2020/12/04 - 2020/12/06
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旅人のくまさんさん
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土佐の続日本百名城、岡豊城紹介の締め括りです。最後の見学場所、『伝厩跡曲輪』を見学した後に、忘れずに『続日本百名城』の公式スタンプも押印しました。見学を終えた後には、さすがに四国の覇者・長曾我部元親の居城の山城との思いを強くしました。
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『伝厩跡曲輪方面案内図』のタイトルがあった案内看板ですが、説明文は、『四ノ段北部』の『虎口』に対するものでした。その内容は、土佐で初めて築かれた虎口で、食い違いの折れを持たせた枡形虎口の説明でした。足元に記された『伝厩跡曲輪』の方面に向かいました。
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この辺りには、『国史跡・岡豊城跡めぐり・案内板』の?’の表示があるはずでしたが、見つかりませんでした。虎口のような曲道と、その脇の高い土塁化、切岸の光景です。
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現地ガイドさんが、『三ノ段』方面の目隠しにもなっている土塁と紹介されていました。現在は樹木の姿もありますが、その樹木などがない状態では、登ることが難しそうな急斜面でした。その急斜面が『三ノ段』方面の目隠しにもなっていました。
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イチオシ
『長宗我部氏岡豊城碑』の文字が刻まれた、立派な石標の光景です。落款は、正二位・田中光顕・題でした。、『田中光顕(みつあき):1843~1939年)』は、土佐藩家老深尾氏家臣、官僚、政治家です。栄典は従一位勲一等伯爵でした。土佐藩士・武市半平太の尊王攘夷運動に傾倒してその道場に通い、土佐勤王党に参加しました。後に脱藩し、高杉晋作の弟子となりました。薩長同盟の成立に貢献し、薩摩藩の黒田清隆が長州を訪ねた際に同行しています。維新後は新政府に出仕し、岩倉使節団では理事官として欧州を巡察し、帰国後は政府の要職を歴任しました。
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振り返って眺めた『岡豊城跡碑』の光景です。裏面には『岡豊城ハ長宗我部氏代々ノ城居タリ 元親出ツルニ及ヒ 雄武大ニ興リ 一時四国ヲ統一ス』から始まる文字が記されているようですが、読み取れる状態ではありませんでした。 『四ノ段』の南部に近い場所のようです。
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『四ノ段(しのだん)』の道案内標識の光景です。『三ノ段』から『四ノ段』までは、かなり距離がありましたので、複数カ所に案内標識がありました。『四ノ段』としては、これが最後に目にした標識になりました。
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高知県の遊歩道表示とセットになって立てられていた『四ノ段』の南部から、『伝厩跡曲輪』に向かう山道の途中になります。この辺りには、『畝状竪堀群』が記されていました。
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『堀切』を跨ぐように造られた木橋の光景です。当時は、容易に取り外しが利くよう、もっと簡素な橋が掛かっていたかも知れません。『岡豊城』は『山城』に分類されています。(続日本百名城・公式ガイドブック)、このため、至るところに縦堀、横堀、切岸や土塁などが配置されています。
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『遊歩道』の表示があった道案内標識です。橋らの部分に『高知県』の表示もありました。その左下の標識には、『伝厩跡曲輪』を記した右向きの矢印がありました。『国史跡・岡豊城跡めぐり・案内板』の⑨’の場所でした。『ふらり散策綴り』とマッチした表示でした。
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通路脇の竹林の光景です。八庫裏とは分かりませんが、この辺りにも空堀が掘られているようでした。『ふらり散策綴り』の中の『岡豊城跡図』には、『長く伸びる竪堀』が、何本も表示されていました。
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『岡豊(おこう)山歴史公園・園内マップ』のタイトルがあった案内看板の光景です。現在位置が堀切のすぐ手前に赤色で表示してありました。『国史跡・岡豊城跡めぐり・案内板』の⑩’の場所です。
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先ほど紹介した、『国史跡・岡豊城跡めぐり・案内板』の?’の三差路の場所で本堂と合流し、舗装道路に変わりました。『伝厩跡曲輪』が近付いてきたようです。通路脇の小高い場所には、休憩用のベンチが置かれていました。
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先行する人達の姿が見えてきました。『伝厩跡曲輪』はもうすぐのようです。『伝厩跡曲輪』の見学が、今日の締め括りとなります。岡豊城跡見学の後は、愛媛県の宇和島までの長距離移動の予定です。
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舗装道路の脇にあった、道案内標識の光景です。右向きの矢印が『伝厩跡曲輪』、奥行きの矢印が『国分寺』でした。『国分寺』は見学予定に入っていませんでしたから、右折して、『伝厩跡曲輪』に向かいました。
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石垣造りの大きな基壇の上に建てられた汽編石碑の光景です。祭じぃおうぶに横書きで『征清凱旋碑』のタイトルがありました。碑文は読み取れませんでしたが、この後、立札で紹介する『坂崎紫瀾の岡豊公園征清凱旋碑』と呼ばれている記念碑でした。坂崎紫瀾は、それまで無名だった坂本龍馬を、歴史小説『南の海血汐の曙』で広く知らしめた人として有名です。碑文は、長宗我部元親の偉業を偲び、戦地に赴いた兵士を称えるもののようです。紫瀾も従軍記者として戦地に赴いています。
