2010/10/23 - 2010/10/26
5位(同エリア8件中)
まさとしさん
世界中の国の首都を覚えようとしたとき一番後回しにした地域。それがこのカリブ海に存在するたくさんの小さな国だ。
今でも首都の名前ははっきり答えられない国もある。
移動はすべて空路になり、複雑な旅程計画が必要となる。
とにかくわからないことが多いが、行ってみないとわからない。この際カリブ海のすべての独立国に行くのが目標だ。
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ポルトープランス行きのアメリカン航空機はB767と大型だ。カリブ路線で大型機を使っている路線があったのには驚きだ。地震の影響で人の行き来が活発になっているからかもしれない。僕の席はプレミアムエコノミーでリクライニングの角度が急でレッグレストがついていた。でもポルトープランスまで1時間半だ。
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現地時間の3時にポルトープランスの国際空港に到着した。天気は晴れ渡り穏やかな気候だ。ポルトープランスの町は丘の上にまでスラムがひしめき、雨期にもかかわらず誇りっぽくスモーキーな印象の町だ。
空港周辺ですらまともな建物が見あたらない。でも空港ターミナルはボーディングブリッジもある立派な建物だ。しかし到着ターミナルは地震の影響で使えないようで離れの倉庫のような建物にバスで移動させられた。ここで入国審査を受けることになる。ハイチの入国カードの渡航目的の欄に観光がなかったのがハイチらしい。本当に観光で来る人はいないようだ。とりあえず「OTHER」の欄にチェックを入れることにした。さすがにハイチでは質問されることもなく行列の進みも速い。僕のバスポートにもすぐにスタンプが押された。
さて入国したもののホテルはあるのか。またあった場合いくら位するのか。今僕が持っている情報は地震が起きる前のものしかない。また地震によって宿事情も大幅に変わっている可能性もある。明らかに宿不足になっているはずなので今まで比較的安かった宿も値上げされていてもおかしくない。結局空港のタクシーに頼るしかない。
到着ロビーを出るとタクシー運転手が声をかけてきた。一応IDをつけているのでちゃんとしていそうだが値段は高そうだ。タクシー運転手にホテルについて聞いたら最安で空港の近くのホテルが50ドルとのことだ。震災前は比較的快適な安めの宿があった山の手のペチョンビルは安くても150ドルはするらしい。それなら空港近くの宿に泊まるほかない。
しかし場所はわからず運転手にいわれるままに20ドル払うことになった。またしても近い宿に高額を払ってしまった。地図と情報がないと高くついて仕方ない。 -
道路にはUN表示の国連の車が多い。
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空港近くの50ドルの宿は外観は城みたいでセキュリティーもしっかりしていそうだ。部屋は広々していてファンもあり快適だがお湯は出ない。でもハイチは暖かいので問題ないだろう。
50ドル出して水シャワーというのもハイチらしい。時折断水することもあるみたいだが、このホテルは自家発電があり、周辺の家が真っ暗でもこのホテルだけは電気が止まることがないのは高い金額を出した価値はある。
フロントでニューヨーク在住のハイチ人がいて何しに来たのかと言われ「観光に来た」と言ったらまた驚かれた。明日の朝ダウンタウンに行くなら安全だとのことだ。でも明日は日曜日だ。中南米で日曜日はダウンタウンがゴーストタウン化する。ただハイチには日曜日という概念はないだろう。でも計画通り日曜日をこの町に合わせたのは正解だったようだ。
もう4時を過ぎているので今からダウンタウンに行くのは不可能だ。ホテル周辺を散策してみることにした。空港の方に戻る途中にモールがあり、スーパーマーケットがあった。空港で両替ができなかったのでここで両替できるか聞いてみたらレジでそのまま使えるようだ。ちなみにレートは1ドル=39ハイチグー。この国にはATMもなさそうだ。お金に関しては基本的にどこでも米ドルを使えそうなので小額紙幣を崩していくのが良さそうだ。
宿周辺はあまりおもしろい場所が無くがっかりしながら戻ろうとしたら反対の方に食べる場所があると教えられた。空港から来たので空港の方にばかり目がいっていたが反対側には庶民の露天が広がり、安めのレストランも発見した。
基本的に庶民レベルでは英語よりスペイン語の方が通じやすい。フランス語が一番通じるのが言うまでもないが。またこの周辺からはどこかに向かうタプタプ(乗り合いバス)もたくさん出ている。ホテルの場所はかなり便利かもしれないと急に元気が出てきた。
西半球最貧国といわれるハイチ。アフリカ旅行からそれほど経っていないので町の雰囲気にあまり抵抗はない。ただこの国のゴミの量は半端ではない。 -
夕食は近くのファーストフード風のレストランで牛肉のサイコロステーキと焼きバナナを食べることにした。サイコロステーキはジャマイカのジャークソースと似た感じの味付けでおいしい。見た目の量は少ないがちょうどいい感じだ。夕食には3ドルほど使ってしまい値段は思ったほど安くない。
