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元禄7年(1694年)1月に7万2000石に加増されて武蔵国川越藩主となった柳沢吉保は同年12月には老中格となりました。元禄9年に新田開拓のため、現在の所沢の地域に上富村・中富村・下富村の3村を開きました。現在は所沢市となっていますが、当時は川越藩の領地でした。<br />このときに農民の祈願所として毘沙門社を創建しました。後に近隣地域より神明社を勧請しました。毘沙門天は、現在は天部として仏教界に位置づけられていますが、本来はヒンズー教の神様で、神仏習合時代には神であり仏でありました。<br />明治になり、神仏分離によって、境内の東側を宝塔山吉祥寺多聞院、西側を神明社と分割したものです。<br />多聞院は牡丹の名所として知られていて、初夏の時期には、300本を超える牡丹が色とりどりの大輪の花を咲かせます。<br />一方、神明社には甘藷之神が祀られている芋神社が創建されました。<br /><br />

川越藩領の多聞院と神明社(芋神社)に参拝しました。

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2020/07/09 - 2020/07/09

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FUKUJIRO

FUKUJIROさん

元禄7年(1694年)1月に7万2000石に加増されて武蔵国川越藩主となった柳沢吉保は同年12月には老中格となりました。元禄9年に新田開拓のため、現在の所沢の地域に上富村・中富村・下富村の3村を開きました。現在は所沢市となっていますが、当時は川越藩の領地でした。
このときに農民の祈願所として毘沙門社を創建しました。後に近隣地域より神明社を勧請しました。毘沙門天は、現在は天部として仏教界に位置づけられていますが、本来はヒンズー教の神様で、神仏習合時代には神であり仏でありました。
明治になり、神仏分離によって、境内の東側を宝塔山吉祥寺多聞院、西側を神明社と分割したものです。
多聞院は牡丹の名所として知られていて、初夏の時期には、300本を超える牡丹が色とりどりの大輪の花を咲かせます。
一方、神明社には甘藷之神が祀られている芋神社が創建されました。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩

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  • 所沢市の多聞院通りを走ると目立つ看板が立っていますので、分かりやすいです。自家用車じゃないと行きにくい場所です。

    所沢市の多聞院通りを走ると目立つ看板が立っていますので、分かりやすいです。自家用車じゃないと行きにくい場所です。

  • 多聞院通りの向かい側に大きな駐車場があります。

    多聞院通りの向かい側に大きな駐車場があります。

  • 参道。正面に見えているのが毘沙門堂です。

    参道。正面に見えているのが毘沙門堂です。

  • 参道の入り口には狛犬が建っています。

    参道の入り口には狛犬が建っています。

  • 元は神社なので狛犬がいるんです。

    元は神社なので狛犬がいるんです。

  • 台座だけが残ったようです。

    台座だけが残ったようです。

  • 古い狛犬でしょうか。

    古い狛犬でしょうか。

  • 手水舎。

    手水舎。

  • 一般的に神社などに見られる龍の手水舎ですが、感染症対策でしょうか、水が出ていませんでした。

    一般的に神社などに見られる龍の手水舎ですが、感染症対策でしょうか、水が出ていませんでした。

  • 昭和54年に再建されたようです。

    昭和54年に再建されたようです。

  • 毘沙門堂。明和3年(1766年)に竣工した建物ですが、老朽化のため、昭和57年(1982年)に大規模な修理が行われました。屋根も藁葺きから銅板葺きに替えられました。

    毘沙門堂。明和3年(1766年)に竣工した建物ですが、老朽化のため、昭和57年(1982年)に大規模な修理が行われました。屋根も藁葺きから銅板葺きに替えられました。

  • 一対の狛犬ではなく狛寅(こまとら)が睨みを利かせています。

    一対の狛犬ではなく狛寅(こまとら)が睨みを利かせています。

  • 狛寅 (吽形)。慶応2年(1866年 寅年)の作。

    狛寅 (吽形)。慶応2年(1866年 寅年)の作。

  • 狛寅の足下にも身がわり寅が置かれていました。

    狛寅の足下にも身がわり寅が置かれていました。

  • 御本尊は、武田信玄が川中島の戦などに際して戦勝を祈願し、兜に納めて戦場に赴いていたと伝えられる黄金の毘沙門天像(約4cm)です。なおこの本尊は12年に一度、寅年の5月1日に開帳されます。次回は2022年です。

    御本尊は、武田信玄が川中島の戦などに際して戦勝を祈願し、兜に納めて戦場に赴いていたと伝えられる黄金の毘沙門天像(約4cm)です。なおこの本尊は12年に一度、寅年の5月1日に開帳されます。次回は2022年です。

