2020/08/22 - 2020/08/22
30位(同エリア1497件中)
+mo2さん
長年乗っていた車を買い替えました。ディラーで納車となった後、そのまま箱根までドライブ。ポーラ美術館で開催されている「モネとマティス―もうひとつの楽園」を見に行ってきました。
実は「モネとマティス―もうひとつの楽園」展、開催してすぐの6/6に1度見に行っているのですが、新型コロナウイルス感染症の影響により、海外借用作品の展示が延期になっていました。その後、7/29にニューヨークから4点、8/11にフランスから14点が到着とのお知らせをHPで見ており、今回再び見に行きましたが、展示かなり変わっていました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
PR
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17年乗ったX-Trail、狭い山道もガンガンぶつけたり擦っても気にならない(笑)無敵の車で。全国の一宮やら寺社、世界遺産巡りしてきました。
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しかしながら、昨年ぐらいからあちこち故障がではじめ、今年の夏は、クーラーが壊れてしまいました。部品の取り寄せに時間がかかるうえ修理に、20万弱かかるとのこと。
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・・・ということで買ってしまいました。
またX-Trailですが、さすが17年も経っていると車も色々進化しています。フルパイロット(自動運転)楽です!! -
車やナビの操作、色々試しているうちにあっという間に到着してしまいました。
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「モネとマティス―もうひとつの楽園」今回は、けっこう人多めです。
ポーラ美術館 美術館・博物館
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展覧会は、第1章ツール・ド・フランスーモネのフランス周遊紀行から始まります。本展覧会は、作品の写真撮影は不可でしたが、展覧会の雰囲気忘れぬよう過去に撮影した写真で振り返ってみます。
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「貨物列車」1872年と下記の機関車の作品からスタートします。
クロード・モネ「サン=ラザール駅の線路」1877年
モネは、1877年の1~4月にサン=ラザール駅の連作を制作し同年の第3回印象派展に出品しておりますが、そのうちの1枚。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「セーヌ河の支流からみたアルジャントゥイユ」1872年
1871年12月から1878年1月までの間、モネが活動拠点としたのが、パリから10kmほど離れた、鉄道でおよそ15分の距離にある、セーヌ河畔の町アルジャントゥイユでした。セーヌ河が大きく湾曲し、川幅が広く、水深もあるこの地域では、夏に毎週ヨットレースが開催されており、1851年に鉄道が開通してからは、郊外の行楽地として人気を博しました。モネはおそらくマネの紹介で、アルジャントゥイユに家を借りたと言われています。印象派の仲間たちは、夏になるとモネの家を訪れて、この地で共同制作を行っていました。モネが、小舟の上に小屋をしつらえた「アトリエ舟」で制作を始めたのもこの地でのことです。ヨットやボートが浮かぶ河の水面は穏やかですが、流れる雲の動きは、微妙に異なる諧調の灰色とすばやい筆致によっていきいきととらえられています。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「散歩」1875年
1875年頃、モネはパラソルをさす女性と子どもという主題を頻繁に描いていました。登場人物は、モネの妻カミーユと息子のジャンです。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「花咲く堤、アルジャントゥイユ」1877年
モネは、1872年に、パリの北西10km離れたセーヌ河沿いの町アルジャントゥイユに転居し、170点以上の作品を制作していますが、この作品は、最後の作品の1点とされています。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
モネ以外の作品も展示されていました。
ポール・ゴーギャン「ポン=タヴェンの木陰の母と子」1886年
本作品は、1886年の最初のポン=タヴェン滞在の際に描かれたもの。左の上方へと続く森の小道の風景と、右の森のなかに広がる低地の風景で大胆に構成されており、日本の浮世絵の影響がうかがわれます。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
カミーユ・ピサロ「エヌリー街道の眺め」1879年
ポントワーズから隣村エヌリーに続く道の風景。1864年に鉄道が敷設されたポントワーズは、パリの人々の行楽地となりました。ピサロは、1866年から1882年まで、ポントワーズとその周辺で約300点の油彩画を制作しています。緑豊かな風景を描いた本作品で、ピサロは微妙な諧調の色彩のタッチをさまざまな方向に置き重ねることにより、大気や風の揺らぎを感じさせる情緒豊かな画面を創り上げています。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「グラジオラス 」1881年