6時には完全に日が暮れてしまった。道路沿いは街灯もなく真っ暗で歩くのは危ない。車のヘッドライトが唯一の明かりになり、交通量が多いので外出は危ないのでさけた方がいい。ただ人通りは多いので治安に関しては問題なさそうだ。
夜間は頻繁に停電になっているようで電気が消えたあとすぐに自家発電に切り替わるが、どの状態が自家発電かわからないくらい頻繁に停電が発生する。
とりあえずハイチでは朝早い行動が肝心だ。しかし部屋のファンが止らないのが困りものだ。動かないよりましだが。また夜中は断水してしまったのでトイレの水を流せない。
【10月24日(日)】
今日も朝からいい天気だ。風もなく穏やかなのでハリケーンは完全に逸れたようだ。果たして日曜日は町に活気があるのだろうか。
昨日入国したハイチ僕にとっては131カ国目の訪問国になる。ハイチは新大陸で初めて独立を達成した黒人初の共和制国家と世界史で習ったはずだ。独立したのは1804年。フランスからの独立だ。ただ独立が早かったことがよかったのかと考えるとそうとはいえない。
独立できたのは宗主国のフランス革命直後の混乱期に乗じたに過ぎない。その独立があまりにも早かったため、それが裏目に出て現在の未成熟な社会基盤へとつながっているのも確かだ。
その後、独立した新大陸の国々は植民者によってある程度のインフラが整備されたあとの独立することになった。産業革命以前に独立してしまったハイチにはその技術やインフラを手に入れるすべはなかった。その後現在に至るまでハイチの混乱は続いている。西半球最貧国といわれ続け、ここ最近は政治的には安定していたように思う。しかし昨年1月の大地震。この国は運にも見放されてしまった感もある。そんな国に旅行者としく来る人は限られ情報はほとんどない中での訪問となった。
そんなハイチの首都ポルトープランスの観光に出かけることにした。8時過ぎにタプタプでダウンタウンへ出ようと思った。しかし地図が無く言葉も通じないので大変だ。ダウンタウンに向かっていたつもりが山の手のペチョンビルに来てしまった。ペチョンビルは山の手の高級住宅街だと聞いていたがゴミと人に埋もれた汚い町でしかない。 -
ここから大型バスがセントロへ出ていて乗り込んだ。
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海に向かった坂を下すのはキングストンと同じだ。
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ペチョンビルではあまり地震で崩壊した家は目立たなかったが、海に近づくにつれ廃墟になった家や崩れたままの家が目につくようになった。失礼だがもともとこの国は廃墟みたいな建物が多いのでどれが地震で崩れたのかわからないと言うのが正直なところだ。
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ダウンタウンのモニュメント前に到着した。
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でもセントロ地区は明らかに地震で崩壊したと思われる建物ばかりだ。時折更地になっている場所もあるが大半の建物は崩れたり傾いたままで復興の手は全く入っていない。これだけひどいとどこから手をつけていいのかわからない状態だ。
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高層建築は崩れかかり危険極まりないが、その下では人が普通に行き交う。
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もちろん電気や水道はあるはずもなく、そんな中でもここではたくさんの人がたくましく生活している。
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傾いた建物。
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ここのところ雨が降っていないようで路面状態は悪くないが、それでも水溜まりが多く、汚水はヘドロとなり散乱したゴミに融合して悪臭を放っている。
糞尿の臭いが鼻を突くヘドロの水溜まりばかりの道はとてもサンダルでは歩けない。
しかし天気がよくてこの状態なので雨が降ったらどんな悲惨な状態になるのか想像もしたくない。 -
立ち往生した車。
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廃墟と化した町の中心部。
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ここはポルトープランスの目抜き通りだった場所で古い建物も多く残っていた。しかし全部壊滅してしまった。
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ポルトープランスの政治の中心となっていた広場「シャンプ・デ・マール」に行ってみた。
