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2020年11月13日(金)2時過ぎ、下りのびわ湖疏水船は第一トンネルを出て、京都に進む。第一トンネルの西口から約1㎞ほどは藤尾運河とも呼ばれる。大津市藤尾と云う地名から来ているが、第一トンネル出口の少し上にある寂光寺の磨崖仏を三井寺を再興した智証大師円珍が完成させた夜、夢のなかに藤の花を捧げた白衣の聖徳太子が現れ「念仏すれば寿命無量利益を得る・・・」と告げるや否や光明の中に消え去った。この聖徳太子の奇瑞にちなみ、藤王または不死王と呼び、これが後世の藤尾の地名の由来になったと云う。<br /><br />西口から約200mのところにあるのが緊急遮断ゲート。阪神淡路大震災の経験から、大地震による堤防の決壊に備えて水流を自動的に停止するもので、1999年に設置された。<br /><br />その100mほど先に架かるのが藤尾橋。1887年(明治20年)落成で、疏水工事で最初にできた橋。赤レンガと石造りの橋台は当時のまま今も現役(下の写真)。橋自体は1921年と1971年に改修され鉄筋コンクリートになっている。明治30年代の後半と云うから1905年頃に橋が番号付けられたが、その1号橋。なお、第1疏水には16の橋が架かっているが、番号付けされているのは11号まで。<br /><br />藤尾橋と100m足らず先にある測水橋の間で滋賀県大津市藤尾から京都府京都市山科区四ノ宮に入る。と云っても測水橋を過ぎて50mくらいは左岸(南側)はまだ大津市。測水橋は明治の末期、第2疏水工事の際に造られた。名前の通り、第1疏水と第2疏水、両方の水位と流量を測る目的で造られたもの。橋の北に第2疏水に54mほどの開渠部を設け、第1疏水とその開渠部を跨いで架けられていたが、現在その開渠部は残っていない。<br /><br />測水橋の少し先、南側に洛東用水取水口。洛東用水は琵琶湖疏水の目的のひとつである灌漑用水としてこの地で分水され、山科盆地の四ノ宮・音羽地区を潤した。1892年(明治25年)に約1.1㎞が完成。その後、何度か延長され1949年には醍醐から日野まで通じた。現在も醍醐の小野の山裾までの用水路は現役で利用されている。<br /><br />測水橋を過ぎると疏水は緩く右にカーブしているが、両岸から張り出した木々が紅葉し始めておりなかなかいい景色(表紙写真)。このカーブの辺りから次の橋を過ぎた辺りまでの両岸は一燈園と云う明治末期の1905年に滋賀県長浜市生まれの宗教家・社会事業家で参議院議員も務めた西田天香(てんこう)氏によって設立された懺悔奉仕団体の施設が固まっている。<br /><br />一燈園は宗教法人ではなく、争いの無い生活を実践するひとつの「道」で、各個人はそれぞれの信仰を持つことは否定されていない。「咳をしても一人」の句で有名な大正時代の俳人、尾崎放哉も一時期この園で修行し、園での思い出を綴っているエッセイが残っている。<br /><br />この一帯は光泉林と名付けられた村になっていて、200名ほどが共同生活を送っている。昭和初期の1928年に鹿ヶ谷からこの地に移転した。全体が回遊式庭園のようになっている敷地を無料で見学できる(本部で受付が必要で敷地内にある資料館香倉院は有料)。なかなか素晴らしい景観らしい。機会があれば行ってみたいものだ。なお、敷地内には学校法人燈影学園の幼稚園、小学校・中学校・高校もある。<br /><br />架かっている橋は第2号橋の柳山橋。1889年(明治22年)に県により建設された。当時は十禅寺橋と称された。現在の鉄筋コンクリートは1968年に改修されたもの。<br /><br />柳山橋の先にはトンネルが見え、その手間の水路は大きく広がっているが、ここが四ノ宮船溜。第1疏水の途中には物資や乗客の上げ下ろしや舟を曳く船頭である曳夫の休憩所である船溜が4ヶ所設けられていた。現在一番京都寄りの日ノ岡の船溜は撤去されたが、他の3ヶ所は現存しており、四ノ宮船溜は一番大津寄りのもの。1888年に完成しており、1953年から63年までは周辺小学校の夏休みの水泳場としても利用されていた。現在はびわ湖疏水船の山科乗下船場となっており、一部の便は途中停車する。私の乗った便は通過便だったので、真っ赤な紅葉の下でアオサギが見送ってくれていた。<br /><br />トンネルは諸羽トンネル。扁額もないし、順番なら第二トンネルのはずなのだが、このトンネルはつい最近とも云える(だって多分山科には来てないけど、京都にはそれ以前から里帰りしてたし)1970年に新たに掘削されたもの。1974年に開通したJR湖西線が東海道線の北側に並行して敷設されることになり、もともとは諸羽山の山裾をぐるっと回っていた疏水と近接することになったため、新たに山を貫通するトンネルを掘って、短絡させた。旧水路は遊歩道として整備され、疏水公園などが造られた。トンネルの長さは522mで、第1疏水の全長は約260m短縮された。また、この全体で628mの短絡部分のみ勾配が千八百分の1と少しきつくなっている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4905206876215964&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />山科運河に続く

京都 琵琶湖疏水 藤尾運河 (Fujio Canal Area, Biwako Canal, Kyoto, JP)

