2018/06/07 - 2018/06/12
20位(同エリア43件中)
AandMさん
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6月初旬にバルト3国観光をしました。エストニア、ラトビア、そしてリトアニアの観光地を巡りました。エストニアでは世界遺産にも登録されている中世が残る美しい町タリンからハープサル、バルヌを訪問し、ラトビアとリトアニアを訪れた後、バルガ、タルトゥ、そしてロシアとの国境の町ナルバに行ってみました。レンタカーによるドライブ旅行です。首都タリンでは日本からも含めて沢山の観光客がいましたが、タリンを離れると観光客数は多くありません。
エストニアの地方の町々にも、教会を中心に中世時代から建造物や遺跡が多く残されていました。エストニアは、過去にデンマーク、スエーデン、ロシア、そしてソ連に支配された経緯があり、教会などの建物にその影響が残されているように感じました。ナルバはエストニアとロシアの国境の町で、ロシア系住民も多く、エストニアの他の町とは印象が多少異なりました。タルトゥは歴史あるタルトゥ大学を中心に発達した美しくてユニークな町でした。エストニアは大きな国ではありませんが、地方の町々はいずれも特徴的であると思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 スイスインターナショナルエアラインズ ANA スカンジナビア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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6月7日
タリン観光を終え、ラトビアの首都リガに向かいました。途中の町、ハープサルとバルヌを少しだけ観光しました。
ハープサルはエストニア西部の海沿いの町です。タリンからラトビアのリガに車で行く途中にありますので、寄ってみました。リゾート地で人口1万人程です。町の歴史は1279年に始まっているいます。サーレ・レーネ司教領の中心地となり、ハープサル城(エストニア語: Haapsalu piiskopilinnus)が作らたのが始まりです。
ハープサル城は城と教会が一体化し珍しい城です。左側が教会で、中央部から右手にかけて城になっていました。教会は聖ニコラス聖堂(St. Nicolas Cathedral)で訪問時には修復工事が進行中でした。僧正の城 城・宮殿
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教会の内部です。エストニアの他の教会と同じような感じです。ただこの教会には伝説が伝えられており、8月の満月の夜に、チャペルの内壁に女のイメージ「ホワイトレディ」が現れるそうです。
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教会にはチャペルが付属してありました。このチャペルの内壁に8月の満月の日に「ホワイトレディー」が現れるのでしょうか?
チャペル壁際にある木製の聖母子像は、ソ連統治時代に殺されたエストニアの母親たちを悼んで造られたものです。チャペルは厳かな雰囲気で、満月の夜に異変が起こりそうな感じもしました。 -
城の塔や他の部分は修復工事中で、見学はできませんでした。
この城や教会は1940年に進行したソ連によって破壊されています。教会の祭壇やオルガンなどが持ち去られ、教会や城は穀物倉庫として使用されています。エストニアが独立してから、以前の姿に戻す努力が継続されています。 -
ハープサル城の近くにある旧市庁舎博物館(Haapsalu Old Town Hall Museum)です。1950年に旧市庁舎を利用した博物館として開設されています。20世紀初めころのハープサルに関連する物品が展示されています。
ラーネマー博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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博物館(Haapsalu Old Town Hall Museum)の入り口です。博物館の表示プレートの上の紋章は、ハープサル市の紋章のようです。
ラーネマー博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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博物館前は公園になっていました。中央部に武人の石像がありました。ハープサルは静かで落ちついた町でした。
ハープサル 散歩・街歩き
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エストニア南部の町パルヌは、バルト海のパルヌ湾沿いにある都市で、エストニア屈指のリゾート地としても知られています。人口は約4万5千人で、エストニアでは大きな町に入ります。ここは町の中心部ショッピングエリアにあるバルヌ博物館です。入場料は4 Euroでした。
パルヌ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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博物館前にある彫像です。エストニアの著名芸術家の作品です。この博物館にはエストニアのバルヌの歴史展示ばかりでなく、石器時代から人類の発展11000年の歴史”11,000 Years of History ? Experiences from Times Long Ago"も展示されています。
