2021/04/17 - 2021/04/17
34位(同エリア1544件中)
+mo2さん
4月17日からポーラ美術館で「フジター色彩への旅」が始まりましたので早速行ってきました。初日の開館(9:00)時間の訪問でしたが、結構な人でびっくりしました。・・・といっても、箱根の美術館としてはという意味ですので作品をじっくり楽しむことはできました。
「エコール・ド・パリ」と呼ばれる、20世紀はじめにパリを中心に活躍した外国人画家たち。その中で、シャガールやモディリアーニと並ぶ唯一の日本人が藤田嗣治でした。2018年には、東京都美術館で、藤田の画業をたどる本格的な大回顧展「没後50年 藤田嗣治展」が開催され 日本初公開含む100点以上の作品を見ることができました。今回、ポーラ美術館で開催されている展覧会では、数点以外ほぼ重なる作品がないものでした。
以下HPより展覧会の紹介です。
世界的な画家になることを夢みて1913年、26歳で渡仏したレオナール・フジタ(藤田嗣治、1886-1968)は、旅先で目にした風景や人物、異国の歴史や風俗などに創作のインスピレーションを求めました。
1920年代にパリの女性をモデルに「乳白色の肌」を完成させ、パリ画壇の寵児となったフジタは、その後、旅によって新たなモティーフや群像表現のための構図と、色彩豊かな表現手法を開拓していきます。
1929年の日本への一時帰国の後、パリを離れて南米へと旅立ったフジタは、中米から北米へと移動し、太平洋を渡って再び日本へとたどり着きました。東北や沖縄をはじめとする日本各地、そして中国大陸や東南アジアへと移動をつづけ、1949年にニューヨークに渡るまでは、旅先こそがフジタのアトリエでした。
本展では、フジタの旅とそれにともなう色彩の変遷に焦点をあて、フジタの生涯の旅路と画業の展開をあらためてご紹介します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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200点以上のレオナール・フジタ (藤田嗣治)のコレクションを有するポーラ美術館。
そのコレクションの展示が中心と思いきや、平野政吉美術財団や日本各地の美術館等からの出品が多数集まっていました。
展示は、フジタの生涯の旅路とそれにともなう色彩の変遷に焦点をあて進んでいきます。今回は、一部のエリアを除いて撮影禁止となっていました。ポーラ美術館 美術館・博物館
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Ⅰ パリとの出あい -「素晴らしき乳白色」の誕生
世界中から若き芸術家が集まり、キュビスムや未来派などの前衛美術が隆盛していた芸術の都パリ。1913年に初めてフランスに渡ったフジタは、西洋美術の歴史に深く関心を抱くとともに、個として自由に生きるパリの人々の生活に強く共鳴し、この街で画家として大成することを決意しました。
初めはキュビスムの造形性に感化されますが、しだいにメランコリックな都市の風景やプリミティヴな曲線を特徴とする人物を描くようになります。第一次世界大戦後、乳白色の下地に極細の描線でモティーフを描く独自のスタイル「乳白色の肌」を生み出したフジタは、サロンでの成功を経て一躍、時代の寵児となります。
写真は「キュビスム風静物」1914年
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
「パリの要塞」1917年
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
Ⅱ 中南米への旅 - 色彩との邂逅
Ⅲ アジア旅行記 - 色彩による大画面の絵画へ
中南米旅行の後、フランスに戻らず、日本に帰国して制作を行うことにしたフジタは、中南米で得た新たなスタイルにさらに磨きをかけるため、国内各地の旅をつづけました。
人々の衣服や民具、建物など、行く先々の気候や光、湿度によって異なって見える対象の色彩を描き分けるように、おそらく色材の選択や重ね方を模索しながら、短時間のうちに色彩豊かな作品を仕上げる技術を身につけました。このような制作手法のレッスンは、1930年代半ばに集中的に挑戦した大画面壁画や、その後の作戦記録画の制作に活かされることになりました。
「春」1953年
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
「秋」1953年
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
Ⅳ 心の旅ゆき -色彩からの啓示
1949年に渡ったニューヨークは、フジタにとって「旅の時代」の最終経由地となりました。長期滞在を覚悟していたこの街で、フジタはかつて自身のアイデンティティであった「乳白色の肌」を取り戻すべく濃密な創作活動を行い、マシアス・コモール画廊で開催した個展では上々の成果を収めます。しかしながら、翌年初めにフランス入国の許可を得ると、フジタはただちに君代夫人とともにフランスに渡り、以後、「フランス人」として生きていくことを決意しました。
終の住処となったフランスでは、しばしば国内や周辺国への小旅行に出かけ、各地で集めた骨董品や自身の描いた絵画作品に囲まれた日々を過ごします。
晩年には宗教画の技法も研究し、生涯の旅で広めた見聞だけでなく、心の旅路を糧として、画業の集大成となる作品を手掛けました。 -
「ラ・フォンテーヌ頌」1949年
擬人化されたキツネの家族が食卓を囲んでいる場面。子どもたちが喧嘩をしたり、床で行儀悪く食事をしているため、キツネの夫婦はなかなか食べはじめることができません。舞台となっている室内には、フジタが理想の家として1948年に製作したマケット(建築模型)にみられる厨房や階段、暖炉などがあり、壁にはカラスとキツネを描いた絵が架けられています。この絵は、17世紀の作家ジャン・ド・ラ・フォンテーヌによる『寓話』全12巻のうちの「カラスとキツネ」の一場面を描いたものです。チーズを食べようとしていたカラスが、キツネに美声の持ち主だとおだてられ、声を発しようとした瞬間にチーズを落とし、それを奪われてしまうという話です。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
「少女と猫」1926年