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『坂崎紫瀾の岡豊公園征清凱旋碑』のタイトルがあった立札の光景です。『坂崎紫瀾(1853~1913年)』は、明治期のジャーナリスト、講談師、小説家、歴史研究者で、自由民権運動家です。明治13年(1880年)7月、創刊された『高知新聞』の主筆となり、9月より、維新期に活躍した志士、間崎滄浪、平井収二郎、坂本龍馬らが登場する歴史小説『南の海血汐の曙』の連載を始めました。
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『伝厩跡曲輪』のタイトルがあった説明看板の光景です。既に紹介した、高知県立歴史民俗資料館の記述と同文でした。『伝厩跡曲輪(でんうまやあとくるわ)』は、詰の西南方向にある出城です。長さ約30m、幅17mの楕円形状で、周囲は急な斜面に囲まれています。北西には2本の堀切、南斜面には竪堀群があります。西方からの攻撃に対した出城です』
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現在時刻は、15時30分を回ったところです。影が次第に長くなってきましたが、この岡豊城が今日の見学の締め括りです。最後の予定地の『伝厩跡曲輪』も見学できました。あとは忘れずに『続日本百名城』の公式スタンプを押すだけです。
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『続日本百名城』の公式スタンプは、『土佐の山村民家』に置かれていることをお聞きしましたので、『歴史民俗資料館』の駐車場に駐車されたバスをやり過ごして、『土佐の山村民家』に向かうことにしました。
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『土佐の山村民家』のタイトルがあった説明看板の光景です。『この民家は、四万十川の源流で愛媛県と境を接する東津野村から解体移築されたもので、古い材を転用していた』ことから、解体時に柱に墨書された『天保3年(1832年)』の文字が見付かっています。
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通路上から眺めた、一段低い場所に建っていた『土佐の山村民家』の藁葺き屋根の光景です。萱葺き屋根かも知れません。冬の間の製紙作業のため、かまどや蒸し器を土間に設けてあるのが特徴と紹介されていました。高知県立歴史民俗資料館の屋外展示資料の民家でした。垣根の花は、サザンカです。『続日本百名城』の公式スタンプは、この民家に置かれていました。
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ここからは、現地で入手した岡豊城跡散策用のパンフレットの紹介です。『国史跡・岡豊城跡・ぶらり散策綴』のタイトルがあったパンフレットの表紙です。上の写真が、南側から眺めた現在の岡豊城跡、下の写真が大正11年(1922年)8月に発刊された『幡多旅行記念(寺石正路)』の写真です。発行は、高知県立歴史民俗資料館です。
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『国史跡・岡豊城跡・ぶらり散策綴』の裏表紙の紹介です。右上の写真が四ノ段から出土した『犬形土製品』、左の写真が、岡豊城・詰から出土した『岡豊城跡天正3(年:1575年)銘の銘瓦』です。
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イチオシ
『国史跡・岡豊城跡・ぶらり散策綴(以下、散策綴と略称)』の中にあった『岡豊城跡図』です。夥しい竪堀、高土塁などが表示されていました。この図の北方向は、下側になります。
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同じく、散策綴に収録されていた『岡豊城跡』の航空写真とその紹介です。岡豊山の山頂の『詰』に、臨時に設置された二階建ての天守があった時(平成29年4月1日~平成31年2月28日)の写真でした。散策綴は、2020年(令和2年)9月に作成されたものでした。
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イチオシ
同じく、散策綴に収録されていた『岡豊城跡想像復元図』の紹介です。高知県立埋蔵文化財センター作成の図面でした。高知県立埋蔵文化財センターは、南国市篠原に拠点を置く、公益財団法人の高知県文化財団です。
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岡豊城跡を見学した高知県の南国市から、今晩泊まる愛媛県の宇和島市までは、かなりの移動距離がありました。その途中に立寄ったお土産店です。入口上に『四万十』の文字がありました。
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宇和島市で泊まったホテルの自室の紹介です。『JRホテルクレメント宇和島』の名前でした。その名前の通り、1階ロビーのドアを開けますと、そこがJR宇和島駅の改札のある一角になっていました。まさに徒歩0分です。今晩の食事は、『かどや駅前本店』の郷土料理でしたが、十分に晩酌を楽しむことができました。
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『JRホテルクレメント宇和島』の自室の洗面室の紹介です。清掃も行き届いていました。シャワーのお湯の出は十分でしたが、間仕切りカーテンのことは記憶に残っていませんでしたが、写真中央の鏡に写り込んでいました。
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必ず確認するようにしている入口ドアの掲示物です。ホテルの公式HPには、『南側は宇和島城の見えるキャッスルビューとなっています』、と紹介されていました。築城の名手の藤堂高虎が、6年をかけて中世の城郭を近世城郭化した宇和島城は、日本百名城に選ばれています。今日見ることができる現存天守は、伊達宗利が建てた二代目天守です。
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