日本の掛物を思い起こさせる縦長の画面に、一輪のグラジオラスの花が描かれています。奥行きをあまり感じさせない空間表現や、抑えられた微妙な色彩、壺に生けられた一輪の花という単一のモティーフの選択、そして素早い筆さばきが生み出す線のリズムなど、本作品には日本美術の影響が随所に認められます。グラジオラスを描いたこの2点の作品は、1882年の第7回印象派展に出品されました。
本作品を描いた翌年の1882年から1885年、モネは画商ポール・デュラン=リュエルの私邸のサロンの扉のために36枚の装飾パネルを制作しました。花や果物をモティーフとしたそのパネルの中には、壺に生けられた数本のグラジオラスを描いた縦長のものも含まれていました。こうした一連の作品は、モネの装飾性に対する高い関心を示していると言えるでしょう。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「セーヌ河の日没、冬」1880年
1880年1月異例の寒波により結氷していたセーヌ河の氷が突然割れて一気に流れ始めたがその時描いた10数点のうちの1点。※本展覧会での写真撮影ではありません。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「エトルタの夕焼け」1885年
ノルマンディーの英仏海峡に面した漁村エトルタの海岸を描いた作品。石灰層の巨大な絶壁の「アモンの断崖」や「アヴァルの門」などは景勝地として知られています。「アヴァルの門」の近くには、モーリス・ルブランの小説「怪盗アルセーヌ・ルパン」シリーズの『奇巌城』(L’aiguille Creuse)のモデルとなった岩、エギユ(針)島があります。モネはエトルタに1883年の1-2月に滞在して以降、1886年まで毎年訪れています。本作品では、エトルタのカジノのテラスから見た、夕陽の残照に赤く染まる水平線近くに垂れこめた雲と空、そしてアヴァルの門の前景の浜辺に3艘の舟を配し、日の終わりの一瞬の風景の輝きと静けさを描きとめています。モネは、逆光を受けた断崖と、夕焼けに赤く染まる空の色の変化と雲の流れをすばやく描き止めています。浜辺に打ち上げられた3艘の船は、どこかもの悲しく、ロマンティックな旅情を誘います。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「グランド・ジャット島」1878年
この作品に描かれたグランド・ジャット島とは、パリの北西1.5km、ブーローニュの森の北、ヌイイとルヴァロワにまたがって位置する、セーヌ河に浮かぶ細長く全長約2kmと200mの二つからなる中州のことです。スーラの《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1884-1886年、シカゴ・アート・インスティテュート蔵)でも有名な、19世紀半ば以降、舟遊びなどで人気のある行楽地でした。モネは、この行楽地の風景を、島の西端から見て描いています。曲がりくねった島の周囲の散歩道と暗い色彩で描かれた点景の人物たちは、いずれも奥行を表わしており、画面中央には、アニエールの鉄橋とクリシーの工場の煙突と灰色の煙が見えます。のどかな田園と産業化の要素の対比は、モネが1870年代後半によく用いた手法であり、この作品は、フランスの19世紀後半の社会と風景の変化の記録といえます。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「ヴァランジュヴィルの風景」1882年
1882年にモネは、ノルマンディーの英仏海峡に面した海辺の避暑地プールヴィルと西隣のヴァランジュヴィルの周辺に2度にわたって滞在し、約100点の海景画を制作しました。この地域は、海に面する断崖と渓谷がみられるダイナミックな地形を特徴としています。この年の夏に、ヴァランジュヴィルの低地の前に生える木々を描いたのが本作品です。 青い海と空に向かって開かれた高台の風景を、横に並んだ背の高い木々が遮っています。水平線には、ディエップの白い断崖が描かれています。木々の間に風景を臨む構図は、西洋絵画ではめずらしいものですが、モネは日本の浮世絵の構図から着想を得たと言われています。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
ピエール・オーギュスト・ルノワール「ムール貝採り」1888-89年頃
6/6訪問時には展示されていました。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
ジョルジュ・スーラ「グランカンの干潮」1885年
新印象派の創始者であり、点描表現を用い、新たな表現様式を確立したジョルジュ・スーラの作品。第2回アンデパンダン展に「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(1884-1886年、シカゴ美術館)とともに出品された作品。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
ピエール・ボナール(左)「山羊と遊ぶ子供たち」「りんごつみ」1899年頃
