2020/11/09 - 2020/11/09
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旅人のくまさんさん
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発掘調査によれば、墳丘は2段築成で、墳丘上部は神社の本殿造営に伴い、削平されています。斜面の葺石は大振りの角礫が積み上げられ、葺石上には、白鳥塚古墳と同じく多量の石英が撒かれていたと推定され、テラスの敷石の一部にも石英が使われています。
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左斜め前から眺めた『尾張戸神社』の拝殿光景です。本殿は、背後にある円墳の上にあります。地誌の『尾張名所図会』によれば、尾張戸神社が鎮座する『東谷山』の名前の由来について、『尾張戸の神を鎮まります山』なので、古くは『尾張山』と呼ばれていたとされます。
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『尾張戸神社』近くの楓の紅葉です。見頃でした。『東谷山』の名前の由来の続きです。尾張の国名を表す『当国:とうごく』から『当国山:とうごくやま』と呼ばれるようになり、のちにこれが転じて『東谷山』と書き表すようになったと、『尾張名所図会』は伝えます。
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青空に映える、真っ赤に高揚した楓の枝先のズームアップ光景です。『尾張戸神社』は、かつては熱田神宮に次ぐ大社であったとする伝えもあります。神仏習合の中世には、大永元年(1521年)7月17日に起きた火災により神宮寺と共に焼失、神宮寺は廃寺となりました。同年12月には守護の斯波氏により社殿が再興されましたが、戦国時代には荒廃しました。
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イチオシ
瑠璃釉磁器板の『尾張戸神社』の扁額の光景です。奉納された期日の、昭和17年(1942年)10月の日付がありました。奉納されたのは瀬戸の北新谷地区の窯元の人でした。綱で鳴らすことができる、陶器製のように見えた、大きな鈴も懸かっていました。陶器製の多彩な敷瓦が本殿の前にあり、瀬戸の窯元との繋がりは強いようです。
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少し離れた場所から眺めた、『尾張戸神社』の拝殿の光景です。江戸時代に入り、初代尾張藩主の徳川義直の時、当地から『当国明神』銘の鉄筒が出土しました。当時は『東谷大明神』と称していましたが、この時に『東谷』は『当国』、『尾張国』からの変化であると見做され、『延喜式』神名帳所載の『尾張戸神社』に宛てられ、祭神は尾張氏祖神となされたとされます。
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拝殿の横に回って眺めた、裏側にある古墳の墳丘の光景です。薄黄色の壁で囲まれた登り道があり、銅張屋根の奥の本殿に続いていました。陶器製の多彩な敷瓦は、その本殿の前付近にあるようでしたが、非公開でした。その後の『尾張名所図会』では、最初に紹介したような、神社の由緒の説明がなされています。
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イチオシ
少し離れた左前方から眺めた、『尾張戸神社』の拝殿と社務所、それに背後の円墳上の鎮守の杜の光景です。名古屋城の鬼門の位置に鎮座することから尾張徳川家の信仰は篤く、2代藩主の徳川光友により寛文5年(1665年)には中社・南社・薬師堂の造営、寛文11年(1671年)には社殿の修造が行われました。それ以後も藩費による営繕が行われたとされます。
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参道の石段の昇降口に置かれていた、石像の狛犬の光景です。前足の横に丸々とした子獅子がいる雌獅子の光景です。身体のボリュームたっぷり、威厳もたっぷりの吽形の姿でした。日陰になるのか、あるいは湿度が高いのでしょうか、全体に薄く苔生していました。
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こちらは左足の下に玉が見える、雄獅子の光景です。筋肉隆々の阿形の雄獅子です。拝殿に向かっては右手に置かれていました。模様が描かれた玉は、蹴鞠のような大きさでした。サッカーチームの守護神も務まりそうでした。あるいは、プレーイング・マネージャーが望みなのかも知れません。
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ここからは、『尾張戸神社』の周りにあった石碑や標識類の紹介です。写真を撮っただけで、文字が読めそうにないものもありました。最初から難関です。題字は何とか読めました。『尾張戸神社由緒標』の文字でした。本文は『愛知県東春日井郡』で始まっていました。末尾には、年は確認できませんでしたが、『例祭10月15日』の表示がありました。
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既に紹介した、『尾張戸神社・尾張戸神社古墳』のタイトルがあった説明立札の光景です。『尾張戸神社』に関する部分は、先ほどの石標にも記されていたかも知れません。ウィキペディアを参照して少し捕捉しますと、明治維新後の明治5年(1872年)5月に近代社格制度のもとに郷社に列しました。また、本殿はかつて八幡造でしたが、明治時代に神明造に建て替えられました。
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『東谷山バイオトイレ建屋について』の題字があった説明パネルの光景です。公益財団法人が関わる事業のようでした。文字がかすんでほとんど読み取れませんでしたが、平成26年(2014年)に本格運用開始になったようです。
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『東谷山散策路の御案内』のタイトルがあった説明看板の光景です。東谷山は、愛岐丘陵の生誕、濃尾平野との接点にあたる、名古屋市内最高峰の海抜198.3メートルの山であることから説明が始まっていました。標高差約123メートル、全長約750メートルの散策路の終点が、この東谷山の頂上と紹介されていました。
