏見の酒造組合。桃山丘陵からの水脈が切れて酒造りができないと強く訴え、陸軍に高架設置を認めさせた。結果、「帝国陸軍に勝てるのは伏見の酒だけ」と云う有名なエピソードが残った。なお、第2高架橋と丹波橋駅の間は元の計画通りの掘割になっている(下の写真3)。<br /><br />曙橋から濠川沿いに進むことは出来ないので、西側の歩道橋の先に戻って南に回り込んで進むが、近鉄線の橋梁のすぐ南に津知橋。1923年(大正12年)竣工の落ち着いた石造りのデザインの橋。この橋の西側が津知橋町だが、その町の名前から付けられたと云うよりも、逆に橋の名から町名が付けられた感じがする。実際の由来は不明。<br /><br />津知橋から右岸(西)に曲がるとすぐに東住吉橋。濠川はここで、新(東)高瀬川へ抜ける伏見新放水路を分流している。少し南にある伏見制水門・伏見閘門と共に1931年(昭和6年)に完成したもので、伏見制水門を閉鎖することにより、洪水時に伏見の町中の被害を避けることが可能になった。通常は水位が低いので、ほとんど流れていない。なお、東住吉橋の名前は、この辺りは住吉町の東の橋なので、そこから付けられたと思われる。<br /><br />また、制水門の東南の建物にC&amp;Aスパイスのロゴが書かれているが、業務用食品向けのスパイスを製造・販売している甘利香辛食品の本社・工場。甘利商店として1928年に創業し、1945年に現在地に移転した。カレーや唐辛子、胡椒、マスタードなど各種スパイスを造っており、日本では全国でもスパイス製造業者は数少なく、京都はもとより、博多の明太子作りにもこの会社の唐辛子が用いられている。知らんかった・・・<br /><br />制水門の西側にある伏見住吉小学校は1903年(明治36年)に伏見町第三尋常小学校として設立された歴史ある小学校(下の写真4)。その南には浄土宗の龍王山源光院(下の写真5)。由緒等は不明。制水門の100mほど南に上板橋。1926年(大正15年)竣工で、モダンなデザインをしている。東側一帯が上板橋町だが、これも橋の名前の方が先? 詳細は不明。<br /><br />上板橋の先で、濠川はほぼ直角に曲がり西に流れを変えるが、その曲がり切った辺りに架かるのが常盤橋(下の写真6)。明治から昭和の初めに掛けての伏見酒造りの最盛期に、橋の約150m南に本社・工場があるキンシ正宗によって大正期に架けられた橋。キンシ正宗は江戸中期の1781年に京都の堺町二条で創業、明治に入り1880年(明治13年)に伏見で醸造を開始した。構内には伏見7名水のひとつである毎時70トンの水量の常磐井水が流れ出している。橋の名前はここから来ているし、通りの名前も常盤通となっている。<br /><br />常盤橋の下流約100mに架かるのがいものや(鋳物屋)橋(下の写真7)。1926年(大正15年)に架けられ、1935年(昭和10年)に改修された橋で、近年まで400年以上続いていた鋳物屋の国松鋳造所名残の橋。橋の南側にあったが、現在はマンションになっている。見た目には特に変化はないが、京都市上下水道局はこの橋の先で南に折れる辺り(下の写真8)を鴨川運河の終点としている。<br /><br />ここで塩小路通から始まった鴨川運河散策は終了。いものや橋から、川沿いの道はないが民家を挟んだ道を下流に進む。濠川はここから何度か西に流れを変えながら南に進んで行くが、最初のクランクを過ぎたところに架かるの橋が丹波橋。近くに桑野丹波守の屋敷があったことから名付けられた。現在の橋は1924年(大正13年)に架けられたもの。<br /><br />丹波橋を渡って濠川に別れを告げ、丹波橋通を東に進むと約250mほど先にあるのが勝念寺。織田信長が深く帰依した貞安上人によって1587年に開創された。本能寺の変で討たれた信長・信忠父子の菩提を弔うため、上人が正親町天皇の勅命により現在は東山の円山公園音楽堂の西にある大雲院と共に開創した。<br /><br />信長が寄進した身代釜敷地蔵尊、閻魔法王自作霊像、金銅多羅観音菩薩を祀る。釜敷地蔵は、炎に炊かれ煮えたぎる釜の上に立つという姿で、地獄で釜ゆでにされ苦しむ人の身代わりとなり、幸福へと導くお地蔵様。いつしか「かましきさん」と親しみを込め呼ばれるようになり、やがてお寺そのものの愛称へとなった(下の写真9)。<br /><br />さらに200mほど東に進むと京阪本線との踏切となり、踏切の南側に丹波橋駅がある。1910年(明治43年)に京阪本線開通から2ヶ月遅れて桃山駅として開業、1913年に現在の駅名に変更された。終戦直後の1945年12月から1968年までは近鉄京都線(1963年までは奈良電気鉄道)が乗り入れており、京阪と奈良との直通列車が走っていた。<br /><br />踏切を東に渡った南側に桓武天皇御陵の碑が建つ(下の写真10)が、1928年(昭和3年)に京都御所で行われた御大典の昭和天皇の即位式の際に建てられたもの。桓武天皇柏原陵は丹波橋通をそのまま東に約800m進んだ先にある。桓武天皇は平城京から長岡京、そして平安京に遷都した第50代天皇。私にはNHKの2013年のドラマ「火怨・北の英雄 アテルイ伝(大沢たかお主演)」の近藤正臣さんのイメージが残ってるなあ~<br /><br />京阪の丹波橋駅より少し南東に離れてあるのが近鉄丹波橋。1968年に開業した駅だが、元々は1928年に奈良電気鉄道が開通した際には、この地には堀内駅があったが、この駅は1945年の京阪との相互乗り入れに際して廃止された。その相互乗り入れが廃止され、誕生したが、駅設備は乗り入れ廃止前の1966年に旧線跡に再敷設されて通過列車が使用していた線路に1967年に造られた近鉄京都線専用ホームを利用したもの。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6190329774370328&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上で、琵琶湖疏水鴨川運河散策終了