この作品は「すばらしい乳白色」と絶賛された独自の下地の技法を活かした表現により、フジタがパリで名声を獲得した時期に制作されました。肌の質感を思わせる滑らかな乳白色の下地には、細くやわらかな輪郭線が引かれるとともに、陰影を表すぼかしと淡い彩色が施されており、フジタの技法の特徴をよく示しています。子どもや小動物など、フジタが生涯にわたり好んだモティーフを描いたきわめて早い時期の作品で、猫を胸に抱く少女の仕草は子どもらしい愛らしさを感じさせる一方、正面を見据えるまっすぐなまなざしと固く結ばれた口元からは、フジタの描く少女像らしい静かな威厳が伝わってきます。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
「姉妹」1950年
本作品は、戦後パリに戻ってまもなく描かれた作品で、はじめからこの八角形の額縁に納めようと考えて制作されたと思われます。額の下にアルファベットで〝フジタ〟、〝1940〟と彫られており、1940年5月にドイツ軍侵攻による陥落寸前のパリを脱出し、日本帰国後に作られたのかもしれません。その後、アトリエで鏡の額縁として使われていたことが、戦時中に撮影した写真からわかります。
額縁は油彩画より10年早く制作されています。画家みずから木を彫り、手製の金属装飾をあしらっています。ブリキの切り抜きが釘で留められた素朴な味わいの額だ。ハートや天使などのモティーフと絵画空間が見事に調和しています。
画面の大部分を占めるベッドの上では、ナイトキャップをかぶりパジャマをまとったふたりの少女が、カフェオレ・ボウルとクロワッサンの朝食をとっている。ふと食べるのをやめた左の少女はこちらをにらんでいるかのように見つめています。右の少女は左側の少女のほうをたしなめるようにそっと見つめています。少女ふたりの性格の違いも的確に表現されていることがわかります。また、交わらないふたりの視線からは、起きたときのけだるさが伝わってきます。
黒い背景に白いベッドとシンプルな色彩構成ですが、白いナプキンには赤で、また白い食器には青で細い線がアクセントとして引かれ、それらと淡い色の色違いのパジャマと相まっています。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
こちらの一室は、写真撮影OKでした。
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「つばめと子供」1957年
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「誕生日」1958年
子どもたちがおめかしをして集まったバースデー・パーティー。彼らが囲む大きな丸いテーブルの中央には、5本のローソクが立てられた大きなケーキが置かれています。頭に花飾りをつけた今日の主役の女の子が、無表情のまま祈るようなポーズをとり、前方をじっと見つめているのに対し、コーヒーをこぼしたり、両手を広げる大げさなポーズをとるなど、いささか落ち着かない様子の子どもたちもいます。また、この部屋の窓には、パーティーに参加できず、室内をのぞく子どもたちが6人、小さな頭を並べています。思い思いの動きや表情を見せる子どもたちに、画家は等しく愛情を注いでいるように思われます。 -
「二人」1959年
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「少女と果物」1963年
少女が座っている市松模様の床は、ヨハネス・フェルメールやピーテル・デ・ホーホら17世紀オランダの画家たちが室内画のなかに好んで描いた白と黒の床に類似しています。一見すると少女と果物を主題とした室内画のようにみえますが、彼女の背後に目を向けると、果樹の枝越しに穏やかな空が広がっています。つまり画面の上下で、ふたつの異なる空間が描かれているのです。 フジタは1963年から1964年にかけて、果物を主題とし、その背景に空を描いた静物画を幾度となく制作しました。油彩による果実の透明感あふれる表現や、一度塗った絵具をパレットナイフの先端で引っ掻いて表わした枝や葉脈からは、最晩年になっても衰えを知らないフジタの卓越した描写力が見てとれます。 -
「少女と果物」(部分拡大)
りんごを抱え、両足を広げて床に座り込んだ少女の周りには、洋梨、葡萄、西瓜、無花果といったさまざまな果物が所せましと並べてあります。彼の描く果物は、どれもみずみずしさにあふれています。フジタは1961年には、夫人とともにパリ市内からパリ郊外の村ヴィリエ=ル=バクルに移り住み、誰にも邪魔されない静かな暮らしをはじめました。商店もカフェもないこの村では、自然の恵みである新鮮な果物は生活の糧であるばかりでなく、眼を楽しませ心を豊かにしてくれる糧でもありました。その生に対する悦びが果物と少女を描いた本作品にも表われています。 -
「少女と鳥」1963年
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1958年秋から翌年の春にかけて、フジタはおもにパリを舞台にさまざまな仕事に従事する子どもたちの姿を数多く描きました。連作〈小さな職人たち〉に登場する子どもたちは、それぞれの仕事に真剣に取り組んでいるものの、そのしぐさにはどことなくユーモアが感じられます。
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「台所」1961年 個人蔵(京都国立近代美術館委託)
ポーラ美術館コレクションの「少女と果物」と同様の構図です。 -
連作「小さな職人たち」は、フジタが1958年秋から翌年の春にかけて手がけた、15センチメートル四方のファイバーボード(木の繊維を合成樹脂で固めた板)に描いた油彩画である。このパネルを115点ほど書き溜め(うち96点がポーラ美術館所蔵)パリ14区のカンパーニュ=プルミエール街の自宅の室内の壁に、タイル状に四隅を釘で打ち付けて装飾していました。
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連作〈小さな職人たち〉における重要なモティーフのひとつは、仕立て屋やガラス職人、椅子職人のような手先の技術によって物を製作する職人たちです。そのほかには古くからパリの路上でみられた辻音楽師や焼き栗売り、監視員や煙突掃除夫などさまざまな職種がみられます。各作品はタイルのような正方形の世界に表され、そこにフジタ自身の空想が重ねあわされており、彼の子どもを描いた作品の中でも、ひときわ異彩を放っています。
