2020/11/14 - 2021/01/30
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+mo2さん
ポーラ美術館で「Connections―海を越える憧れ、日本とフランスの150年」が開幕(11/14より)されたので早速、見に行ってきました。ジャポニスムと関係の深いモネやゴッホ、フランスで学んだ黒田清輝や岡田三郎助、
そしてセザンヌやルノワールと彼らに心酔した安井曾太郎など、19世紀後半から現代に至るまでの「美の往還」を辿る展覧会、出展作品はポーラ美術館のコレクションが大半(ポーラ美術館のコレクション約80点、国内外から借用約50点)でしたが見どころの多い素晴らしいものでした。展覧会の様子を何回かに分けて紹介したいと思います。
1/30 再訪 後期展示作品追加しました。
以下、ポーラ美術館「Connections―海を越える憧れ、日本とフランスの150年」HPより参照
第1章 ジャポニスム-伝播する浮世絵イメージ
1867年、第2回パリ万博が開催され、日本が正式に初参加を果たします。
フランスと日本の「美の往還」の歯車が本格的に動き始め、フランスを中心とする西洋では「ジャポニスム」が盛り上がりをみせていきます。モネやゴッホは浮世絵をコレクションし、その斬新な構図や色使いを自作に取り込んでいます。歌川広重や葛飾北斎といった浮世絵師が世界的に人気があり、日本の象徴とみなされているのは、このジャポニスム現象がもたらしたある種の「幻想」であるといえます。
現代美術家の山口晃(1969-)が、浮世絵の表現を踏襲して描いた現代の街並がユーモラスに感じられるのも、ジャポニスムを介して、浮世絵が日本人にさえも最も身近な「日本の伝統」として認識されているためでしょう。
※作品の解説等は、ポーラ美術館のHPから参照しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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19世紀後半から20世紀にかけて、新しい美の基準や感性を模索する上で互いに必要不可欠な存在だった日本とフランス。ポーラ美術館のコレクション約80点を軸に国内外から約50点を借用し2つの国、双方の「美の往還」を辿ります。
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会場に入ると本展のみどころ作品、モネの作品や歌川広重の浮世絵、黒田清輝の師ラファエル・コランの作品などが並びます。展覧会のほぼすべての作品の写真撮影がOKとなっていたのには驚きました。
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クロード・モネ「ヴァランジュヴィルの風景」1882年
1882年にモネは、ノルマンディーの英仏海峡に面した海辺の避暑地プールヴィルと西隣のヴァランジュヴィルの周辺に2度にわたって滞在し、約100点の海景画を制作しました。この地域は、海に面する断崖と渓谷がみられるダイナミックな地形を特徴としています。この年の夏に、ヴァランジュヴィルの低地の前に生える木々を描いたのが本作品です。 青い海と空に向かって開かれた高台の風景を、横に並んだ背の高い木々が遮っています。水平線には、ディエップの白い断崖が描かれています。木々の間に風景を臨む構図は、西洋絵画ではめずらしいものですが、モネは日本の浮世絵の構図から着想を得たと言われています。 -
葛飾北斎「冨嶽三十六景 東海道程ヶ谷」天保1-天保3年(1830-32)頃 東京富士美術館所蔵
程ヶ谷は現在の神奈川県横浜市保土ヶ谷区。程ヶ谷宿近くの品濃坂は松並木が見事だったそうです。北斎はその松の枝振りを見事にとらえて描いています。中央の馬子が、松の間から見える富士を仰ぎ眺めています。 -
歌川広重「冨士三十六景 東都隅田堤」安政5(1858)
歌川広重により富士山を主題として描かれたシリーズ。本作より前に描かれた葛飾北斎の「富嶽三十六景」 から着想していると考えられます。
※後期展示作品 -
山口晃「新東都名所 芝の大塔」平成26年(2014) ミヅマアートギャラリー所蔵
