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2020年10月28日(水)の昼のちょうど1時頃、琵琶湖疏水の鴨東(おうとう)運河の鴨川への放水口、鴨川出合から疏水の南に並走する冷泉通を東に歩き始める。冷泉は「れいせん」と読む(下の写真1)が、古くは「れいぜい」で、藤原定家の孫にあたる為相(ためすけ)を祖とする冷泉家の読みも「れいぜい」。この通りの名前も未だに「れいぜい」と呼ぶ人もおられるそうだ。余談だが、九州の福岡に冷泉町があり、これも正式な読みは「れいせん」なのだが、年配の方の中には「れいぜん」と呼ぶ方がおられるそうだ。微妙に違うのが面白い。<br /><br />いずれにせよ、平安時代初期の嵯峨天皇の譲位後の後院であった冷然院(れいぜんいん)が由来。火災による焼失と再建を繰り返したことから「然」の字が「燃」に通じ不吉であるとされて、954年の再建の際に冷泉院に改称された。現在の二条城の北東部分にあり、その東西の通りが冷泉小路だった。<br /><br />江戸時代になると、この冷泉小路は冷泉通から夷川(えびすがわ)通と呼ばれるようになり、やがて冷泉通と云う名は忘れられていった。現在の冷泉通は明治に入ってからの京都復権事業に伴って生まれた道で、この時、鴨川の西、寺町通から西に残る夷川通と同じような位置に続く道と云うことで、忘れられていた名前を復活させた。<br /><br />通りは、田辺橋の袂から琵琶湖疏水の南側から西側を走り、冷泉橋で疏水を渡り、平安神宮の応天門前を抜けて少し北に曲がりながら白川通も越えて、琵琶湖疏水分線沿いの哲学の道の南端まで長く続く。<br /><br />田辺橋から西に300m足らず進むと夷川水力発電所(夷川ダム)の放水口。この発電所は1914年(大正3年)、第2疏水完成の2年後に市営の発電所として運転を開始した。1942年に関西電力所有の無人発電所となり、現在でも発電を続けている。落差は3.4m、最大出力は300kW。放水口の左側にはダムの上・下流の水面差を船が運行できるようにした閘門がある(下の写真2)。<br /><br />そのダムと閘門の上流側が夷川水力発電所だが、並んで京都市の上下水道局疏水事務所があり、その南東の角に建つのが北垣国道(くにみち)の銅像。北垣国道は1881年(明治14年)から1892年(明治25年)まで第三代の京都府知事を務め、東京遷都による京都再生のため琵琶湖疏水を計画し、広く市民にその有用性を説いて1890年(明治23年)に完成させた。<br /><br />発電、運河、灌漑、飲料水、防火、工業などその水利の効用はきわめて大きく、その功績を称えて市参事会の議決により1902年(明治35年)にこの地に銅像が建立されたのだが、第2次世界大戦中の金属供出のため撤去され、台座のみ残されていた。現在の像は、1990年に琵琶湖疏水100周年記念事業の一つとして再建されたもの。<br /><br />発電所と疏水事務所は、夷川ダムと閘門で堰き止められた夷川舟溜に西から東に向けて突き出している。ここは1890年の琵琶湖疏水完成時に竣工式が行われたところ。疏水沿川で最大の舟溜で、当初は荷揚げ場や船の停泊地として使用されたが、1896年(明治29年)からは水泳場となり、毎年8月には水泳大会が開催されていた(下の写真3)。<br /><br />水泳場としての利用は戦争を挟んで続いたが、1966年に太秦の山之内浄水場の取水口となって、利用範囲が制限されるようになり、さらに水質汚染が進んだことで1969年に京都市衛生局によって利用禁止され、その歴史を閉じた。現在の夷川舟溜は桜のシーズンに運行されるお花見クルーズ「岡崎さくら回廊十石舟めぐり」の折り返し点になっている。