2021/04/03 - 2021/04/03
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FUKUJIROさん
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2024年から新しい一万円札の肖像に描かれることになった渋澤栄一翁の生誕地である埼玉県深谷市を訪問しました。
渋澤栄一翁は埼玉県生まれの最も偉大な方ではありますが、これまであまり馴染みがない方が多かったかも知れません。
「クレヨンしんちゃん(埼玉県春日部市)」に知名度で負けていた渋澤翁でしたが、今年2021年はNHK大河ドラマ「青天に衝け」の主人公として全国に知れ渡り、そして、新一万円札の顔になるのですから、地元深谷市をはじめ埼玉県全体が盛り上がっているのです(個人の感想です)。
午前中、県北に仕事で行った帰りに「論語の里」に立ち寄りました。
コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過し感染していないことを確認してから旅行記を公開しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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鹿島神社です。渋澤翁の講義を聴いてから尾高惇忠(じゅんちゅう)翁の生家に向かう途中にあります。参道の両側に立派な石灯籠が建っています。
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鹿島神社の参道。
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鹿島神社の鳥居。
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参道の両側に狛犬がいます。
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大欅の株が保存されています。
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かつて、この株の中央には御神水が湧き、共同風呂があったそうです。渋澤栄一翁の母えいは、御神水を汲み、らい患者の背中を流したと伝わっています。
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鹿島神社の拝殿。旧下手計村の鎮守社です。文化7年(1810年)建立。
平将門追討の際に、源経基の家臣・竹幌太郎がこの地に陣を置いたことが起源と伝わっているそうで、将門所縁の私としてはやや複雑な思いです。 -
鶴の彫刻。
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渋沢栄一翁が揮毫した扁額。
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拝殿に掲げられている「克己復禮」の額。
尾高惇忠の二男・尾高次郎の書です。尾高次郎は、第一銀行の釜山支店長や仁川支店長を歴任し、後に武州銀行の初代頭取に就きました。 -
鹿島神社のご本殿。
御祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。 -
ご本殿内部。
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本殿の真後ろにあった社。
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手計不動尊。
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手計不動尊の額。
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御本尊の手計不動明王。
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本殿の東に大黒天がいました。
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鹿島神社境内地確定記念碑。
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本殿東側の桜。
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枝垂れ桜。
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神輿庫の前に建つ鳥居。
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神輿庫。
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神輿。
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神楽殿。白い点々は桜の花びら。
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藍香尾高翁頌徳碑。藍香は、尾高惇忠の号。
この碑は徳川慶喜が篆額を書いています。 -
藍香尾高翁頌徳碑は、高さ4.5m、幅1.9mの大きな石碑です。
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篆額は徳川慶喜が書き、撰文は三島毅、書は日下部東作によります。
文字を刻んだ石工は吉川黄雲です。 -
境内南側の桜も満開でした。
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駐車場のお隣の庭の木です。
一つの枝から紅白の花が咲いています。 -
さて、尾高惇忠の生家に来ました。ここは第2駐車場です。
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尾高惇忠の生家。駐車場から徒歩1分。
渋澤栄一記念館から歩いて10分くらいです。 -
尾高惇忠生家。地区200年以上は経っているそうです。
「中の家」の母屋と同様に屋根には「煙出し」があり、養蚕特有の家屋です。 -
尾高惇忠翁は名主であり、養蚕や藍玉生産のほか菜種油を取り扱っていた油屋でもありました。家業の傍らに私塾尾高塾を開いていました。
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土間でパネル展示を行っていました。土間は一方通行です。
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尾高惇忠生家の室内。
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尾高惇忠翁。下手計村(深谷市)の名主の家に生まれ、渋澤栄一の従兄。
渋澤栄一翁がパリ万国博覧会に外遊中の慶応4年、振武隊を結成して飯能戦争で戦ったものの新政府軍に敗れました。明治維新後、富岡製糸場(世界遺産)の初代場長を務めています。 -
尾高平九郎。尾高惇忠の末弟、後に渋澤栄一の養子となりました。
弱冠22歳で振武隊の参謀となりましたが、飯能戦争で敗れ、敗走中に捕らえられて自刃しました。 -
煉瓦造りの竈。
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尾高家の中庭。左が生家、右が蔵。
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尾高惇忠生家(中庭側)。
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煉瓦造りの蔵。明治30年頃、深谷市で製造した煉瓦を使って建てられました。
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煉瓦造りの蔵。渋澤栄一翁が設立した日本煉瓦製造株式会社(深谷市)は明治21年から操業を始め、東京駅丸ノ内本屋に使われたことで知られています。
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尾高惇忠生家から南へ向かい、小山川を渡って大寄公民館へ向かいます。
歩いても20分弱です。 -
大寄公民館の敷地内に渋澤栄一翁所縁の誠之堂と清風亭があります。
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誠之堂(せいしどう)は、イギリスの農家をイメージした外観で、屋根には風見鶏があります。外装の煉瓦は深谷市にあった日本煉瓦製造のものです。