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
第2章 ジヴェルニー-地上の楽園は、モネのジヴェルニーの邸宅前の写真から始まります。こちらは写真撮影OKでした。
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クロード・モネ「ジヴェルニーの冬」1885年
モネ一家がジヴェルニーの村に移住したのは1883年4月のことでした。これ以来、この地はモネの終の棲家となります。ジヴェルニーの雪景色を、モネは丘の上から村を見下ろす構図で描きました。教会の三角屋根や寄り添うようにして建つ家々を覆う雪は、影の部分に青みを帯びた色彩を用いて描かれています。モネは、数多くの雪景を残した画家としても知られています。本作品でも、モネは雪の白にさまざまな諧調を見出し、その微妙な違いを見事に表現しています。ノルマンディーとイル=ド=フランスの境に位置するジヴェルニーの冬の積雪はそれほど多くありませんでした。それを不満に思っていたモネは、1895年にノルウェーを訪れ、冬の国の白銀の世界を描いています。 -
クロード・モネ「ジヴェルニーの積みわら」1884年
1880年代終わりから晩年にかけてのモネの作品は、一つのテーマをさまざまな天候や、季節、光線のもとで描く「連作」が中心になりますが、これはモネが愛好していた葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『名所江戸百景』といった浮世絵から発想を得た可能性があると考えられています。1891年5月、モネは15点の「積みわら」の連作をデュラン=リュエル画廊で発表しており、そのうちの1点です。「ジヴェルニーの積みわら」は、6月訪問時は、埼玉県立美術館所蔵の作品も展示されていました。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「セーヌ河の朝 」1898年 国立西洋美術館所蔵
現在21点の存在が知られている「セーヌ河の朝 」連作の1点。国立西洋美術館からは、個人蔵の「柳」1897-98年頃が出展されていました。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「セーヌ河の朝」 1897年 ひろしま美術館所蔵
1896年と翌年の夏、モネはジヴェルニーの自宅からほど近いセーヌ河に通い本作を含む「セーヌ河の朝」の連作に取り組んでいます。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「国会議事堂、バラ色のシンフォニー」1900年
1900年冬に、モネは息子ミシェルが留学していた英国のロンドンに滞在し、「国会議事堂」の連作を描いています。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「ルーアン大聖堂」1892年
セーヌ河右岸に建つノートル=ダム大聖堂のファサード(西正面)を、モネは夜明け直後から日没直後のさまざまな時間まで、異なる天候のもとで描き出して、その数は33点にまで及んでいます。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「サルーテ運河」1908年
1908年の9月末から12月にかけて、アメリカ人画家ジョン・シンガー・サージェントの友人の招待により、モネは妻のアリスをともなってイタリアのヴェネツィアに滞在しました。静養が目的でしたが、彼はホテル・グランド・ブリタニアで制作に没頭します。モネがヴェネツィアを描いた作品は約40点残されていますが、本作品を含む29点は、1912年5月に開催されたベルネーム=ジュヌ画廊の個展で展示されました。モネは、グラン・カナル(大運河)の近くに位置するサルーテ聖堂周辺の運河の風景を描いています。建物を照らす午後の強い光をモネはあざやかな色彩で表現していますが、その色使いは豊かでいきいきとしており、同時代のフォーヴィスムの色彩にさえ接近しています。水の都ヴェネツィアをはじめて訪れたモネは、もう一度来たいと願っていましたが、結局この旅行が最後の制作旅行となってしまいました。 -
クロード・モネ「バラ色のボート」1890年
モネは、1880年代後半から1890年にかけて、エプト川での舟遊びの情景を描いていますが、この作品は、モネの人物画の最後の大作であるとともに、水面下の水草の動きと神秘的な暗い光を描いた最初の試みでもあります。
今回は、隣に同じ雰囲気の作品、マルモッタン・モネ美術館所蔵の「小舟」が展示されていました。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
第3章〈睡蓮〉-循環する自然
クロード・モネ「睡蓮」1907年。※本展覧会での写真撮影ではありません。
本作品以外も日本国内のモネの睡蓮が集結しており見事でした。アサヒビール大山崎山荘美術館(京都)、鹿児島市立美術館(鹿児島)、和泉市久保惣記念美術館(大阪)、群馬県立近代美術館(群馬)など。その中でもアサヒビール大山崎山荘美術館の作品と並んで好きな1点。 -
クロード・モネ「睡蓮」1906年 吉野石膏コレクション
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
クロード・モネ「睡蓮の池」1899年。※本展覧会での写真撮影ではありません。