豪華な白い建物が周りの町並みと不釣り合いだと評判の悪かった大統領宮殿がある場所だ。
大統領宮殿は「パレス・ナシオナル(国民宮殿)」と呼ばれ、名前だけを見るとルーマニアのチャウシェスクの宮殿を思い出してしまうが、この建物も地震で崩壊してしまった。大統領は幸い外出中で無事だったようだが、このニュースは日本でもよく報道されていたので印象に残っている。 -
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大統領宮殿やシャンプ・デ・マール周辺の空き地にはマーケットが多いなと思っていたらすべて仮設住宅だったのだ。ビニールシートの中ではたくさんの人が援助を待ち続けている。
もともと仕事のない経済の崩壊していた国だ。どこから手をつけていいのか誰もわからない。こんな状態でも人々は明るく生活している。 -
地震からは10ヶ月以上たつが大統領宮殿も崩れたままだ。全く工事の手は入っていない。民主主義国家で住民に今だに復興の手が行き渡っていない現状でこの建物が再建されることはないだろう。それは当然のことだ。
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ポルトープランスの主要な見所だったノートルダム寺院も倒壊し、原形がどのような形だったのかわからないような惨状だ。
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白い壁が重厚な建物だったのだろうが今では見るも無惨な姿に変わり果てている。周辺ではユニセフの活動が行われてた。
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白い壁がまぶしいポルトープランスのノートルダム寺院。
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ノートルダム寺院の正面にある広場は避難民のテントが張り巡らされ周辺にはマーケットが開かれている。
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町のランドマークだった元々廃墟のテレコムセンターは地震を機に取り壊され、更地になっていた。
その周辺からペチョンビル行きのバスが出ているので乗り込んだ。 -
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写真はバス会社と警官。
ペチョンビルはポルトープランスが崩壊してしまったので事実上の首都だ。ただペチョンビルは昔から大使館や外資系企業が拠点を置いていた。ドミニカ共和国へ向かう国際バスもペチョンビルから出発するのでバス乗り場を探すことにした。
歩いても探せそうだったがバイクタクシーで連れて行ってもらおうとしたら全然違う場所にあるホテルに連れて行かれた。その場所はカリブホテルだった。カリブツアーと勘違いされてしまった。ホテルは町からずいぶん離れた場所になる。ちなみに1泊150ドル。
とりあえず幹線道路に出たら警官がいてペチョンビルの行き方を聞くことにした。
すると警官は自分の車を出してくれ、バス会社の前まで送ってくれた。
バス会社は日曜日で休みだった。予約は明日でも大丈夫だろうということで警官にはついでにダウンタウンに向かうバス乗り場まで案内してもらった。警官にヒッチハイクさせてもらうのはなかなかできない経験だ。ハイチは観光客がいない国なのでこのくらいの甘えは許されるだろう。警官も観光客が珍しかったのかもしれない。
ハイチの警官は誠実で感心した。
ダウンタウンに戻る前にペチョンビルの町を散歩することにした。ペチョンビルもダウンタウンと同じように町中にゴミがあふれ露天がひしめいている。このあたりは地震の被害はないようで少し中心から離れると閑静な住宅街はある。とはいえハイチなのでどこに行っても道端は汚い。
ペチョンビルのにぎやかなとおりに面した場所に安めの宿を発見した。明らかに連れ込み宿だが1泊15ドル以下だ。さすがに今泊まっている50ドルの宿は一刻も早く出たいが、今日はすでに午後になってしまった。チェックアウトするには遅いので今夜は泊まらなくてはならない。 -
帰りは空港の方へバスを乗り継いだ。
ポルトープランスのタプタプ(乗り合いバス)。 -
別角度から。
この派手さはパキスタンを思い出す。
ホテルの場所まで行くタプタプは発見できず空港からかなりの距離を歩くことになった。
でも明日はペチョンビルに出るだけなのでもうホテルに戻る必要はなく、ホテルに戻る交通機関を知る必要はない。 -
日が暮れる前に夕食を食べようとすると5時には店を探さなくてはならない。
日曜は昨日行ったレストランは休みなのでその近辺の露天で食べるしかないようだ。ソーセージを卵に入れて焼いたのを挟んだサンドウィッチですませた。 -
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購入した栄養ドリンク。怪しい中国製か?
