2019/04/20 - 2019/04/20
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にふうささん
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4月となり、桜の季節は終わりかけですが、春らしいうららかな気候で、新緑が心地よいために、前々から行きたいと思っていた高野山へ行ってきました。
行程は、日帰りで、朝イチの電車を乗り継いで、大阪から高野山まで行きました。高野山では、最初、弘法大師が眠る「奥之院」地区へ行き、その後、周辺の寺院を巡りながら、「中心部」地区の金剛峯寺や壇上伽藍等を見てきました。基本徒歩で回っていたので、最後の方は疲れたので、午後には高野山を出発し、夕方に戻ってくるという行程です。
ご紹介するところは多いのですが、今回は行程すべてをまとめて紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄
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高野山への道のりは、少し遠いです。まずは南海難波駅から南海高野線に乗り、橋本駅で乗り換えて、極楽橋駅へ。
橋本ー極楽橋は単線なため、すれ違い待ちのために駅で結構止まっていましたし、登りは案外ゆっくり走っていました。それもそのはずで、橋本ー極楽橋との標高差は443mで、特に高野下駅からは50パーミル(走行距離1000mに対して高低差50m)の急こう配区間が連続していますから。 -
極楽橋駅からはケーブルカーに乗ります。このケーブルカーは2018年にデビューしたもので、標高差330mを約5分で登ります。
注意事項として、時間帯によっては宿坊に泊まるであろう欧米人が大きなスーツケースを持って入ってくる場合があるので、想定外に窮屈になるときがあります。極楽橋駅 駅
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高野山駅に到着。ここからバスに乗って、高野山の核心部へと向かいます。バスに乗らないとダメなのです。
バスの路線は、町の真ん中の千手院橋を中心に、奥の院へ向かうバスと、檀上伽藍・大門へ向かうバスとに分かれますが、檀上伽藍・大門方面のバスは便数が少ないです。そのため、効率的に回ろうと思ったら、行程を考える必要があります。
ちなみに、1日乗車券は大人830円で、単純な往復だと元は取れませんが、小銭を使いたくなかったり、1日乗車券についている各種割引券を駆使したりすれば、元は取れるかもしれない価格です。高野山駅 駅
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まずは、奥の院へと参拝しようと、「一の橋口」でバスを下車し、そこから約2kmを散策しながら歩きました。多少アップダウンはあるものの、基本的には平坦で歩きやすかったです。
高野山 一の橋 名所・史跡
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基本的にこんな感じの杉立木の中を歩きます。途中に、諸大名等の供養塔がありますが、後にまとめて紹介したいと思います。
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少しピンボケしていて悪いのですが、こちらは南海電鉄創始者の供養塔。高野山には戦国武将の供養塔だけではなく、比較的新しい供養塔もあり、有名人だとか、企業の縁故者だとか、軍隊だとか、様々な供養塔も多く見受けられました。
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「中の橋」に到着しました。この先は、これまでとはちょっと雰囲気が変わります。
中の橋 名所・史跡
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「汗かき地蔵」。人を救うべく常に汗をかいているように見えることから、その名がついたとか。
汗かき地蔵 (高野山奥の院) 寺・神社・教会
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「汗かき地蔵」の脇には、「姿見の井戸」がありました。「姿見の井戸」とは、井戸に自分の姿が写らなければ、自分の余命は3年以内であるといわれていることから、その名前がついたとか。私も恐る恐る中をのぞいてみましたが、ちゃんと自分の姿が写りました。よかった。
のぞいて思いましたが、井戸の水位が変動しがちなので、そのような言い伝えが出てきたのかなあと。 -
「汗かき地蔵」の祠を越えたあたりに、「密厳堂」という祠があります。高野山から離れ、新義真言宗を創設し、根来寺を建立した覚鑁(かくばん)上人が祀られているとか。
それよりも、この辺りに43段の石段があるため、「覚鑁坂」という名称がついています。42(しに)越えるということで、43段あるそうで、この階段で転ぶと、3年以内に死ぬのだとか。
この辺りから、ちょっとアップダウンが出てくるようになりました。 -
「高麗陣敵味方碑」。1599年に島津義弘・忠恒親子が高麗戦争で亡くなられた敵味方の戦死者に対する供養塔として建立したものだとか。敵味方なく供養するというのは日本人らしいですね。
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芭蕉の句碑がありました。句碑には「父母のしきりにこいし雉子の声」とあるそうです。
