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2020年11月13日(金)1時半前、三井寺観光を終えて、朝京阪石坂線三井寺駅から三井寺に行く時に渡った北国橋の北詰にあるびわ湖疏水船乗下船場へ。びわ湖疏水船は1951年に姿を消していたが、2013年に京都市長及び大津市長の参加による船下り試乗会を行ったことを契機に、2014年から本格的な復活に向けた検討が始まった。その後、2015年から試行事業が実施され、2018年春に本格的な運航がスタートした。毎年、春と秋に約3か月づつ、大津と京都の蹴上間の上り・下り便が運行されている(ただし、2020年春はコロナ禍で9日しか運航されなかった)。試行事業の頃から乗ってみたかったのだが、まだフルタイムで働いてたので時間取れず、その後はジャマイカ派遣にコロナ禍で行けなかったので、やっと行けた。<br /><br />まずは、待合室で琵琶湖疏水やびわ湖疏水船のビデオを見て説明を聞く。琵琶湖疏水は琵琶湖と京都を結ぶ水路で、蹴上から鴨川、そして伏見で豪川を経て宇治川まで繋がっている。水道用水として使われるほか、水力発電、灌漑、下水の掃流、工業用水、防火用水にも使われ、さらに疏水を利用した水運も行われた。水力発電は通水の翌年に運転が開始され、営業用として日本初。その電力は日本初の電車(後の京都市電)を走らせるために利用され、さらに工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。<br /><br />1881年(明治14年)に第3代京都府知事に就任した北垣国道(くにみち)が、幕末の禁門の変で市中の多くが焼け、明治維新と東京奠都に伴い人口が減少し、産業も衰退した京都の勧業政策として計画。主任技術者として工部大学校(現在の東大工学部の前身)を卒業したばかりの田邉朔郎(さくろう)を任じ、設計監督にあたらせた。<br /><br />琵琶湖三保ヶ崎の取水口から鴨川合流点までの第1疏水が1885年に着工し、1890年に完成。同時期に蹴上から北上し、高野川、鴨川を越えて堀川の支流の小川(こかわ)に達する疏水分線も完成した。現在はこの小川はなくなり、分線の全長は約8.4㎞あったのが、半分以下の3.3㎞になっている。<br /><br />ついで、鴨川分岐から伏見の豪川までの鴨川運河が1894年に完成。さらに第1疏水で賄いきれない電力需要に対応すると共に、新設する近代上水道のための水源として、第1疏水取水口のすぐ北から蹴上までの第2疏水が1908年(明治41年)に着工され、1912年(明治45年)に完成した。第1疏水の北側にほぼ平行して建設され、水道水源として汚染を防ぐため全線を掘抜きトンネル又は鉄筋コンクリートの埋立てトンネルとしている。<br /><br />貨物運輸は、大津からの下りは米・砂利・薪炭・木材・煉瓦など、伏見からの上りでは薪炭などが運ばれたが、鉄道の発展により衰退し1936年に廃止される。その後、第2次大戦中に下り運航のみ再開されたが、戦後の1948年に蹴上インクラインが運転を停止。最後の貨物は1951年9月で、大津から山科まで運ばれた4.5トンの砂利だった。<br /><br />旅客運送は大津・蹴上の下りが約1時間20分、上りは約2時間20分掛かった。1911年には渡航およそ13万人を数えたが、翌年8月の現京阪京津線開業で一気に1/3程度に減少した。さらに、1915年に京阪本線が三条まで延長され、大津・京都市内・伏見が電車で直結されると3万人台になり、渡航船会社は廃業した。戦後の1951年に新会社が設立され屋形船が姿を現したが、すぐに第1疏水取入口改造工事のため運航を停止した。<br /><br />1963年に鴨川運河の四条・団栗間に駐車場が建設され、水運の機能は実質的に停止、以後は生洲(いけす)船や屋形船を使った料亭が見られるだけとなっていた。<br /><br />10分ほどでビデオと説明が終わると、ガイドさん登場。乗船時の注意などを聞く。ガイドの自称トムさん(下の写真1)、さすがに話がうまい。クルーズガイドなので、トム・クルーズだそうだ。<br /><br />トムさんの先導で埠頭に移動するが、この場所、大津閘門(こうもん)の説明がある。疏水は湖水の増減にかかわらず一定の水量を送ることができるように、水面を1883年に起きた大渇水の湖面水位よりも低く設定した。しかし、そのままでは必要以上の水が疏水に流れ込むため、水量調整が必要となった。しかし、堰を設置すると船が航行できなくなるため、これを解消するために閘門が建設された。1889年完成。主要部の構造は煉瓦造りで、琵琶湖側に船を通行させる水門を設け、下流の山側に堰門(制水門)を設けている。<br /><br />ちなみに琵琶湖からこの第1疏水への流入口は北国橋から約300m、京阪石坂線の三井寺駅からなら約150m東で、旧国道161号線(現在は滋賀県道5558号線)の西に琵琶湖第一疏水揚水機場がある。ここまでは行ってないが、この揚水機場は水源たる琵琶湖が設定水位以下に低下した際、ポンプを動かして疏水の流量を確保するためのもの。この流入口から第一トンネル入口までの約700mは大津運河とも呼ばれる。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4900106980059287&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />水門を渡って疏水左岸を下り、少し下流にある埠頭に進む(下の写真2)。閘門の西側の鹿関(かせき)橋は1928年(昭和3年)に架けられた石橋で、ここからの疏水際の桜並木の眺めは素晴らしい。私も9年前(2012年)の桜の季節に来たことがあるが、見事だった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.315668405169857&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />いよいよ乗船だが、続く