今夜も6時前には日が暮れ、外出不可能になる。
夜、雷鳴とともに豪雨に見舞われた。ホテル周辺の未舗装道路どうなるのか。それよりセントロの被災者たちの仮設住宅は悲惨なことになっているのではないか。いろんな事を考えてしまう不安な雨だ。
でも雨は一時的なもので3時間ほどであがった。
【10月25日(月)】
昨日の雨がすごかったが今朝は一転、雲一つない天気だ。
朝のうちにペチョンビルの安宿に移動する。9時前に宿をチェックアウトした。宿周辺の未舗装道路は水溜まりがひどいが慎重に幹線道路へ向かって歩いた。
昨日同じルートを通っているのでスムーズにペチョンビルに到着できた。 -
ペチョンビルへ向かう途中にあった水場。
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ペチョンビルで昨日発見した宿に向かった。
途中は昨日の雨で水浸しだ。 -
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ここが昨日発見した「ホテル・スーパーセブン」
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部屋は水道はないのでバケツの水を浴びることになる。
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ホテルの建物。裏はこんな感じになっていた。
しかし問題が発生した。昨日確認した値段(14ドル)は休憩の2時間の値段だったのだ。フランス語しか通じず確認不足だった。
宿泊する場合は40ドルだという。結局10ドル安い代償が電気・水道のない宿となった。
今更空港の近くまで戻るつもりもない。宿の人がこの宿が町で一番安い宿だともいう。明日のバスの出発はこの近くなので場所はいい。ただ水も電気もない宿に40ドルとは大変な国だ。今までで最悪のコストパフォーマンスといってもいい。今後もこのような宿に巡り会うことはないかもしれない。そう考えるといい経験だ。
とりあえず明日のサントドミンゴ行きのバスのチケットを購入しにバス会社へ向かった。
サントドミンゴまでは片道40ドルとまたまた大きな出費だ。しかもこれに国境で28ドルと100グー(210円)がかかってくる。28ドルに関しては場合によって安くなる可能性もあるがどんどん金が目減りしていくことに疲労感を感じる。
一生来ない場所だし徹底的に回ろう。そう自分に言い聞かせるしかない。 -
昼寝をしてから町に出た。日中は日差しが強い。雨が降るよりはましだが外出は体力の消耗になる。ペチョンビルにこぎれいなファーストフード店を発見した。
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店内はハイチの富裕層の客でにぎわっている。
セットメニューで3ドルと久々にまともな食事にありつけた。 -
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ダウンタウンへ下る幹線道路沿いの露天が出ているので行ってみた。
ウミガメの甲羅が売られていた。 -
民芸細工を作る職人。
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ペチョンビル周辺のスラムも地震で崩壊してしまった。
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宿周辺に戻ってきた。いつもすごい人だ。
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夕食は暗闇の中、食べるところを探すことになるのか不安だったが、ホテル周辺のジャークチキンを露天で100グー(210円)で購入。
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ホテルの部屋で食べることにした。
【10月26日(火)】
ドミニカ共和国の首都・サントドミンゴへの国際バスは8時45分に出発する。でも昨日チケットを買った際、7時には乗り場に来るように言われたのでそれに合わせて宿を出発することにした。空港近くの宿では7時のバス乗り場まで来るのは大変だ。事前にペチョンビルの宿に移動しておいてよかった。ただこの宿は水は夜になって出たが夜中も電気を消せないという問題点はあった。でも比較的快適な宿だった。なにより従業員の対応がよかった。空港近くの宿は無愛想でやる気のない対応で少しうんざりしていたのだ。 -
ペチョンビルの町は7時前からたくさんの人が行き交っている。とにかくハイチはどこに行っても人だらけだ。
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バス会社に到着したらすでにたくさんの人がバスを待っていた。
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まずチェックインをすませなくてはならないようだ。チェックインの際、国境で必要なお金を支払うことになった。要求された額は28ドル。情報では日本人は入国の際ビザがいらないのでアメリカ人やフランス人より15ドル安くなるのだが、そのことを受付に話しても28ドルはすべてタックスだとの一点張りだ。聞く耳を持ってくれなかったのでそれ以上揉めるのはやめた。地震でスタッフが変わり日本人の入国に関するシステムを把握している者がいなくなったのかもしれない。
これが受け取ったボーディングパス。 -
8時半にはバスに乗り込むことができた。
左がそのバス。
エアコンの効いた比較的快適なバスだ。
結局バスが出発したのは9時を過ぎてからだ。バスはしばらくペチョンビルの町中で渋滞に巻き込まれ、なかなか郊外に出られなかった。
ハイチ側の道は状態が悪いので町を出たあとも舗装道路の陥没した部分や浸水した部分をさけながら慎重に走り続けた。
首都から国境までは距離的にはそんなにかからないはずだ。 -
ハイチ時間の11時に国境に到着した。
イミグレの事務所は湖に面した場所でずいぶん見晴らしがいい。 -
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しかしハイチ側のイミグレの横は浸水していて悲惨なことになっていた。
ハイチの表玄関なのに何とかならないのかと思う反面、ハイチが悲惨な国だとアピールしているのではと思ったりもする。 -
後続の別会社のバスがやってきた。
ハイチの出国はスムーズに終わった。
ドミニカ共和国に入っても未舗装道路のほこりっぽい風景は変わらない。しかしイミグレの建物内部は小綺麗になったように思う。
また入国審査官は黒人と白人の混血で今までの黒人だけの国とは少し印象が違う。入国審査の際、パスポート写真が僕と違うと疑われサインをさせられたり少し手こずったが問題なく入国できた。我々は黒人の顔を判別できないが黒人はアジア人の顔を判別できないのだろう。疑うと言うことはそれだけ審査官がまじめだということだろう。これで金を要求されたらアフリカの腐敗国家と同じだが中米ではそんな話は聞いたことはない。
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