京都 琵琶湖疏水 鴨川運河7(Kamogawa Canal, Biwako Canal, Kyoto, JP)

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2020/12/10 - 2020/12/10

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旅行記グループ 琵琶湖疏水

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年12月10日(木)2時半前、かつての伏見インクラインの登り口があった辺り、現在は国道24号線の曙橋から、鴨川運河の散策を再開。ここからは通称は濠川(ほりかわ)と呼ばれているが、京都市上下水道局はこの部分はまだ鴨川運河の一部としている。濠川は以前伏見薩摩藩邸跡から南の部分について書いている(以下の旅行記参照)。
https://4travel.jp/travelogue/11657847

国道24号線は京都から奈良を経て和歌山まで繋がる全長約235㎞の1929年(昭和4年)に全通した国道15号線が1952年(昭和27年)に24号線と改称された国道。烏丸五条を起点とし、烏丸通から七条通、河原町通を通り、勧進橋で鴨川を東に渡り南進し、この辺りで東にずれて、さらに南に下り観月橋で宇治川を渡り、宇治から城陽に進む。

この曙橋は南側にしか川はなく、橋の下で、墨染発電所から放水され24号線の北側沿いの暗渠を流れた水が流れ出している。橋から南を見ると近鉄京都線の橋梁が見える。この線は元々は1896年(明治29年)に全通した京都と奈良を結んだ奈良鉄道のルートだった。奈良鉄道は1905年(明治38年)に関西鉄道に譲渡され、さらにその2年後に国有化され国鉄奈良線となった。

しかし、1921年(大正10年)に東海道本線の現在のルートの京都・山科間が開通し、それまで東海道線として使われていた京都・稲荷間が桃山に延伸され奈良線に繋がれ、現在の奈良線と同じルートとなった。この結果、それまで使われていた旧奈良鉄道ルートの京都・桃山間は放置されたままとなっていたのだが、1928年(昭和3年)に現在の近鉄奈良線の前身となった奈良電鉄が11月に行われた京都御所での昭和天皇の即位大典に間に合わせるために、この旧省線(国鉄)の廃線敷を使って新線を敷設し、京都・奈良間を開通させた。

