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2020年12月10日(木)12時半過ぎ、鴨川運河を南に歩き、東山区から伏見区の深草に入り、横縄橋から運河の右岸を辿ると赤い欄干の橋が見えてくる(下の写真1)。1961年(昭和36年)竣工の稲荷橋。伏見稲荷へのメインストリートに架かる橋。1970年まではこの橋の南側、広くなっているところは京都市電稲荷線の終着駅、稲荷電停だった。1904年(明治37年)京都電気鉄道伏見線支線として開業し、1918年(大正7年)に京都市電稲荷線となった。<br /><br />現在の第2京阪の鴨川西ICの近くの鴨川に架かる勧進橋の南で市電伏見線から分岐する、京都市電では唯一の全線専用軌道だった。現在は竹田街道と師団街道の間は道路となっている(稲荷新道の1本南)。伏見線の支線としての色合いが濃く、戦時体制下を除いて、全ての列車は伏見線へ直通していた。毎年正月三が日には伏見稲荷大社への初詣客で混雑したそうだ。そりゃそうだろ。<br /><br />廃線後、稲荷駅から橋の西側の線路跡は京阪を挟んで稲荷公園と稲荷児童公園になっている。廃止から約50年が経過した2020年1月に公園の改修工事に伴って、地下に埋まっていた線路が露出している(写真なし)。<br /><br />橋から道の西側を見ると京阪本線の踏切が見え、この踏切の北側に伏見稲荷駅がある。1910年(明治43年)4月の京阪本線開通時に稲荷新道駅として開業したが、12月に稲荷駅に改称された。これは開通時には現在の龍谷大前深草駅の方が表参道に近いと云うことで稲荷駅としたのだが、この駅からの新道を通るのがメインになったためこちらを稲荷駅とし、それまでの稲荷駅は深草駅に改称した。その後稲荷神社前駅となり、さらに1948年(昭和23年)に伏見稲荷大社が現在名に改称されたのに合わせて現駅名となった。<br /><br />12時半を過ぎたので、ここで昼食にする。稲荷公園の少し南にあるいなり 名代 道八。開業して70余年の老舗。名物と謳っているいなりうどん、670円を戴く。稲荷山を表すかまぼこ、お稲荷さんのお使いであるきつねがくわえる玉(宝珠)を表す玉子ときつねの大好物、甘く炊いたおあげさんが入っており、うまかった。<br /><br />1時10分過ぎ、再び歩き始める。稲荷橋を渡りJR奈良線の踏切を渡った南側にいなり煎餅の店、いな里屋本家(下の写真2)があるので、ここでお土産購入(下の写真3)。この稲荷新道沿いにはいなり煎餅さんが4軒あるが、そのうちの1軒。京阪から稲荷橋の間に宝玉堂と松屋、さらにこの道を東に進んで裏参道の鳥居を抜けた先にいなりやがある。いずれの店も発祥とか元祖とか名乗っているが、このいなり煎餅自体の歴史はさほど古くない。昭和初期に岐阜県で味噌煎餅を作っていた方が伏見にやって来て白味噌入りの煎餅を作ったのが起源。<br /><br />いな里屋本家の東、奈良街道を南に折れて少し進むと伏見稲荷大社の正面に出る。創建は奈良時代初期の711年と云われる全国に約3万社ある稲荷神社の総本社。朱色の鳥居が立ち並ぶ千本鳥居など外国人にも超人気のスポット。ここは以前にお参りしたことあるので、今回はスキップ。<br /><br />伏見稲荷の一番鳥居のすぐ前、南にあるのがJR奈良線稲荷駅。1879年(明治12年)に後に東海道本線となる京都駅・大谷駅(現在の京阪京津線大谷駅の近くにあった駅で、今はない)間の鉄道が開業した際に開設された。翌年には大谷から大津まで延伸、1889年(明治22年)には新橋駅・神戸駅間が全通し東海道本線の駅となった。<br /><br />1921年(大正10年)に東海道本線の馬場駅(現在の膳所駅)・京都駅間が新逢坂山トンネル・東山トンネル経由の現在線に切り替えられ、同時に残る京都駅・稲荷駅間が桃山駅からの奈良線の新線と接続され同線に編入されたため、稲荷駅は奈良線の駅となった。<br /><br />相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。コンクリート造りの駅舎は1935年(昭和10年)に竣工したもの。伏見稲荷大社の最寄り駅ということで、駅の柱が一部朱色に塗られているのが南北の踏切から見える。<br /><br />駅舎の左手には1879年(明治12年)築のランプ小屋がある。この小屋は石油ランプが使用されていた当時の信号灯や灯油などの収納施設で、現存する鉄道関係施設としては日本最古のものとして準鉄道記念物に指定されている。内部には稲荷駅や奈良線に関する備品類が収蔵されている。なお建築年については1900年(明治33年)とする異説もある。<br /><br />さらにその隣に建つ石碑は1971年に建てられたもので、「汽笛一声新橋を」で知られる鉄道唱歌の45番の後半、「赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山」が彫られている。なお、前半は「大石良雄が山科の その隠家はあともなし」。<br /><br />そこから南に進むとJR奈良線が南東に方向を変えて踏切となるが、この踏切の前にあるのが光明山摂取院の腹帯地蔵尊。摂取院は浄土宗鎮西派の寺で江戸初期の1608年創建。もともとは現在の場所よりも少し北のJR駅舎付近にあったのが、1878年(明治11年)に東海道線建設のために現在地に移った。お寺自体は普段は非公開。腹帯地蔵尊は平安時代後期の作で、京都府の指定文化財に指定されている。<br /><br />踏切を渡り、西に進んでススハキ橋で鴨川運河に戻る。1925年(大正14年)竣工の橋で名前は町名から来ている。ススハキは濯ぐの意で、この辺りを流れていた祓川で身を清めたことに由来しているようだ。深草ススハキ町の北の北に深草秡川町がある。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6061515287251778&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />ススハキ橋からさらに南に進むが、続く