滋賀 大津 琵琶湖疏水 大津運河(Otsu Canal Area, Biwako Canal, Otsu, Shiga, JP)

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2020/11/13 - 2020/11/13

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年11月13日(金)1時半前、三井寺観光を終えて、朝京阪石坂線三井寺駅から三井寺に行く時に渡った北国橋の北詰にあるびわ湖疏水船乗下船場へ。びわ湖疏水船は1951年に姿を消していたが、2013年に京都市長及び大津市長の参加による船下り試乗会を行ったことを契機に、2014年から本格的な復活に向けた検討が始まった。その後、2015年から試行事業が実施され、2018年春に本格的な運航がスタートした。毎年、春と秋に約3か月づつ、大津と京都の蹴上間の上り・下り便が運行されている(ただし、2020年春はコロナ禍で9日しか運航されなかった)。試行事業の頃から乗ってみたかったのだが、まだフルタイムで働いてたので時間取れず、その後はジャマイカ派遣にコロナ禍で行けなかったので、やっと行けた。

まずは、待合室で琵琶湖疏水やびわ湖疏水船のビデオを見て説明を聞く。琵琶湖疏水は琵琶湖と京都を結ぶ水路で、蹴上から鴨川、そして伏見で豪川を経て宇治川まで繋がっている。水道用水として使われるほか、水力発電、灌漑、下水の掃流、工業用水、防火用水にも使われ、さらに疏水を利用した水運も行われた。水力発電は通水の翌年に運転が開始され、営業用として日本初。その電力は日本初の電車(後の京都市電)を走らせるために利用され、さらに工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。

1881年(明治14年)に第3代京都府知事に就任した北垣国道(くにみち)が、幕末の禁門の変で市中の多くが焼け、明治維新と東京奠都に伴い人口が減少し、産業も衰退した京都の勧業政策として計画。主任技術者として工部大学校(現在の東大工学部の前身)を卒業したばかりの田邉朔郎(さくろう)を任じ、設計監督にあたらせた。

