2020/12/04 - 2020/12/06
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旅人のくまさんさん
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続日本百名城の引田城跡の紹介です。16世紀末頃に、豊臣秀吉の重臣だった生駒秀久が入城し、それまでは土の城だった引田城を石垣の城に作り替え、その時の野面積の高石垣等が残ります。織田信長・豊臣秀吉の織豊時代の特長を残す山城として歴史的価値が高い城郭とされます。
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大きな石材が転がっていた道の脇の光景です。『東の丸』のエリアになるようですから、かつての『東の丸』の出入り口門辺りで使われた石材かも知れません。現地で入手した『引田城跡散策マップ』には、『大手門跡』に転がる大石が写真紹介されていました。その場所に類似した光景でした。
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『東の丸』のエリア内を、東から西に向かう途中の山道光景です。かつての遺構らしいものは見当たりませんでした。江戸時代の初期に廃城になってから、400年以上が過ぎていますから、やむを得ないことです。
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同じく、『東の丸』のエリア内を、東から西に向かう途中の山道光景です。自然石ではなく、かつて使われていたような石材が地中から顔を出していました。その中には、加工痕がある石材や、丸い河原石なども交じっていました。
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道案内標識の紹介です。右向きの矢印で『東の丸:約200メートル』と『引田灯台:約280メートル』、左向きの矢印で『北二の丸:約100メートル』と『田の浦キャンプ場側登山口:約510メートル』、手前向きに『本丸(算木積):約190メートル』の表示がありました。その反対側の表示は、『女郎島』でした。現在地は読み取れませんが、『東の丸』の西端付近になるようです。
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『東の丸』の西端から、『北二の丸』に向かう途中の周りの光景です表面が滑らかそうな、細い幹の樹木が密生していました。この写真では、その樹木名を特定するのは諦めました。
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同じく、『東の丸』の西端から、『北二の丸』に向かう途中の光景です。ずっと、少し離れて殿(しんがり)を歩きながら写真撮影しました。左側の一段高くなった場所が『北二の丸』で、その周りの石垣などが見学できるようでした。
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『引田城址』の一番の見どころの『北の二の丸』にやって来ました。ところがブルーシートが張られて、何やら怪しい雰囲気になっていました。殿(しんがり)を歩いて、現地ガイドさんからずっと離れていましたので、説明が聴けず、その様子が全く掴めていませんでした。
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ブルーシートが張られていた場所のズームアップ光景です。かなりの期間、そのままになっていたらしく、色々な注意書きなども、風雨にさらされていました。イメ―次的には、修復作業の準備などではなく、危険防止のための立入り禁止の臨時措置のようでした。
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取り敢えず、ブルーシートが張られていた場所にあった説明文の記録です。中身は読まずにカメラに収めました。あとで読んだこの説明シートには、『引田城跡・北二の丸・下段の石垣』のタイトルがありました。この説明シートは、ブルーシートの部分ではなく、この先に5~6メートルの高石垣があることの予告案内でした。
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次の説明シートには、『引田城跡・北二の丸・上段の石垣』のタイトルがありました。この説明シートも、ブルーシートの部分ではなく、この先の高石垣の上に、城内で一番大きな石材が使われた石垣があることの予告案内でした。その写真も添えられていました。
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最後に紹介する説明シートには、『引田城跡・北二の丸・算木積の石垣』のタイトルがありました。隙間に間詰石が使われた初期頃の『算木積(さんぎずみ)』の紹介でした。
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『東かがわ市指定文化財・引田城址・北二の丸』のタイトルがあった説明看板の光景です。『北二の丸』の下は、城の出入口の大手道があり、その大手道の左右に『北二の丸』と『南二の丸』の石垣が広がっていることと、その石垣の特長について説明されていました。『引田城址』の一番の見どころです。
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『北二の丸』の高石垣の端の部分になるようですが、算木積らしいはっきりとした以降はないようでした。ただし、角石には、大石を使っていたことは窺がえる光景でした。それ以外の部分は、自然石をほとんど加工せずに使った、乱積の野面積です。
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同じく、自然石をほとんど加工せずに使った、乱積の野面積の石垣のズームアップ光景です。野面積は、隙間があることから水捌けがよく、また、見た目以上に強度もある歴史が長い石積法です。
