2021/05/24 - 2021/05/25
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2021/05/24
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JR和歌山駅
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若い時から日本各地を旅してきたが、今まで和歌山県は通過しただけで宿泊したことはなかった。
令和3年初夏、和歌山城を訪れることを第一の目的に和歌山市に滞在することにした。
(2021.06.09作成開始)
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令和3年5月下旬、大阪方面からJRの列車に乗りJR和歌山駅に到着した。関西方面は梅雨入りしている。この日も一日中雨。
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JR和歌山駅東口の前に立つ解説板。
太田・黒田遺跡は、紀ノ川の南岸の和歌山駅の東側に広がる弥生時代~室町時代の遺跡。標高3~4mの沖積地に弥生時代から江戸時代までの集落が営まれている。 -
近くには天正13(1585)年に豊臣秀吉が行った紀州征伐に抗った太田城主・太田左近の像が建てられている。
太田左近像 名所・史跡
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翌日は朝から晴天。09時30分観光に出かける。
写真はJR和歌山駅西口。左は「わかちか広場」の入口。 -
駅西口の地下1階に「観光交流センター」という案内所に寄る。そこで無料の地図やパンフレットを貰う。
写真は観光交流センター前の紀州犬の像。観光交流センター 名所・史跡
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JR和歌山駅から途中で緩くカーブして和歌山城の北へ至る「けやき大通り」を歩いて和歌山城へ向かう。
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一の橋の手前から見る東側の堀。地図を見ると現在の和歌山城跡で堀の幅が最も広い場所である。
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大手門前に架かる一の橋。
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一の橋のたもとの案内板。
和歌山城は天正13(1585)年、羽柴(豊臣)秀吉が紀州を平定し、弟・秀長に命じて岡山(虎伏山、とらふすやま)の峰に創建。藤堂高虎らが普請奉行を勤め、高虎が手がけた最初の本格的な近世城郭である。
関ヶ原の戦いの後、浅野幸長(よしなが)が37万6千石の領主となり、城の大規模な増築を行った。連立式天守閣を建て、現在の本丸・二の丸・西の丸に屋敷を造営。大手を岡口門から一の橋門に変え、本町通りを大手筋として城下町を整備した。和歌山城 名所・史跡
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大手門。大手門とは城の内郭に入る正面の門。浅野期の途中から大手として機能した。明治42(1909)年に倒壊したが昭和57(1982)年に再建。翌年には一の橋が架替えられた。
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一の橋の下の堀に鯉がたくさんいる。
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大手門をくぐり南に続く細長い郭を歩く。右側の石垣の上に大木「一の橋の楠樹」。
樹高25メートル、城内最大の樹木である。推定樹齢は約450年と言われている。 -
突き当りは虎口になっている。一中門(いちなかもん)跡と呼ばれている。
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虎口を抜けた先にある伏虎(ふっこ)像。
和歌山城の別名「伏虎城」(和歌山城が建つ山が海上から見ると虎が伏している姿に似ているため)にちなんで建てられた。二代目に当たる。
初代は銅像であったため戦時中供出されてしまった。 -
虎口の城内側には土塁の上に登るために雁木(がんぎ)と呼ばれる階段が設けられている。
和歌山城の雁木は、この一中門跡から東面の堀に沿って岡中(おかなか)門に至る土塁の内側に長大な遺構が残っている。 -
伏虎像の南にある石垣。自然石を加工せず積む野面(のづら)積みの特徴がよく表れている。
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天守閣方面に至る表坂(おもてさか)。
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途中で折り返している。侵入した敵を石垣の上から狙い撃つための構造である。
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階段の先は「松の丸跡」と呼ばれる細長い郭になっている。石垣の下にある動物園がよく見える。
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天守郭手前の虎口。
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虎口を抜けると右が本丸御殿跡、左が天守閣がある天守郭(写真)である。
天守閣の前は広場になっていて、売店や休憩所がある。テントの左側にある券売所で入場券を購入し、天守閣に入る。 -
天守二の門(楠門)。連立式天守閣への現在の唯一の入口である。
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浅野時代にほぼ現在と同様の天守閣が建造された。三層の大天守から時計回りに多門、天守二の門(楠門)、二の門櫓、多門、乾櫓、多門、御台所、小天守へと続く連立式天守だった。