パルヌ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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エリザベート教会(St. Elizabeth's Church)の尖塔です。現在の教会建物はロシアの女帝エリザベスが8000ルーブルを寄付して、1747年に造られたネオゴシック様式の美しい教会です。教会の名前は寄付者の女帝エリザベスに由来しています。
この後さらに南下してラトビアのリガ→リトアニアのビリニュスなどを訪問し、再び北上してラトビア→エストニアに戻りました。帰りは内陸部のE264号線を進みました。エリザベート教会 寺院・教会
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6月11日
内陸部のE264号線をラトビアからエストニアに進むと、バルガ(Valga)の町に入りました。人口1万4千人の国境の町です。
以前は国境検問所がありましたが、バルト3国がEUに加盟し、シェンゲン条約に署名した2007年12月に全ての検問施設が撤廃されています。以前は町中を国境を示す壁や検問所がありましたが、訪問時は全く無くなっていました。ヴァルガ 散歩・街歩き
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注意深く見ると、道路わきの標識に国境の表示がありました。エストニア側から道路を進むと、「ラトビア」と表示されています。標識を越えるとラトビアになります。
ヴァルガ 散歩・街歩き
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同じ道路を逆向きに進むと、先ほどの標識の裏側に「エストニア」と書かれていました。標識より先はエストニア領となります。
ラトビア/エストニアの国境が標識の表裏で示されているのは面白いと思います。道路上に線などは引かれていませんので、通常は国境通過を気づかないと思います。 -
道路のセンターラインが国境になっている箇所もあり、町中を国境線が複雑に入り組んで引かれています。歴史的な理由があるようです。
小さな湖の中央を道路が走っており、こちら側はラトビアで反対側はエストニアになっています。何とも珍しい町です。 -
バルガ(Valga)は以前は国境の町として栄えていましたが、実質的な国境が消滅してから発展が停滞している印象です。ラトビアの首都リガからエストニア北部の大きな町タルトゥへの途中の町ですが、海岸部からも遠く産業も発達していないためと思われます。古びた家々や空き家などが多い印象でした。
ヴァルガ 散歩・街歩き
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バルガ中心部にあるバルガ美術館(Valga Museum)の道路向かいにある学校です。こちらの方が美術館的でしたので、間違えてしまいました。美術館はありきたりの建造物で、バルガ地方の歴史と伝統を展示します。訪問は月曜日でしたので残念ながら開いていませんでした。日曜と月曜は閉館で、火-金が11:00 - 18:00、土10:00 - 15:00が開館時間で入場料は3 Euroでした。
ヴァルガ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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立派な教会もありますが、バルガの中心部の人通りは多くはありませんでした。町の中心部では修復や開発工事が進行中で、EUに加盟した以降、着実に状況が改善しつつあるように思います。
聖ヨハネ教会 寺院・教会
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バルガからE264号線を90km程北東に進み、エストニア北西部の大学都市タルトゥ(Tartu)にやって来ました。ここはタルトゥ 大学の本部です。1632年10月15日にスウェーデン国王グスタフ2世アドルフによって発せられた勅書により設立された「アカデミア・グスタヴィアナ」がタルトゥ大学の前身とされています。エストニアはスエーデン、ロシア、ソ連などに支配されたため、この大学も複雑な発展経緯を経験していますが、今日ではエストニアを代表する大学となっています。
タルトゥは大学を中心に発展した大学町でした。タルトゥ大学 史跡・遺跡
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タルトゥ大学本部の中に美術館があります。見学しようと考えて中に入ってみましたが、2018年1月から8月末までは閉館との表示が出ていました。改装、修復作業が進行中のようでした。
タルトゥ大学美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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大学本部の受付係員と話をしたら、大学には有名な学生牢があり、ツアーで見学できることを教えてくれました。タルトゥ大学は20世紀初めまでは男子学生だけの大学で、多くの有名人を出しています。20世紀の初期に撮影された写真が展示されていました。確かに男性だけです。
