
2021/02/10 - 2021/02/10
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FUKUJIROさん
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長い時間をかけてやっと平和を取り戻しつつあったミャンマーですが、またもや軍事クーデターが起きてしまいました。
私は、大東亜戦争で殉死した方々の慰霊のために2度訪問しましたが、最初の訪問時にはアウンサンスーチー氏が自宅軟禁されている状態でした。一昨年の訪問では、人々はみな「政治の悪口を言える」と民政を喜んでいましたが、またしても暗い時代が来てしまいました。
ミャンマーの平和的な解決を祈願しようと思って探したところ、所沢市の山口観音にかつてビルマ(現在のミャンマー)から招来した釈迦如来が鎮座していることを知り、早速訪れました。
私が住んでいる埼玉県では、緊急事態宣言が出されているため県境を越えての移動が制限されていますが、都県境ぎりぎり県内でした。
通称山口観音は、正式には吾庵山金乗院放光寺と言い、真言宗のお寺です。
寺伝によれば、弘仁年間(810年~824年)に行基が開基したとなっているようですが、すでに行基は入滅しているので年代が合わないような。
後に弘法大師が東国巡錫に際して訪れたと伝わります。
鎌倉時代には、新田義貞が鎌倉攻めの際に戦勝祈願したと伝わり、境内にはミャンマー以外にも中国やタイから招来された仏像が鎮座する興味深いお寺でした。
節分を過ぎて日差しも暖かくなり、青空の下で三密を避けて参拝しました。
コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過してから旅行記を公開しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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山門(仁王門)脇の第1駐車場が閉まっていたので、第3駐車場に駐めました。因みに普段は無料ですが、西武ドームで野球やイベントが行われる日は有料のようです。
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第3駐車場は本堂の横にありました。
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いったん坂道を下って、仁王門(中央の建物)を目指します。
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仁王門の向かい側には弁天池がありました。
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弁天池の中央に島があり、弁財天をお祀りしています。
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弁天池。
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弁財天を祀る社。
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3面の仏様。破損した仏頭を石柱に載せたようです。
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岩の上の石像。
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大きな鯉がたくさんいました。
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仁王門。貞治3年(1364年)の建立とされています。昭和9年改築。
門前の大きな石燈籠は、東京芝・増上寺から移築しました。 -
吾庵山の扁額。
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仁王像(阿形)。
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仁王像(吽形)。
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仁王像修理記念碑。
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仁王門をくぐると、急な石段がありました。
本堂の屋根の先端が見えています。 -
石段を上ると、右前に手水舎があります。
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手水舎の左には、像や石碑があります。
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真言宗中興の祖である興教大師(こうぎょうだいし)像です。
平成4年、弘法大師御遠忌850年に際し建立されました。 -
交通安全祈願。コロナ禍の令和2年は、統計史上初めて交通事故死者が3千人を切りました。
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手水舎。
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手水舎の観音像。この水は、弘法大師が湯殿山に旅される途中で立ち寄られた際に湧き出した霊水だそうです。
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手水舎と参道を挟むように義貞霊馬堂が建っています。平成11年改築。
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新田義貞公が鎌倉攻めに際して戦勝祈願をした縁で奉納した木馬。
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勝運と商売繁盛を授けてくださる霊馬です。
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お堂の奥壁には、本橋俊男氏の「百頭の馬」彫像があります。
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遠目では分かりませんでしたが、たくさんの馬が彫られています。
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百頭以上いるのでは。馬の仕草や表情も様々です。
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文字どおり絵馬もありました。
安政4年(1857年)というと、私が生まれる100年前です。 -
こちらの絵馬も古そうです。
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境内に入ってすぐ右側にある「誓いの桜」です。
新田貞義公が鎌倉攻めの際、本尊に朝敵(足利尊氏)退治の願を掛けたことが由来です。 -
