2020/12/04 - 2020/12/06
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旅人のくまさんさん
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平成22年(2010年)から実施された発掘調査では、1587年に秀吉から讃岐国を与えられた生駒親正が、土造りの城を石垣の城に作り替えたことが確認されています。城の水攻めを得意とした秀吉ですから、その家臣は土木工事にも長け、小海川を流れを変えたことも首肯できます。
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『引田港』の横から見上げた、引田城址があった城山の光景です。南側から、北側方面を眺めた光景になります。地図を参照しますと、城山全体が、播磨灘に突き出した岬になっていました。『目印の松』が、山頂の中間辺りに見えています。
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引田城址がある城山に登る前に、現地ガイドさんから山頂にある『目印の松』とお聞きしていた松のズームアップ光景です。登山口からその場所までは、13時10分過ぎに登り始めて13時30分に到着、20分弱の山登りでした。
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『引田港』とその周りの光景です。その背後に見えているのは、引田の市街光景になるようです。2020年は催行中止になったかも知れませんが、『風の港まつり』が港周辺で7月中旬に開催されています。
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城山の南側斜面のズームアップ光景です。壁面の岩肌は、がけ崩れではなく、樹木も育たない急斜面であることを示しているようです。平山城に分類される『引田城』ですが、『海城』と表現してもおかしくない城郭です。
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『引田港』の脇から眺めた『引田城址』がある城山の光景です。文献史上、引田城に関する記述が見えるのは、江戸時代に編纂された軍記物語の『南海通記』に、応仁年間(1467~1469年)に、国人の寒川氏が領したとあるのが初見とされます。(東かがわ市教育委員会編集・引田城跡)
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往きには気が付かなかった、『蛭子神社』の石の鳥居の光景です。『ヒルコ神(蛭子神)』は、日本神話の中でアマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノオノミコトの兄弟神として、 イザナギノミコト、イザナミノミコトの子供として第一子(もしくはツクヨミノミコトの次に)生まれた神様です。不具の子だったとして蘆の船で海に流され、その後全く神話に登場しない神様です。
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蕃塀のような衝立が二方にあった、『蛭子神社』の光景です。葦の船で流された水蛭子(ヒルコ)は、摂津国の西宮に流れ着き、漁師の戎(えびす)三郎という人物に拾われます。そして以降は戎三郎という神となりました。(源平盛衰記)また、葦の船が流されて龍宮にたどりつき、しばらくそこに留まったのち、この国へ帰り、住吉の社で盛大な祭りを行ったともいわれます。(神道集)
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次に紹介するのは、往きにも粗油買いした、醤油醸造の家元のような屋敷です。黄葉と紅葉の庭樹が見事でした。麦を砕くのに使ったらしい石臼が塀に飾られていたお宅です。もう一度、使用済みになって街の景観アップに寄与していた、その石臼を紹介します。
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イチオシ
石臼の中央の穴から眺めた、邸内の黄葉と紅葉の光景です。やってはいけないのぞき見と違って、中々風情のある『カエデ(楓)』の椛紅葉鑑賞でした。石臼に付いた、薄い苔模様も風景になっていました。
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今度は、石臼の中央の穴のほかに、その上からのモミジ鑑賞です。黄葉と紅葉の引き立て役の緑の樹も一緒の光景です。醤油醸造の工程で、石臼は炙った麦を粉砕するのに使われるようでした。
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往きにも紹介した、『引田八幡宮』の石標とその先に見える拝殿光景です。その背後の鎮守の杜野『誉田八幡神社社叢』は、香川県の自然記念物に指定されています。高木層には、常緑広葉樹のクスノキ、ホルトノキが目立ち、このほかにモミ、イヌマキ、アラカシ、ウバメガシ、カゴノキ、ヤブツバキがあり、落葉広葉樹のムクノキ、エノキも混生しています。
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振り返って眺めた。『引田八幡宮』の参道と、その先の神社と社叢の光景です。社叢が香川県の自然記念物に指定されたのは、昭和51年(1976年)です。仏教寺院に付属して建立された神社を鎮守社と呼び、神社に付属する寺院は、神宮寺と呼ばれます。起源をたどれば、中国の伽藍神に起源を持つとされる鎮守神は、地主神を押さえ込み、服従させるために新たに祀られた神だったようです。
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こちら側からは鳥居の扁額の文字は見えませんが、往きに確認した扁額の文字は『引田八幡宮』の文字でした。祭神は応神天皇です。実在は定かではありませんが、第15代天皇とされ、『八幡神』として神格化されています。『日本書紀』での名は、『誉田別尊(ホムタワケノミコト)』です。
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更に近付いた『引田八幡宮』の鳥居光景です。応神天皇は、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐の帰途に、筑後の宇美(現在の福岡県糟屋郡宇美町)で生まれたとされています。日本書記では、新羅が降伏した後に三韓の残りの二国、百済、高句麗も相次いで日本の支配下に入ったとされ、『三韓征伐』という名前で呼ばれています。あくまでも日本の神話の世界でのことです。