「学生牢」をツアーで見学することにしました。集合時間に大学本部前に来ると、お客は我々夫婦だけで案内してくれるのは先ほど話した大学の女性職員の方でした。 -
大学内の階段を上ると、屋根裏に学生牢がありました。学生牢内のベッドです。この部屋に、罪状に応じて1日~30日程度の間、学生が閉じ込められたそうです。食事が与えられ、閉じ込められている間は勉学に励むことを要求された、とのことです。
タルトゥ大学 史跡・遺跡
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学生牢内の壁には、沢山の落書きがありました。落書きは何度も上塗りされていますが、随分昔の落書きもあるようです。案内してくれた方の説明によると、学生牢に放り込まれると学生経歴のステータスにもなったそうです。学生牢体験者で著名人になった人が沢山排出している、と教えてくれました。
この学生牢はタルトゥ大学が男女共学になった20世紀以降に廃止され、今日では使用されていないと教えてくれました。 -
聖ヨハネ教会(St. John's Church)です。赤レンガ造りの教会で14世紀に建てられていますが、火災や破壊などで何度も修復が繰り返されています。ゴシック様式です。
聖ヨハネ (ヤーニ)教会 寺院・教会
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教会入り口のパネルには、見学可能時間(夏季)10時~19時、入場無料、写真撮影する場合は1 Euro、塔に昇る場合は2 Euroと書かれています。英語もあるので、分かり易いと思います。
聖ヨハネ (ヤーニ)教会 寺院・教会
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教会内部ですが、派手ではなく落ち着いた感じでした。
聖ヨハネ (ヤーニ)教会 寺院・教会
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教会入り口の煉瓦積みは見事だと思います。煉瓦積みはこの地域の特長のようです。
聖ヨハネ (ヤーニ)教会 寺院・教会
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町の中心部の市庁舎広場です。広場の周囲にはホテルやレストランが並んでいました。
ラエコヤ広場 広場・公園
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広場の西側に市庁舎があります。市庁舎内に観光案内所もありました。前には噴水があり、彫像が目を引きました。
ラエコヤ広場 広場・公園
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傘を差しながらキスをしている像で、「キスする学生の泉, Kissing students Fountain」と呼ばれています。この町の主人公は学生であることが伺えます。
ラエコヤ広場 広場・公園
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市庁舎にある観光案内所です。
タルトゥ観光案内所 散歩・街歩き
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市庁舎広場の東側を川が流れ、川の手前に黄色の目立つオブジェがありました。左側にタルトゥ芸術美術館(Tartu Art Museum)がありますので、これも著名な方の芸術作品と思われます。
タルトゥ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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川に架かる橋も芸術的な感じがします。
タルトゥ 散歩・街歩き
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タルトゥでの宿泊ホテルは、大学本部前にあるアントニウスホテルです。伝統的な作りの歴史あるホテルで、客室も広くて快適でした。
アントニウス ホテル ホテル
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このホテルのレストランはお勧めです。夕食を頂きました。前菜です。緻密で丁寧な前菜でした。
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メインディッシュのラムですが、柔らかくて微妙で美味しい味付けで、通常のラムとは別物の感じがしました。サービスも丁寧で、格式がありました。家内も大変気に入ってくれました。
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6月12日
翌日は雨模様でした。早朝は激しい雨が降っていましたが、9時過ぎには小降りになりましたのでホテルで大きな傘を借りて観光に出かけました。「天使の橋, Angel's Bridge」です。1838年に建設されています。天使の橋 悪魔の橋 建造物
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「天使の橋, Angel's Bridge」と対となっている「悪魔の橋, Devil's Bridge」で1913年の建造です。名前の由来は、近くにある天使の橋との対でとけられたという説とこの橋の建設現場監督のWerner Zoege von Manteuffel の名前から来ているとする説があります。名前の「Teuffel」はドイト語で悪魔の意味です。
