2020/12/04 - 2020/12/06
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旅人のくまさんさん
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徳島の続日本百名城、一宮城紹介の締め括りです。一宮城は、徳島県内で最大級の山城です。三好氏と長宗我部氏の攻防の舞台にもなったほか、豊臣秀長の4万の兵による攻城も受けた山城です。
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イチオシ
『一宮城のあらまし(徳島市教育委員会作成?)』の資料に、1986年(昭和61年)に徳島市が本丸石垣の一部を修復したことが記されていましたから、この石垣も修復の手が入ったもののようでした。修復の手は入っても、石材の大部分はそのまま使われたのでしょう、上部は横目地が通った布積になっていました。
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先程の石垣の中で、横長の石材が水平に使われていた部分のズームアップ光景です。庭石として定評がある『阿波の青石』か、それに類似の石材のようです。この石はジュラ紀中期(約2~1.5億年前)に生まれました。土砂が湖や海底に堆積し、それらがプレートの沈み込みにより地下20~30kmの深さに潜り込み、温度200~300度、圧力600~700気圧のもとで変成作用を受けて形成されました。
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こちらは、先程の横長の石材が、縦長に積まれた、『落とし積』が部分的に使われた光景です。『谷積み』、『落とし積み』と呼ばれる石積み技法は、江戸時代後期、城郭の修築部分に出現したと言われています。その説に従えば、1986年(昭和61年)に修復された際に出現した部分かも知れません。
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右半分は、布積のように横目地が揃った石積の光景です。この辺りの石垣も。苔や草の姿は全くなく、近年に積み直された石垣のように見えました。『阿波の青石』の説明の続きです。海底でできた岩が、日本列島の骨組みができたとされる大きな地殻変動により隆起し、幾億年もの年月を経て我々の前に現れたのが、『伊予の青石』です。
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周りの石材と比べますと、数倍の大きさの石材が複数カ所に見えます。後年の『鏡石』か『立石』のような光景に見えました。積み上げられたのか、堆積したのか分かりませんが、右手の方では土砂が石垣の下部を覆っていました。板状の石材が得られやすい『阿波の青石』の特長を生かしたのか、平板が揃った野面積でした。
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石積の膨らみ部分が発生していた、右側部分の光景です。野面積の特長は、水捌けがよいことですが、右側の部分は、明らかに、中からの圧力が大きく、部分的に石がはみ出してきたようにも見えました。裏込め石の施工や、積石のバランスなど、水捌け以外の原因、あるいはそれらの相乗効果かも知れません。
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同じく、間詰石が外れたような箇所などが目立った石積の光景です。左下の部分では、上からの圧力に耐えきれなくなった石が、短辺方向で割れるなど、石組のアンバランスが大きい箇所が見られました。イメージ的には、粗割石のサイズが短く、隙間の部分の間詰石が強度的に役立っていない部分で石割れが生じているようでした。
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石垣の平面部分の角度が変わった場所の石積光景です。算木積が未発達の時代の石積ですから、石積に苦労をしたらしい跡が見えました。算木積の前に使われていた石積技法の、巨石を利用することで、角の部分の強度を補っているように見えました。
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苔や草が生えた形跡がない、補修されたらしい石垣部分のズームアップ光景です。『阿波の青石』の紹介に戻ります。『青石は西日本の中央構造線に沿った三波川変成帯に分布し、三波川結晶変岩と言われる。青石はその中で「緑泥片岩」に分類され、中央構造線の南側に多く見られる』と、緑泥片岩も扱うらしい石材会社のHPに紹介されていました。
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先程紹介した『緑泥片岩(りょくでいへんがん)』は、『クロライトシスト』とも呼る、緑泥石を特徴的に含む結晶片岩です。『緑泥片岩』の岩石名は慣用的なもので、 厳密な定義によれば、『緑色片岩』の呼び名のようです。 結晶片岩の1種なので、薄く剥がれやすい特徴があります。
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『緑泥片岩』を石材としたらしい石垣の、ズームアップ光景が続きます。『緑泥片岩』を構成する鉱物は、緑泥石の他に、緑閃石、緑簾石、斜長石(主に曹長石)、石英、磁鉄鉱、黄鉄鉱などとされます。 緑泥片岩の源岩は、玄武岩および玄武岩質の火砕岩や砕屑岩です。『玄武岩』は、地球表面で最も一般的に見られる岩石で、日本語訳は、兵庫県城崎温泉の近くの『玄武洞』に因みます。
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この辺りにも、『落とし積』らしい石積が見られます。『阿波の青石』の紹介に戻ります。徳島県は、徳島城のある城山、眉山などは全山青石で出来ているともいわれるほど青石は身近な石とされます。四国山地の剣山山系、山間部では露頭がみられ、吉野川中流域では川底が総て青石の場所もあります。
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この辺りの石垣は近年の補修の手が入っていないらしく、苔が生え、蔓草なども這っていました。特段の問題が生じていない、安定した強度を保った石垣部分のように見えました。左端が、石垣の屈曲部分のようです。
