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真清田神社へ出かけました

真清田神社訪問

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2020/03/11 - 2020/03/11

144位(同エリア196件中)

旅行記グループ 寺社巡り

0

37

おやぢさん

この旅行記のスケジュール

2020/03/11

  • 服織神社へ移動します。

この旅行記スケジュールを元に

真清田神社へ出かけました

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
交通手段
自家用車

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  • 初詣は事情があって控えさせて頂きましたが、時間を作って訪れました。<br />鳥居の前の広場から眺めます。この広場、「宮前三八市広場」というそうです。「三八市」というのは昔門前に三日と八日に市がたったことに由来します。六本の木の柱が立っています。

    初詣は事情があって控えさせて頂きましたが、時間を作って訪れました。
    鳥居の前の広場から眺めます。この広場、「宮前三八市広場」というそうです。「三八市」というのは昔門前に三日と八日に市がたったことに由来します。六本の木の柱が立っています。

  • 広場にあった不思議なもの。

    広場にあった不思議なもの。

  • 元々こちらには移設された「一宮市道路原標」が埋設されていたそうです。

    元々こちらには移設された「一宮市道路原標」が埋設されていたそうです。

  • 広場の一角の花壇になったところに「道路原標」は移設されていました。

    広場の一角の花壇になったところに「道路原標」は移設されていました。

  • 「道路原標」の解説板もありました。

    「道路原標」の解説板もありました。

  • 「真清田神社」の社標。

    「真清田神社」の社標。

  • 鳥居から楼門を眺める。

    鳥居から楼門を眺める。

  • 神橋がありますが、通れないようにしてあります。老朽化もありますが、

    神橋がありますが、通れないようにしてあります。老朽化もありますが、

  • もともとこの神橋は「神橋不可渡(神橋渡るべからず)」でありました。

    もともとこの神橋は「神橋不可渡(神橋渡るべからず)」でありました。

  • 境内図。神橋の左手にありました。

    境内図。神橋の左手にありました。

  • 同じく、真清田神社のご祭神やお祭などが説明されています。

    同じく、真清田神社のご祭神やお祭などが説明されています。

  • 楼門です。

    楼門です。

  • 楼門に向かって右手の玉垣の辺りにあった赤染右衛門の歌碑。

    楼門に向かって右手の玉垣の辺りにあった赤染右衛門の歌碑。

  • 歌碑の歌が書かれています。また、作者の赤染右衛門の説明も。

    歌碑の歌が書かれています。また、作者の赤染右衛門の説明も。

  • 赤染右衛門の歌碑とは反対側に阿仏尼の歌碑もあります。

    赤染右衛門の歌碑とは反対側に阿仏尼の歌碑もあります。

  • 同様に歌が書かれ、阿仏尼の説明も。

    同様に歌が書かれ、阿仏尼の説明も。

  • 楼門前にあった巨大な絵馬。卯年なのでウサギはいいんですが、なんか眼が怖い。

    楼門前にあった巨大な絵馬。卯年なのでウサギはいいんですが、なんか眼が怖い。

  • 三月の神事が掲示されています。

    三月の神事が掲示されています。

  • 楼門の扁額。伝聖武天皇ご宸筆の旧額(多分、戦災で焼失)を模して人間国宝の平櫛田中氏が彫刻を施したそうです。

    楼門の扁額。伝聖武天皇ご宸筆の旧額(多分、戦災で焼失)を模して人間国宝の平櫛田中氏が彫刻を施したそうです。

  • 楼門をくぐって左手に「手水舎」があります。

    楼門をくぐって左手に「手水舎」があります。

  • 手水は龍の口からでています。

    手水は龍の口からでています。

  • 吐水龍の由来が書かれています。元々、尾張徳川初代藩主徳川義直公が奉納したもので、現在のものはそのレプリカです。

    吐水龍の由来が書かれています。元々、尾張徳川初代藩主徳川義直公が奉納したもので、現在のものはそのレプリカです。

  • 手水舎の奥に社務所があり、お札やお守りが受けられます。昔、「勾玉」が「匂玉」に間違われていたことを思い出しました。

    手水舎の奥に社務所があり、お札やお守りが受けられます。昔、「勾玉」が「匂玉」に間違われていたことを思い出しました。

  • 社務所から進むと「神水舎」というのがあります。私が子供の頃にはありませんでした。

    社務所から進むと「神水舎」というのがあります。私が子供の頃にはありませんでした。

  • 神水舎の由来が書かれています。明治天皇行幸の際にこの井戸水を使ってお茶が献じられたそうです。

    神水舎の由来が書かれています。明治天皇行幸の際にこの井戸水を使ってお茶が献じられたそうです。

  • こちらでも二頭の龍が水を吐いていました。龍の隣に井戸があります。また、子供の健康を祈る「井戸のぞき」という催しもあります。

    こちらでも二頭の龍が水を吐いていました。龍の隣に井戸があります。また、子供の健康を祈る「井戸のぞき」という催しもあります。

  • 何も書かれていませんが水神様をお祀りしているのではないでしょうか。

    何も書かれていませんが水神様をお祀りしているのではないでしょうか。

  • その隣にこんなものが。これも昔はなかったものです。どう見ても「陽物」です。子孫繁栄でしょう。ここには見えていませんが、重軽石もありました。

    その隣にこんなものが。これも昔はなかったものです。どう見ても「陽物」です。子孫繁栄でしょう。ここには見えていませんが、重軽石もありました。

  • さて、こちらが拝殿です。ご祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)で、「日の神」、「農業の神」として信仰されています。

    さて、こちらが拝殿です。ご祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)で、「日の神」、「農業の神」として信仰されています。

  • 拝殿向かって左手には神馬が奉納されています。

    拝殿向かって左手には神馬が奉納されています。

  • 拝殿隣には神宮祭主北白川房子の歌碑があります。

    拝殿隣には神宮祭主北白川房子の歌碑があります。

  • その右手にも石碑がありますが、碑文は読めませんでした。

    その右手にも石碑がありますが、碑文は読めませんでした。

  • さらに歩を進めると服織神社(はとりじんじゃ)があります。

    さらに歩を進めると服織神社(はとりじんじゃ)があります。

  • 服織神社の拝殿です。

    服織神社の拝殿です。

  • 服織神社の由来が書かれています。ご祭神は萬旗豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)で、天火明命の母神で伊勢皇大神宮の天照大神の相殿神という神格の高い方です。織物の守護神として、織物が盛んであった尾張地方と関わりの深い神様です。

    服織神社の由来が書かれています。ご祭神は萬旗豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)で、天火明命の母神で伊勢皇大神宮の天照大神の相殿神という神格の高い方です。織物の守護神として、織物が盛んであった尾張地方と関わりの深い神様です。

  • 服織神社の扁額。

    服織神社の扁額。

  • 拝殿から本殿を望みます。

    拝殿から本殿を望みます。

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