本堂。宝暦12年(1762年)の建立です。
御本尊は、行基作と伝わる千手観音菩薩像で、33年に一度ご開帳されます。 -
本堂正面。本堂の天井には、関良雪筆の鳴き龍が描かれており、日光の鳴き龍にも匹敵するほどと言われます。
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本堂正面。入り口には萬燈がありました。
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この扁額には、圓通殿と書かれているらしいのですが、読めません。
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萬燈(まんどう)。中国や東南アジアで見かけます。
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本堂正面の絵馬。
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本堂正面の絵馬。七福神のようです。
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本堂の左脇に、おびんづるさまがいました。
釈迦尊の弟子であるヒンドラ・バラダージャ。撫でると除病のご利益があるとされますが、コロナ禍のため、撫でることはできませんでした。 -
本堂の裏には絵馬に描かれて弘法大師の一生が記されています。
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御誕生。
私の娘と1日違いの誕生日。 -
荒波を乗り越えて唐の国へ。東シナ海は常に荒れています。
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長安の青竜寺に学びました。
長安(現在の西安)旅行記です。よろしければお読みください。
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11493723/ -
本堂の裏側、中央に「裏観音」がお祀りされています。
昭和55年に中国から招来した水子の観音様だそうです。 -
東寺を下賜された弘法大師。
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御入定の直前のお姿。
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本堂を一回りして正面に戻ると、軒先に鐘が吊るされています。
伝説によると霊亀2年(716年)に渡って来た高麗王の王辰爾が持参した銅鐘と云われています。 -
本堂の左側に2棟のお堂があります。
左が開山堂、右が七福神堂です。 -
七福神堂。昭和57年に中国で建造され当地に建てられました。
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お堂を取り巻くように龍が守っています。
本堂の天井絵に龍が描かれているように、龍を敬っているようです。 -
七福神堂。御本尊は、道教の神様である布袋尊です。弥勒菩薩の化身といわれ、笑門来福、夫婦円満、子宝などのご利益があります。
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七福神堂の周囲には、7体の像が立っています。それぞれ異なる材質の石材に彫られています。大黒天(左)、恵比寿天(右)です。
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裏側の3体は、毘沙門天(左)、布袋尊(中央)、福禄寿(右)です。
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寿老人(左)、弁財天(右)です。
お堂を1周して、七福神巡りができました。 -
開山堂は、文政6年(1823年)の建立。
御本尊は高野山から招来された引導地蔵菩薩です。 -
こちらにもお堂を取り巻くように龍が守っています。
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引導地蔵菩薩は、通称「ぽっくりさん」と呼ばれており、永い病気をする事なくお地蔵様に導かれて極楽浄土へ行くことができるというとても有り難いご利益があります。
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開山堂の周囲には、マニ車(プレイグベル)が取り付けられていますので、回しながら一周しましょう。
ネパールを訪れた際に、真上から見て右回りに回りなさいと教えられました。 -
本堂の裏には、斜面を埋め尽くすように水子地蔵が祀られています。
写真右下に白い「水子供養霊安室」、その上には白い「玉佛堂」、左上にも白いお堂が建っています。 -
中央右にタイ様式の白いお堂、その左奥には朱色の塔が見えます。
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本堂の裏側です。上部には弘法大師の一生を描いた絵馬、下部にはカラフルな布が一周するように巻かれています。この布の下には、ネパールで作られた108個のマニ車(プレイグベル)が取り付けられているのですが、コロナ禍のため触らないように隠されていました。
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水子供養霊安室の裏側に御本尊の水子地蔵が祀られています。
その後方は、本堂の裏側です。 -
白い「玉佛堂」です。「日本で初めてのビルマからのお釈迦様です」。
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ビルマ(現在のミャンマー)から招来した釈迦如来をお祀りしています。
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ビルマからの釈迦如来です。穏やかなお顔です。
2019年11月に2回目のミャンマー訪問をした際、国民は民政化を喜んでいただけに、今回の軍事クーデターが早期に収束することをお祈りしました。
よろしければ、ミャンマーの旅行記をお読みください。
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11575687/ -
玉佛堂の裏側です。
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もう一つのお堂に進みます。ここにも大きな龍がいました。
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水子地蔵と丘の上の空間を区切る結界なのかも知れません。
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龍の頭。
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丘の反対側にも龍。