現代の東京の都市風景を象徴するように、東京タワー(芝の大塔)が遠景に描かれています。左下に「神明坂」の標識があることから、港区三田の神明坂からの眺望で右側に見えるのは元神明宮であることがわかります。実際には神明坂から見える東京タワーは非常に小さいのですが、浮世絵独特の構図の遊びや斬新な視覚の疑似体験という特徴が表れています。 -
ラファエル・コラン「花月(フロレアル)」1886年 東京藝術大学所蔵
黒田清輝や岡田三郎助を通じて、後の日本の近代洋画界に多大な影響を与えたラファエル・コラン。本作品は、1886年のサロン出品作であるコランの代表作。本作には複数のヴァリエーションが残されており、本展にもオルセー美術館所蔵のものと本作の東京藝術大学所蔵の2点が出展されていました。 -
岡田三郎助「裸婦」1936年
岡田 三郎助は、佐賀県に生まれ、明治~昭和にかけて活躍した洋画家、版画家。女性像を得意とし、日本的な感覚の洋画に秀作を残しています。 -
安井曾太郎「薔薇」1954年
安井は風景画や人物画に加え、静物画も数多く描きました。なかでも花はよく取り上げられたモティーフのひとつであり、とくに薔薇を好んでいたようです。「花そのものの変化ある形の美しさにいつも感心」したという言葉から、形態の面白さで薔薇を取り上げていたことがうかがえます。本作品には1954年(昭和29)の年記が入っており、死の前年に描かれた最晩年の静物画のひとつであることがわかります。同じ年に安井は神奈川県の湯河原に居を移し、身近な物や家族、アトリエから見える風景などを描いていたという。安井の薔薇といえば桃色や薄紫色をふんだんに使った、あざやかな色彩が特徴であるが、本作品にはそういった明るさはなく、暗く重苦しい色彩がするどく心に迫ります。 -
エミール・ガレ「耳付偏壺」1876-1889年頃
胴部の中ほどを押しつぶしたように窪ませた耳付扁壺。日本風の枠組みのかなに草花や鳥を描き、周囲に金彩で青海波などの日本的文様を散らしています。ガレがグレ風と呼んだ軟質陶器で、高めの焼成温度で焼き上げているため、叩くと多少金属的な軽快な音が響くそうです。 -
ー第1章 ジャポニスム-伝播する浮世絵イメージ
1867年、第2回パリ万博が開催され、日本が正式に初参加を果たします。フランスと日本の「美の往還」の歯車が本格的に動き始め、フランスを中心とする西洋では「ジャポニスム」が盛り上がりをみせていきます。 -
歌川広重「名所江戸百景 目黒太鼓橋夕日の岡」安政4年(1857) 東京藝術大学所蔵
石造アーチ橋、太鼓橋の左は行人坂、右は目黒不動道です。画面奥が目黒川の下流になります。 左側の斜面は夕日の岡、現在の雅叙園の位置で、当時は熊本藩細川家の下屋敷でした。 画の右下に見える屋根は、江戸名所図会を見ると茶店で暖簾に「正月屋」とあり、 「しるこ餅」と行灯に書いてあります。
学生時代、目黒に住んでいたので毎日、太鼓橋を通っていましたが、現代の光景はまったく違います。 -
歌川広重「名所江戸百景 堀切の花菖蒲」安政4年(1857) 東京藝術大学所蔵
近景に大きく菖蒲の花、花の間に見物の人々の姿を配し、低くおさえた遠景は画面に広がりを見せています。安政頃に刊行された『江戸近郊名所案内』に「堀切村百姓伊右衛門、花菖蒲の名所なり」とあります。5月頃には瑠璃色・純白・絣など色とりどりの菖蒲の花が人々の目を楽しませた。堀切という地名は、葛西一族の城郭跡だそうです。 -
歌川広重「名所江戸百景 日本橋雪晴」安政3年(1856) 東京藝術大学所蔵
歌川広重『名所江戸百景』では第1景となる「日本橋雪晴」江戸経済の中心地・日本橋のにぎわいを描いた一枚。
※後期展示作品 -
二代歌川広重「東都三十六景 山王権現雪中」文久元-2年(1861-62)
江戸城の鎮守 山王権現社。江戸三大祭の一つ、山王祭が行われます。明治に入り社名を日枝神社と改めています。
※後期展示作品 -
二代歌川広重「東都三十六景 浅草金龍山」文久元-2年(1861-62)
※後期展示作品 -
山口晃「新東都名所 東海道中 日本橋改」平成24年(2012) ミヅマアートギャラリー所蔵
山口晃「新東都名所 東海道中 日本橋改」には、過去と現在の日本橋の様子が層をなして描かれています。一番下には明治44年に架けられた石造二連アーチの橋が、その上には昭和39年東京オリンピックの前年に完成した首都高速道路が走っています。さらにその上部に江戸時代の風景を連想させる太鼓橋を渡しています。