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渋沢栄一翁は、大正5年(1916年)に喜寿(77歳)を迎えるに当たり、第一銀行頭取を辞任しましたが、喜寿の祝いとして行員たちの出資により誠之堂が建てられました。
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「誠之堂」の名は、儒教の代表的な経典のひとつ「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」から、渋沢栄一翁が自ら命名しました。
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誠之堂は平成15年に国の重要文化財に指定されました。
窓にはステンドグラスがあり、窓と窓の間の煉瓦壁には、赤、黄、黒の3種類の煉瓦を用いた装飾積みで「喜壽」と描かれています(拡大して見てください)。 -
逆光で見にくいですが、小屋根とベランダのあるこちらが正面です。
建築面積112m2。 設計者は、当時第一人者であった田辺淳吉氏です。 -
誠之堂と清風亭は、東京都世田谷区瀬田にあった第一銀行の保養施設に建築されていましたが、平成10年に取り壊しが決まりました。
取り壊しのわずか5日前に深谷市への譲渡が決まり、平成11年に深谷市に復元移築されました。 -
解体移設に当たり、特徴的な煉瓦壁を可能な限り大きく切断することを決めました。画面中央の縦線が切断した痕跡です。
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誠之堂の入り口。建物内も自由に見学できます。
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玄関ホール。
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玄関ホールの右側には化粧の間(入室禁止)があり、その扉には鳳凰と龍のステンドグラスがあります。
中国風の意匠を取り入れ、龍は「男子(皇帝)」、鳳凰は「女子(皇后)」のシンボルになっています。 -
次の間には出窓があります。
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次の間。
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大広間。
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大広間の窓には6面のステンドグラスがあります。
いずれも中国風の意匠です。右の図は、中央の貴人が台に座り、両側に侍者を従えています。左の図は、饗宴に列席している3人の臣下です。 -
宴会のための料理の風景が描かれ、右の図は、魚をさばいている人と、竈で煮炊きしている様子です。左の図は、黍(きび)団子を作っています。
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暖炉。この裏側の壁に「喜壽」の文字が描かれています。
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渋澤栄一翁のレリーフ。
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暖炉から入り口の方向。
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誠之堂と清風亭の間から東方向を見ると、中央付近に1本の白い煙突が見えますが、そこが日本煉瓦製造です。最盛期には煙突が6本建っていました。
深谷市は、日本煉瓦製造のホフマン輪窯を公開に向けて整備中ですが、全国に4基しか残っていない貴重なものです。 -
第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」の碑です。
誠之堂と清風亭が移設された経緯が記されています。 -
清風亭は、大正15年(1926年)に、当時第一銀行2代目頭取であった佐々木勇之助氏の古希(70歳)を記念して、行員たちの出資によって誠之堂と並べて建てられました。
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屋根のスパニッシュ瓦や白壁で覆われた清風亭は、スペイン風の建物として造られました。建築面積168m2で、誠之堂の1.5倍の広さです。
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清風亭の煙突にも装飾積みが施されています。目路によりひし形の模様が作られています。
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渋澤栄一翁記念樹。
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大正12年の関東大震災を教訓として、日本の洋風建築は煉瓦造から鉄筋コンクリート造へと変化しました。その過渡期の建物です。
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設計者は、銀行建築の第一人者の西村好時氏です。
清風亭は、平成16年に埼玉県指定有形文化財に指定されました。 -
正面のベランダと、5連のアーチが印象的な造りです。
あえて左右非対称の構造としているそうです。 -
設計した西村好時氏が「南欧田園趣味」と記述した建物です。
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大きな出窓が印象的です。ベランダのアーチと連関するように、アーチ型の意匠と円柱を模した窓枠を組み合わせています。
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清風亭の入り口です。本来の玄関ではなく、ベランダから入ります。
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大広間。
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ブロンズ製の渋澤栄一翁の像が置かれていました。
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ベランダ側の窓。
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室内の中心に造られた暖炉。
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かつて暖炉上の壁には佐々木勇之助氏の肖像画がかけられていました。
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出窓から見える誠之堂。
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清風亭の北側に見える堤には桜が満開でした。
小山川(下流方向)を渡って桜を見てきます。
写真を拡大すると、赤白の鉄塔の脇に日本煉瓦製造の白い煙突が見えます。 -
小山川の堤には満開の桜と菜の花。
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桜並木です。
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桜並木です。
17時近くなり、写真が撮りづらくなりました。日本煉瓦製造の資料館や深谷駅前広場にも行きたかったのですが、諦めて帰宅しました。 -
JR高崎線の深谷駅です(2019年6月撮影)。東京駅が深谷で製造された煉瓦を使用していることから、平成8年(1996年)に東京駅の丸ノ内口を模して造られました。
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深谷駅の改築に合わせ、平成8年に登場した深谷駅前広場に座る和服姿の渋澤栄一翁像です(2019年6月撮影)。
以前ここにあった像は記念館の裏に移設され、新しくなりました。
知ってるつもりだった渋澤栄一翁ですが、実際に見て回り、資料も読み、やっと少しだけ理解できました。
今回、回った場所は全て無料で見学できました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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