現在の近鉄線はこの橋梁の前後、ずっとコンクリート高架になっているが、元々奈良鉄道は普通に地面に敷設されていたので、この橋梁の下には旧線のレンガ橋脚が残る(下の写真1)。竹田駅の南から宇治川までの間の2つの高架橋は京都で最も古い鉄道高架橋で、わずか3か月の工期で完成された。当時としては画期的なコンクリ―ト製高架だが、100年近く経つ今も線路をしっかり支えている(下の写真2)。

ちなみに丹波橋駅北側から京都寄りの伏見第2高架橋(全長1008m)は、建設当時には京都電気鉄道と交差しており、旧奈良線時代に列車の衝突事故も起きていたことから高架とされたが、桃山御陵前駅北側から奈良寄りの伏見第1高架橋(794m)は当初は深さ9mの掘割で計画された。これは、桃山御陵への参拝者が多いので大手筋東方の踏切設置は不可で、また、南に陸軍の工兵隊練兵場があるので高架は認められなかったから。

しかし、ここで猛反対したのが伏見の酒造組合。桃山丘陵からの水脈が切れて酒造りができないと強く訴え、陸軍に高架設置を認めさせた。結果、「帝国陸軍に勝てるのは伏見の酒だけ」と云う有名なエピソードが残った。なお、第2高架橋と丹波橋駅の間は元の計画通りの掘割になっている(下の写真3)。

曙橋から濠川沿いに進むことは出来ないので、西側の歩道橋の先に戻って南に回り込んで進むが、近鉄線の橋梁のすぐ南に津知橋。1923年(大正12年)竣工の落ち着いた石造りのデザインの橋。この橋の西側が津知橋町だが、その町の名前から付けられたと云うよりも、逆に橋の名から町名が付けられた感じがする。実際の由来は不明。

津知橋から右岸(西)に曲がるとすぐに東住吉橋。濠川はここで、新(東)高瀬川へ抜ける伏見新放水路を分流している。少し南にある伏見制水門・伏見閘門と共に1931年(昭和6年)に完成したもので、伏見制水門を閉鎖することにより、洪水時に伏見の町中の被害を避けることが可能になった。通常は水位が低いので、ほとんど流れていない。なお、東住吉橋の名前は、この辺りは住吉町の東の橋なので、そこから付けられたと思われる。

また、制水門の東南の建物にC&Aスパイスのロゴが書かれているが、業務用食品向けのスパイスを製造・販売している甘利香辛食品の本社・工場。甘利商店として1928年に創業し、1945年に現在地に移転した。カレーや唐辛子、胡椒、マスタードなど各種スパイスを造っており、日本では全国でもスパイス製造業者は数少なく、京都はもとより、博多の明太子作りにもこの会社の唐辛子が用いられている。知らんかった・・・

制水門の西側にある伏見住吉小学校は1903年(明治36年)に伏見町第三尋常小学校として設立された歴史ある小学校(下の写真4)。その南には浄土宗の龍王山源光院(下の写真5)。由緒等は不明。制水門の100mほど南に上板橋。1926年(大正15年)竣工で、モダンなデザインをしている。東側一帯が上板橋町だが、これも橋の名前の方が先? 詳細は不明。

上板橋の先で、濠川はほぼ直角に曲がり西に流れを変えるが、その曲がり切った辺りに架かるのが常盤橋(下の写真6)。明治から昭和の初めに掛けての伏見酒造りの最盛期に、橋の約150m南に本社・工場があるキンシ正宗によって大正期に架けられた橋。キンシ正宗は江戸中期の1781年に京都の堺町二条で創業、明治に入り1880年(明治13年)に伏見で醸造を開始した。構内には伏見7名水のひとつである毎時70トンの水量の常磐井水が流れ出している。橋の名前はここから来ているし、通りの名前も常盤通となっている。