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タイにあるようなお堂ですが、境内の案内板にも出ていません。
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いかにもタイの釈迦如来像です。
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こちらが御本尊です。バンコクのエメラルド寺院(ワット・プラケーオ)に祀られている釈迦如来像を形取った仏像とのことです。
確かに、大きさ(座高66cm)や色合いはエメラルド仏と同じようでした。有り難く参拝しました。 -
林の奥に朱色の塔が見えました。
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奥之院と呼ばれている五重塔です。平成11年11月7日落慶。
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中国・長安の大雁塔を模したという八角形の五重塔は、やはり中華風の塔で、日本の五重塔とは雰囲気が違っています。
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千躰の観音像が安置されており、千躰観音堂と呼ばれます。
正月三が日だけ公開されます。(窓から覗いた内側) -
萬燈。(窓から覗いた内側)
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五重塔の裏にも駐車場がありました。
奥に見える門の外側を通る道路は、かつてユネスコ村があった頃には「おとぎ電車」が走っていた線路跡です。 -
仏国窟と名付けられた洞窟内には、左右の壁に石仏と石像が立ち並びます。
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小さなお坊さんの石像が立っています。
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奥に進むと暗くなります。この洞窟を巡ることで、四国八十八ヶ所霊場と西国三十三ヶ所札所を巡礼したことになるというとても有り難い洞窟です。
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次に、本堂右側の場所へ下りていきます。
この石段も左右の龍がお守りしています。 -
龍の爪。
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龍の石段と、五重塔。
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大日堂。大日如来が祀られています。平成11年築。
本堂に次ぐ重要なお堂です。 -
お堂の正面には4体の仏像が祀られていますが、こちらは中国・敦煌から招来の観音菩薩像です。
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タイ・バンコクから招来の釈迦如来像です。
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大日堂の前には弘法大師の加持水があります。
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観音像の右手からは加持水が滴り落ちています。
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大日堂の横には、八体守護仏が鎮座しています。
左から、千手観音菩薩、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩、大日如来、不動明王、阿弥陀如来の石仏です。 -
阿弥陀如来像。
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不動明王像。私の守り本尊になります。
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大日如来像。真言宗では最高位の仏です。
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本堂へ戻る道、左の建物はトイレです。とてもきれいなトイレでした。
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芭蕉の句碑。金乗院を訪れたことはないようです。
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納経所。御朱印をいただく方は納経しましょう。
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観音茶屋。手水舎の向かい側にあります。
手打ちうどんの幟がありました。 -
13時過ぎですが、誰も入っていませんでした。
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山菜うどんをいただきました。
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車道を挟んで閻魔堂があります。
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享保年間(1716~1736年)の築造で、昭和3年に改築されました。
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堂内の閻魔大王座像。
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閻魔堂の奥、丘の中腹には鐘楼が建っています。
案内板によると「六時の鐘 当山鐘楼堂は安永二年建立され、第二次世界大戦まで年々妙音を響かせておりましたが、大戦末期、惜しくも供出されてしまいました」とありました。安永二年は1773年。 -
現在の鐘は昭和49年に鋳造されました。
打木は本堂の御本尊に向かって叩くように付けられています。
現在、朝夕6時には自動的に鐘が鳴るように造られています。 -
鐘楼の周りにもネパール紹来のマニ車が付けられています。
1打100円を納めて、鐘を一度叩いたら、マニ車を回しながら鐘の周りを一周してください。 -
鐘楼の少し上に小さなお堂があります。
高照院とあり、詳細は分かりませんが「新四国奥多摩霊場七十七番札所」とありました。 -
お堂には石仏が2体お祀りされており、左が弘法大師、右が大日如来のようです。
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駐車場の脇にゑんむすび堂がありました。こちらも詳細は分かりません。
写真右上に鐘楼が見えています。
平日の昼間、参詣する方も少なく、静かにお参りしました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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