2020/12/04 - 2020/12/06
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旅人のくまさんさん
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続日本百名城の引田城の紹介です。引田城は城山と呼ばれる山にある平山城です。初期の頃は、尾根伝いにコの字型に展開し、四隅に櫓を備えていました。現在の遺構は、四隅の櫓の内、北と西の二つの櫓を中心に残っています。
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道案内標識です。右向きの矢印が『本丸(天守台跡):約40メートル』、その反対側の左向きの矢印が『北二の丸:約260メートル』、左手前向きの矢印が『引田港側登山口:約520メートル』の表示でした。尾根歩きをしながら、『引田城』の歴史について紹介しておきます。築城者は、天正~慶長年間の1573~1615年、生駒親正(1526~1603年)とされます。
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標高81メートルの城山頂上の山道光景です。引田城』の歴史紹介を続けます。『続日本百名城公式ガイドブック』や『ウィキペディア』などを参照しました。最初の築城は不明ですが、7世紀末頃に阿倍比羅夫(あべのひらふ:生没年不詳)が狼煙台として築いたとする説もあります。阿倍比羅夫の氏姓は、阿倍引田臣、冠位は大錦上で、越国守・後将軍・大宰帥を歴任しました。
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時代は下って、室町時代(1336~1573年)の末期の永正年間(1504~1521年)頃には、昼寝城主・寒川元政の家臣の四宮右近の居城になりました。寒川氏は、平安時代初期の貴族、讃岐千継(さぬきのちつぐ)の一族で、世々寒川郡の郡司を務め、その後裔が寒川(さんがわ)氏を称したようです。また、四宮氏は、信濃・更級郡四宮庄が出自の小笠原家家臣です。標識の現在地は、『南の郭』です。
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一見して、変哲のない小山の光景でしたが、現地ガイドさんが『天守台跡』と教えてくれました。先程の『南の郭』の表示も、本丸の一部のようでした。寒川氏は、細川家の被官として寒川郡を領した事から始まった小大名です。1512年、寒川元家(さんがわ・もといえ)は、中国・朝鮮・琉球と交易を開始して、大きな利益を得ていたようです。先見の明もあった武将のようです。
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同じく、『天守台跡』の光景です。大きな石も転がっていました。寒川氏の海運を担ったのが、引田浦の引田海賊衆です。また、寒川氏は大内義興に属していました。寒川元家の子・寒川元政(さんがわ・もとまさ)の頃には、1523年に安富盛方を撃破し、1526年には十河景滋との戦いで、香川氏や香西氏らの援軍を得て打ち破り、十河氏の援軍として来た三好元長を讃岐国境で追い返しています。
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イチオシ
同じく、裏側に回って眺めた『天守台跡』の光景です。寒川元政の死後は、寒川元隣(さんがわ-もとちか)が家督を継ぎましたが、居城を昼寝城から虎丸城に移し、昼寝城は弟・寒川光永に任せました。しかし、1570年に勝端城主の三好長治(1553~1773年)が引田城を攻撃し、四宮光武(四宮右近光匡)は所領を失っています。三好長慶は、長治の叔父にあたります。
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写真は、天守台の周りの光景です。引田城は、山城と言うより、断崖絶壁にある平山城、もしくは海城です。瀬戸内海の播磨灘を見張るには絶好の城です。引田城には、三好長治の家臣で阿波・矢野城主の矢野国村(矢野駿河守)が入りましたが、1579年に阿波・岩倉城主の三好康俊に謀られて殺害されました。世はまさに戦国時代です。
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中心に+(プラス)の表示があった三角点の光景です。三角点は平面位置の基準となり、水準点は高さの基準となります。三角点には標石と呼ばれる石柱が埋め込まれ、要度や性質から一等から四等までの4種類があり、全国に約10万近くあります。多分、これは四等当たりにになるようです。
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柱の部分に記された現在位置は『化粧池』、左向きの矢印が『本丸(天守台跡):約250メートル』、右向きの矢印が『引田灯台:約230メートル』と『東の丸:約300メートル』の表示でした。年表には、1570年(元亀元年)、三好氏に攻められ寒川氏は城を引き渡し、1583年(天正11年)、仙石秀久が入城と紹介されていました。(ウィキペディア)
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表面は落葉で覆い尽くされていましたが、水を湛えた『化粧池』の光景です。この池の名は、引田城のお姫様や女中たちが、この池の水を化粧の際に利用していたことに由来すると伝わります。1584年(天正12年)、仙石秀久は長宗我部軍に引田表で敗れますが、羽柴秀吉の四国平定後に再び秀久が入城しました。(ウィキペディア)
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『化粧池』の周りの石垣光景です。築造された時代から言って当然ですが、『野面積』でした。1587年(天正18年)、『生駒親正(1526~1603年)』が讃岐一国を得て入城しましたが、引田城が讃岐の東に偏っていたため、同年、聖通寺城に移りました。秀吉に仕えた親正は、文禄4年(1595年)には讃岐国17万1800石を与えられ高松城と丸亀城を築城しています。
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同じく、『化粧池』の周りの石垣光景です。引田城に現在残る石垣は、生駒氏時代に築かれたものとされます。化粧池は、谷筋を堰き止めた人工の溜池で、城内の貴重な水源でもあります。生駒親正は、讃岐の国全体の治世のため、聖通寺城に移りましたが、引田城は国境守備の城としての役割が残りました。