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2020/11/13 - 2020/11/13

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旅行記グループ 琵琶湖疏水

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年11月13日(金)2時過ぎ、下りのびわ湖疏水船は第一トンネルを出て、京都に進む。第一トンネルの西口から約1㎞ほどは藤尾運河とも呼ばれる。大津市藤尾と云う地名から来ているが、第一トンネル出口の少し上にある寂光寺の磨崖仏を三井寺を再興した智証大師円珍が完成させた夜、夢のなかに藤の花を捧げた白衣の聖徳太子が現れ「念仏すれば寿命無量利益を得る・・・」と告げるや否や光明の中に消え去った。この聖徳太子の奇瑞にちなみ、藤王または不死王と呼び、これが後世の藤尾の地名の由来になったと云う。

西口から約200mのところにあるのが緊急遮断ゲート。阪神淡路大震災の経験から、大地震による堤防の決壊に備えて水流を自動的に停止するもので、1999年に設置された。

その100mほど先に架かるのが藤尾橋。1887年(明治20年)落成で、疏水工事で最初にできた橋。赤レンガと石造りの橋台は当時のまま今も現役(下の写真)。橋自体は1921年と1971年に改修され鉄筋コンクリートになっている。明治30年代の後半と云うから1905年頃に橋が番号付けられたが、その1号橋。なお、第1疏水には16の橋が架かっているが、番号付けされているのは11号まで。

藤尾橋と100m足らず先にある測水橋の間で滋賀県大津市藤尾から京都府京都市山科区四ノ宮に入る。と云っても測水橋を過ぎて50mくらいは左岸(南側)はまだ大津市。測水橋は明治の末期、第2疏水工事の際に造られた。名前の通り、第1疏水と第2疏水、両方の水位と流量を測る目的で造られたもの。橋の北に第2疏水に54mほどの開渠部を設け、第1疏水とその開渠部を跨いで架けられていたが、現在その開渠部は残っていない。

測水橋の少し先、南側に洛東用水取水口。洛東用水は琵琶湖疏水の目的のひとつである灌漑用水としてこの地で分水され、山科盆地の四ノ宮・音羽地区を潤した。1892年(明治25年)に約1.1㎞が完成。その後、何度か延長され1949年には醍醐から日野まで通じた。現在も醍醐の小野の山裾までの用水路は現役で利用されている。

測水橋を過ぎると疏水は緩く右にカーブしているが、両岸から張り出した木々が紅葉し始めておりなかなかいい景色(表紙写真)。このカーブの辺りから次の橋を過ぎた辺りまでの両岸は一燈園と云う明治末期の1905年に滋賀県長浜市生まれの宗教家・社会事業家で参議院議員も務めた西田天香(てんこう)氏によって設立された懺悔奉仕団体の施設が固まっている。

一燈園は宗教法人ではなく、争いの無い生活を実践するひとつの「道」で、各個人はそれぞれの信仰を持つことは否定されていない。「咳をしても一人」の句で有名な大正時代の俳人、尾崎放哉も一時期この園で修行し、園での思い出を綴っているエッセイが残っている。

この一帯は光泉林と名付けられた村になっていて、200名ほどが共同生活を送っている。昭和初期の1928年に鹿ヶ谷からこの地に移転した。全体が回遊式庭園のようになっている敷地を無料で見学できる(本部で受付が必要で敷地内にある資料館香倉院は有料)。なかなか素晴らしい景観らしい。機会があれば行ってみたいものだ。なお、敷地内には学校法人燈影学園の幼稚園、小学校・中学校・高校もある。

架かっている橋は第2号橋の柳山橋。1889年(明治22年)に県により建設された。当時は十禅寺橋と称された。現在の鉄筋コンクリートは1968年に改修されたもの。

柳山橋の先にはトンネルが見え、その手間の水路は大きく広がっているが、ここが四ノ宮船溜。第1疏水の途中には物資や乗客の上げ下ろしや舟を曳く船頭である曳夫の休憩所である船溜が4ヶ所設けられていた。現在一番京都寄りの日ノ岡の船溜は撤去されたが、他の3ヶ所は現存しており、四ノ宮船溜は一番大津寄りのもの。1888年に完成しており、1953年から63年までは周辺小学校の夏休みの水泳場としても利用されていた。現在はびわ湖疏水船の山科乗下船場となっており、一部の便は途中停車する。私の乗った便は通過便だったので、真っ赤な紅葉の下でアオサギが見送ってくれていた。

トンネルは諸羽トンネル。扁額もないし、順番なら第二トンネルのはずなのだが、このトンネルはつい最近とも云える(だって多分山科には来てないけど、京都にはそれ以前から里帰りしてたし)1970年に新たに掘削されたもの。1974年に開通したJR湖西線が東海道線の北側に並行して敷設されることになり、もともとは諸羽山の山裾をぐるっと回っていた疏水と近接することになったため、新たに山を貫通するトンネルを掘って、短絡させた。旧水路は遊歩道として整備され、疏水公園などが造られた。トンネルの長さは522mで、第1疏水の全長は約260m短縮された。また、この全体で628mの短絡部分のみ勾配が千八百分の1と少しきつくなっている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4905206876215964&type=1&l=223fe1adec


山科運河に続く

  • 藤尾橋の橋台

    藤尾橋の橋台

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