<br /><br />また、この辺りは平安時代後期の1095年頃に白河上皇が白川南殿を造営した場所でもある。白河上皇は第72代天皇で、1073年に即位したが、1087年33歳で息子の堀河天皇に譲位して上皇となり(1096年に出家して法皇となる)、さらには1107年の堀河天皇の崩御後の孫の鳥羽天皇時代もこの御殿で院政をふるった。平清盛の父とも云われる人物で、2012年のNHKの大河ドラマでは伊東四朗さんが演じた。<br /><br />ここで昼食。舟溜の南側、多分白川南殿があったと思われるところ、冷泉通に面してある鴨弘。1988年に割烹料理の店としてオープンした店で、長らく都であったことに由来する伝統・文化を大事にした京人料理を掲げて割烹料理を提供されている。ひるどきに出されるタンシチューやハヤシライス、天ざるもリーズナブルでうまいと云うことで、この日は税込み800円のハヤシライスを戴いた。たっぷりの玉ねぎが甘くて美味しい。カツ2切れ乗ってボリュームもいっぱいで満足。<br /><br />1時半過ぎ、お昼を終えて散策を再開。来た道を少し戻り、夷川ダムの下流に架かる秋月橋を渡る(下の写真4)。1966年竣工。アニメ化された京大出身の作家、森見登美彦さんの小説「有頂天家族」でこの辺りは舞台になっており、この橋もでかい招き猫が登場したシーンの舞台として聖地になっている。橋の北側に発電所と疏水事務所の入口があるが、関係者以外は入れないので北垣さんの銅像のところには行けない(下の写真5)。<br /><br />舟溜の北側は建物が立て込んでいるので、その北側の竹屋町通を東に進む。竹屋町通は東は平安神宮西端の桜馬場通から西は千本通まで、一部鴨川などで分断されながら続く東西の通りで、鴨川から東は東竹屋町通と呼ばれることもある。平安京の大炊御門大路(おおいのみかどおおじ)にあたり、江戸時代に堀川近辺に竹細工を扱う竹屋が多かったのが通り名の由来。<br /><br />少し進むと京都徳力版画館まつ九がある(下の写真6)。全く知らなかったが、京版画の第一人者、2000年に亡くなられた徳力富吉郎氏が98年の生涯で集めた古版画や、生み出した作品が展示されている。徳力家は代々西本願寺絵所の家系で富吉郎氏は12代目。この地に住居を置かれ、アトリエで創作にいそしまれたそうだ。<br /><br />徳力版画館の反対側(北側)に建つビルは京都踏水会(下の写真7)。92年のバルセロナ五輪シンクロ競技で銅メダルを獲得した奥野史子選手や96年アトランタ五輪、00年シドニー五輪、04年アテネ五輪と3大会連続でメダルを獲得(銅、銀、銀)した立花美哉選手や武田美保選手など多くのシンクロ選手を輩出したスイミングスクール。<br /><br />1896年に夷川舟溜で水泳場を始めた大日本武徳会遊泳部の流れを汲んで1952年に設立。1968年に温水プールを現在地に建てた。現在のプール(ビル)は2016年に竣工したもの。シンクロだけでなく、競泳やトライアスロン、水球でも五輪選手を輩出している。<br /><br />竹屋町通から夷川舟溜の東岸を南に進み(下の写真8)、疏水に沿って東に進むと熊野橋。1923年竣工のモニエ式の橋で全国的に珍しい。2017年に老巧化修繕が行われた。西に夷川ダム・閘門に北垣国道銅像(下の写真9)、東は東大路通に架かる徳政橋からその先には東山連峰が望める(下の写真10)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4793001300769856&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />熊野神社に向かうが続く