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引田城は、家康が発案したとされる、江戸時代の一国一城令で廃城となり、歴史の上からも姿を消しました。発令されたのは大坂の陣(1615年5月)のすぐ後であり、幕府に対する反乱はもちろん、大名同士の戦争も封じるためのものとされます。
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写真は、『化粧池』近くの山道光景です。『一国一城令(いっこくいちじょうれい)』は、慶長20年閏6月13日(1615年8月7日)に江戸幕府が制定した法令です。諸大名に対し、居城以外のすべての城の破却を命じました。例外はありましたが、これにより、3千あったとされる城郭は、約170まで激減しました。(陣屋を含めると約300)
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種類:『ツツジ(躑躅、映山紅)』
分類:ツツジ科ツツジ属
分布:主にアジアに広く分布、ネパールでは国花。
その他:野生種か、野生化した園芸種か判断付きませんでした。 -
イチオシ
種類:『ツツジ(躑躅、映山紅)』
分類:ツツジ科ツツジ属
分布:主にアジアに広く分布、ネパールでは国花。
その他:普段見かける赤い花の山ツツジとは、別種のようです。 -
各種に建ててあった道案内標識です。右向きの矢印が『本丸(天守台跡):約380メートル』、左向きの矢印が『引田灯台:約100メートル』と『東の丸:約170メートル』でした。それぞれ写真入りです。
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引田灯台の近くに別の道案内標識がありました。こちらは右手前向きに『化粧池:約230メートル』と『本丸(天守台跡):約480メートル』が、左手前向きに『東の丸:約70メートル』が記されていました。支柱に記された現在地が『引田灯台』です。
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『引田灯台』近くの、険しい山道の光景です。崖下に滑り落ちたら、這い上がってくるには、相当に難儀しそうでした。まずは、よそ見をしてずり落ちないことが一番です。
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イチオシ
正式名は『引田鼻灯台』、白い姿の『引田灯台』の光景です。塔高は7.8メートル、灯高は75メートルです。 昭和29年(1954年)3月に初点灯されました。3秒間隔で、明暗を繰り返すようです。簡単のため、以降も『引田灯台』の表記とします。引田城の縄張り図を参照しますと、『東の丸』に一番近い場所に立地していました。
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『引田灯台』の外壁に表示してあった、海上保安庁名の注意書きです。担当部署は、黄色の文字で『高松海上保安部』になっていました。海の事件・事故に対する連絡等は、局番無しの『118』であることも記されていました。
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引田灯台の周りから眺めた瀬戸内海の光景です。前方は播磨灘になるらしく、引田灯台は、その南面にある鳴門海峡から近い場所にありました。かつては、鳴門海峡の見張り場所の一つと言ってよい場所です。淡路島北部と本州の間が明石海峡、淡路島南部と四国の間が鳴門海峡になります、
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同じく、引田灯台の周りから眺めた瀬戸内海の光景です。塔台マニアらしい方の写真では、灯台の背後の丘からの瀬戸内海を眺める絶景写真がありました。その写真には、『松島』と『通念島』と呼ばれる二つの小島が、くっきりと写っていました。この海域は岩礁が多いのでしょうか、無数のブイが浮かび、浅瀬では白波も立っていました。
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木々の間から眺めた。播磨灘の光景です。『播磨灘(はりまなだ)』は、瀬戸内海東部の海域で、兵庫県南西部(旧播磨国)の南側に位置し、東は淡路島、西は小豆島、南は四国で区切られ、西北部に家島諸島がある海域です。深さ40メートル前後ですが、海峡部では100メートルを越えるところもあります。
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半ば推測になりますが、対岸にくっきりと見えれいる右手から伸びている部分が、四国の北東端、その背後に見える、左手から伸びている陸地が淡路島になるようです。鳴門海峡は、その中間になります。
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鳴門海峡より沖合方面の光景です。『松島』と『通念島』と呼ばれる島之内、『松島』が右手に写っています。写真に写っていない『通念島』は、更に右手方面になります。
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引田の沖に浮かぶ二つの小島は、『松島』と『通念島』とされますが、こちらは沖に向かって左側の『松島』になります。先程の写真の右手方向をズームアップした光景です。ネット情報では、釣り場として人気が高いようでした。
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紅葉の樹のズームアップ光景です。瀬戸内海式気候の影響でしょうか、12月の初旬ですが、紅葉や黄葉に景色を余り見ませんでしたから、つい紅葉の色にカメラが向きました。夏の季節風は四国山地に、冬の季節風は中国山地によって各々遮られ、年間を通じて天気や湿度が安定しているようです。
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『東の丸』の光景です。茂みの先は断崖になっているようでしたから、余近寄りませんでしたが、その直前に石垣遺構のようなものがありました。右端には、コンクリート塊のような石もありましたが、城山でよく見かけた細石(さざれいし)かも知れません。
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『東の丸』の先端付近の光景になるようです。険しい崖ですから、戦国時代に海側から攻められる心配はなさそうな場所でした。所々に、礎石や自然石が顔を出していました。海に向かって下り鶏舎でしたから、あまり端には近寄りたくない雰囲気の場所です。
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