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各務原市にある手力雄神社へ行きました。

二つの手力雄神社

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2020/06/07 - 2020/06/07

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旅行記グループ 寺社巡り

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おやぢさん

この旅行記のスケジュール

2020/06/07

  • 車での移動です。東海北陸自動車道各務原ICが最寄です。

  • もう一つの手力雄神社へ向かいます。

この旅行記スケジュールを元に

各務原市にある手力雄神社へ行きました。

同行者
家族旅行
交通手段
自家用車
  • 手力雄神社(てぢからおじんじゃ)へ行きました。各務原市の近くに二つの手力雄神社があります。<br />先に行ったのは火祭りで有名な手力雄神社。こちらは実は岐阜市蔵前という所でした。社標の文字は野田卯一氏の揮毫によるもので、氏は岐阜選出の国会議員の野田聖子氏の祖父。<br /><br />

    手力雄神社(てぢからおじんじゃ)へ行きました。各務原市の近くに二つの手力雄神社があります。
    先に行ったのは火祭りで有名な手力雄神社。こちらは実は岐阜市蔵前という所でした。社標の文字は野田卯一氏の揮毫によるもので、氏は岐阜選出の国会議員の野田聖子氏の祖父。

  • 鳥居から拝殿を望みます。

    鳥居から拝殿を望みます。

  • 拝殿ですが、比較的新しく感じられました。

    拝殿ですが、比較的新しく感じられました。

  • 神社の由来書。御祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)。通称、てぢからさま。

    神社の由来書。御祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)。通称、てぢからさま。

  • 拝殿隣には「さざれ石」がありました。なんか最近よく見るように思うのは気のせいか。

    拝殿隣には「さざれ石」がありました。なんか最近よく見るように思うのは気のせいか。

  • 境内隣にはこんなグラウンドのようなものがあります。しかもスタンドのような観覧席と思しきものもあります。

    境内隣にはこんなグラウンドのようなものがあります。しかもスタンドのような観覧席と思しきものもあります。

  • どうやら火祭りの会場のようです。手筒花火を用いた勇壮な祭りです。

    どうやら火祭りの会場のようです。手筒花火を用いた勇壮な祭りです。

  • 境内の一角に「日露戦役記念碑」がありました。乃木希典揮毫です。

    境内の一角に「日露戦役記念碑」がありました。乃木希典揮毫です。

  • さて、続いて各務原市の手力雄神社へ移動しました。

    さて、続いて各務原市の手力雄神社へ移動しました。

  • 裏には手力雄神社の由来等が書かれていました。境内には古墳もあるようです。

    裏には手力雄神社の由来等が書かれていました。境内には古墳もあるようです。

  • 社標です。

    社標です。

  • 朱塗りの立派な鳥居です。

    朱塗りの立派な鳥居です。

  • 鳥居をくぐった右側に織田信長の顕彰碑がありました。信長といえば尾張の武将のイメージが強いのですが、岐阜県民にしてみれば金華山に城を築き、岐阜と命名したということから郷土の武将という感覚があるのでしょうか。

    鳥居をくぐった右側に織田信長の顕彰碑がありました。信長といえば尾張の武将のイメージが強いのですが、岐阜県民にしてみれば金華山に城を築き、岐阜と命名したということから郷土の武将という感覚があるのでしょうか。

  • こちらの手力雄神社は那加総社とされています。御祭神はこちらも天手力雄命。です。

    こちらの手力雄神社は那加総社とされています。御祭神はこちらも天手力雄命。です。

  • こちらは古い社標で、二の鳥居の近くにあります。。

    こちらは古い社標で、二の鳥居の近くにあります。。

  • こちらが二の鳥居。

    こちらが二の鳥居。

  • 二の鳥居を過ぎた左手に子護薬師というお堂がありました。

    二の鳥居を過ぎた左手に子護薬師というお堂がありました。

  • お祀りされているのは、大巳貴命(おおなむちのかみ)、少彦名命(すくなひこなのかみ)、薬師大神(くししのおおかみ)です。神仏習合時代の名残で、延命長寿の神様として信仰されています。

    お祀りされているのは、大巳貴命(おおなむちのかみ)、少彦名命(すくなひこなのかみ)、薬師大神(くししのおおかみ)です。神仏習合時代の名残で、延命長寿の神様として信仰されています。

  • 手水舎は使えました。

    手水舎は使えました。

  • こちらが拝殿です。

    こちらが拝殿です。

  • 拝殿の中。奥に鏡が見えます。

    拝殿の中。奥に鏡が見えます。

  • 本殿の隣に秋葉神社が祀られていました。

    本殿の隣に秋葉神社が祀られていました。

  • ここにも「さざれ石」が奉納されていました。

    ここにも「さざれ石」が奉納されていました。

  • 境内から出たところに高徳福龍神社というお社がありました。

    境内から出たところに高徳福龍神社というお社がありました。

  • 小ぢんまりしたお社です。

    小ぢんまりしたお社です。

  • 高徳福龍神社の隣には福徳龍神がお祀りされていました。

    高徳福龍神社の隣には福徳龍神がお祀りされていました。

  • 高徳福龍神社の右手にこんな木がありました。

    高徳福龍神社の右手にこんな木がありました。

  • 「小賀玉木(おがたまのき)」という木です。

    「小賀玉木(おがたまのき)」という木です。

  • さて駐車場の奥には稲荷神社がありました。

    さて駐車場の奥には稲荷神社がありました。

  • 赤い鳥居をくぐっていくとこんなお社が鎮座していました。

    赤い鳥居をくぐっていくとこんなお社が鎮座していました。

  • その左手にはなんとこんな矢場がありました。

    その左手にはなんとこんな矢場がありました。

  • 駐車場に入るわきの所に「日露戦役記念碑」がありました。これも火祭りの手力雄神社にあったのと同じく、乃木希典の揮毫によるものでした。

    駐車場に入るわきの所に「日露戦役記念碑」がありました。これも火祭りの手力雄神社にあったのと同じく、乃木希典の揮毫によるものでした。

  • の向かい側に「織田信長公弓掛櫻」というのがありました。

    の向かい側に「織田信長公弓掛櫻」というのがありました。

  • こちらがその桜ですが、咲いている時に見に来るべきですね。

    こちらがその桜ですが、咲いている時に見に来るべきですね。

  • 弓掛櫻の近くには、「弓掛桜・的場桜・駈馬祭の由来」という碑がありました。

    弓掛櫻の近くには、「弓掛桜・的場桜・駈馬祭の由来」という碑がありました。

  • こちらが多分、的場桜。さきほどの稲荷神社の隣に矢場があったのもむべなるかなですね。

    こちらが多分、的場桜。さきほどの稲荷神社の隣に矢場があったのもむべなるかなですね。

  • 「日露戦役記念碑」の隣にあった碑ですが、碑文はよく読めませんでした。

    「日露戦役記念碑」の隣にあった碑ですが、碑文はよく読めませんでした。

  • さらに、その隣には赤座源右衛門という方を讃える石碑がありました。

    さらに、その隣には赤座源右衛門という方を讃える石碑がありました。

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