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2020年10月28日(水)午後の2時20分過ぎ、琵琶湖疏水の鴨東運河に架かる冷泉橋から、運河を少し離れる。<br /><br />冷泉通を東に進むと北側に広がるのが平安神宮(下の写真1)。1895年(明治28年)3月に平安遷都1100年を期に市民の総社として、平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を主祭神として創建された。歴史ある神社仏閣がひしめく京都にあっては比較的新しい時代にできた神社。社殿は平安京の正庁、朝堂院が約8分の5の規模で再現されている。<br /><br />その後、1940年(昭和15年)に平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇を主祭神に加え、増改築と大修理が行われた。1975年からは主要な建物の屋根葺替が行われ、翌年放火で社殿の一部が炎上、焼失したが、1980年にその復興もあわせて完成し現在のような壮麗な社頭が整った。広大な敷地には、勇壮な社殿と長い歴史に培われた造園技術の粋を集めた庭園が広がっている。<br /><br />基本的に建築様式は、平安時代後期の1072年再建、1177年焼亡の朝堂院を再現したものとなっている。ただし、会昌門、朝堂12堂や應天門の楼閣などは復元されていない。また、社殿の瓦はすべて緑釉瓦となっているが、近年の研究によると平安時代の大極殿では軒先と棟部分だけにしか緑釉瓦は使われていなかったと推定されている。<br /><br />毎年10月22日に執り行われる時代祭は平安神宮の例大祭。神宮創建を祝して始められたもので、京都三大祭りの一つに数えられている。桓武天皇の平安京遷都を記念して、神宮から二基の神輿を京都御所まで神幸させて、建礼門前に仮設した行在所において祭典を執り行う。その日の午後、ふたたび平安神宮へ還御する際に、これら神輿の帰り道を先導する形で行われる風俗行列が有名。葵祭や祇園祭に比べると歴史は浅いが、平安時代から幕末までの各時代の首都であった京都でしかできない祭であり、京都民が主体となる住民あげての祭りとなっている。<br /><br />冷泉通の北側の應天門が入口。朝堂院の南面正門に当たり、現在の二条城の北西、千本二条辺りにあったものの復元。795年に建てられ、866年に応天門の変で放火され再建されたが、その後も焼失、再建を繰り返し、1177年の焼失以後は再建されなかった門。現在の門は平安神宮創建時に建てられたもので国の重文。元の門はこの倍近くの大きさだったってことだよな、すごい。<br /><br />正面の上の扁額は、元々のものは弘法大師(空海)の筆と云われており、「應」の字の1画を書き忘れたが、掲げた額を降ろさずに下から筆を投げつけて書き足したそうで、「弘法の投げ筆」と呼ばれる。また、この誤りから「弘法も筆の誤り」と云う諺が生まれた。書き忘れた1画は、一画目のまだれの上の点という説や下の「心」の頭の点という説など諸説あるようだ。現在の扁額は江戸時代から明治時代の書家、宮小路康文氏によるもの。<br /><br />門の手前の左側に手水舎があるが、元々は水が貯められているのを柄杓ですくう方式のものが、コロナ禍で流水式に変えられている。<br /><br />門を潜る(下の写真2)と、すぐ左手に天皇陛下御在位六十年記念碑が建つ。1987年に建立されたもので、昭和天皇が1985年の歌会始で詠まれた「遠つおやのしろしめしたる大和路の、歴史をしのびけふも旅ゆく」と云う旅の歌が刻まれている。<br /><br />また、門の左右には白虎手水鉢(西)と蒼龍手水鉢(東)があるが、こちらは水が抜かれていた。白虎、蒼龍は都の西と東を守護する神で、南の朱雀、北の玄武と共に四神相応(しじんそうおう)の都として平安京(京都)を守っている。<br /><br />それぞれの手水鉢の左右の奥に建つ殿舎は、朝廷の臣下や官人が出仕する際の控えとなった建物である朝集堂の再現で、白虎側が額殿、蒼龍側が神楽殿。1940年からの改修作業で増築されたもの(下の写真3)。<br /><br />應天門から正面奥に龍尾壇と呼ばれる境内を南北に仕切る石段がある。平安京時代に回廊だったものが柵付きの段差に変えられた(下の写真4)。龍尾壇を上がると左手に白虎楼、右手に蒼龍楼。どちらも屋根は、四方流れ・二重五棟の入母屋造・碧葺が施されている。共に平安神宮創建時に建てられたもので国の重文。<br /><br />白虎楼の横には日本庭園である神苑の入口がある。ここは入場料が必要。以前家族で入ったことがあり、今回はパス。明治から昭和にかけての名造園家である7代目・小川治兵衛(植治)が20年以上かけて造った名園で、国の名勝に指定されている。<br /><br />境内の真ん中奥は朝堂院の正殿である大極殿(だいごくでん)を模している。平安時代には即位や朝賀をはじめ主要な儀式が行われる国の中枢だった。大極とは、宇宙の本体・万物生成の根源を示す言葉。不動の指針である北極星に例えられ、天皇の坐す御殿を意味している。奥には内拝殿や本殿が配されている。左右の白虎楼、蒼龍楼に続く歩廊と併せて国の重文。<br /><br />大極殿の前には右近の橘と左近の桜。平安時代以降、紫宸殿の南階下の左右に植えられた木で、儀式の際に左右近衛府の官人がその側に列したことから名付けられた。橘はみかん類の中で唯一の野生種で、古くから不老長寿の妙薬として珍重された。桜は、清らかさを大事にする日本人の心を表すものとして日本の国花にもなっている。<br /><br />参拝を終え、應天門を出ると、真っ直ぐに続く神宮道の南300mほど先に大鳥居(下の写真5)。1929年(昭和4年)に、前年に京都で行われた昭和天皇の即位の礼を記念して造営された。高さ24.4mあり、朱の大鳥居としては日本有数の大きさを誇っており、国の登録有形文化財に登録されている。<br /><br />平安神宮の周辺は岡崎公園として整備されており、文化ゾーンになっている。大鳥居を挟んで西には京都府立図書館、京都国立近代美術館、京都市勧業館みやこめっせ、ロームシアター京都、東には京都市京セラ美術館、野球場、京都市動物園などがある。京都市京セラ美術館は、1933年(昭和8年)に公立美術館としては東京都美術館に次ぎ日本で2番目に開館。2020年のリニューアルに伴い京セラがネーミングライツを取得し、現在の名称となった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4797344933668826&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />鴨東運河にまた戻る