今回は、サン=テティエンヌ・メトロポール近現代美術館の作品とマルモッタン・モネ美術館からの見事な4点が追加展示されていました。 -
第4章 東方からの啓示―マティスにおける異国趣味
ここからマティスの作品が続きます。 -
アンリ・マティス「横たわる裸婦」1921年
裸婦の頭にターバンが巻かれていることから、本作品は、1917年に始まる第一次ニース滞在期に集中して描かれたオダリスクを主題とする作品のひとつに位置づけることができます。描かれている場所はおそらく、この時期にアトリエとしていたニースのシャルル・フェリックス広場1番地のアパートで、オダリスクに扮しているのは、制作の前年からモデルを務め始めたアンリエット・ダリカレールと考えられます。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
アンリ・マティス「両腕をあげたオダリスク」 1921年 Artizon Museum所蔵
マティスのオダリスク絵画に出てくるモデルの女性のほとんどは、当時のマティスの主要モデル。なお、オダリスクとは、ハーレムの女奴隷を意味する言葉です。 -
アンリ・マティス「オダリスク」 1926年 Artizon Museum所蔵
オダリスクは、アングルやドラクロワ、ルノワールらによって描かれたオリエンタリスムの典型的な主題の1つ。 -
アンリ・マティス「石膏のある静物」 1927年 Artizon Museum所蔵
マティスは人物画を得意としていましたが、静物画にも積極的に取り組みました。鮮やかな赤色が目を引く、この作品の無造作に置かれた果物や中央に石膏像を配した構図は、セザンヌからの強い影響を想起させます。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
ピエール・ボナール「浴槽、ブルーのハーモニー」1917年頃
ピエール・ボナールは、ナビ派に分類されるフランスの画家。本作品は、伴侶マルトが体を洗う姿を描いています。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
ピエール・オーギュスト・ルノワール「休息」1916-17年
入浴の後と思われる裸婦が寝台に横たわる、室内での休息のひとときが描かれています。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
ピエール・オーギュスト・ルノワール「水浴の女」1887年
6/6に訪れたときは、海外からの作品がコロナの影響で間に合わず、本作品をはじめとするポーラ美術館所蔵のルノワールの作品が多く展示されていました。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
アンリ・マティス「襟巻の女」1936年
幾何学的な色面を背景に、のびやかな女性像をこの上なくシンプルに表すマティスらしい作品。※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
アンリ・マティス「窓辺の婦人」1935年
室内で頬杖をつく女性像が描かれていますが、パターン化された装飾文様はみられず、壁や窓枠、そして女の服を彩る青を基調に、カーテンや机にみられる黄やオレンジが相補的に配されています。また、窓枠や机などの作り出す直線の効果を緩和するかのように、女の背後に葉を広げる植物が描きこまれている点でも、相異なる要素による画面の均衡が図られています。さらに異質な要素として画面上で統合されているのが、窓を境とした室内と屋外です。室内に多用されている青は、色調を異にしながらも、窓を通して覗くニースの空と海の描写にも用いられています。色彩による両者の連続は、その境となる窓枠にもうかがえ、内側の枠に沿って外側に、もうひとつの枠が色調を変えて描かれています。女が肘をつく卓上に、屋外を彩る青の斑紋が複数おかれているのも、窓の内と外との連続を表しているのしょう。マティスにとって、室内は物理的に閉じられた空間ではなく、色彩によってその外に開かれ、連続する可変的な空間でした。モデルとして描かれているのは、1930年代からモデル兼助手を務め始めたリディア・デレクトルスカヤであると考えられます。
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
アンリ・マティス「室内:二人の音楽家」1923年
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
アンリ・マティス「中国の花瓶」1922年
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
アンリ・マティス「紫のハーモニー」1922年
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
アンリ・マティス「ミモザ」1949年 池田20世紀美術館
初春に作ミモザの花をモティーフとした切り紙絵。濃さ作品を下絵としてアメリカのサンダー・スミス・カーペット社がタペストリーを500部限定で制作しています
※本展覧会での写真撮影ではありません。 -
アンリ・マティス「リュート」1943年
目の醒めるような朱色の部屋が特徴的な作品。
※本展覧会での写真撮影ではありません。
中止や延期となってしまった展覧会が多い今年ですが、久々に楽しめた展覧会でした。
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