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2020年11月13日(金)1時40分過ぎ、琵琶湖疏水第一トンネルの琵琶湖側入口の手前で待望のびわ湖疏水船に乗船。春ならば桜に囲まれて乗船っていいだろうなあ。まあ、この季節の色付き始めてる紅葉もいいけど。<br /><br />席は6席が背中向かいになっており、定員12人。1人づつ呼ばれて奥から乗船。グループは出来るだけ背中合わせにはならないように配慮してくれてるようで、我々は左岸側に並んで座る。<br /><br />1時47分出発。これからちょうど1時間のクルーズが始まる。大津閘門から蹴上船溜まで約7.8㎞を下るが、始点から終点までの高低差はわずか3.4mに過ぎず、平均二千分の一の緩勾配で造られている。現代のような精巧な測量器械のない時代に、正確な勾配を計算して造られているのは素晴らしい。<br /><br />出発するとすぐに第一トンネルに入る。第一トンネルは全長2436mで、長等山(ながらやま)を貫いているので長等山トンネルとも呼ばれる。完成当時の日本最長だった京都~大津間の鉄道の逢坂山トンネルの4倍の全長があった。長等山は硬い岩石でできており、このトンネル工事は疏水工事における最大の難関だった。不意に大量の水が吹き出したり、土砂崩れで作業員が閉じ込められたり困難を極めた。<br /><br />琵琶湖疏水には扁額と呼ばれる門戸や室内などに掲げる横に長い額が数多く掲げられているが、この第一トンネル東口洞門には「気象萬千(きしょうばんせん)」の扁額。初代でかつ工事起工時の内閣内閣総理大臣伊藤博文の揮毫(きごう)。宗・岳陽楼記の一節から引用されたもので、「琵琶湖の様々に変化する風景は素晴らしい」という意味。扁額の上の段に、見え難いが2段で「Sakuro Tanabe, Dr.Eng., Engineer-in-chief」「 Works Commenced August 1885, Completed Aprl 1890」とあるが、これはこの疏水の設計監督の田邊朔郎を称えたもの。トンネルの両脇に見える、茶色い柱のような物は、開け放たれた扉。<br /><br />トンネルはコンクリート製で真っ直ぐに伸びているので、遥か先に出口の明かりが見える。100メートル置きに距離の表示板がある。右手上部にあるのは電話線で下のは普通のロープ。このロープは船を引くために使われていたもの(下の写真1)。上りの時に利用された。今の船はエンジン付きなので、使われてない。このトンネルを掘って出た土砂は、琵琶湖の埋め立てに使われた。疏水の取水口近くにあるびわこ競艇場は、ここの土砂を埋め立てて造られている。<br /><br />中間点を過ぎたあたりに、当時の京都府知事北垣国道揮毫の扁額。縦書き2段で「寶祚無窮(ほうそむきゅう)」。「皇位は永遠である」との意味で、天皇の御代の続くことを願い、国家の泰平と繁栄を詠った。<br /><br />さらに進むと写真はないが、白い板に「JR」とある。疏水の上を1974年に開通したJR湖西線の長等山トンネルが横切っている。最も接近する部分では湖西線下り線と第1疏水との距離がわずか6.43mしかないため、1968年にJRのトンネル工事に先立って交差する付近200mの古いレンガ巻を取り壊しコンクリート巻にする等の改築補強工事が行われた。また、JRのトンネル掘削は、疏水トンネルの振動を計測しながら慎重に行われた。<br /><br />そのすぐ先、トンネルの上から結構な水が落ちてきている。結構な量(下の写真2)。これは第一竪坑から落ちてきている。第一トンネルは東西から掘り進めたのだが、全長が長いので、途中に竪坑(シャフト)を掘り、そこからも掘り始めた。鉱山以外では日本で初めての工法だった。4方向掘削となり、少しでも角度が狂えば掘り進めた坑が合流することが出来なくなるが、その誤差は数㎜だった。<br /><br />この竪坑掘削工事は想定以上の岩盤の硬さと、湧水を人力で汲み上げるなどの人力に頼らざるを得なかった当時の技術が原因の過酷な重労働となり、出水事故などもあり工事は難航。ポンプ主任の自殺を発端として事故などで殉職者が多発し、その数は病死者や下請けを含まず17人を数えた。結局196日間掛かって47mの竪坑が完成した。蹴上船溜横の公園にこの工事による殉職者への慰霊碑が立てられている。<br /><br />現在は通風孔の役目を担っている。真下で写真を撮ったが、ピントが船の屋根の水滴に合ってしまい、何の写真かよう分からん(下の写真3)。<br /><br />なお、第2竪坑がトンネル西口の200mほど手前にあるが、これに付いては特にガイドはなかった。第2竪坑は西口出口の採光、換気のためのものとのこと。<br /><br />2時5分、第一トンネルを出る。紅葉には早いかと思っていたが、十分。いや美しい(下の写真4)。振り返ると洞門には第1疏水完成時の内閣総理大臣山縣有朋揮毫の扁額(下の写真5)。「廓其有容(かくとしてそれいるるところあり)」とは「疏水をたたえる大地は、奥深く広々としている」という意味。悠久の水をたたえ、悠然とした疏水のひろがりは大きな人間の器量を表している。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4900116603391658&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />この少し先で大津市から疏水は京都市に入るが、続く

滋賀 大津 琵琶湖疏水 第一トンネル(1st Tonnel, Biwako Canal, Otsu, Shiga, JP)

