2021/05/02 - 2021/05/02
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この旅行記のスケジュール
2021/05/02
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日霊神社(神明宮)〜中津城の鬼門の守り
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旧生田家の門(市有形文化財)
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三ノ丁おかこい山
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この旅行記スケジュールを元に
令和3年のゴールデンウィークに大分県の中津市を訪れた。過去に何度か訪れていたが、中津城にある復元された天守閣(奥平家歴史博物館)、福澤諭吉旧居、中津市歴史博物館の三施設を見学するのは初めてであった。
一日目はこれら三施設の見学に時間を費した。二日目は中津市内の中心部に残る中津城の遺構と寺院などをじっくり見て歩いた。
(2021.05.17作成開始)
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【一日目】
車を使わない場合の中津市内観光の起点はJR中津駅である。上の写真は北口(中津城のある海側)。中津駅 (大分県) 駅
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現代の中津市のシンボルは福澤諭吉のようだ。北口の広場には福澤諭吉像が南向きに建てられている。
福沢諭吉像 名所・史跡
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中津駅の構内。福澤諭吉推しが少々鼻につく。
私個人としては福澤諭吉にはあまり興味がない。格別尊敬の念を抱いていることもない。 -
南口側にある中津耶馬渓観光協会。ここが観光案内所を兼ねていて無料の地図や観光パンフレットを貰える。
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再び駅の北口へ。福澤諭吉像のある広場に面して日の出町商店街の入口がある。私の好きなアーケード商店街である。
日の出町商店街 市場・商店街
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今まで何度か訪れている。朝~夕方の前は閉まっている店舗が多い。
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商店街を通り抜けて福澤諭吉旧居の方へ行く途中にある食堂。この店の前を通る度に入口のガラス扉に書いてある「大師」の師が「恐怖」の怖と読めてしまう。すなわち「大怖」。
中津に来るたびに必ず一度はこの店の前を通るのだが、まだ中に入ったことがない。大師食堂 グルメ・レストラン
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店名の由来はすぐ近くに弘法大師を祀った祠があること。Google Map には単に「大師」と記されているスポットである。
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福沢通りと呼ばれている太い道路沿いに歩いて行く途中で、昔の城下町の風情を残す通りを見つけた。
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駅から歩くこと約15分で福澤諭吉旧居に到着した。
午前9時を少し回ったところ。ここの施設は09時00分開館である。 -
前の写真の図がとても分かりやすい。
この写真の正面が福澤諭吉旧居。その右の建物が福澤記念館である。 -
前の写真の左手が諭吉一家が大坂から戻って最初に暮らした家の跡。現在建物は建っていない。
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旧居の前に諭吉の母・お順の顕彰碑が建てられている。
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入口で3館共通の入場券(福澤諭吉旧居・中津城・中津市歴史博物館)「共通観覧券」を購入して旧居を見学する。
享和3(1803)年建築の木造茅葺の平家建。この家で諭吉が青年期を過ごした。福澤諭吉旧居 名所・史跡
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畳の上には上がれない。土間や縁側から見学。さほど大きな家ではない。
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木造瓦葺2階建の土蔵。諭吉青年が長崎へ遊学する19歳頃(1854年)まで米をついたり二階の窓辺で学問をした。
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福澤諭吉旧居の敷地内にある小さな社。土蔵と井戸の間にある。
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最後に福澤記念館を見学する。福澤に関する様々な資料が展示されている。