弘化3(1846)年の落雷で焼失。御三家ということで特別に認められ、嘉永3(1850)年にほぼ元のまま再建される。
昭和10(1935)年国宝に指定されるが、昭和20(1945)年7月9日の和歌山大空襲で焼失。戦後市民からの要望もあり、昭和33(1958)年に鉄筋コンクリートで復元された。 -
小天守から中に入る。小学生の団体がいた。
展示品は多い。撮影は禁止されていない。
小学生たちをやり過ごすため、展示品をゆっくり見て回る。写真は藩主が身につけた革製の陣羽織(現物)。 -
大天守の最上階からの眺望。中央上は紀の川の河口。
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御台所という建物内に残る埋門(うずみもん)跡へ通じる石段。中は立入禁止。
埋門は連立式天守閣の北側へ通じる裏門。黄金水と呼ばれる、天守郭に最も近い井戸へ行くための門であった。 -
このあと天守郭から本丸御殿跡へ向かう。
写真は大天守の最上階から見た本丸御殿跡。西から東の方角を見ている。フェンスの奥は立入禁止である(給水場がある)。 -
本丸御殿のCG再現図。上方に描かれている建物は二の丸御殿。
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本丸御殿跡は天守閣のビューイング・スポットになっている。大天守と右側の小天守がよく見えるものの、樹木で土台の石垣から下が隠れている。
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本丸御殿跡から北へ延びる裏坂と呼ばれる急勾配の石段を下りて二の丸へ向かう。
途中、銀名水と呼ばれる井戸がある。城内には約40箇所の井戸があったようだ。 -
裏坂と二の丸(写真奥)の間も虎口になっている。石垣の形状を見ると、ここにも門が設けられていたのかもしれない。
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二の丸跡。
徳川家が藩主の時代、山上にあった本丸御殿が不便で手狭なために二の丸に藩主の居館や藩の政庁が置かれた。
二の丸の機能は、藩の行事の場である表(おもて)、藩主の公邸である中奥、藩主の私邸で奥女中の生活の場である大奥の三つに分かれていた。 -
西の丸は藩主が自然風雅を楽しむ場であり、内堀を池に見立てた庭園や能舞台、茶室などが営まれた。
写真の「御橋廊下」は、藩主の趣味の場である西の丸と生活の場である二の丸大奥とをつなぐ廊下橋。御橋廊下 名所・史跡
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(写真は南側から見た御橋廊下。)
殿様とお付の人、奥女中が二の丸と西の丸を行き来するために徳川期にかけられ、風雨を避け、外から姿が見えないように屋根と壁を設けている。
両岸の高低差のため斜めにかかる全国的にも珍しい橋で、滑らないように廊下の床板を鋸歯状に組んでいる。江戸時代の図面を基に平成18(2006)年復元された。 -
長さ約27m、幅約3m。内部は外履きを脱いで通行出来る(入場無料)。
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西之丸庭園(紅葉渓庭園)と鳶魚閣(えんぎょかく)。
西之丸庭園は江戸初期に西の丸に築かれた大名庭園で、明治時代以降、紅葉渓の名で親しまれてきた。
鳶魚閣は、西之丸庭園内にある、堀に突出した釣殿風の建物。堀に面する窓は障子張の火打窓で、室内は四畳半の畳敷である。紅葉渓庭園 名所・史跡
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13時近くになっていた。一旦和歌山城跡から離れて食事を取ることにした。
城跡の北にある「まるイ十二番丁店」に入る。観光案内所などで配布している「和歌山ラーメン味めぐりまっぷ」にも掲載されているラーメン専門店である。ラーメンまるイ 十二番丁店 グルメ・レストラン
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この店の和歌山ラーメンには標準で九条ネギがたくさんトッピングされている。
和歌山名物だという早なれ寿司(塩漬けにした鯖を酢飯に載せアセの葉でくるんで発酵させたもの)も1個食べてみる。
どちらも可もなく不可もなくといった印象である。
ちなみに「和歌山ラーメン味めぐりまっぷ」ではこの店を次のように紹介している。
『こんもりネギが自慢のラーメンは、豚骨をじっくり煮込んで旨味を引き出したスープが絶品!』 -
食事から戻るとき城の西の丸のすぐ向かい側に建つ和歌山市役所の本庁舎が目についた。まだ新しい建物のように見えた。(後で調べると1976年完成とのこと。)
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私の中で閃くものがあった。
先ほど和歌山城の本丸御殿跡から眺めた天守閣の風景に不満があった。市役所の最上階にレストランがあるということなので、その前あたりからの良い眺望を期待できるのではないか。 -
本庁舎に入る。1階の入口付近は来庁者で混雑している。
階ごとの案内板を見ると最上階・14階には「食堂/展望・展示ロビー」と記されている。エレベーターで14階へ向かう。
写真の右側が食堂である。食堂に入らずとも、このロビーの真正面に和歌山城の中心部がどーんと見えているではないか。 -
連立天守閣北面の大天守や乾櫓、それらを結ぶ多門が美しい姿を見せている。
下の方には、左から二の丸、御橋廊下、西の丸が見える。 -
東の方向。市街もよく見える。
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再び城へ。西の丸跡西側の駐車場の北側からの眺め。
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前の写真の右側にある「わかやま歴史館」へ。城の入場券を提示すれば二階の歴史展示室を無料で見学できる。
わかやま歴史館 美術館・博物館