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「御廟橋」まで到着しました。これより先は撮影禁止なので、紹介はここまでです。この先の、「燈籠堂」では、皇室の方々が灯した火を絶やさず燃やしていることや、弘法大師が今も修行中の「御廟」など、今までとは違った空気が流れていた感じがします。
あと、言うまでもないことですが、高野山は欧米系の外国人が多いですね。御廟橋 名所・史跡
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写真ではわかりにくいのですが、道の先のほうに「礼服姿の団体」がいます。奥の院で法事を行うために、結構礼服姿の人が参道を歩いています。ただし、駐車所やバスの停留所がある「中の橋」あたりから、比較的平坦な道を歩いてくるみたいですけど。
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以下からは、戦国武将の墓所等を紹介。そもそも、このように墓所が多くなってきたのは戦国時代ぐらいから、戦国武将による庇護(寺院への寄付)と寺院による永大供養というシステムがビジネス化されたからなのです。戦国武将が各藩へ、明治以降は大企業や軍隊へと、対象が変わっていってはいますが。
ここには約20万基以上の墓石、祈念碑、慰霊碑があるそうです。
写真は、織田信長の供養塔で、供養塔の大きさとしては普通ぐらいです。 -
「豊臣家墓所」は、ちょっと違った場所にありました。このように階段を登った先にあります。
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「豊臣家墓所」として、秀吉公とその母親、弟の秀長とその夫人など、一族の供養塔があります。豊臣秀吉は、信長時代から攻撃していた高野山勢力と和睦し、高野山を庇護したとか。そうじゃなかったら、多分比叡山と同じく、高野山も焼き討ちされていたかもしれません。
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「結城秀康(家康次男)及び同母霊屋」。石造りの立派な霊廟がありました。今まで見てきた供養塔とは違います。
そして画面左側は結城秀康自身が作ったものだが、右側は二代当主忠直によって建立されたものとか。石屋が2つもあると。 -
徳川幕府二代将軍秀忠公の夫人「崇源院」の墓所がありました。少し高い位置にありますし、奥の院の墓石群の中で一番大きなサイズ(高さ6.6m)だとか。そのため「一番石」の呼称で呼ばれているようです。
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「上杉廟」。上杉謙信・景勝の霊屋。おそらくは江戸時代に作られたのではないかという霊屋です。柱の上の方には、立派な彩色が残っていました。
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「武田信玄・勝頼墓所」。きちんと敗者も供養されています。比較的きれいに整備されておりました。
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「伊達政宗墓所」。供養塔の周りが石の柵で囲われているのと、大きな供養塔があります。しかも鳥居まで。
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「薩摩島津家墓所」で、その中でも「初代家久」「二代光久」「綱久」の墓所だとか。供養塔が3つありますし。また、この供養塔は全体の中でも4番目に大きいので、「四番石」と呼ばれています。
それと、薩摩島津家はここだけではなく、墓所はいくつかあります。 -
「石田三成墓所」。敗者も供養されてはいますが、他の墓所と比べると、ちょっと格が落ちるかなあといった感じです。
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「加賀前田家墓所」で、その中でも「二代利長」の墓所。この供養塔も大きく、全体の中で3番目に大きいことから、「三番石」と呼ばれているとか。
加賀前田家も墓所が複数ありました。 -
「明智光秀墓所」。こちらも供養されてはいますが、言われなければわからないレベルの大きさで、これで正しいのかわからないぐらいです。
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こちらは忠臣蔵で有名な「浅野内匠頭墓所」。各藩の供養塔とは違い、墓碑に近いですね。
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浄土宗の創始者の「法然上人墓所」。他宗派でも供養塔があるあたり、懐が深いです。
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こちらは、「大岡越前守」の供養塔。墓碑みたいになっていますね。
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関東大震災で亡くなって死者を弔う供養塔です。一の橋に近い場所ながらも、かなり広い空間を使用していました。
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最後に、一の橋の入り口付近にあった、旧日本海軍の関連の供養塔です。かなり大きなものが建立されています。
以上で、奥の院の参拝を終わりまして、次へ向かいたいと思います。 -
奥の院の参拝を終えまして、次は「金剛峯寺」や「檀上伽藍」へと行こうと思います。
写真はその途中にあった「刈萱堂」です。このお堂は、刈萱道心と石道丸の悲話が伝わるお堂ということで、中は絵物語があり、その伝説が説明されていました。あまり興味がなかったので、ふーんで終わりましたけど。苅萱堂 名所・史跡
