2020/12/04 - 2020/12/06
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旅人のくまさんさん
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徳島県の続日本百名城の一宮城の主要6曲輪の虎口は、平入りで、枡形や喰違のような虎口は見当たりません。枡形は近世城郭になって急速に発達しましたので、一宮城はそれより年代が遡るようです。また、一宮城からは瓦は出土していません。
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一宮神社から山道を登り、最初に目にする『才蔵丸(さいぞうまる)』の『虎口(こぐち)』の光景です。徳島市の公式ウェブサイトからの『一宮城』の紹介です。『一宮城は、阿波守護の子孫である小笠原長宗が暦応元年(1338)年に築いたと伝えられ、その後小笠原氏の子孫である一宮氏が代々居城としてきました』、と築城時のことが紹介されていました。
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同じく、『才蔵丸』の虎口の光景です。徳島市の公式ウェブサイトでは、『戦国時代には細川氏、三好氏、長宗我部氏の攻防の舞台となったのち、阿波を制圧した長宗我部元親が入城し、豊臣秀吉の四国平定に対する防衛の拠点としました』、と解説が続いていました。資料などでの確認はしていませんが、写真の敷石は、観光のために、後日に設置されたものにみえました。
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虎口を通過した後に目にした、『才蔵丸跡』の白い標識です。徳島市の公式サイトでは、『天正13年(1585年)には四国平定をなしとげた秀吉により阿波国を与えられた蜂須賀家政が入城し、阿波支配の拠点とします。家政は石垣などの整備を行いますが、翌年徳島城に本拠を移し、一宮城跡は阿波九城のひとつとなります』、と紹介されていました。
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『才蔵丸跡』の光景が続きます。説明が前後しますが、一宮城の城郭全体についての紹介です。『本丸を中心に、東西800m、南北500mの範囲で才蔵丸や明神丸、小倉丸などの曲輪が配置されている他、倉庫跡、畑跡、貯水池跡や、尾根筋には堀切、横堀、竪堀、小曲輪を配し、強固な防御としている』(ウィキペディア)、と紹介されています。
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『才蔵丸跡』からの眺望です。一宮城の城郭全体の紹介に戻ります。『蜂須賀家政時代と思われる本丸部分の石垣は、徳島には産出例が多い結晶片岩の野面積みで、角石には立石を用いるなど近世城郭の初期時代と思われる。これらの石垣は、徳島県下では、池田城と同規模で、徳島城に次ぐ大規模なものとなっている』(ウィキペディア)、と紹介されています。
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『才蔵丸跡』からの眺望が続きます。『1817年(文化14年)に編纂された「一宮城古城跡書」によると、主要曲輪は6ヵ所、小規模なものを含めると13ヵ所の丸と呼ばれる曲輪があったと記載されている』(ウィキペディア)、とも紹介されています。 天正13年(1585年)5月、羽柴秀吉の四国攻めでは、豊臣秀長が4万の兵で攻城し、一宮城は1万の兵でよく守りましたが、同年7月下旬、開城しました。
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『才蔵丸跡』の一角にあった建物の光景です。建設が途中で中止になった建物のようでした。休憩所か、展望台当たりが計画されていたのかも知れません。建設の前に『続日本百名城』に指定されていましたら、多少は展開が違ったかもしれません。
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上から見下ろした、『才蔵丸跡』唯一の出入口である『虎口』です。その『虎口』から続く石段の光景です。登る時には、あまり意識にはありませんでしたが、思った以上に段差がありました。
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イチオシ
下ってきた後で、もう一度振り返って眺めた、『才蔵丸』の虎口の石段光景です。『虎口』は、『ここう』とも『こぐち』とも呼ばれています。『続日本百名城公式ガイドブック」では、『こぐち』の呼び方に統一されていたようです。語の上の字を音として、下の字を訓として読むのは、『重箱読み(ジュウばこ・よみ)』とも呼ばれます。
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『才蔵丸跡』の見学を終え、次に向かう途中で撮影して置いた石標の光景です。パソコンで拡大して読みましたら、『整地費寄付者』のお名前が二名記されていました。表には、日付けは見当たりませんでした。先ほど紹介した、『重箱読み』に対し、上の字が訓、下の字が音とする読み方を『湯桶読み(ゆトウ・よみ』と呼んでいます。現代の日本語では、和語と漢語が結合した混種語も日常語として深く浸透し、慣用になっているものも少なくありません。
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曲輪の跡らしい場所を横断していた通路の光景です。縄張図には、曲輪の名前は記してありませんでした。先に紹介した江戸時代の古文書には、『主要曲輪は6ヵ所、小規模なものを含めると13ヵ所の丸と呼ばれる曲輪があった』と紹介され散ました。推測ですが、その一つかも知れません。広い平地であることを示すように、伐採が行われていました。
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標識は見当たりませんでしたが、『堀切(ほりきり)』のような地形の光景です。既に紹介しましたが、『防御のために、曲輪や集落の周囲や繋ぎの部分を、人工的に開削した空堀の一種』です。左が『三の丸』とも言われる『才蔵丸』、右が『二の丸』とも言われる『明神丸』になるようです。『明神丸・周辺案内図』のタイトルがあった案内パネルには『堀底道』と記されていました。
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左手が急傾斜の崖、右手が山手になる通りの光景です。『現在の山道も一宮城への登城の一つとして使われた可能性はあるが、この城の大手は現在の山道とは違う場所にあったと考えられている。大手は天満谷筋に作られ谷の入り口、北町には家臣団屋敷のような平地が階段状に配され現在も住宅地となっている』(ウィキペディア)との解説もありました。