京都 岡崎 鴨東運河 夷川舟溜(Ebisugawa Harbor, Oto Canal, Okazaki, Kyoto, JP)

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2020/10/28 - 2020/10/28

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年10月28日(水)の昼のちょうど1時頃、琵琶湖疏水の鴨東(おうとう)運河の鴨川への放水口、鴨川出合から疏水の南に並走する冷泉通を東に歩き始める。冷泉は「れいせん」と読む(下の写真1)が、古くは「れいぜい」で、藤原定家の孫にあたる為相(ためすけ)を祖とする冷泉家の読みも「れいぜい」。この通りの名前も未だに「れいぜい」と呼ぶ人もおられるそうだ。余談だが、九州の福岡に冷泉町があり、これも正式な読みは「れいせん」なのだが、年配の方の中には「れいぜん」と呼ぶ方がおられるそうだ。微妙に違うのが面白い。

いずれにせよ、平安時代初期の嵯峨天皇の譲位後の後院であった冷然院(れいぜんいん)が由来。火災による焼失と再建を繰り返したことから「然」の字が「燃」に通じ不吉であるとされて、954年の再建の際に冷泉院に改称された。現在の二条城の北東部分にあり、その東西の通りが冷泉小路だった。

江戸時代になると、この冷泉小路は冷泉通から夷川(えびすがわ)通と呼ばれるようになり、やがて冷泉通と云う名は忘れられていった。現在の冷泉通は明治に入ってからの京都復権事業に伴って生まれた道で、この時、鴨川の西、寺町通から西に残る夷川通と同じような位置に続く道と云うことで、忘れられていた名前を復活させた。

通りは、田辺橋の袂から琵琶湖疏水の南側から西側を走り、冷泉橋で疏水を渡り、平安神宮の応天門前を抜けて少し北に曲がりながら白川通も越えて、琵琶湖疏水分線沿いの哲学の道の南端まで長く続く。

田辺橋から西に300m足らず進むと夷川水力発電所(夷川ダム)の放水口。この発電所は1914年(大正3年)、第2疏水完成の2年後に市営の発電所として運転を開始した。1942年に関西電力所有の無人発電所となり、現在でも発電を続けている。落差は3.4m、最大出力は300kW。放水口の左側にはダムの上・下流の水面差を船が運行できるようにした閘門がある(下の写真2)。

そのダムと閘門の上流側が夷川水力発電所だが、並んで京都市の上下水道局疏水事務所があり、その南東の角に建つのが北垣国道(くにみち)の銅像。北垣国道は1881年(明治14年)から1892年(明治25年)まで第三代の京都府知事を務め、東京遷都による京都再生のため琵琶湖疏水を計画し、広く市民にその有用性を説いて1890年(明治23年)に完成させた。

発電、運河、灌漑、飲料水、防火、工業などその水利の効用はきわめて大きく、その功績を称えて市参事会の議決により1902年(明治35年)にこの地に銅像が建立されたのだが、第2次世界大戦中の金属供出のため撤去され、台座のみ残されていた。現在の像は、1990年に琵琶湖疏水100周年記念事業の一つとして再建されたもの。

発電所と疏水事務所は、夷川ダムと閘門で堰き止められた夷川舟溜に西から東に向けて突き出している。ここは1890年の琵琶湖疏水完成時に竣工式が行われたところ。疏水沿川で最大の舟溜で、当初は荷揚げ場や船の停泊地として使用されたが、1896年(明治29年)からは水泳場となり、毎年8月には水泳大会が開催されていた(下の写真3)。

水泳場としての利用は戦争を挟んで続いたが、1966年に太秦の山之内浄水場の取水口となって、利用範囲が制限されるようになり、さらに水質汚染が進んだことで1969年に京都市衛生局によって利用禁止され、その歴史を閉じた。現在の夷川舟溜は桜のシーズンに運行されるお花見クルーズ「岡崎さくら回廊十石舟めぐり」の折り返し点になっている。

また、この辺りは平安時代後期の1095年頃に白河上皇が白川南殿を造営した場所でもある。白河上皇は第72代天皇で、1073年に即位したが、1087年33歳で息子の堀河天皇に譲位して上皇となり(1096年に出家して法皇となる)、さらには1107年の堀河天皇の崩御後の孫の鳥羽天皇時代もこの御殿で院政をふるった。平清盛の父とも云われる人物で、2012年のNHKの大河ドラマでは伊東四朗さんが演じた。

