2020/12/04 - 2020/12/06
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旅人のくまさんさん
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愛媛県の山城、河後森(かごもり)城の紹介です。四万十川支流の広見川と、さらにその支流の堀切川、鰯川に囲まれた馬蹄形の独立丘陵上に位置します。山頂の本郭を中心に、二段・三段の平坦地が設けられ、古城~本城~新城と馬蹄形に曲輪が設けられています。
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宇和島で泊まったホテル、『JRホテルクレメント宇和島』の自室の紹介です。天気予報の確認のためのテレビですが、事件報道の場面でした。時刻は6時を少し過ぎたばかりですから、まだ朝食のレストランは利用できません。今日は能島で船にも乗りますが、天気は全く問題なさそうでした。
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忘れ物のチェックも済みました。今日の続日本百名城見学は、泊まったホテルから近い宇和島の山城、河後森(かごもり)城と、最後が村上水軍の拠点の一つ、能島城跡です。これで、四国の6箇所の続日本百名城巡りの完了です。因みに、四国の日本百名城は9箇所でしたが、こちらも3日間ですべて巡りました。
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愛媛県の北宇和郡松野町に位置する、河後森城跡に到着しました。ここからは、現地ガイドさんと合流して、歩いての山城見学です。戦国の時代、伊予(愛媛県)と、土佐(高知県)との国境に設けられた中世の山城です。
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道路の反対側にも河後森城跡の表示がありました。河後森城の規模は、愛媛県内最大級の20ヘクタール以上、16世紀頃には、土佐一条氏と、長宗我部氏の度重なる戦闘の場となりました。1615年の一国一城令で廃城となりました。
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『風呂ケ谷』と呼ばれる『河後森城』の入口に当たる部分の光景です。『河後森城』は、この『風呂ケ谷』を包み込むように、U字形に曲輪が連なっています。その数は西側が九つ、東側が三つです。その中央に『本郭』が位置します。
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イチオシ
『国指定史跡・河後森城跡・散策マップ』のタイトルがあった説明パネルの光景です。現在地が、『風呂ケ谷』の入口にある駐車場に記されています。見学した後に、もう一次眺めると、地形と城跡がよく理解できます。
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『町内小学生が作った河後森城案内看板があります!』のタイトルがあった説明パネルの光景です。案内パネルの制作状況や設置状況が4枚の写真で紹介されていました。松野町で行われている小学5・6年生の体験学習として選ばれた、河後森城案内看板作りへの取り組みの紹介でした。
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『風呂ケ谷』の入口付近の樹林光景です。スギか桧当たりのようでした。下草は、水が豊富なのかよく育ったシダ類でした。枝先が茶色の樹は、紅葉や褐葉ではなく、咲き終えた花の光景です。樹木の名前は分かりません。
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『新城(しんじょう)地区の自生ツツジの道』のタイトルがあった説明パネルの光景です。自生のツツジは『オンツツジ』と呼ばれ、新城地区から、遺跡の可能性が少ない場所に移植されているようでした。『オンツツジ(雄躑躅)』は、ツツジ科ツツジ属の落葉低木です。ヤマツツジに似ていますが、葉が菱形状円形と幅が広く、3個輪生しています。
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これから見学する、河後森城跡の麓付近の光景です。河後森城は、天文期(てんぶん:1532~1555年)後期から、天正期(てんしょう:1573~1592/1593年)にかけて、川原淵殿と呼ばれた渡辺氏が代々の居城としてきました。
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『生活環境保全林整備事業(松野町松丸)』のタイトルがあった、愛媛県・松野町名の立派な看板の光景です。事業区域が緑色で表示されていました。森林造成2.6ヘクタール、林相改良12.7ヘクタール、水路工565メートルなどん事業規模でした。
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樹の根元に置かれていた『西第十曲輪・井戸跡』の文字が記された標識の光景です。せっかく作成された標識ですから、杭にでも取り付けておきたいものです。今向かっているのが『西第十曲輪』です。
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左向きの矢印とともに、『井戸』の表示があった案内板です。殊に山城にとっての水の確保は、生命線と言ってもよいほど貴重なものとされます。この場所だけでなく、ほかにも井戸は確保されていたかも知れません。
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今も綺麗な水が溜まっていた『井戸跡』の光景です。『風呂ケ谷』を過ぎた辺りの谷合にありました。発掘作業の苦労話の紹介です。『ここに水神様を祭った井戸の印があるから、掘ってみてください、とMさんから言われた時には、土で谷が埋まって、こんな太いスギの木の下に井戸があるとは思えませんでしたが、掘り進めていくと石垣まで築いた立派な井戸が姿を現したのには驚きました』
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『井戸跡』があった上部の谷合光景です。渓流は形成されていないようですから、伏流水が湧き出る場所が井戸になっているようでした。先程の井戸遺跡の作業には、実に3か月もかかったようです。『馬洗い場遺構』も『風呂ケ谷』で発掘されましたが、こちらは広くて、発掘作業が大変だったようです。(以上、愛媛県生涯学習センターの資料からの紹介です)