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イチオシ
左側が本丸石垣、右側がそれを支える下部の石垣です。『釡床跡』から回り込んだこの場所は、『本丸』の守りが厳しいことを改めて実見させてくれます。幅が狭い道ですから、恐る恐る通過しました。
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同じく、『釡床跡』から回り込んだ険しいげ家に設けられた石垣の光景です。『本丸』から『釡床跡』がある『釡床曲輪』の間には本丸石垣がない理由が、攻め上がるのは、極めて困難なこの崖と、武者走りのような狭い通りにあるようでした。
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写真中央付近の石積は、意図的な『落し積み』のようにも見えますが、下部に近い部分の強度簿側で、石積が乱れた光景にも見えました。追跡調査をして、適切な処置を施さないと、石垣が下部から崩壊する要因になりそうな懸念を強く感じました。
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中央やや下部に見える石は、表面が薄く剥がれていて、『緑泥片岩』とされる『阿波の青石』らしい特徴を示していました。四国では、『阿波の青石』と並んで、『伊予の青石』も有名です。『伊予の青石』は大洲城、『阿波の青石』は、徳島城の石垣でも見られます。
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『一宮城跡』の見学を終わり、下山です。この辺りは石板の文幅が広く、下りるのが楽でした。幅が狭く、石板が障害物になった場所は、登りも下りも難所でした。この先に急傾斜が控えているようですから、最後まで油断は禁物です。
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一宮城の見学を終えて、麓の大日寺に戻って来ました。その大日寺の鐘楼と梵鐘光景です。この後は、高知市に移動して『かつお船』の名のお店でかつおのたたきが付いた松花堂弁当の昼食です。
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『ドライブインレストラン・かつお船』に到着しました。後ほど地図で確認しましたら、桂浜と浦戸大橋、高知新港にも近い、太平洋に面したレストランでした。2階に椅子席が240席ほどある大型店です。
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食事が終わった後での撮影です。個人旅行の時に役立ちそうでしたから、撮影しておきました。右からかつおのタタキ定食、鰹タタキとチリメン半々丼と、鰹タタキ土佐丼でした。
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もう少し店先のメニューを紹介しておきます。右端は、先ほど紹介した鰹タタキ土佐丼です。その左側の三食は、定食でしたが、メインのおかずだけを展示してありました。右から順に釜揚げチリメン定食、豚バラ肉とんかつ定食と、鶏肉の唐揚定食でした。
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『ドライブインレストラン・かつお船』の壁面に描かれた絵の紹介です。人とカツオと小魚が入り混じった競泳でした。主人公はカツオのようですから、人よりも大きな巨大マグロ並みの大きさでした。
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イチオシ
同じく、『ドライブインレストラン・かつお船』の壁面光景です。前部と後部が伐れていますが、カツオ漁船らしい船を模した建物でした。
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『県史跡・一宮城跡・散策マップ』のタイトルのパンフレットの紹介です。A4三枚折になった、右端の表紙がある側の3頁の紹介です。続けて、拡大した資料で、その内容を紹介します。散策しながら目を通すには、一番好きなデザインとサイズのパンフレットです。
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『県史跡・一宮城跡・散策マップ』のタイトルのパンフレットの表紙の紹介です。上の写真が『一宮城跡』がある山並みの光景、下の奢侈が本丸の『虎口』になっている石垣と石段です。キャラクターの名前は、胸に記した『ながむね』さんです。『小笠原長宗』から、『一宮長宗』に改姓し、『成佑』まで12代続きました。
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『一宮城跡について』のタイトルがあった頁の紹介です。冒頭に、昭和29年8月6日・県史跡指定、所在・徳島県徳島市一宮鳥西丁ほかの住所が記されていました。1338年の小笠原長宗による築城から、江戸時代の元和元年(1615年)の一国一城令による廃城までの略史が記されていました。バックの家紋は、小笠原(一宮家)、蜂須賀家、最後の蜂須賀家の家臣の増田家の家紋でした。
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三枚折のパンフレットの裏表紙です。『一宮城跡へのアクセス』のタイトルがありました。左から右に流れる川が本流の『吉野川』、左下から右上に流れて、『鮎喰川』が『吉野川』に合流しています。『一宮城跡』は、案内図の左下に記されています。
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三枚折になった、裏側の3頁に亘って記された『一宮城縄張り図』の紹介です。こちらの図面は、北側が下向きに記されています。ところで、『一宮城縄張り図』に記されている名前で、『才蔵丸』と『倉庫跡(西)』の命名は疑問が湧きます。『才蔵丸』は、現地に『財蔵丸』の表示がありますし、『倉庫跡(西)』の西には『倉庫曲輪』があります。
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『一宮城のあらまし』のタイトルがあったA4版の説明パンフレットです。末尾に2017年から5年計画で、徳島市教育委員会が発掘調査を行っていることが紹介されていました。
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