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「摩尼宝塔」。それ以上の事は覚えていません。中も見れたかどうか、印象もありません。
桜との対比できれいだったなあということぐらいです。成福院 摩尼宝塔 名所・史跡
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千手院橋近くの薬屋。なんか歴史を感じさせます。千手院橋近くだけ、お店があるという感じで、歩いているとその変化に驚きました。
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「金剛三昧院」にやってきました。元々は、尼将軍・北条政子が、夫・源頼朝と息子・実朝の菩提をともらうために建立した寺院です。
写真は、入り口前の桜ですが、4月下旬にも関わらず、桜が咲いておりました。 -
「金剛三昧院」の本堂です。正面の階段の上にある「大錫杖」を回すと、愛染明王に願いが届くとか、そういうものが置かれていました。
金剛三昧院 宿・ホテル
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金剛三昧院の「経蔵」。鎌倉時代の建築物で、重要文化財に指定されているものです。
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金剛三昧院の「多宝塔」。国宝に指定されているとのことです。
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金剛峯寺にやってきました。金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山です。
また、明治元年に、興山寺と青厳寺とが合併して「金剛峯寺」と改称したのがきっかけで、このお寺には寺紋が二種類あるのも特徴です。 -
境内には、高野槙をこのようにしているものがありました。高野では、「高野槙」売り場があって、何に使うのかなあと思っていましたが、このように使うのですね。なるほど。
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金剛峯寺の主殿へとやってきました。向かって右側に受付がありますので、中に入ってみたいと思います。
金剛峯寺 寺・神社・教会
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主殿から、別殿へと向かう通路ですが、ここに「枯山水の小庭」がありました。
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こちらが、金剛峯寺で有名な、「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」。2340平米もある国内最大級の石庭です。庭は、白砂を雲海と見立て、雲海の中を雄雌の龍が奥殿を見守っているように設計されているとのことです。ちょっと全体が見えないと何とも言えないですね。
金剛峯寺 寺・神社・教会
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あと、見どころが台所にある、このお釜。1つの釜が7斗炊け、3つの釜で合計2石、約2000人分のご飯が炊けるとのことです。
なんかお米の数え方がよくわからないことになっています。
以上で、金剛峯寺の見学が終わりました。 -
金剛峯寺を見た後、次は檀上伽藍へと向かいます。このような細い道(蛇腹道)を通って、檀上伽藍の中へと入っていきます。
「壇上伽藍」は、高野山の二大聖地のひとつで、弘法大師が真言密教の根本道場を開くにあたり、最初に整備に着手した場所だとか。ただ実際、「壇上伽藍」とはこの境内の総称で、内部には根本大塔、金堂など19の建築物が立ち並ぶところを、まとめて壇上伽藍としています。
それでは、主要な建物を見ていきたいと思います。 -
檀上伽藍の東塔へと来ました。この塔は1984年に再建されたもののようです。
壇上伽藍 寺・神社・教会
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「三昧堂」。西行法師がこの場所にお堂を移したのが始まりで、現在の建物は1843年に再建されたものとか。桜が有名なんだけど、どれがそれなのか、わかりませんね。
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「不動堂」。1197年の建立らしい。建物のつくりが、住宅風の仏堂なこともあり、国宝に指定されています。
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「根本大塔」にやってきました。真言密教の根本道場のシンボルとして建てられた、高さ48.5mの日本で最初の多宝塔だとか。
ただ、この大塔は赤く新しそうです。どうも、鉄筋コンクリート造りで、1937年に再建されたものだそうです。
大塔の内部では、曼荼羅の世界が立体的に表現されており、胎蔵界と金剛界を一つに融合した空海独自の立体曼荼羅が安置されているとのことでして、中に入ってみましたが、撮影不可のために写真はありません。壇上伽藍 寺・神社・教会
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こちらが「金堂」。壇上伽藍の中央にあって、重要な行事のほとんどをここで執り行うのだとか。現在の金堂は7代目で1932年に再建されたものだそうです。
壇上伽藍 寺・神社・教会
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金堂の近くには、このような蓮池もありました。