  • 毎年5月1日には毘沙門天の化身とされる虎に因んで、寅まつりが催されます。

    毎年5月1日には毘沙門天の化身とされる虎に因んで、寅まつりが催されます。

  • この小さな身がわり寅は、お堂の前で無人販売されています。

    この小さな身がわり寅は、お堂の前で無人販売されています。

  • この日は雨天のため、ビニールシートがかけられていました。一体300円。

    この日は雨天のため、ビニールシートがかけられていました。一体300円。

  • 所狭しと、身に降りかかる災いを託して奉納されていました。

    所狭しと、身に降りかかる災いを託して奉納されていました。

  • もちろん、私も身がわり寅を奉納しました。

    もちろん、私も身がわり寅を奉納しました。

  • 毘沙門堂の隣にも小さなお堂がありました。

    毘沙門堂の隣にも小さなお堂がありました。

  • 詳しいことは不明ですが、大切に祀られています。

    詳しいことは不明ですが、大切に祀られています。

  • 毘沙門堂の奥の墓地に通じる小道。

    毘沙門堂の奥の墓地に通じる小道。

  • 毘沙門堂の裏側。

    毘沙門堂の裏側。

  • 子育・水子地蔵菩薩立像。毘沙門堂から本堂へ向かう途中です。

    子育・水子地蔵菩薩立像。毘沙門堂から本堂へ向かう途中です。

  • 本堂。御本尊は大日如来です。

    本堂。御本尊は大日如来です。

  • 本堂の前には、菅笠を被った笠地蔵。

    本堂の前には、菅笠を被った笠地蔵。

  • 笠地蔵が、貧しいけれど心優しいジー様とバー様にとどけたお米や野菜。もちろんサツマイモもありました。

    笠地蔵が、貧しいけれど心優しいジー様とバー様にとどけたお米や野菜。もちろんサツマイモもありました。

  • 力石の置かれた土俵。

    力石の置かれた土俵。

  • 開運かわらけ当て。

    開運かわらけ当て。

  • 赤いポスト。

    赤いポスト。

  • 紫陽花。

    紫陽花。

  • 毘沙門堂の参道に戻ってきました。左手に、一見、ゴリラのような石像が。

    毘沙門堂の参道に戻ってきました。左手に、一見、ゴリラのような石像が。

  • 鬼の悟り石像。我慢の鬼というところもあります。

    鬼の悟り石像。我慢の鬼というところもあります。

  • 背中に哀愁を感じます。我慢しすぎると良くないですよ。

    背中に哀愁を感じます。我慢しすぎると良くないですよ。

  • 正一位稲荷大明神。

    正一位稲荷大明神。

  • 新しい石像です。お稲荷様の隣にありました。

    新しい石像です。お稲荷様の隣にありました。

  • 奥多摩霊場新四国八十八札所。

    奥多摩霊場新四国八十八札所。

  • 第36番土佐乃国青龍寺のお堂。

    第36番土佐乃国青龍寺のお堂。

  • 多聞院に隣接している神明社。境内からも行き来できます。

    多聞院に隣接している神明社。境内からも行き来できます。

  • 神明社の鳥居。

    神明社の鳥居。

  • 神明社の参道。

    神明社の参道。

  • 龍の手水。

    龍の手水。

  • 神楽殿。

    神楽殿。

  • 天神宮。

    天神宮。

  • 拝殿。<br />御祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、穀物の神様・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、殖産興業の神様・誉田別尊 ( ほんだわけのみこと=応神天皇)、山の神様・大山祇命(おおやまつみのみこと)、安産の神様・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天照大御神の弟神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。

    拝殿。
    御祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、穀物の神様・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、殖産興業の神様・誉田別尊 ( ほんだわけのみこと=応神天皇)、山の神様・大山祇命(おおやまつみのみこと)、安産の神様・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天照大御神の弟神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。

  • 神明社の扁額。

    神明社の扁額。

  • 本殿。

    本殿。

  • 甘藷乃神(いものかみ)。<br />手前の狛犬もサツマイモを抱いていて、表情も穏やかです。

    甘藷乃神(いものかみ)。
    手前の狛犬もサツマイモを抱いていて、表情も穏やかです。

  • 関東にサツマイモを広めた青木昆陽先生と、寛延4年(1751年)に当地でサツマイモを栽培した吉田弥右衛門(名主)を甘藷乃神として祀っています。この辺りはやせた土地でしたが、サツマイモの栽培が成功したことで貴重な現金収入となりました。

    関東にサツマイモを広めた青木昆陽先生と、寛延4年(1751年)に当地でサツマイモを栽培した吉田弥右衛門(名主)を甘藷乃神として祀っています。この辺りはやせた土地でしたが、サツマイモの栽培が成功したことで貴重な現金収入となりました。

  • 撫で芋。やせた土地でも丈夫に育ち、干魃や病虫害などに強いサツマイモは生命力の象徴とされていて、健康・家内安全・子孫繁栄・開運などのご利益があるそうです。

    撫で芋。やせた土地でも丈夫に育ち、干魃や病虫害などに強いサツマイモは生命力の象徴とされていて、健康・家内安全・子孫繁栄・開運などのご利益があるそうです。

  • 隣接地にも塚のようなものがありました。

    隣接地にも塚のようなものがありました。

  • 日本橋から川越城まで十三里。それになぞらえて川越の甘藷は「栗(九里)より(四里)うまい十三里」と呼ばれていました。<br />先頃、JR川越駅のホームを改修した際に、足跡がサツマイモの形になりました。<br />最後までお読みいただきましてありがとうございました。

    日本橋から川越城まで十三里。それになぞらえて川越の甘藷は「栗(九里)より(四里)うまい十三里」と呼ばれていました。
    先頃、JR川越駅のホームを改修した際に、足跡がサツマイモの形になりました。
    最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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