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2020年12月10日(木)11時半過ぎ、鴨川に架かる塩小路橋の東詰から鴨川運河沿いを南に下がる。鴨川運河とは、琵琶湖疏水のうち丸太町川端の少し南の鴨東運河の鴨川への冷泉放水口から伏見丹波橋近くまでの8.9kmの区間の呼称。この区間は琵琶湖から冷泉放水口までの第1疏水・鴨東運河の工事が1890年(明治23年)に完成した2年後の11月に着工し、さらにその約2年後の1894年(明治27年)に完成した。<br /><br />京と伏見を結ぶ伏見街道(本町通)に沿って開削され、京阪本線が並行して走る。この京阪本線の全通(1915年)までは、旅客運輸が盛んだった。貨物運送も大いに利用されていたが、鉄道運輸の発展に伴い1935年頃にはほぼなくなり、戦争中に一時復活したが、1948年に蹴上インクラインの運転が停止され、1959年から60年に掛けて伏見インクラインや蹴上インクラインから電気設備が撤去された。1963年には四条付近の水路の上に駐車場が建設され、水運の機能は実質的に失われた。<br /><br />1987年の京阪本線地下化までは全て開渠だったが、現在は川端御池付近から塩小路通まで一部開口部はあるが、暗渠化されている。塩小路通の南側から出てくる水量は結構豊富。運河幅は約6mあり、結構広い。水深は1mから1.2m。鴨が優雅に泳ぐ(下の写真1)。<br /><br />南に向かうとまず潜るのがJR東海道本線(琵琶湖線)。1921年(大正10年)に開通したもの。東海道本線の京都から東部分は1879年(明治12年)に開通したが、1921年までは現在の奈良線のルートで南に下がり、稲荷駅から現在の名神高速道路のルートを大津まで辿っていた。その南に並行する東海道新幹線は1964年開通。どっちも飽きるほど乗ってる線。特に新幹線はここを渡るとようやく帰ってきた気分になる。<br /><br />線路を潜り、500mほど進むと一之橋。1924年(大正13年)に竣工した三角橋。三角橋は水運のためにかさ上げして架設されている橋で、橋の両サイドに階段があり、その形からこう呼ばれる(下の写真3)。一之橋から南は、左岸は三洋化成工業の敷地になっており、橋を渡って右岸に移る。<br /><br />一之橋の南側を鴨川から斜めに横切るのがJR奈良線の鉄橋。1879年(明治12年)に東海道本線として開通した部分。三洋化成の敷地を横切って京阪本線との連絡駅の東福寺駅に達する。この奈良線、多くの列車が奈良駅発着だが、奈良駅と奈良線の起点である木津駅の間は関西本線(大和路線)で、木津駅は京都府木津川市で、奈良線自体は全く奈良県を走ってない。<br /><br />運河の右岸(西側)の道は師団街道(表紙の写真)。かつて深草にあった陸軍第16師団に因んでこう呼ばれる。第16師団の設置に伴い、1911年(明治44年)に京都市街から師団司令部に至る国道として指定された。終戦後は国道24号に指定されたが、1971年に国道24号は竹田街道に移った。その竹田街道の東に位置し、京阪本線の西側に並行する。北は塩小路橋東詰で川端通につながり、南は国道24号を越えて京町通につながる。塩小路橋東詰から十条通までは鴨川運河の右岸を走る。<br /><br />師団街道から九条跨線橋上への交差点に続く道へ分かれる三差路(下の写真4)に橋台のみ残るのが岸上橋。かつては向かいの三洋化成工業の通用口に通じていた。これも三角橋。橋の名前はこの辺りの住所が福稲岸ノ上町から来ている。<br /><br />三洋化成は紙おむつに使われる高吸水性樹脂を世界で初めて工業生産した会社で、界面活性剤やウレタン樹脂、特殊化学品などを開発・生産しており、1949年にこの地で創業、現在も本社、研究所、京都工場がここに置かれている。申し訳ない、京都に40年以上いるけど、初めて知った。<br /><br />ちなみに、九条跨線橋へ連絡道路は2020年3月末に供用開始された道で、出町柳から十条通までを結ぶ鴨川東岸線の整備の一環として架橋された。高架橋の上に新たな交差点が造られ、九条通から川端通や第二京阪鴨川東ランプ、稲佐山トンネルとのアクセス性が向上した。なお、自転車や歩行者は通れない。<br /><br />三洋化成工業の南、九条跨線橋を挟んであるのが二之橋と柿本橋。九条跨線橋の上は九条通で、京都市の主要な東西の通りの一つ。平安京の南端の九条大路にあたる。跨線橋の東はJR奈良線と京阪本線を越えて東福寺交差点でそのまま東大路通につながり、西は鴨川を越え、九条河原町交差点となる。1937年(昭和12年)に架設されたもので、1978年9月末の京都市電最後の日までは九条線が中央部を走っていた。二之橋は1993年、柿本橋は1994年に架橋された新しい橋。柿本橋の名前は右岸の地名、福稲柿本町から。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6035166139886693&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />さらに南に進むが、続く

京都 琵琶湖疏水 鴨川運河1(Kamogawa Canal, Biwako Canal, Kyoto, JP)