京都 岡崎 平安神宮(Heian-jingu Shrine, Okazaki, Kyoto, JP)

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2020/10/28 - 2020/10/28

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年10月28日(水)午後の2時20分過ぎ、琵琶湖疏水の鴨東運河に架かる冷泉橋から、運河を少し離れる。

冷泉通を東に進むと北側に広がるのが平安神宮(下の写真1)。1895年(明治28年)3月に平安遷都1100年を期に市民の総社として、平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を主祭神として創建された。歴史ある神社仏閣がひしめく京都にあっては比較的新しい時代にできた神社。社殿は平安京の正庁、朝堂院が約8分の5の規模で再現されている。

その後、1940年(昭和15年)に平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇を主祭神に加え、増改築と大修理が行われた。1975年からは主要な建物の屋根葺替が行われ、翌年放火で社殿の一部が炎上、焼失したが、1980年にその復興もあわせて完成し現在のような壮麗な社頭が整った。広大な敷地には、勇壮な社殿と長い歴史に培われた造園技術の粋を集めた庭園が広がっている。

基本的に建築様式は、平安時代後期の1072年再建、1177年焼亡の朝堂院を再現したものとなっている。ただし、会昌門、朝堂12堂や應天門の楼閣などは復元されていない。また、社殿の瓦はすべて緑釉瓦となっているが、近年の研究によると平安時代の大極殿では軒先と棟部分だけにしか緑釉瓦は使われていなかったと推定されている。

毎年10月22日に執り行われる時代祭は平安神宮の例大祭。神宮創建を祝して始められたもので、京都三大祭りの一つに数えられている。桓武天皇の平安京遷都を記念して、神宮から二基の神輿を京都御所まで神幸させて、建礼門前に仮設した行在所において祭典を執り行う。その日の午後、ふたたび平安神宮へ還御する際に、これら神輿の帰り道を先導する形で行われる風俗行列が有名。葵祭や祇園祭に比べると歴史は浅いが、平安時代から幕末までの各時代の首都であった京都でしかできない祭であり、京都民が主体となる住民あげての祭りとなっている。

冷泉通の北側の應天門が入口。朝堂院の南面正門に当たり、現在の二条城の北西、千本二条辺りにあったものの復元。795年に建てられ、866年に応天門の変で放火され再建されたが、その後も焼失、再建を繰り返し、1177年の焼失以後は再建されなかった門。現在の門は平安神宮創建時に建てられたもので国の重文。元の門はこの倍近くの大きさだったってことだよな、すごい。