建設時には様々な議論を醸した首都高ですが、山口は橋と道路が重なり合う独特のの風景に想を得て、様々な歴史と文物、そして人間が往来し交錯する日本橋の情景を斬新な手法で表現しています。 -
山口晃「道後百景 伊佐爾波神社」平成29年(2017) ミヅマアートギャラリー所蔵
「道後アート2016」のアートワークのひとつ、「道後エトランゼマップ」のために山口晃氏が描き下ろした本作。よそからやってきた夏目漱石が松山を舞台に書いた小説『坊ちゃん』のように、アイロニーとユーモアを込めて、“よそもの”視点で道後の街並みが描かれています。温泉街を見下ろす高台にある「伊佐爾波神社」へと続く、長い石段を望む参道には、夏目漱石に扮した山口氏の姿も見えます。まさに、現代の“名所絵”と言える作品です。 -
溪斎英泉「花魁道中─鯉の滝のぼり打掛」(部分拡大)天保13年(1842)東京富士美術館所蔵
英泉は歌川国貞とほぼ同時期の文化、文政、天保期に活躍した浮世絵師。武士の子として生まれたが士官先を追われ、狂言作家見習い、造り花屋への寓居などを経て菊川英山について浮世絵師となり、のち娼楼を営むなどめまぐるしい人生を歩んだ人物です。様々な人生経験から生まれた英泉の描く美人がは、艶っぽく妖艶な官能美を漂わせています。 -
溪斎英泉「花魁道中─鯉の滝のぼり打掛」(部分拡大)天保13年(1842)東京富士美術館所蔵
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歌川広重「富士三十六景 武蔵越かや在」安政5年(1858)
うららかな元荒川の河畔の春。生まれたての緑と菜の花の黄色、花木の桃色、明るい春の息吹があふれています。川を下る船も岸辺を行く人々もゆったりとおおらかです。速筆で写実的に描かれた菜の花がさらに情趣を添えています。 -
歌川広重「冨士三十六景 さがみ川」安政5年(1858)
現在の神奈川県海老名市と厚木市を結んでいた渡し場。作中にも筏で相模川を渡る船が描かれています。本作はゴッホの「タンギー爺さんの肖像」の背景に描かれていることでも有名な作品。
※後期展示作品 -
作品は一部、途中で展示替えがあるようです。
前期:2020年11月14日ー2021年1月24日
後期:2021年1月25日ー4月4日ポーラ美術館 美術館・博物館
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フィンセント・ファン・ゴッホ「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」1888年
1888年2月、ファン・ゴッホは南仏プロヴァンスのローヌ河畔のアルルに到着しました。アルルはローマ時代からの歴史ある町で、市街には遺跡が多く残されています。ゴッホは、明るい陽光に満ちた南仏を、日本のあざやかな浮世絵の世界に重ね合わせ、憧れの日本のような場所と考えていました。彼は、ラマルティーヌ広場に面した「黄色い家」で、パリからやって来たゴーガンと約2ヵ月間生活をともにするが、耳切り事件によって二人の共同生活は幕を閉じます。アルルに滞在した約15ヵ月間で、ゴッホは約200点の油彩画を制作しました。「ここの自然は並はずれて美しい。いたるところ完璧だ。空の穹窿と見事なブルー、太陽の輝きは硫黄が燃える青白い炎の色だ」。本作品は、アルル到着後まもなく制作されました。ヴィゲラ運河のグレーズ橋はアルルの南に位置していました。ゴッホは橋と土手の黄色、空と運河の水面の青色に加え、橋上の人物や奥に広がる低木材、ボート、洗濯女たち、水面の煌きなどにアクセントとして赤を用いています。 -
クロード・モネ「花咲く堤、アルジャントゥイユ」1877年
モネは、1872年に、パリの北西10km離れたセーヌ河沿いの町アルジャントゥイユに転居し、1878年1月まで住んでいます。1851年の鉄道開通によってパリと結ばれたアルジャントゥイユは、セーヌでの川遊びなどのレジャーでにぎわう行楽地でしたが、急速に産業化していきました。工場が建設されて、のどかな美しい風景は変貌していきます。町には工場労働者が増加し、セーヌ河も汚染されてしまいました。このアルジャントゥイユで、モネは170点以上の作品を制作していますが、この作品は、最後の作品の1点とされています。モネは、煙を上げる煙突がみられる工場を背景に、ダリアの花咲く緑の草むらを前景に置き、都市の産業化と美しい自然を対比させて描いてます。この、画面の上方に水平線を置いて、手前に大きく、視界を遮るようにモティーフを配する構図には、日本の浮世絵の構図の影響が指摘されています。 -