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「雨傘」1959年
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「すり」1959年
すりが職人とは面白いですね。 -
「製陶所」1959年
作品が壊れて泣いているのでしょうか? -
「手品師」1959年
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「天才」1959年
芸術家でしょうか・・・ -
「銀行」1959年
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「囚人」1959年
スリが職人なので囚人も職人なのでしょう・・・ -
「億万長者」1959年
成ってみたい職業ですが、なんで全裸で傘かは不明? -
フジタがパリで働く貧しい人々に向けたあたたかいまなざしは、〈小さな職人たち〉をはじめとする絵画だけでなく、彼の文章からも感じられます。フジタはその著書『巴里の横顔』(1929年)や『巴里の昼と夜』(1948年)で、パリの街でよくみられる典型的な人物を取りあげ、彼らの特徴について詳しく語っています。そのなかから〈小さな職人たち〉の連作に描かれている職業に触れた言葉を、図版に添えて掲載しました。
……もっとも、パリの町にタクシーの出来たのは、そんなに古い事ではないので、その昔は、馬車がパカパカと歩いていた。その御者をコッシェといって、今でも僅かの数ではあるが、タクシーと共に働いている。(中略)およそこの人種ほどパリの隅々をよく知っている人種は、パリにも少ないだろう。だからもし、諸君が、多少ロマンティックで、あまりに、実利的な見物をしたくないならば、この小父さんに頼むのが一番いい。何故なら、同時に、ガイドを雇った事にもなるのだから。 -
「母と子」1959年頃
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「守銭奴」1959年頃
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「テレビ」1959年
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「神童」1959年
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「所有者」1959年
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「猛獣使い」1959年頃
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「いたずら者」1959年
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「自転車乗り」1958年
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「朝の買物」1962年
朝食用のパンと牛乳を持つ少女。かつてパリの下町で見られた庶民の姿を愛らしい少女像にして描いた作品。フジタは本作品を「ふたりの子供として置いておこう」と君代夫人に捧げ、晩年まで自室に飾っていました。 -
何よりも技術そのものを重んじ、作家はアルティスト(芸術家)であるよりも前に、腕利きのアルティザン(職人)でなければならないと語ったフジタ。本連作には、彼の職人仕事に対する敬意、そしてパリという街への特別な思いが凝縮されています。
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「マヌカン」1959年
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「税監吏」1959年
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「植物学者」1959年頃
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「監視員」1959年頃
ルーブル美術館の監視員でしょう。 -
「羊飼い」1959年頃
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「弁護士」1959年頃
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「猫を抱く少女」1962年
猫を抱く少女の姿は、フジタが生涯にわたって描いたモティーフのひとつです。古風な衣装を身に着けたこの小間使い風の少女は、他のフジタが描いた子どもたちと同様、想像上の子どもと思われます。少女は室内に設けられたマントルピースの前で落ち着いた面持ちで座り、飼い主に抱かれた猫は、彼女の視線の先と同じところを凝視し、ぎょっとした表情をみせています。この一瞬のけぞるような格好をした猫は、静寂な室内空間のなかで動的なアクセントとなっているとともに、静かに微笑む少女の存在を対照的に引き立てています。 1959年にキリスト教に改宗したフジタは、しだいに聖母子像をはじめとする宗教画を描くことが多くなっていきます。本作品でフジタは、明るい光で少女を照らし出し、背景のマントルピースやアーチ状に映ずる光と影を祭壇に見立てることによって、この室内を神聖なものにしています。 -
連作〈小さな職人たち〉が続きます。
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「眼医者」1959年頃
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「心霊治療師」1959年頃
怪しい商売・・・ -
「マニュキュア師」1959年
ネイルサロンですね。 -
「タバコ屋」1959年
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「パン屋」1958年
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「歯医者」1959年頃
これは痛そう!! -
「猫のペンション」1959年頃