印象に残っているのは、福澤が当時としては大男だったこと。身長が自分よりも高いことを知ってかなり驚いた。福澤諭吉旧居 記念館 名所・史跡
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この後、中津城へ向かう。
福澤諭吉旧居のすぐ隣にある「増田栄太郎生誕の地」。中津市指定文化財(史跡)である。
増田は福澤諭吉のまた従兄弟にあたる。西南戦争に際して中津隊を結成し西郷軍に加わった。 -
福澤諭吉旧居の駐車場前から西へ延びている北門通りを歩く。中津川に架かる北門橋の手前に銀杏の巨木が立っている。
根本近くに設置された板には「樹齢六百年」と記されている。中津城の築城の時にはすでに生えていたことになる。 -
巨木が立つ敷地内に二つの社がある。奥にある大きい建物が日霊神社(神明宮)である。祭神は天照皇大神。
黒田如水による中津築城後、細川忠興が中津城に入城して以降、歴代の城主により中津城の鬼門(北東の方角)を守る社として保護された。 -
北門通りを挟んで日霊神社の反対側にある二の丸公園に残る武家屋敷跡。
この場所に江戸時代から続く武家屋敷の建物が残っていたが残念ながら10数年前に解体された。今は基礎が残るのみである。中津城(奥平家歴史資料館) 名所・史跡
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すぐ先は中津川の土手である。この写真の左のあたりにかつて中津城の北門があった。門の西(川)側には北門櫓が建っていたと考えられる。
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北門通りの先に架かる北門橋の上からの眺め。
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二の丸と中津城本丸の石垣に挟まれた普通車専用駐車場。
正面に見えるのが「模擬天守閣」と大鞁櫓(だいひやぐら)。
どちらも市民の協力のもと奥平家により昭和39(1964)年に建設された。中津城(奥平家歴史資料館) 名所・史跡
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写真は駐車場側から模擬天守閣の正面を見ている。
解説のパンフレットによると、模擬天守閣を建設するときに石垣上部が継ぎ足されたとのこと。
それを知って見ると確かに石垣の色が二つに別れている。
ちなみに、江戸時代この場所に天守閣は存在しなかった(現在の建物と 石垣の大きさが合わないのもそのためである)。本丸内の川寄りのどこかに天守閣に相当する櫓があったようだが、それも定かではない。
現在中津城として整備されている一帯には江戸時代の櫓などの建物は一つも残っていない。少し残念であるが、復元された模擬天守閣と櫓があるので当時の面影を偲ぶことは十分可能である。 -
模擬天守閣と中津川の土手との間にある石垣。 この写真の正面の位置で二種類の石垣が繋がれている。右側が黒田時代の古い石垣、左が細川時代の新しい石垣とのことである。詳しい解説板が立っている。
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その近くにある黒田如水(官兵衛)と正室・光(てる)姫の像。中津川の方向を向いている。
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本丸の東側の入口。普通車の駐車場から本丸へ至る近道。
江戸期までここに入口はなく、明治以降に造られたもの。 -
右側が模擬天守閣(奥平家歴史資料館)の入口である。
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入口で共通観覧券を提示して中に入る。連休中ということもあり見学者はそこそこいる。密にならないよう気をつけて見学する。
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館内には江戸後期(1717年~維新)に中津城の城主であった奥平家の貴重な資料が展示されている。上の写真の資料はレプリカ(複製)ではなくすべて実物である。
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写真は武田信玄公から拝領した羽織(実物)。奥平家は徳川家康に臣従する前は武田家に仕えていた。
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最上階の外からの眺め。大鞁櫓の左が二の丸、右が本丸である。
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中津川に架かる北門橋の先に海が見える。
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本丸内にある黒田官兵衛資料館は無料で見学できる。
黒田官兵衛資料館 名所・史跡
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館内はパネルの展示のみ。黒田官兵衛(如水)の事績が分かりやすくまとめられている。
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黒田官兵衛は九州平定の功により豊臣秀吉から中津16万石を拝領して天正16(1588)年中津川河口の周防灘に臨むこの地に城を築いた。