二代歌川広重「東都三十六景 両ごく橋」文久元-2年(1861-62)
二代歌川広重は、江戸時代末期から明治初期にかけての浮世絵師。 -
「パリ・イリュストレ」誌 No45&46合併号
1866年5月号 日本特集 -
「芸術の日本」1888-91年刊
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葛飾北斎「冨嶽三十六景 常州牛堀」天保1-天保3年(1830-32)頃 東京富士美術館所蔵
現在の茨城県潮来市のあたりから富士山を描いた図で、当時霞ヶ浦は、富士が眺望することのできる景勝地として知られていました。霞ヶ浦に浮かぶ苫舟を近景に大きく描き出し、藍色を基調にすることによって、冬の朝の凍えるような寒さを表現しています。
※後期展示作品 -
開幕初日、それなりに人はいましたが、ゆっくり見て回ることができました。
最初は写真を撮りながら一通り、次は気になった作品だけじっくりと展覧会を2回回りました。 -
クロード・モネ「バラ色のボート」1890年
モネは、1880年代後半から1890年にかけて、エプト川での舟遊びの情景を描いていますが、この作品は、モネの人物画の最後の大作であるとともに、水面下の水草の動きと神秘的な暗い光を描いた最初の試みでもあります。 -
クロード・モネ「睡蓮の池」1899年
睡蓮は300点以上描いているのであちこちで見れますが、こちらはいわゆる「睡蓮」第1連作で、太鼓橋を中心に、睡蓮の池と枝垂れ柳が、光の変化に従って描かれています。 -
「睡蓮の池」(部分拡大)
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二代歌川広重「東都三十六景 亀戸天満宮」文久元-2年(1861-62)
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エミール・ガレやドーム兄弟などのナンシー派の芸術家たちも「北斎漫画」や浮世絵、日本の工芸品を参照していました。特にガレとジャポニズムは深く結びついており、1870年代前半から日本の美術品を集めたガレは「北斎漫画」などからモティーフの転用を行うだけでなく、日本人の美意識や自然観を深く理解し応用することで、独自の作風を確立していきました。
ポーラ美術館 美術館・博物館
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エミール・ガレ「雪景文花器」1897-1900年頃
ガラスが熱い段階でコテを用いて口造りを三葉形に加工した筒型容器。降り積もった雪の重みで枝が垂れ下がっています。その下にはモミのような樹林が白いシルエットで表されています。 -
エミール・ガレ「雪景文花器」1897-1900年頃
白いガラス粉末を混入した淡緑色透明地に白を被せ、エッチングでモティーフの輪郭を浅く浮き彫りしてエナメル彩色を施しています。江戸時代の狩野派などの日本絵画に登場する松に鷹のテーマを模倣したジャポニスム関連のデザインです。クリスマスギフト用に製造された商品と思われ、松の枝先に降り積もった雪が丸く固まった様子を、雪の花が咲いた情景に見立てた銘文が記入されています。その意味を日本的に言えば「謹賀新年」。 -
エミール・ガレ「草花文耳付花器」1895年頃
透明地に白、赤、黄の3色を重ねた4層被せガラス。貴金属箔をガラス層に挟みこむサンドイッチ技法が用いられ豪華な雰囲気を演出しています。ガラスの肌をエッチングを用いて浅く削り、網目模様を廻らせ、菊や蝶、風になびく野草などを、厚めに盛り上げたエナメル彩と金彩を併用して描いています。底に近い赤色層に散らされた足を引き上げた姿勢のカエルのモティーフ群は、葛飾北斎の『北斎漫画』から引用されています。左右の取手はガラスが熱いうちに熔着したものです。 -
ドーム兄弟「マロニエ文花器」1907-10年