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「ペディキュア師」1959年頃
お洒落ですね。 -
「酒屋」1959年頃
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「肉屋」1959年頃
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連作〈小さな職人たち〉
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「装飾タイル」1958-59年
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「郵便配達夫」1959年頃
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「魚屋」1959年頃
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「風船売り」1959年頃
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「御者」1959年
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「ポスター貼り」1959年
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「小鳥屋」1958年
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「競技者」1959年頃
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「屑拾い」1959年
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「コンシュルジュ(管理人)」1959年頃
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「引越屋」1959年頃
引越しのサカイ -
「小間使い」1959年
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「石炭運び」1958年
現在はない商売です。 -
「パリの祈り」1952年 名古屋市美術館所蔵
パリで戦後最初に描かれた宗教画であり、フジタのキリスト教改宗前から自宅に掲げられ大切にされてきた作品。 -
連作〈小さな職人たち〉
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「彫刻家」1959年頃
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「コルセット職人」1958年
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「刃物研ぎ」1959年頃
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「剥製師」1959年
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「籐職人」1958年
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「家具師」1959年
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「左官」1959年頃
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「モデル」1959年頃
絵画のモデル -
「陶工」1959年頃
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「額縁職人」1959年頃
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「椅子職人」1959年
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「配管工」1959年
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「ペンキ塗り」1959年頃
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「少女」1957年 個人蔵(京都国立近代美術館委託)
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(左)「疑い」1960年
(右)「仲直り」1960年 -
「猫の床屋」1949年
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フジタは1956年から1958年にかけて、彼が1953年のスペイン旅行に際して持ち帰ったアンティークの木製扉を装飾するためのパネル画を制作しました。「スペインの木彫の木戸の欄間にも数十枚の小型の画を挟んだ」とフジタが述べているように、それらは扉に施された寸法の異なる矩形の開口部(フジタのいう欄間)の化粧板として、彼自身によって描き下ろされたものです。それゆえ、それぞれの画面が縦横比の異なる寸法となっており、《くちづけ》のように極端に縦長のものや、《裸の子どもたち》のようにやや横長のもの、また《浴室の少女》のように正方形に近い形のものなど、5種類以上に分類できます。
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(上)「ケープをまとった子供たち」1956年
(下)「裸の子供たち」1956年 -
「ヴァカンス」1958年
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「浴室の少女」1958年
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「十字架」1966年
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「十字架」(裏)
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