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表側に回って、改めて『引田八幡宮』の扁額の紹介です。『八幡様』の愛称で良く知られ、大分県の宇佐神宮を総本営として、全国には数多くの八幡を祀る神社があります。中世の時代に源氏の氏神様として崇められ、武士たちの間に人気が高まりました。そして、次第に『弓矢の神様』という武神的な色合いが強くなったようです。
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二級河川の小海(おみ)川に架かる『御幸橋』の上からの光景です。御幸橋のすぐ近くで、瀬戸内海の播磨灘に注いでいました。小海川の総延長は、6.2キロほどです。前方に見えているのは、香川県道123号引田港線です。引田港を起点とし、長さ360メートルだけの県道です。小海川は、引田港の南外に注ぎます。
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同じく、小海川に架かる赤い欄干の『御幸橋』の上からの光景です。現地ガイドさんは、江戸時代に小海川の流路を変えて現在の流路となったことを説明されていました。その目的は、引田村の洪水防止と、耕作地の造成にあったようです。江戸時代の古絵図の比較で確認できますが、かつての小海川は、城山の東側を流れていました。
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引田の町で、一番印象に残った朱色の壁とナマコ塀の建物光景です。往きにも紹介した、『かめびし屋』の建物です。東かがわ市の引田において、江戸時代から続く醤油醸造元です。その店舗や醤油蔵など18棟の建造物が、国の登録有形文化財に登録されています。
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同じく、朱色の壁とナマコ塀の『かめびし屋』の建物光景です。道を挟んだ反対側にも、同じ意匠の弁柄色の建物があります。弁柄色と表現しましたが、それよりは少し明るく、赤色が強いようにも感じました。『弁柄』は、『酸化第二鉄』を主成分とする顔料で、『暗い赤みを帯びた茶色』とも表現されます。
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イチオシ
中央やや右手に見えているのが、『かめびし屋』の正面出入り靴になります。庇屋根の上に、ガス灯を連想させるようなデザインのクラシックな照明器具が乗せられていました。現在は、多分電気が使われているようです。
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ナマコ塀と、朱色の壁が印象的な『かめびし屋』の建物は、国の登録文化財に登録されているだけあって、外観を見ているだけでも飽きません。18棟が指定されたのは、いずれも2003年9月19日付けです。
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『かめびし屋』の前から振り返って眺めた、北側方面の光景です。小海川に架かる赤い欄干の『御幸橋』も見えていました。国の登録文化財に登録された建物は、一番多いのが『蔵』ですが、資材置場、仕込み部屋、圧搾場、赤門、作業場のほか、事務所や展示室も登録されました。
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この小路が、左の『かめびし屋』と右の『讃州井筒屋敷』の境になるようです。右手の壁が赤く見えるのは、『かめびし屋』の赤い壁の映り込みのようでした。文字は読めませんでしたが、古い道標らしいものも残されていました。
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『引田城跡』の見学の拠点となった『讃州井筒屋敷』まで戻って来ました。出発前に簡単な説明をお聞きし、続百名城巡りのスタンプも押した場所です。帰りには幼児はありませんでしたから、そのまま素通りです。
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同じく、『引田城跡』の見学の拠点となった『讃州井筒屋敷』の正面出入口です。元は引田でも屈指のお店だったようですが、現在は東かがわ市に管理が移り、地元の観光案内の拠点になっていました。
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振り返って眺めた、手前の『讃州井筒屋敷』と、その先に見えるカラフルなかめびし屋の建物光景です。見通しの良い直線道路ですから、小海(おみ)川を渡った場所にある、『引田八幡宮』の社叢も見えていました。
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民家の壁に飾られていた活け花の光景です。格子窓の外に、9本の竹筒が取り付けられ、色んな花が飾られていました。コスモスや蘭らしい花、それに右端には連翹らしい花も見えました。
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メインの通りに面した建物に表示されていた、江戸末期の『うまどめ環』の表示と金具の光景です。柱に環が付いた補助金具で取り付けられていました。推測ですが、荷馬車が活用されていた時代の名残のようです。
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写真名:『讃岐に春を呼ぶ・引田雛祭り』
発表日:平成20年(2008年)2月
撮影者:高橋 章
発表誌:四国電力広報誌・ライフ&ライト
ポスター掲示場所:引田地区公道 -
写真名:『第6回引田雛祭り』
撮影日:2008年(平成20年)3月2日
ポスター掲示場所:引田地区公道 -
イチオシ
『補遺』として追加した写真です。東かがわ市教育委員会作成の『風待ちの港が見える城・引田城跡』からの引用です。
資料名:引田城想像図
作成時期:大正時代(付記は令和元年11月) -
同じく、『補遺』として追加した写真です。
資料名:引田城跡散策マップ
作成者:東かがわ市教育委員会
作成時期:令和元年11月 -
同じく、『補遺』として追加した写真です。
資料名:引田城跡アクセスマップ
作成者:東かがわ市教育委員会
作成時期:令和元年11月
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