奥平神社
寺・神社・教会
3.33
奥平神社 クチコミ・アクセス・周辺情報
耶馬溪・中津・玖珠 観光 満足度ランキング 15位
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
江戸時代最後の中津藩の藩主である奥平氏
4.0
- 旅行時期 2023/05
- by lion3さん
中津城の本丸(中津城公園内の)の天守のすぐの場所にこじんまりとした奥平神社があります。奥平氏は江戸時代の後半から江戸時代最... 続きを読む後の中津藩の藩主であった家柄です。本丸の場所には5つの神社がありますが、藩主としてはやはり自分にかかわりがある神社を造りたっかたのでしょう。ただ神社の境内や社殿はこじんまりとしていて、中津藩が小藩であるのも影響しているのかもと思います。神社の来歴などを見ていくのは楽しいです。 閉じる
クチコミ・評判
3.33
(21件のクチコミ)- アクセス:
- 3.41
- 人混みの少なさ:
- 3.88
- バリアフリー:
- 3.06
- 見ごたえ:
- 3.60
1~20件(全21件中)
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奥平神社
- 3.0
- 旅行時期:2023/07(約2年前)
- 0
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趣のあるたたずまいでした
- 3.5
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
- 0
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豊前の 守護神さま なのよ
- 4.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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奥平家3柱を祀る神社
- 3.5
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
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中津城公園の奥平神社
- 4.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
- 0
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中津城天守閣の目の前です。
- 4.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
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中津城公園東側の階段上の鳥居
- 3.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 0
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ご祭神は中興の3人とプラス1人です。
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
奥平神社は模擬天守の足下にありました。1717年(享保2年)に豊前中津藩に入府した新藩主・奥平昌成が、豊前の守護神として祖... 続きを読む先を奉祀したのが創祀です。昌成は奥平家中興から第5代です。ご祭神は中興の第1代貞能霊神(智勇の神)、第2代信昌霊神(開運の神)、第3代家昌霊神(天徳除災の神)、そして、貞能が武田から徳川に寝返った時、武田方に人質として差し出されていた貞能の子・仙丸君霊神(護国の神)です。仙丸は10歳にして首を刎ねられています。ところで、模擬天守はこの奥平神社の境内に建てられたものです。お城売却の時に揉めたそうですが、どう決着したのでしょうか。(借地に落ち着いたのでしょうかね) 閉じる
投稿日:2021/02/06
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祭礼は「たにし祭り」です。
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
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三所宮とも呼ばれて・・・
- 4.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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藩主を祀る
- 3.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
- 0
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奥平家
- 3.0
- 旅行時期:2016/02(約10年前)
- 0
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中津城のお隣
- 3.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
- 0
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おみくじ
- 3.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
- 2
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九州の豊前中津城を築城した 黒田官兵衛 秀吉を天下人へと導く 中津で天下の夢を見たゆかりの地
- 5.0
- 旅行時期:2014/01(約12年前)
- 2
黒田官兵衛 生誕天分15年11月29日~死没慶長9年3月20日(58歳)
豊臣秀吉の側近として仕え活躍した秀吉の名軍... 続きを読む師の一人である官兵衛は
豊前中津城の初代城主である。
黒田官兵衛は中津城の期間は14年程度で
「黒田」 「細川」 「小笠原」 明治まで続いた「奥平」と移り変わっている。
1600年(慶長5年)徳川家康率いる軍勢が会津の上杉成敗に出かけた際に大阪で石田三成が挙兵した。
三成は各大名の屋敷に奥方を人質に出すように要請する。
大阪の黒田屋敷には官兵衛正室光姫と長政室栄姫がいた。中津にいた官兵衛はこのことを予測しおり
あらかじめ重臣栗山利安と母里太兵衛に「もし三成の人質となるようであれば光姫、栄姫と共にお前たちも自害せよ」と命じていた。
黒田屋敷を囲んでいた三成の兵が幾度も奥方を大阪城に入るように要請するも
病気で寝込んでいるなどと 時を稼いでいると或る夜玉造りの方角で火の手が上がる。
黒田屋敷を取り囲んでいた三成の兵は何事が起こったかと驚き そちらへ向かった。
その炎は細川屋敷から上がったものでガラシャ夫人(絶世の美女と謳われた忠興の妻)が人質になる事を拒み家老に胸を突き刺させ なくなった後に屋敷に火を放たせた火事であった。
黒田屋敷では栗山利安と母里太兵衛の機知で木箱に隠した官兵衛と長政の奥方を
天秤棒で担ぎ密かに脱出させ 大阪から船で無事「中津城」まで送り届けた。
大いに喜んだ官兵衛はお城に領民を招き入れ
「北原人形芝居」などを催して祝った。
或る意味黒田家はガラシャ夫人に救われたとも言える。
黒田家の後 豊前国に入部した細川忠興は中津市内福島の「長久寺」で 妻ガラシャの33回忌の法要を催したとのこと。 閉じる投稿日:2014/01/09
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奥平神社のおみくじ処
- 3.5
- 旅行時期:2013/12(約12年前)
- 1
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中津城城内にある神社
- 3.5
- 旅行時期:2013/11(約12年前)
- 0
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奥平家としての初代中津藩主、奥平昌成を祀る神社
- 3.5
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
- 1
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公園内の神社
- 4.0
- 旅行時期:2012/12(約13年前)
- 1
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中津城内にある神社
- 3.0
- 旅行時期:2010/03(約16年前)
- 0
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