天使の橋 悪魔の橋 建造物
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悪魔の橋の説明で、名前の由来についても説明されています。
天使の橋 悪魔の橋 建造物
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タルトゥ大学美術館(University of Tartu Museum)で丘の上の公園内にありました。聖ヨハネ教会(St. John's Church)と同様の赤レンガ造りです。教会と同様に長い歴史があるものと思われます。
タルトゥ大学博物館 (大聖堂) 博物館・美術館・ギャラリー
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美術館の案内標識には公開時間が書かれています。
タルトゥ大学博物館 (大聖堂) 博物館・美術館・ギャラリー
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美術館に隣接して教会遺跡がありました。15世紀に完成された教会ですが、16世紀のロシア軍の進出で破壊されています。再建計画がありましたが、1600-1611年のポーランドとスエーデンの戦争で中断し、1624年の大火で殆ど壊されてしまったまま廃墟になっています。煉瓦積みで残されている部分は15-16世紀の建造部です。
大聖堂の塔 建造物
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教会遺跡は廃墟ですが、建設当時の豪華さが偲ばれます。この教会はタルトゥが1620年にスエーデン支配になると教会の修復が進められ、1760年代には66mの高さであった塔が22mに改修されるなどの変化もあったようです。
大聖堂の塔 建造物
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丘の上にタルトゥ旧天文台(Old Observatory)がありました。この天文台は1808年に建設され1810年から1964年にかけて使用されましたが、現在はタルトゥ博物館の一部として使われています。月の詳細な地図を完成させたドイツの天文学者Johann Heinrich von Mädlerは、ここの天文台長を務めています。ヨーロッパでも有数の天文台でした。
旧天文台 建造物
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横から眺めた旧天文台です。望遠鏡が収められていたドームの形から、天文台であったことが分かります。
旧天文台 建造物
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おもちゃ博物館(Tartu Toy Museum)で、おもちゃの収集ではバルト三国で最大の博物館です。5000個以上のおもちゃが所蔵されています。おもちゃの歴史に興味のある方には必見の博物館です。1994に建設され 2004年からこの木造製の建物が博物館として使用されています。1770年代に建設されているエストニア風の建造物です。
タルトゥおもちゃ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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雨が降り続いていましたが、タルトゥのホテルをチェックアウトしてエストニア北西部の国境の町ナルバ(Narva)に向かってE264号線を進みました。途中のKuremäeの町に美しいロシア正教の修道院があることが分かりましたので、立ち寄ってみました。
16世紀にあった小さな修道院が1891年に立派なロシア正教の修道院に建て替えられ、今日に至っています。16世紀の伝説では、近くの村の羊飼いが神の啓示をうけ、これに従って大きな樫の木の下を掘ったところ神のイコンが出てきた、と伝えられています。このイコンは修道院に飾られ、崇拝の対象になっています。ピュフティツァ修道院 寺院・教会
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修道院への入り口です。修道院にはロシア系の多くの方々がおられました。ロシア正教系の教会や修道院では、内部の写真撮影は禁止されていますが、この修道院でも例外ではありませんでした。
修道院内の説明も全てロシア語で、英語はありません。ロシア系の信者や観光客の訪問が大部分であるように感じました。ピュフティツァ修道院 寺院・教会
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ロシアとの国境の町、ナルバにやって来ました。ナルバは「バルト海の真珠」とかつては呼ばれていましたが、18世紀前半の大北方戦争や第二次世界大戦における激しい攻撃によって一旦灰燼となり、その歴史的な街並みの多くは失われています。人口は約66,000人で、ロシア系の人口比率が高く、エストニアでと特異な地域だそうです。
ナルヴァ 散歩・街歩き
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ナルバの国境検問所の手前に広場があり、ここに観光案内所がありました。トイレもありますが、有料(0.5 Euro)でした。
観光案内所 (ナルヴァ) 散歩・街歩き