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切岸の下から見上げた『西第十曲輪』の光景です。中央奥に微かに屋根が見えているのが、復元された掘立建物です。言い伝えによれば、河後森城の築城は、建久7年(1196年)とされます。
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『城の虎口(こぐち)と門』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『冬至はかなりの急傾斜で、その幅は2メートル、脇には排水の溝があった』ことなどが紹介されていました。門は『棟門(むなもん)』と呼ばれる構造で、柱の上に冠木が乗せられ、板葺きの屋根と内開きの扉があったと推定されています。
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見晴らしが利く場所に出ました。近くの山並みや、遠くの高い山並みなどが重なり合って見えていました。その正面に見える標識に『西第十曲輪』と『本郭』の表示がありました。この標識は、現在地が『西第十曲輪』で、右手方面に『本郭』があることを示したもののようでした。
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イチオシ
『西第十曲輪』から眺めた、『西第九曲輪』方面の光景です。高低差がある場所などに、観光用のために木橋が設けてありました。手前の橋が『西第十曲輪』と『西第九曲輪』に架かる木橋、その先の大きな木橋が、『西第八曲輪』の上を通って『西第九曲輪』と『西第七曲輪』の間に架かっていました。
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名前:『サザンカ(山茶花)』
分類:ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹。
分布:日本、中国、インドネシアなどに分布。
その他:薄い赤色の縁取りがある美花です。発掘調査の後に修景のために植栽されたもののようです。 -
名前:『サザンカ(山茶花)』
分類:ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹。
分布:日本、中国、インドネシアなどに分布。
その他:薄い赤色がよく目立った花のピックアップ光景です。 -
名前:『サザンカ(山茶花)』
分類:ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹。
分布:日本、中国、インドネシアなどに分布。
その他:生垣のように植栽された山茶花の樹の光景です。 -
『西第十曲輪』の出入口門の光景です。発掘調査で確認された柱跡に再建された門です。発掘調査時の出入口門付近の光景は、先に紹介した『城の虎口(こぐち)と門』の中に紹介されていました。かなりの勾配を持った場所に向けられた虎口だったようです。再建された門は、位置を示すのが主目的なのかも知れません。
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『西第十曲輪の役割と発掘調査の生か』のタイトルがあった説明パネルの光景です。西第十曲輪は、城の中心の『本郭』から階段状に続く10番目の曲輪で、西の端の一番低い位置にあります。このため、最も敵に侵入を受けやすく、重要な役割があったことが紹介されていました。約700基の柱跡や、土塁、堀切状の遺構奈土が確認されています。写真の図面の着色部分が『国指定区域』になっています。
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『西第十曲輪の検出遺構』のタイトルがあった説明パネルの光景です。図中の茶色部分が『古い段階』、青色部分が『新しい段階』と補足されていました。左下が北の方角になる図面です。曲輪の内部が建物跡(古い段階)、と多門櫓跡(新しい段階)、周囲に『出入口門跡』、『堀切状遺構』や『土塁』が表示されていました。掘立建物遺構は、1棟が復元されていました。
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『保存整備の対象』のタイトルがあった説明パネルの光景です。この中に『古い段階』と『新しい段階』の定義が記されていました。『古い段階』とは、『16世紀後半:1550~1600年頃』、『新しい段階』とは、『16世紀終末~17世紀初頭:1600年前後』と定義されていました。『西第十曲輪』の保存対象は、『古い段階』であることが明記されていました。写真は、発掘調査中の『西第十曲輪』の地勢と遺構の柱跡などの光景です。
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『城の暮らし・建物について』のタイトルがあった説明パネルの光景です。発掘調査で見付かった、90度角度が異なる二つの建物の再建想像図がイラストで示されていました。あまりに接近しているので、同寺に2つの建物が存在したのではなく、掘立建物のため短期間のうちに建て替えが行われたと、推測されていました。
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復元された門の脇に置かれていた手書きの説明パネルの紹介です。地元の生徒さん達6名で作成した『総合五・六山城学』のタイトルがありました。同じ愛媛県にある宇和島城の門との比較などでした。この後は、地元の生徒さん達が作成した説明パネルは、『五・六山城学パネル』と呼ぶことにします。
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イチオシ
振り返って眺めた『西第十曲輪』と、その中心に再建された掘立建物の光景です。こちら側の『西第九曲輪』以外の三方は、急峻な崖地になっていましたが、周りには、土塁も検出されています。
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矢印がありませんでしたから、道案内標識ではなく現在地を記した標識のようでしたが、現在地が『西出曲輪』、右手方面が『本郭』を表している標識のようでした。他の場所の標識も参考にしたうえでの判断です。
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