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『竪堀(たてぼり)』の標識の光景です。『竪堀』が掘られている左側は、急峻な斜面になっていましたから、『竪堀』の効果も大きそうでした。攻める敵側からは、上に向かって急峻な斜面、登りやすい箇所を探しての横への移動も、竪堀が邪魔をして、ままなりません。
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上から見下ろした『竪堀(たてぼり)』が掘られた斜面の光景です。樹木が生い茂って、はっきりとは確認できませんが、斜面に沿ってV字形の空堀が掘られているようでした。
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『門跡』の標識の光景です。この後紹介する『明神丸・周辺案内図』のタイトルがあった案内パネルには、『明神丸』と『本丸』の間にある『帯曲輪』の門として表示してありました。
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『門跡』の近くにあった道案内標識です。右向きの矢印で『二の丸』とも呼ばれる『明神丸跡』、左向きの矢印で『本丸跡』が表示してありました。道案内標識が建っている場所は、『帯曲輪』のエリアになります。
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本丸と明神丸の間を繋いでいる、長さ64m、幅13mの削平した『帯曲輪(おびぐるわ)』は、本丸の防御にとって重要な曲輪だったとされます。防御力強化の目的で、本丸などの主要な曲輪の周りには、必要に応じて『帯曲輪(おびくるわ)』や『腰曲輪(こしくるわ)』、『捨曲輪(すてくるわ)』などの小曲輪が配置されました。
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『明神丸』の文字が刻まれた石標の光景です。『才蔵丸』にも『明神丸』にも、虎口は1箇所だけのようでしたから、この標識は、『明神丸』の南側の虎口からは、少し離れた場所に建てられていました。
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『明神丸・周辺案内図』のタイトルがあった案内パネルの光景です。方角が記してありませんが、上側が一宮神社方面の北側になります。中央の『明神丸』の右手(東側)に『才蔵丸』が記してあります。左端(西側)が本丸方面です。
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『明神丸』に向かう途中の光景です。前方に見える小高い場所が、『明神丸』になるようです。その前に石段が見えました。『明神丸』の南側に位置する『虎口』になるようです。
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振り返って眺めた、『明神丸・周辺案内図』があった後方の光景です。『明神丸』に向かって、緩やかな登り勾配になっていました。中央付近に見え白い立札が、本丸と明神丸の方角を示したもの、その右側が『明神丸』の石標です。
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イチオシ
『明神丸』の南側に位置する唯一の虎口の光景になるようです。かなりの段差があり、石段が設けてありました。虎口の一部なのか、見学用に整備された石段なのかは、判断が付きませんでした。しかし、観光用に整備されたイメージよりも、年月を経た遺跡のイメージの方が強いようです。
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『明神丸』の曲輪の光景です。何もない広場に見えましたが、元和元年(1615年)の一国一城令により、廃城されてから400年は経過していますから、当たり前の光景かもしれません。先に紹介した『明神丸・周辺案内図』には、南北に縦長で、北側が狭くなった曲輪の地形が記してありました。
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振り返って眺めた、『明神丸』の虎口方面の光景です。石段以外に、虎口をイメージできるものはありませんでした。『明神丸の標高は140.9m、本丸との高低差は3.4mで、本丸より明神丸が東北にあることから眺望がよい。二の丸とも呼ばれている。明神丸の周囲にはほぼ一周する細い帯曲輪が取り巻いている』(ウィキペディア)、と紹介されていました。
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イチオシ
見晴らしがよいと紹介されていた『明神丸』からの光景です。『鮎喰川』が左右に横断していました。『北側の尾根からの侵入を防ぐための空堀と階段状の曲輪が配置され、北西方向にも二重の空堀が設けられている。またこの曲輪には「剣山遙拝所」があったという伝承があり、南西部分には礎石と基段が残っている』ウィキペディア)とも紹介されていました。
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『明神丸』からの光景が続きます。『鮎喰川』が左上に見える光景です。見落としたようですが、礎石と基壇の配置から『その形より拝殿、本殿の形成が整った建物があったと推定されている』(ウィキペディア)、とも紹介されていました。
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右下に『展望案内』のタイトルがあったパネルの光景です。中央奥が徳島市街、右手の山が『眉山』、左手に『讃岐山脈』の表示がありました。この展望台の右麓に『新生屋敷跡』、中央の平野部に『御殿居』が記されていました。『旧遍路道』なども記されていました。
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先程の『展望案内』のパネルを参照しますと、左上付近に見えるのは『鮎喰川』の湾曲部分、その背後の山が『眉山』になるようです。『眉山』の左端に、少しだけ淡路島が顔を出しているようです。眼下には、住宅地と田畑が混在していました。
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種類:『ツツジ(躑躅、映山紅)』
分類:ツツジ科ツツジ属
分布:主にアジアに広く分布、ネパールでは国花。
その他:引田城址でも見かけましたので、野生のツツジのようです。
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