正面の上の扁額は、元々のものは弘法大師(空海)の筆と云われており、「應」の字の1画を書き忘れたが、掲げた額を降ろさずに下から筆を投げつけて書き足したそうで、「弘法の投げ筆」と呼ばれる。また、この誤りから「弘法も筆の誤り」と云う諺が生まれた。書き忘れた1画は、一画目のまだれの上の点という説や下の「心」の頭の点という説など諸説あるようだ。現在の扁額は江戸時代から明治時代の書家、宮小路康文氏によるもの。

門の手前の左側に手水舎があるが、元々は水が貯められているのを柄杓ですくう方式のものが、コロナ禍で流水式に変えられている。

門を潜る(下の写真2)と、すぐ左手に天皇陛下御在位六十年記念碑が建つ。1987年に建立されたもので、昭和天皇が1985年の歌会始で詠まれた「遠つおやのしろしめしたる大和路の、歴史をしのびけふも旅ゆく」と云う旅の歌が刻まれている。

また、門の左右には白虎手水鉢(西)と蒼龍手水鉢(東)があるが、こちらは水が抜かれていた。白虎、蒼龍は都の西と東を守護する神で、南の朱雀、北の玄武と共に四神相応(しじんそうおう)の都として平安京(京都)を守っている。

それぞれの手水鉢の左右の奥に建つ殿舎は、朝廷の臣下や官人が出仕する際の控えとなった建物である朝集堂の再現で、白虎側が額殿、蒼龍側が神楽殿。1940年からの改修作業で増築されたもの(下の写真3)。

應天門から正面奥に龍尾壇と呼ばれる境内を南北に仕切る石段がある。平安京時代に回廊だったものが柵付きの段差に変えられた(下の写真4)。龍尾壇を上がると左手に白虎楼、右手に蒼龍楼。どちらも屋根は、四方流れ・二重五棟の入母屋造・碧葺が施されている。共に平安神宮創建時に建てられたもので国の重文。

白虎楼の横には日本庭園である神苑の入口がある。ここは入場料が必要。以前家族で入ったことがあり、今回はパス。明治から昭和にかけての名造園家である7代目・小川治兵衛(植治)が20年以上かけて造った名園で、国の名勝に指定されている。

境内の真ん中奥は朝堂院の正殿である大極殿(だいごくでん)を模している。平安時代には即位や朝賀をはじめ主要な儀式が行われる国の中枢だった。大極とは、宇宙の本体・万物生成の根源を示す言葉。不動の指針である北極星に例えられ、天皇の坐す御殿を意味している。奥には内拝殿や本殿が配されている。左右の白虎楼、蒼龍楼に続く歩廊と併せて国の重文。

大極殿の前には右近の橘と左近の桜。平安時代以降、紫宸殿の南階下の左右に植えられた木で、儀式の際に左右近衛府の官人がその側に列したことから名付けられた。橘はみかん類の中で唯一の野生種で、古くから不老長寿の妙薬として珍重された。桜は、清らかさを大事にする日本人の心を表すものとして日本の国花にもなっている。

参拝を終え、應天門を出ると、真っ直ぐに続く神宮道の南300mほど先に大鳥居(下の写真5)。1929年(昭和4年)に、前年に京都で行われた昭和天皇の即位の礼を記念して造営された。高さ24.4mあり、朱の大鳥居としては日本有数の大きさを誇っており、国の登録有形文化財に登録されている。

平安神宮の周辺は岡崎公園として整備されており、文化ゾーンになっている。大鳥居を挟んで西には京都府立図書館、京都国立近代美術館、京都市勧業館みやこめっせ、ロームシアター京都、東には京都市京セラ美術館、野球場、京都市動物園などがある。京都市京セラ美術館は、1933年(昭和8年)に公立美術館としては東京都美術館に次ぎ日本で2番目に開館。2020年のリニューアルに伴い京セラがネーミングライツを取得し、現在の名称となった。
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  • 写真1 冷泉通と應天門、手水舎

    写真1 冷泉通と應天門、手水舎

  • 写真2 應天門の内側

    写真2 應天門の内側

  • 写真3 神楽殿

    写真3 神楽殿

  • 写真4 龍尾壇

    写真4 龍尾壇

  • 写真5 神宮道

    写真5 神宮道

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