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「中門」。この中門は、2015年に172年ぶりに再建されたとのこと。この大きさで中門ですから、大門はどれほど大きいのだろうと思いました。
壇上伽藍 寺・神社・教会
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壇上伽藍で注目すべきものの一つとして、この「六角経蔵」があります。その名前の通り六角形をしているのですが、この建物は下に回すところがついているのが特徴です。
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「御影堂」。弘法大師がお住まいになっていたとされるお堂で、1848年に再建されたものだそうです。真言宗の寺院では御影堂もかなり重要視しているのではないかと。
軒先につるされている灯篭が印象に残りました。壇上伽藍 寺・神社・教会
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「西塔」。こちらは古いみたいですが、1834年に再建された五代目だとか。
その他にも、檀上伽藍にはたくさんの建物があるのですが、これで終わりにしたいと思います。壇上伽藍 寺・神社・教会
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あと、わかりにくいのですが、檀上伽藍の外側に「1町石」がありました。根本大塔からふもと側に1町という意味です。
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少し歩いて「大門」へとやってきました。確かに、この大門、大きいです。
昔は現在地から西5町ほど下方にあったのですが、現在地に1140年に移し、現在の建物は1705年に再建したものだとか。大門 名所・史跡
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大門付近は展望がいいとのことでみてみました。確かに開放感がすごいですね。
大門へは狭い歩道を少し歩くので、賛否両論あるかもしれませんが、できるなら行った方がいいと思いました。私は時間と体力があれば、おすすめします。 -
霊宝館にやってきました。普段、霊宝館はあまり興味ないのですけれども、チケットの中に入っているので行ってみると、意外や意外、非常におもしろかったです。本館の建物は1921年に建てられたものとかで、歴史が感じられる分、空調設備が貧弱だったことが印象に残っています。しかし、一番おもしろかったのは新館に展示してあった「高野山の歴史」です。高野山は空海が建立したことまでは有名ですが、その後のいきさつや、なぜ戦国時代以降に重要視されたのかなどがわからず、ここにきて歴史の勉強をしてようやくわかったという感じでした。回る順番が逆で、歴史を最初に勉強して、しかも最初にこのような歴史を勉強しておけばよかったなあと。そうすれば、なぜ弘法大師像の膝に触るのかとかいうことも理解できたのではないかと。
高野山霊宝館 美術館・博物館
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「大師教会」。割引切符では、ここで「授戒」をしていただけるそうなのですが、時間が合わずに泣く泣く断念いたしました。
高野山大師教会 寺・神社・教会
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大師教会の隣にあった「赤地蔵尊」。建物が印象的でした。
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少し歩きまして、「波切地蔵尊」までやってきました。中には地蔵様が安置されていたのですが、仕切りがあり、あまりよく見えませんでした。ただ、青かった印象があります。
浪切不動尊 名所・史跡
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「徳川家霊台」へとやってきました。これから石段を登って、見に行きたいと思います。
徳川家霊台 名所・史跡
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中には、霊台が2つあります。手前の鳥居がある方が「家康」公の霊台、奥が二代「秀忠」公の霊台です。
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こちらは「秀忠」公の霊台ですが、装飾が非常に豪華です。内部は非公開なので、実際これで終わりと、非常に物足りなさはあるのは否めないです。
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以上で、高野山の散策を打ち切りまして、バスに乗って、再び高野山駅に戻ってきました。
高野山駅 駅
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高野山駅からはふもとの街などが見渡せます。随分高いところに来たものです。
高野山駅2階にも絶景ポイントがあるので是非。
ただし、高野山駅の周辺には、駅の小さな売店と隣の喫茶店しかないので、お土産を買ったり、食事をしたりということは不便です。 -
これからケーブルに乗って帰ろうと思います。帰りは、大きなトランクを持った西洋人が乗ってきたので、中は大変でした。
以上で、旅行記は終了いたします。ご覧いただきまして、ありがとうございました。
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