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2020/12/10 - 2020/12/10

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年12月10日(木)11時半過ぎ、鴨川に架かる塩小路橋の東詰から鴨川運河沿いを南に下がる。鴨川運河とは、琵琶湖疏水のうち丸太町川端の少し南の鴨東運河の鴨川への冷泉放水口から伏見丹波橋近くまでの8.9kmの区間の呼称。この区間は琵琶湖から冷泉放水口までの第1疏水・鴨東運河の工事が1890年(明治23年)に完成した2年後の11月に着工し、さらにその約2年後の1894年(明治27年)に完成した。

京と伏見を結ぶ伏見街道(本町通)に沿って開削され、京阪本線が並行して走る。この京阪本線の全通(1915年)までは、旅客運輸が盛んだった。貨物運送も大いに利用されていたが、鉄道運輸の発展に伴い1935年頃にはほぼなくなり、戦争中に一時復活したが、1948年に蹴上インクラインの運転が停止され、1959年から60年に掛けて伏見インクラインや蹴上インクラインから電気設備が撤去された。1963年には四条付近の水路の上に駐車場が建設され、水運の機能は実質的に失われた。

1987年の京阪本線地下化までは全て開渠だったが、現在は川端御池付近から塩小路通まで一部開口部はあるが、暗渠化されている。塩小路通の南側から出てくる水量は結構豊富。運河幅は約6mあり、結構広い。水深は1mから1.2m。鴨が優雅に泳ぐ(下の写真1)。

南に向かうとまず潜るのがJR東海道本線(琵琶湖線)。1921年(大正10年)に開通したもの。東海道本線の京都から東部分は1879年(明治12年)に開通したが、1921年までは現在の奈良線のルートで南に下がり、稲荷駅から現在の名神高速道路のルートを大津まで辿っていた。その南に並行する東海道新幹線は1964年開通。どっちも飽きるほど乗ってる線。特に新幹線はここを渡るとようやく帰ってきた気分になる。

線路を潜り、500mほど進むと一之橋。1924年(大正13年)に竣工した三角橋。三角橋は水運のためにかさ上げして架設されている橋で、橋の両サイドに階段があり、その形からこう呼ばれる(下の写真3)。一之橋から南は、左岸は三洋化成工業の敷地になっており、橋を渡って右岸に移る。

一之橋の南側を鴨川から斜めに横切るのがJR奈良線の鉄橋。1879年(明治12年)に東海道本線として開通した部分。三洋化成の敷地を横切って京阪本線との連絡駅の東福寺駅に達する。この奈良線、多くの列車が奈良駅発着だが、奈良駅と奈良線の起点である木津駅の間は関西本線(大和路線)で、木津駅は京都府木津川市で、奈良線自体は全く奈良県を走ってない。

運河の右岸(西側)の道は師団街道(表紙の写真)。かつて深草にあった陸軍第16師団に因んでこう呼ばれる。第16師団の設置に伴い、1911年(明治44年)に京都市街から師団司令部に至る国道として指定された。終戦後は国道24号に指定されたが、1971年に国道24号は竹田街道に移った。その竹田街道の東に位置し、京阪本線の西側に並行する。北は塩小路橋東詰で川端通につながり、南は国道24号を越えて京町通につながる。塩小路橋東詰から十条通までは鴨川運河の右岸を走る。

師団街道から九条跨線橋上への交差点に続く道へ分かれる三差路(下の写真4)に橋台のみ残るのが岸上橋。かつては向かいの三洋化成工業の通用口に通じていた。これも三角橋。橋の名前はこの辺りの住所が福稲岸ノ上町から来ている。

三洋化成は紙おむつに使われる高吸水性樹脂を世界で初めて工業生産した会社で、界面活性剤やウレタン樹脂、特殊化学品などを開発・生産しており、1949年にこの地で創業、現在も本社、研究所、京都工場がここに置かれている。申し訳ない、京都に40年以上いるけど、初めて知った。

ちなみに、九条跨線橋へ連絡道路は2020年3月末に供用開始された道で、出町柳から十条通までを結ぶ鴨川東岸線の整備の一環として架橋された。高架橋の上に新たな交差点が造られ、九条通から川端通や第二京阪鴨川東ランプ、稲佐山トンネルとのアクセス性が向上した。なお、自転車や歩行者は通れない。

三洋化成工業の南、九条跨線橋を挟んであるのが二之橋と柿本橋。九条跨線橋の上は九条通で、京都市の主要な東西の通りの一つ。平安京の南端の九条大路にあたる。跨線橋の東はJR奈良線と京阪本線を越えて東福寺交差点でそのまま東大路通につながり、西は鴨川を越え、九条河原町交差点となる。1937年(昭和12年)に架設されたもので、1978年9月末の京都市電最後の日までは九条線が中央部を走っていた。二之橋は1993年、柿本橋は1994年に架橋された新しい橋。柿本橋の名前は右岸の地名、福稲柿本町から。
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さらに南に進むが、続く

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  • 写真1 運河に浮かぶ鴨

    写真1 運河に浮かぶ鴨

  • 写真2 JR琵琶湖線と東海道新幹線

    写真2 JR琵琶湖線と東海道新幹線

  • 写真3 三角橋(一之橋)

    写真3 三角橋(一之橋)

  • 写真4 師団街道・九条跨線橋連絡路分岐

    写真4 師団街道・九条跨線橋連絡路分岐

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