京都 琵琶湖疏水 鴨川運河3(Kamogawa Canal, Biwako Canal, Kyoto, JP)

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2020/12/10 - 2020/12/10

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年12月10日(木)12時半過ぎ、鴨川運河を南に歩き、東山区から伏見区の深草に入り、横縄橋から運河の右岸を辿ると赤い欄干の橋が見えてくる(下の写真1)。1961年(昭和36年)竣工の稲荷橋。伏見稲荷へのメインストリートに架かる橋。1970年まではこの橋の南側、広くなっているところは京都市電稲荷線の終着駅、稲荷電停だった。1904年(明治37年)京都電気鉄道伏見線支線として開業し、1918年(大正7年)に京都市電稲荷線となった。

現在の第2京阪の鴨川西ICの近くの鴨川に架かる勧進橋の南で市電伏見線から分岐する、京都市電では唯一の全線専用軌道だった。現在は竹田街道と師団街道の間は道路となっている(稲荷新道の1本南)。伏見線の支線としての色合いが濃く、戦時体制下を除いて、全ての列車は伏見線へ直通していた。毎年正月三が日には伏見稲荷大社への初詣客で混雑したそうだ。そりゃそうだろ。

廃線後、稲荷駅から橋の西側の線路跡は京阪を挟んで稲荷公園と稲荷児童公園になっている。廃止から約50年が経過した2020年1月に公園の改修工事に伴って、地下に埋まっていた線路が露出している(写真なし)。

橋から道の西側を見ると京阪本線の踏切が見え、この踏切の北側に伏見稲荷駅がある。1910年(明治43年)4月の京阪本線開通時に稲荷新道駅として開業したが、12月に稲荷駅に改称された。これは開通時には現在の龍谷大前深草駅の方が表参道に近いと云うことで稲荷駅としたのだが、この駅からの新道を通るのがメインになったためこちらを稲荷駅とし、それまでの稲荷駅は深草駅に改称した。その後稲荷神社前駅となり、さらに1948年(昭和23年)に伏見稲荷大社が現在名に改称されたのに合わせて現駅名となった。