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2020/11/13 - 2020/11/13

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旅行記グループ 琵琶湖疏水

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年11月13日(金)1時40分過ぎ、琵琶湖疏水第一トンネルの琵琶湖側入口の手前で待望のびわ湖疏水船に乗船。春ならば桜に囲まれて乗船っていいだろうなあ。まあ、この季節の色付き始めてる紅葉もいいけど。

席は6席が背中向かいになっており、定員12人。1人づつ呼ばれて奥から乗船。グループは出来るだけ背中合わせにはならないように配慮してくれてるようで、我々は左岸側に並んで座る。

1時47分出発。これからちょうど1時間のクルーズが始まる。大津閘門から蹴上船溜まで約7.8㎞を下るが、始点から終点までの高低差はわずか3.4mに過ぎず、平均二千分の一の緩勾配で造られている。現代のような精巧な測量器械のない時代に、正確な勾配を計算して造られているのは素晴らしい。

出発するとすぐに第一トンネルに入る。第一トンネルは全長2436mで、長等山(ながらやま)を貫いているので長等山トンネルとも呼ばれる。完成当時の日本最長だった京都~大津間の鉄道の逢坂山トンネルの4倍の全長があった。長等山は硬い岩石でできており、このトンネル工事は疏水工事における最大の難関だった。不意に大量の水が吹き出したり、土砂崩れで作業員が閉じ込められたり困難を極めた。

琵琶湖疏水には扁額と呼ばれる門戸や室内などに掲げる横に長い額が数多く掲げられているが、この第一トンネル東口洞門には「気象萬千(きしょうばんせん)」の扁額。初代でかつ工事起工時の内閣内閣総理大臣伊藤博文の揮毫(きごう)。宗・岳陽楼記の一節から引用されたもので、「琵琶湖の様々に変化する風景は素晴らしい」という意味。扁額の上の段に、見え難いが2段で「Sakuro Tanabe, Dr.Eng., Engineer-in-chief」「 Works Commenced August 1885, Completed Aprl 1890」とあるが、これはこの疏水の設計監督の田邊朔郎を称えたもの。トンネルの両脇に見える、茶色い柱のような物は、開け放たれた扉。

トンネルはコンクリート製で真っ直ぐに伸びているので、遥か先に出口の明かりが見える。100メートル置きに距離の表示板がある。右手上部にあるのは電話線で下のは普通のロープ。このロープは船を引くために使われていたもの(下の写真1)。上りの時に利用された。今の船はエンジン付きなので、使われてない。このトンネルを掘って出た土砂は、琵琶湖の埋め立てに使われた。疏水の取水口近くにあるびわこ競艇場は、ここの土砂を埋め立てて造られている。

中間点を過ぎたあたりに、当時の京都府知事北垣国道揮毫の扁額。縦書き2段で「寶祚無窮(ほうそむきゅう)」。「皇位は永遠である」との意味で、天皇の御代の続くことを願い、国家の泰平と繁栄を詠った。

さらに進むと写真はないが、白い板に「JR」とある。疏水の上を1974年に開通したJR湖西線の長等山トンネルが横切っている。最も接近する部分では湖西線下り線と第1疏水との距離がわずか6.43mしかないため、1968年にJRのトンネル工事に先立って交差する付近200mの古いレンガ巻を取り壊しコンクリート巻にする等の改築補強工事が行われた。また、JRのトンネル掘削は、疏水トンネルの振動を計測しながら慎重に行われた。

そのすぐ先、トンネルの上から結構な水が落ちてきている。結構な量(下の写真2)。これは第一竪坑から落ちてきている。第一トンネルは東西から掘り進めたのだが、全長が長いので、途中に竪坑(シャフト)を掘り、そこからも掘り始めた。鉱山以外では日本で初めての工法だった。4方向掘削となり、少しでも角度が狂えば掘り進めた坑が合流することが出来なくなるが、その誤差は数㎜だった。

この竪坑掘削工事は想定以上の岩盤の硬さと、湧水を人力で汲み上げるなどの人力に頼らざるを得なかった当時の技術が原因の過酷な重労働となり、出水事故などもあり工事は難航。ポンプ主任の自殺を発端として事故などで殉職者が多発し、その数は病死者や下請けを含まず17人を数えた。結局196日間掛かって47mの竪坑が完成した。蹴上船溜横の公園にこの工事による殉職者への慰霊碑が立てられている。

現在は通風孔の役目を担っている。真下で写真を撮ったが、ピントが船の屋根の水滴に合ってしまい、何の写真かよう分からん(下の写真3)。

なお、第2竪坑がトンネル西口の200mほど手前にあるが、これに付いては特にガイドはなかった。第2竪坑は西口出口の採光、換気のためのものとのこと。

2時5分、第一トンネルを出る。紅葉には早いかと思っていたが、十分。いや美しい(下の写真4)。振り返ると洞門には第1疏水完成時の内閣総理大臣山縣有朋揮毫の扁額(下の写真5)。「廓其有容(かくとしてそれいるるところあり)」とは「疏水をたたえる大地は、奥深く広々としている」という意味。悠久の水をたたえ、悠然とした疏水のひろがりは大きな人間の器量を表している。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4900116603391658&type=1&l=223fe1adec


この少し先で大津市から疏水は京都市に入るが、続く

  • 写真1 第一トンネル内部

    写真1 第一トンネル内部

  • 写真2 第一竪坑の水

    写真2 第一竪坑の水

  • 写真3 第一竪坑を下から

    写真3 第一竪坑を下から

  • 写真4 第一トンネル西口を出る

    写真4 第一トンネル西口を出る

  • 写真5 第一トンネル西口洞門

    写真5 第一トンネル西口洞門

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