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『東谷山散策路』のタイトルがあった、案内図が記された看板の光景です。先ほどの説明文と一体になっていました。出発地点が、東谷山フルーツパークの駐車場になっていました。南社と中社を通るコースでしたから、帰路に同じ道を辿りました。
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『国指定史跡・志段味古墳群・尾張戸神社古墳』のタイトルがあった説明パネルの光景です。志段味古墳群は濃尾平野の東端に位置し、4世紀前半頃から7世紀初めにかけて約70基の古墳が造られたことと、尾張戸神社古墳は、4世紀前半頃に造られた円墳であることが紹介されていました。二段に造られた円墳の上部は、大きく削られているようです。
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先程の説明パネルの中の円墳の図面と2枚の写真のズームアップ光景です。左側の円墳の図面のやや上寄りに尾張戸神社の本殿の位置が記されていました。右側の写真は上が『墳丘と葺石』、下が『尾張戸神社本殿と敷瓦』です。陶器製の多彩な敷瓦は名物らしく、瀬戸での生産のようです。
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ここからは、展望台に登ってからの光景です。最初は、二階建てになっていた一階からの眺めです。目の前の常緑樹の大木で、かなり視界が遮られました。隙間から見える市街方面は、少し霞んで見えました。
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次は、最上階になる2階からの展望です。随分と視界が開けました。半ば推測になりますが、近くは名古屋市守山区、遠くは庄内川の北側になる春日井市市街が視野に入っているようでした。東谷山山頂からは、西北方面になります。
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同じく、最上階になる2階からの西北方面の眺望です。蛇行しながら西南方面に流れる庄内川の姿が見えました。右端付近に見えるのが新東谷橋、その下流に志段味橋、下志段味橋のほか、東名高速道も見えているようでした。
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イチオシ
眼下は西南に向かって流れる庄内川のズームアップ光景です。155線の新東谷橋付近の光景です。庄内川の水源は、岐阜県恵那市の夕立山で、瑞浪、土岐、多治見の盆地を流れ、愛知・岐阜県境の玉野渓谷を抜けて、春日井市高蔵寺で濃尾平野に出ます。名古屋市港区で伊勢湾に注ぎます。
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最後にもう一度振り返って撮影した、古墳の上に建つ『尾張戸神社』の社殿光景です。木々の間から、見ごろの楓の紅葉も見えていました。左下付近に見えるのが、先に紹介した『国指定史跡・志段味古墳群・尾張戸神社古墳』のタイトルがあった説明パネルです。
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これから下る長い石段の光景です。この辺りは、歩きやすい段差の少ない石段ですが、場所によっては石段を避けて通りたいような、歩き難い石段の場所もありました。下りの方が、一般的には楽ですが、段差が大きな場所では、膝や足首に対する負担は要注意です。
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山下りの途中で、左手に見えてきた、小山のような光景です。樹木が生い茂ってはっきりとはしませんが、『中社(なかやしろ)古墳』かも知れません。中社古墳ですと、国の史跡に指定された、墳長63.5mの前方後円墳になります。
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イメージ的には、前方後円墳の中社古墳の後円部の墳丘の裾野部分になるようでした。前方に真新しい石標も見えてきましたから、間違いないようでした。4世紀中頃に築造されたとみられています。庄内川流域を支配した大王の墓と考えられています。
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『平手町遺跡の船形木棺』のタイトルがあった説明パネルの光景です。右側にその写真がありました。名古屋市北区の平手町から出土した、ほぼ完全な形の桧(ひのき)製の遺物です。2008年に発見されました。平手町の名は、自刃して若き頃の信長をいさめたとされる平手政秀の邸宅が所在した場所に因みます。ただし、パネルがこの場所に置かれていた理由が分かりませんでした。
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消火設備と道案内標識の光景です。東谷山散策路と記された道案内標識には、山頂まで80メートル、フルーツパークまで760メートルと記されていました。尾張戸神社古墳がある東谷山山頂からは、少しだけ下った場所でした。
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中社古墳の周りの光景です。この光景は、古墳の墳丘から転がり落ちてきたらしい人の頭くらいの石から、小さな石まで、多くの葺石らしいものが写っていました。後円墳らしい山頂には、小さな社の姿もありました。
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更に反時計回りに回り込んで撮影した光景です。数は少ないですが、川石らしい丸い円礫が転がっていました。発掘調査では、全面に葺石があったようですが、埋め戻されて、元の姿に戻ったようでした。
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散乱した葺石の光景です。『中社古墳』のものでした。山で採取できる医師のほか、円礫と呼ばれる河石も交じっているようでした。発掘調査が棲んでいないらしく、これらの葺石も勝手に動かさないよう注意書きがありました。
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同じく、『中社古墳』の散乱した葺石の光景です。大量の川原石も運び上げられていたことがネット情報にもありました。この写真にも、丸みを帯びたいくつかの川原石が見えました。
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