12時半を過ぎたので、ここで昼食にする。稲荷公園の少し南にあるいなり 名代 道八。開業して70余年の老舗。名物と謳っているいなりうどん、670円を戴く。稲荷山を表すかまぼこ、お稲荷さんのお使いであるきつねがくわえる玉(宝珠)を表す玉子ときつねの大好物、甘く炊いたおあげさんが入っており、うまかった。

1時10分過ぎ、再び歩き始める。稲荷橋を渡りJR奈良線の踏切を渡った南側にいなり煎餅の店、いな里屋本家(下の写真2)があるので、ここでお土産購入(下の写真3)。この稲荷新道沿いにはいなり煎餅さんが4軒あるが、そのうちの1軒。京阪から稲荷橋の間に宝玉堂と松屋、さらにこの道を東に進んで裏参道の鳥居を抜けた先にいなりやがある。いずれの店も発祥とか元祖とか名乗っているが、このいなり煎餅自体の歴史はさほど古くない。昭和初期に岐阜県で味噌煎餅を作っていた方が伏見にやって来て白味噌入りの煎餅を作ったのが起源。

いな里屋本家の東、奈良街道を南に折れて少し進むと伏見稲荷大社の正面に出る。創建は奈良時代初期の711年と云われる全国に約3万社ある稲荷神社の総本社。朱色の鳥居が立ち並ぶ千本鳥居など外国人にも超人気のスポット。ここは以前にお参りしたことあるので、今回はスキップ。

伏見稲荷の一番鳥居のすぐ前、南にあるのがJR奈良線稲荷駅。1879年(明治12年)に後に東海道本線となる京都駅・大谷駅(現在の京阪京津線大谷駅の近くにあった駅で、今はない)間の鉄道が開業した際に開設された。翌年には大谷から大津まで延伸、1889年(明治22年)には新橋駅・神戸駅間が全通し東海道本線の駅となった。

1921年(大正10年)に東海道本線の馬場駅(現在の膳所駅)・京都駅間が新逢坂山トンネル・東山トンネル経由の現在線に切り替えられ、同時に残る京都駅・稲荷駅間が桃山駅からの奈良線の新線と接続され同線に編入されたため、稲荷駅は奈良線の駅となった。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。コンクリート造りの駅舎は1935年(昭和10年)に竣工したもの。伏見稲荷大社の最寄り駅ということで、駅の柱が一部朱色に塗られているのが南北の踏切から見える。

駅舎の左手には1879年(明治12年)築のランプ小屋がある。この小屋は石油ランプが使用されていた当時の信号灯や灯油などの収納施設で、現存する鉄道関係施設としては日本最古のものとして準鉄道記念物に指定されている。内部には稲荷駅や奈良線に関する備品類が収蔵されている。なお建築年については1900年(明治33年)とする異説もある。

さらにその隣に建つ石碑は1971年に建てられたもので、「汽笛一声新橋を」で知られる鉄道唱歌の45番の後半、「赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山」が彫られている。なお、前半は「大石良雄が山科の その隠家はあともなし」。

そこから南に進むとJR奈良線が南東に方向を変えて踏切となるが、この踏切の前にあるのが光明山摂取院の腹帯地蔵尊。摂取院は浄土宗鎮西派の寺で江戸初期の1608年創建。もともとは現在の場所よりも少し北のJR駅舎付近にあったのが、1878年(明治11年)に東海道線建設のために現在地に移った。お寺自体は普段は非公開。腹帯地蔵尊は平安時代後期の作で、京都府の指定文化財に指定されている。

踏切を渡り、西に進んでススハキ橋で鴨川運河に戻る。1925年(大正14年)竣工の橋で名前は町名から来ている。ススハキは濯ぐの意で、この辺りを流れていた祓川で身を清めたことに由来しているようだ。深草ススハキ町の北の北に深草秡川町がある。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6061515287251778&type=1&l=223fe1adec


ススハキ橋からさらに南に進むが、続く

  • 写真1 稲荷橋とJR奈良線

    写真1 稲荷橋とJR奈良線

  • 写真2 いな里屋本家

    写真2 いな里屋本家

  • 写真3 いなり煎餅

    写真3 いなり煎餅

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