官兵衛の入国直後の検地に不満を抱いた国人領主たちは、宇都宮鎮房を中心に結束し、戦いを起こした。それに関連した事項の詳しい解説がとても参考になる。時間をかけてじっくり展示を見る。 -
本丸の模擬天守閣の隣にある奥平神社。奥平家中興の祖といわれる貞能(さだよし)公、信昌(のぶまさ)公、家昌(いえまさ)公が祀られている。
奥平神社 寺・神社・教会
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本丸の南に残る三斎池。
中津城(奥平家歴史資料館) 名所・史跡
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中津城を築城した黒田孝高(官兵衛、如水)と長政親子の後、中津城には細川忠興(三斎)が入城した 。忠興の息子忠利が大坂の役の後肥後熊本54万石に移封となり、その後に小笠原氏が中津城主となった(~1713年)。
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本丸の南側に残る堀を渡って中津市歴史博物館へ向かう。
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間もなく12時30分である。小雨が降り出した。この日の中津市の降水確率は午後1時以降かなり高くなっている。風も強い。
中津市歴史博物館は令和元年11月にオープンした。九州最古の近世城郭である中津城の本丸南側に残る石垣が鑑賞できるよう、石垣側を総ガラス張りにしている。中津市歴史博物館 美術館・博物館
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館内は有料ゾーンと無料ゾーンに分かれている。有料ゾーンの展示内容も撮影自由である。
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石垣シアター。中津城の石垣に焦点を当てた解説の動画を視聴する。約10分間。とても分かりやすい。
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動画の上映が終了するとシアター正面のブラインドが上がり、中津城の石垣を間近に眺めることができる。
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館内に展示されていた中津城本丸南側の石垣と堀の発掘調査の様子を記録した写真。
この写真の左側は現在堀になっていて、その堀の南に博物館が建てられている。スタッフの方に尋ねると、現在博物館が建っている場所はかつては民間企業の所有地で駐車場などに使われていたそうである。 -
前の写真と同じ部分の石垣を博物館の外から見る。
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博物館を出るとき雨が止んでいた。間もなく14時30分になろうとしている。まだしばらくの間、城の周辺をぶらぶらしてみることに。
城の本丸の南東に中津市立南部小学校が建っている。江戸時代には三の丸と呼ばれていた場所であり、この小学校は奥平家家老の生田(しょうだ)家の跡地。 -
かつて敷地の北側にあった生田(しょうだ)家の門(中津市有形文化財)は西側に移築され、現在は南部小学校の正門となっている。
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南部小学校の壁に「おかこい山」についての詳しい解説板が掲示されている。
おかこい山とは、中津城の外堀と中堀の城内側に城下町の守りを強化するために堀を掘った土を盛って築いた土塁のこと。細川時代には完成したと考えられている。
博物館で貰った中津城の解説パンフレットによると、現在でもおかこい山が残っている場所は市内に3~4箇所あるとのこと。
なお、城下を囲む総構えの土塁が残る城下町は九州では中津城が唯一であり、大変貴重な遺構らしい。 -
おかこい山はかつては南部小学校の敷地内にも残っていたが、現在は存在しない。
解説板が掲示されている壁の前の歩道の一部が緑色に塗られている。パンフレットによると通りを挟んだ西側に「三ノ丁」と呼ばれる中堀のおかこい山の土塁が残る場所があり、市指定史跡となっている。 -
三ノ丁のおかこい山は現在私有地の中にある。解説パンフレットには『(幕末の)絵図に描かれている櫓台の石垣が残る』と記されている。
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上の写真は私有地を囲む柵(前の写真)の隙間から奥を撮影したもの。左奥に確かに石垣のような遺構を見てとれる。
私はおかこい山に俄然興味を惹かれた。今日の見学によって「中津城の魅力は復元された模擬天守や櫓ではなく、石垣やおかこい山の遺構にある」と考えるに至った。お囲い山 名所・史跡
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帰りがけに中津市木村記念美術館の前を通りかかった。見学はしなかった。
江戸時代後期の中津藩御典医・中村家の屋敷門が美術館の門として現存する。
【後編へ続く】中津市木村記念美術館 美術館・博物館
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