ここで昼食。舟溜の南側、多分白川南殿があったと思われるところ、冷泉通に面してある鴨弘。1988年に割烹料理の店としてオープンした店で、長らく都であったことに由来する伝統・文化を大事にした京人料理を掲げて割烹料理を提供されている。ひるどきに出されるタンシチューやハヤシライス、天ざるもリーズナブルでうまいと云うことで、この日は税込み800円のハヤシライスを戴いた。たっぷりの玉ねぎが甘くて美味しい。カツ2切れ乗ってボリュームもいっぱいで満足。

1時半過ぎ、お昼を終えて散策を再開。来た道を少し戻り、夷川ダムの下流に架かる秋月橋を渡る(下の写真4)。1966年竣工。アニメ化された京大出身の作家、森見登美彦さんの小説「有頂天家族」でこの辺りは舞台になっており、この橋もでかい招き猫が登場したシーンの舞台として聖地になっている。橋の北側に発電所と疏水事務所の入口があるが、関係者以外は入れないので北垣さんの銅像のところには行けない(下の写真5)。

舟溜の北側は建物が立て込んでいるので、その北側の竹屋町通を東に進む。竹屋町通は東は平安神宮西端の桜馬場通から西は千本通まで、一部鴨川などで分断されながら続く東西の通りで、鴨川から東は東竹屋町通と呼ばれることもある。平安京の大炊御門大路(おおいのみかどおおじ)にあたり、江戸時代に堀川近辺に竹細工を扱う竹屋が多かったのが通り名の由来。

少し進むと京都徳力版画館まつ九がある(下の写真6)。全く知らなかったが、京版画の第一人者、2000年に亡くなられた徳力富吉郎氏が98年の生涯で集めた古版画や、生み出した作品が展示されている。徳力家は代々西本願寺絵所の家系で富吉郎氏は12代目。この地に住居を置かれ、アトリエで創作にいそしまれたそうだ。

徳力版画館の反対側(北側)に建つビルは京都踏水会(下の写真7)。92年のバルセロナ五輪シンクロ競技で銅メダルを獲得した奥野史子選手や96年アトランタ五輪、00年シドニー五輪、04年アテネ五輪と3大会連続でメダルを獲得(銅、銀、銀)した立花美哉選手や武田美保選手など多くのシンクロ選手を輩出したスイミングスクール。

1896年に夷川舟溜で水泳場を始めた大日本武徳会遊泳部の流れを汲んで1952年に設立。1968年に温水プールを現在地に建てた。現在のプール(ビル)は2016年に竣工したもの。シンクロだけでなく、競泳やトライアスロン、水球でも五輪選手を輩出している。

竹屋町通から夷川舟溜の東岸を南に進み(下の写真8)、疏水に沿って東に進むと熊野橋。1923年竣工のモニエ式の橋で全国的に珍しい。2017年に老巧化修繕が行われた。西に夷川ダム・閘門に北垣国道銅像(下の写真9)、東は東大路通に架かる徳政橋からその先には東山連峰が望める(下の写真10)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4793001300769856&type=1&l=223fe1adec


熊野神社に向かうが続く

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  • 写真1 冷泉通

    写真1 冷泉通

  • 写真2 夷川閘門

    写真2 夷川閘門

  • 写真3 水泳場として使われた辺り

    写真3 水泳場として使われた辺り

  • 写真4 秋月橋

    写真4 秋月橋

  • 写真5 発電所と疏水事務所の入口

    写真5 発電所と疏水事務所の入口

  • 写真6 京都徳力版画館まつ九

    写真6 京都徳力版画館まつ九

  • 写真7 京都踏水会

    写真7 京都踏水会

  • 写真8 夷川舟溜東岸

    写真8 夷川舟溜東岸

  • 写真9 熊野橋から夷川舟溜

    写真9 熊野橋から夷川舟溜

  • 写真10 熊野橋から東山

    写真10 熊野橋から東山

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