琵琶湖三保ヶ崎の取水口から鴨川合流点までの第1疏水が1885年に着工し、1890年に完成。同時期に蹴上から北上し、高野川、鴨川を越えて堀川の支流の小川(こかわ)に達する疏水分線も完成した。現在はこの小川はなくなり、分線の全長は約8.4㎞あったのが、半分以下の3.3㎞になっている。

ついで、鴨川分岐から伏見の豪川までの鴨川運河が1894年に完成。さらに第1疏水で賄いきれない電力需要に対応すると共に、新設する近代上水道のための水源として、第1疏水取水口のすぐ北から蹴上までの第2疏水が1908年(明治41年)に着工され、1912年(明治45年)に完成した。第1疏水の北側にほぼ平行して建設され、水道水源として汚染を防ぐため全線を掘抜きトンネル又は鉄筋コンクリートの埋立てトンネルとしている。

貨物運輸は、大津からの下りは米・砂利・薪炭・木材・煉瓦など、伏見からの上りでは薪炭などが運ばれたが、鉄道の発展により衰退し1936年に廃止される。その後、第2次大戦中に下り運航のみ再開されたが、戦後の1948年に蹴上インクラインが運転を停止。最後の貨物は1951年9月で、大津から山科まで運ばれた4.5トンの砂利だった。

旅客運送は大津・蹴上の下りが約1時間20分、上りは約2時間20分掛かった。1911年には渡航およそ13万人を数えたが、翌年8月の現京阪京津線開業で一気に1/3程度に減少した。さらに、1915年に京阪本線が三条まで延長され、大津・京都市内・伏見が電車で直結されると3万人台になり、渡航船会社は廃業した。戦後の1951年に新会社が設立され屋形船が姿を現したが、すぐに第1疏水取入口改造工事のため運航を停止した。

1963年に鴨川運河の四条・団栗間に駐車場が建設され、水運の機能は実質的に停止、以後は生洲(いけす)船や屋形船を使った料亭が見られるだけとなっていた。

10分ほどでビデオと説明が終わると、ガイドさん登場。乗船時の注意などを聞く。ガイドの自称トムさん(下の写真1)、さすがに話がうまい。クルーズガイドなので、トム・クルーズだそうだ。

トムさんの先導で埠頭に移動するが、この場所、大津閘門(こうもん)の説明がある。疏水は湖水の増減にかかわらず一定の水量を送ることができるように、水面を1883年に起きた大渇水の湖面水位よりも低く設定した。しかし、そのままでは必要以上の水が疏水に流れ込むため、水量調整が必要となった。しかし、堰を設置すると船が航行できなくなるため、これを解消するために閘門が建設された。1889年完成。主要部の構造は煉瓦造りで、琵琶湖側に船を通行させる水門を設け、下流の山側に堰門(制水門)を設けている。

ちなみに琵琶湖からこの第1疏水への流入口は北国橋から約300m、京阪石坂線の三井寺駅からなら約150m東で、旧国道161号線(現在は滋賀県道5558号線)の西に琵琶湖第一疏水揚水機場がある。ここまでは行ってないが、この揚水機場は水源たる琵琶湖が設定水位以下に低下した際、ポンプを動かして疏水の流量を確保するためのもの。この流入口から第一トンネル入口までの約700mは大津運河とも呼ばれる。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4900106980059287&type=1&l=223fe1adec

水門を渡って疏水左岸を下り、少し下流にある埠頭に進む(下の写真2)。閘門の西側の鹿関(かせき)橋は1928年(昭和3年)に架けられた石橋で、ここからの疏水際の桜並木の眺めは素晴らしい。私も9年前(2012年)の桜の季節に来たことがあるが、見事だった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.315668405169857&type=1&l=223fe1adec


いよいよ乗船だが、続く

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  • 写真1 びわ湖疏水船スタッフ

    写真1 びわ湖疏水船スタッフ

  • 写真2 鹿関橋とクルーズ船、第一トンネル

    写真2 鹿関橋とクルーズ船、第一トンネル

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