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エミール・ガレ「菊花文鶴頚花器」1900年頃
褐色透明地をエッチングで彫刻し、エナメル彩と金彩で菊、蝶、霞など日本風の文様を描いた製品。金彩を多用する色使いに日本の薩摩焼などからの影響がうかがえます。 -
エミール・ガレ「菊にカマキリ文花器」1880年代
褐色の透明地を型吹きした花器。リンドウの花のように口を開いた器の形状は古代中国の殷の青銅器「觚(こ)」の形態を模倣したともいわれています。口の周囲や胴の中央部に鱗文風の線刻文様を散らしているのも中国的な雰囲気を感じさせ、ブロンズ製台座の複雑な装飾も中国風です。しかし、エナメル彩と金彩を併用して描かれているモティーフは菊にカマキリという日本的なもの。おどけた表情を見せるカマキリの足元や口の周囲には松葉のような弧線が添えられています。別面には八重咲きの赤い菊が描かれています。 -
エミール・ガレ「菊にカマキリ文花器」1884-1904年
金型を使用して畝状の縦溝を入れた褐色透明ガラス。カマキリと菊の装飾はエナメル彩に金彩を併用して描いています。口縁部の波状装飾はヨーロッパ中世のミニアチュールの縁取りなどに登場するモティーフを参照したものです。 -
山口晃氏は1969年東京都生まれ、群馬県育ちの日本画家。大和絵や浮世絵のようなタッチで、非常に緻密に人物や建築物などを描き込む画風で知られます。
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山口晃「新京都百景 志賀街道 子安観音」平成29年(2017)作家蔵
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山口晃「新京都百景 貴船川床」平成30年(2018)作家蔵
本展覧会で、初めて山口晃氏の作品を見ましたが、斬新な表現で驚かせされました。今後も多くの作品が見れたらと思います。 -
山口晃「新京都百景 西本願寺 総門」平成30年(2018)作家蔵
※後期展示作品 -
山口晃「新東都百景 谷中雨やどり」平成22年(2010)作家蔵
※後期展示作品 -
エドガー・ドガ「入浴する女」1894年頃
エドガー・ドガもまた、日本美術を愛好した芸術家として知られています。特にデッサンを重視し、人体描写に飽くなき探求心を持っていたドガは、「北斎漫画」に登場する人々のくつろいだポーズや滑稽にさえ見えるありのままの姿に興味を抱いたと考えられます。女性の日常的な入浴シーンを主題とした「入浴する女」では、今まさに浴槽に入ろうとしているのか、かがんだ女性の自然な姿が描かれています。 -
エドガー・ドガ「踊りの稽古場にて」1884年頃
バレエの踊り子を描いた作品で知られるドガは、「踊りの稽古場にて」のように、画面の一方に踊り子の集団を寄せて、もう一方にはゆったりとした空間を設けるなど、斬新な構図の模作にも余念がありませんでした。 -
エドガー・ドガ「マント家の人々」1879-1880年頃
ドガは本作品で、1848年から1894年にオペラ座のオーケストラのコントラバス奏者をつとめ、写真家でもあったドガの友人ルイ=アメデ・マントの家族を描いています。1857年に歌手と結婚したマントは7人の子どもをもうけ、シュザンヌ(1871-1959)、ルイーズ(1875年生)、ブランシュ(1877年生)の娘3人がバレエ学校に入学しました。ドガは一時期、この一家の近くに住んでいました。 高い視点からとらえられた人物が縦長の画面に見事に配置されています。うつむいて身支度の世話をしてもらっているのは1878年、7歳でバレエ学校に入学したシュザンヌです。バレエ学校や舞台裏でよくみかける、母親が娘の世話をする光景を描いた本作品は、肖像画であり風俗画でもあるといえます。画面左の街着の少女は妹ブランシュ、または華やかな踊り子姿に対比するように描かれた地味な街着姿のシュザンヌであるとの解釈もされています。 本作品の制作年は、パステルの描法の考察により1889年頃から1879-1880年頃との修正説が出されていますが、モデルの年齢を考慮するとその可能性も考えられます。
※後期展示作品
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