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野面積の石垣は、自然石をそのまま使っていますので、見飽きることのない石垣の表情と、風情を感じます。この野面積は、地形と通路に合わせた積み方であることも、大きな魅力の一つになっています。
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イチオシ
少し前に進んだだけで、石垣の表情が変わって来ます。緩い勾配を持つことも、機械造りのディジタルではなく、手造りのアナログの世界を十分に楽しませてくれます。メンテナンスが大変でしょうが、後世に亘って残してもらいたい光景です。
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イチオシ
振り返って眺めた。大手通と、その脇の高石垣の光景です。手前側が『南二の丸』、奥の方が『北二の丸』の高石垣になります。16世紀に造られた高石垣にしては見事な造作でした、
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登山道の脇の雑木林の光景です。落葉樹は冬木立になっているらしく、通路にも厚く落葉が散り敷いていました。山城ですから、雨上がりなどには難儀氏翁ですが、今回の『引田城址』の山歩きは難儀することはありませんでした。ただ、最初の内には、マスクをして吐く息で眼鏡が曇り、足元が見難くなりました。
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暑くもなく、寒くもなく、絶好の山登りの天候に恵まれた『引田城跡』の散策でした。コロナ災禍?で、出歩くことが少なく、少々足元を心配していましたが、初日の今日は、問題のない出足となりました。前後の距離を開けた場合には、マスクも外してよいとの旅行社の判断でしたから、殿を歩くのには好都合でした。
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見覚えがある石垣がある場所にやってきました。最初に見学した、本丸石垣です。石垣の上の立看板には『東かがわ市指定文化財・引田城址・本丸』のタイトルがありました。『ここから南東に100メートルほどの櫓台が本丸』と説明されていました。末尾には、『石垣の石質は、城山周辺の和泉層群の砂岩と礫岩』と紹介されていました。
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同じく、『本丸石垣』の光景です。先程の説明看板にあった『礫岩(れきがん)』は、『コングロメレート』とも呼ばれる、礫が続成作用により固結してできた岩で、堆積岩(砕屑岩)の一種です。一つの大きな岩の塊に変化した『石灰質角礫岩』は、国歌の『君が代』の歌詞にある『巌(いわお)』であるとして、この岩は『さざれ石』とも呼ばれます。
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往きにも紹介しましたが、帰りにも粗油買いしておきます。左向きの矢印が『引田港側登山口:約490メートル』、右向きの矢印が『本丸(天守台跡):約70メートル』と、『北二の丸:約290メートル』の表示でした。また、柱に記さた現在地が『本丸跡』です。
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播磨灘が見える見晴らしの良い場所に出ました。右端に見えるのが四国の徳島県の東北部、それに次く左手の陸地が兵庫県の淡路島になるようです。その間が渦潮で有名な鳴門海峡です。
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右端に香川県の引田地区の陸地と湊が見えてきたようです。城山の麓までもあと少しになって来たようです。往きに通った時に、現地ガイドさんに礫岩やさざれ石のことをお聞きしましたが、当然すぎて期待した反応がありませんでした。通り道のあちこちに、いわゆる『細石(さざれいし)』が顔を出していました。
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城山からの下り道は、写真も撮らずにおりてくれば、10分とはかからないようです。道も広く、急ぎ足で降りることもできます。しかし、山道に油断は禁物、マイペースが一番です。再集合場所は、駐車場の観光バスと決まっていました。
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登るのには20分ほどかかったようですが、下りはあっという間でした。麓で咲いていた、民家に庭さきの九九の花の光景です。ピンク色のグラデーションが綺麗な花でした。
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ピンク色のグラデーションが綺麗な菊の花のズームアップ光景です。満開になったばかりといった見頃の花でした。日本で観賞用多年草植物として花卉園芸で発展した品種群を和菊、西ヨーロッパで育種されて生まれた品種群を洋菊と呼んでいますが、根拠は希薄ですが、洋菊のイメージです。
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往きにも目にした、波静かな『引田港』の光景です。防波堤の内側に多くの小舟が停泊していました。漁船もあるようでしたが、レジャーボート当たりがメインのようでした。ヨットはあまり見かけないようです。
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同じく、防波堤の内側の『引田港』の光景です。香川県が管理する港で、所轄事務所は長尾土木事務所です。開港したのは、1952年9月ですから、70年近く前のことになります。
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イチオシ
城山を借景にした、『引田港』の光景です。現在は、漁港、およびプレジャーボート・小型船用の港湾として賑わいをみせています。プレジャーボートは、 遊覧船、ヨット、クルーザーなど、レジャー用の船を指します。
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