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撮影は自由である。
写真は「金蒔絵梨子地葵紋散糸巻太刀」。
紀州藩5代藩主を経て8代将軍となった徳川吉宗が寄進したものと伝わる。梨子地の鞘に金蒔絵で三葉葵紋を散らしている。 -
わかやま歴史館の見学後、城の西側から南側にかけてのエリアを歩く。
写真は追廻門(おいまわしもん)。寛永6(1629)年に創建された高麗門で、砂の丸の乗馬調練場と門外の扇の芝馬場を結んでいる。馬を追い回したことから追廻門と呼ばれた。
空襲でも焼けずに残った数少ない遺構の一つである。 -
徳川吉宗公之像。城跡から出て南西の交通量の多い交差点近くに和歌山県立近代美術館があり、その手前に建っている。
この銅像は平成6(1994)年に建てられたもの。享保年間に吉宗が西洋より馬を輸入した史実などを元に造られたとのこと。徳川吉宗公之像 名所・史跡
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徳川吉宗公之像から幹線道路に並行する細い道を南へしばらく歩くと「徳川吉宗公誕生地」と記された石碑が立っている。
徳川吉宗生誕地の碑 名所・史跡
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解説板。今このあたりは普通の住宅が建っている。江戸期には「吹上邸」という藩主の屋敷があったようだ。
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徳川吉宗公誕生地を訪れた後、さらに南へ足を伸ばすことにする。
観光地図に載っている報恩寺(ほうおんじ)の前に着いた。報恩寺 寺・神社・教会
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報恩寺は日蓮宗の由緒寺院※。
※日蓮聖人一代の重要な遺跡及び宗門史上顕著な沿革のある寺院を霊跡及び由緒寺院という。
もとを要行寺といい、慶長14(1609)年創建。 その後、寛文6(1666)年に紀州徳川家藩主・徳川頼宣公の正室・遥林院の追善菩提の為、息子である光貞公が要行寺を報恩寺と改め、一カ所本山として寛文9年に日順上人を招き、寺領250万石を寄進し開山導師とした。
以来、紀州徳川家の菩提寺として今日に至っている。 -
本堂の屋根には徳川家の家紋。
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本堂奥の一段高い場所に紀州徳川家の廟がある(見学無料)。
初代藩主頼宣公夫人・瑶林院、第二代光貞公夫人・天真院、第五代(八代将軍)吉宗公夫人をはじめとする紀州徳川家ゆかりの夫人、および夭折した子供たちの墓である。
ちなみに、歴代の紀州藩主は長保寺(海南市)の紀州藩主徳川家墓所に埋葬されている。 -
瑶林院墓。和歌山市指定文化財(史跡)。墓石の高さ4m40cm。
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報恩寺前の通りを南へ行くと「寺町通り」にぶつかる。この通りの両側に多数の寺院が集まる。
写真は恵運寺(えうんじ)。曹洞宗の寺院。
紀州徳川家の開運繁栄と山本勘助(武田信玄の軍師)ゆかりの山本家を祀るため紀州藩重臣山本圖書正春が元和5(1619)年に建立。 -
山門の正面にある墓石群が人目を引く。紀州徳川家の重臣・西郷家ゆかりの墓石も含まれている。
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寺町通りを東へ歩き浄水場前を通り過ぎてから北上して城へ戻る。
和歌山城跡の南東にある岡公園に立ち寄る。城の石垣に使われた石の石切丁場跡が残る。 -
「紀州の青石」と呼ばれる緑泥片岩の岩塊が公園の北側に残されている。
岡公園 公園・植物園
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公園の城に近い場所に建つ陸奥宗光の像。明治中期に外交官・外相として活躍した。陸奥宗光の生誕地は徳川吉宗公の生地の約500m南にある。
岡公園 公園・植物園
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陸奥宗光像のすぐ近くには和歌山機関区で昭和47(1972)年に退役した蒸気機関車が展示されている。
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岡公園の北東の隅に道路に面して建っている旧大村家住宅長屋門。県指定文化財。
長屋門とは江戸時代の武家等の屋敷にみられる門の形式で、従者や使用人の住まう部屋である長屋と門構えとが一体となって造られたもの。
この長屋門は紀州藩の中級藩士であった大村弥兵衛家のもので、江戸時代末期の建設とみられる。大村家の屋敷は、江戸後期には県庁付近の東坂ノ上丁に構えられていた。 -
旧大村家住宅長屋門前の信号で道路を渡り再び城へ戻る。このあたりの内堀は幅が広く池のように見える。写真の右奥が大手門方面である。
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城の南東の隅にある岡口門(おかぐちもん)。
築城時は大手門(表門)だったが、浅野期の途中から搦手門(裏門)となる。現在の門は元和7(1621)年に徳川家が建造した二階建ての門である。
岡口門は空襲でも焼けずに残った旧藩時代の数少ない遺構で、北側の土塀とともに国の重要文化財に指定されている。岡口門 名所・史跡
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岡口門北側の土塀。
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16時40分城を出る。朝10時15分過ぎに一の橋に着いてから昼食以外はずっと観光をしたため、ヘトヘトになっていた。
城跡の北側にあるアーケード商店街「ぶらくり丁」(写真)に寄り道しながら帰った。
【了】ぶらくり丁商店街 市場・商店街
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