常盤橋の下流約100mに架かるのがいものや(鋳物屋)橋(下の写真7)。1926年(大正15年)に架けられ、1935年(昭和10年)に改修された橋で、近年まで400年以上続いていた鋳物屋の国松鋳造所名残の橋。橋の南側にあったが、現在はマンションになっている。見た目には特に変化はないが、京都市上下水道局はこの橋の先で南に折れる辺り(下の写真8)を鴨川運河の終点としている。

ここで塩小路通から始まった鴨川運河散策は終了。いものや橋から、川沿いの道はないが民家を挟んだ道を下流に進む。濠川はここから何度か西に流れを変えながら南に進んで行くが、最初のクランクを過ぎたところに架かるの橋が丹波橋。近くに桑野丹波守の屋敷があったことから名付けられた。現在の橋は1924年(大正13年)に架けられたもの。

丹波橋を渡って濠川に別れを告げ、丹波橋通を東に進むと約250mほど先にあるのが勝念寺。織田信長が深く帰依した貞安上人によって1587年に開創された。本能寺の変で討たれた信長・信忠父子の菩提を弔うため、上人が正親町天皇の勅命により現在は東山の円山公園音楽堂の西にある大雲院と共に開創した。

信長が寄進した身代釜敷地蔵尊、閻魔法王自作霊像、金銅多羅観音菩薩を祀る。釜敷地蔵は、炎に炊かれ煮えたぎる釜の上に立つという姿で、地獄で釜ゆでにされ苦しむ人の身代わりとなり、幸福へと導くお地蔵様。いつしか「かましきさん」と親しみを込め呼ばれるようになり、やがてお寺そのものの愛称へとなった(下の写真9)。

さらに200mほど東に進むと京阪本線との踏切となり、踏切の南側に丹波橋駅がある。1910年(明治43年)に京阪本線開通から2ヶ月遅れて桃山駅として開業、1913年に現在の駅名に変更された。終戦直後の1945年12月から1968年までは近鉄京都線(1963年までは奈良電気鉄道)が乗り入れており、京阪と奈良との直通列車が走っていた。

踏切を東に渡った南側に桓武天皇御陵の碑が建つ(下の写真10)が、1928年(昭和3年)に京都御所で行われた御大典の昭和天皇の即位式の際に建てられたもの。桓武天皇柏原陵は丹波橋通をそのまま東に約800m進んだ先にある。桓武天皇は平城京から長岡京、そして平安京に遷都した第50代天皇。私にはNHKの2013年のドラマ「火怨・北の英雄 アテルイ伝(大沢たかお主演)」の近藤正臣さんのイメージが残ってるなあ~

京阪の丹波橋駅より少し南東に離れてあるのが近鉄丹波橋。1968年に開業した駅だが、元々は1928年に奈良電気鉄道が開通した際には、この地には堀内駅があったが、この駅は1945年の京阪との相互乗り入れに際して廃止された。その相互乗り入れが廃止され、誕生したが、駅設備は乗り入れ廃止前の1966年に旧線跡に再敷設されて通過列車が使用していた線路に1967年に造られた近鉄京都線専用ホームを利用したもの。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6190329774370328&type=1&l=223fe1adec


以上で、琵琶湖疏水鴨川運河散策終了

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  • 写真1 旧奈良線レンガ橋脚

    写真1 旧奈良線レンガ橋脚

  • 写真2 近鉄京都線伏見高架橋の上を走る近鉄特急

    写真2 近鉄京都線伏見高架橋の上を走る近鉄特急

  • 写真3 近鉄線丹波橋駅北側掘割

    写真3 近鉄線丹波橋駅北側掘割

  • 写真4 京都市立伏見住吉小学校

    写真4 京都市立伏見住吉小学校

  • 写真5 龍王山源光院

    写真5 龍王山源光院

  • 写真6 常盤橋

    写真6 常盤橋

  • 写真7 いものや橋

    写真7 いものや橋

  • 写真8 鴨川運河終点

    写真8 鴨川運河終点

  • 写真9 勝念寺身代釜敷地蔵尊

    写真9 勝念寺身代釜敷地蔵尊

  • 写真10 桓武天皇御陵の碑

    写真10 桓武天皇御陵の碑

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