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国境検問所の入り口で、この前に国境を渡る車の列ができていました。1台ずつ、指示に従って進んでエストニア出国手続きをしていました。
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エストニアとロシアの間のナルバ川に架かる国境の橋です。橋を渡った所にロシアの国境検問所がありました。川幅は100m程ですが、流れは相当早い感じでした。川沿いには散歩道(ナルバプロムナード)が整備され、川向こうにロシアの古城(イヴァンゴロツカヤ・クレポスチ)が見えました。
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川沿いの丘の上にナルバ城があります。城内に博物館(Narva Museum)があり、この地で発掘された物品が展示されていました。
ナルヴァ城 史跡・遺跡
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ナルバ城の城壁からナルバ川の向こうにロシアの古城が見えますが、距離が200m程ですのでロシア側の観光客の姿もはっきり見えました。ただ日本人が国境を超えるためにはロシアビザの事前取得が必要ですので、簡単には訪問できません。エストニアの方々は徒歩で橋を渡ってロシア側に移動していました。
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城内にあったナルバ博物館です。写真やパネルが展示され、ナルバ地区の歴史が説明されていました。
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この地で発掘された遺物展示もありました。古いコインで、昔からこの地で交易がなされていたことが伺えます。
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古い鉄製の釘や武具です。ナルバは古くからヨーロッパとロシアの交易の要点であったことが分かります。
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ナルバ城の中庭(Northern Courtyard)で、中世時代の生活が再現されていました。ナルバ城博物館の入場料は8 Euroですが、4 Euro分だけ中庭のお店で使用できるコインをくれました。皮製品のお店や中世時代の食事を提供するカフェなどがあり、家内が10 Euroの革製の工芸品を購入しました。不足分の2 Euroは通常のユーロで支払いました。面白いサービスだと思います。
中庭で働いていたエストニアの若い女の子は、エストニア語、英語、ロシア語、スペイン語を理解できると言っていました。海外で最も行ってみたい場所は、イタリアだそうです。イタリア語は話せるの?と聞いたら、「話せないけど、行けるようになったら勉強してマスターしたい」とのことでした。ナルヴァ城 史跡・遺跡
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アレクサンダー教会(Aleksandri Kirik)で、1884年に建造されています。1881年に暗殺されたロシア皇帝アレクサンダー2世に捧げる意図で建設されました。教会の運営組織が2015年に破産したため、エストニア政府などが37万5千ユーロで買い取った教会です。内部は質素な感じです。塔の高さは60mで、ナルバで目立っています。ナルバ城からもこの教会がしっかりと見えました。
アレクサンドゥリ教会 寺院・教会
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ナルバからE20号線を西に向かって走り、タリンまで戻ります。約210kmの距離です。途中でラヘマー国立公園を通過しました。緑の平野、低い丘、小さな湖などがありました。道路はほぼ一直線で、平坦な道をひたすら走りました。
ラヘマー国立公園 国立公園
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タリン湾の向こうに町が見えてきました。もうすぐタリン到着です。
ピリタ ビーチ
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タリン郊外にあるピリタ修道院遺跡です。エストニアは歴史のある国で、このような遺跡や教会、修道院、お城などが沢山あります。それぞれが長く複雑な歴史を担っていますので、ゆっくり見学すると大変興味深いと思います。
ピリタ修道院 寺院・教会
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タリン旧市街に戻ってきました。バルト三国を発ってスエーデンに移動する前に宿泊したホテル(Radisson Blu Sky Hotel, Tallinn)の部屋からの景観です。タリン旧市街には中世の美しい建造物が凝集されているように感じました。
Radisson Collection Hotel, Tallinn ホテル
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6月13日
ホテルを朝チェックアウトして、タリン空港(TLL)でレンタカーを返却しました。バルト三国6日間の走行距離は2500 kmでした。タリン ウレミステ空港 (TLL) 空港
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スカンジナビア航空へのチェックインを済ませ、搭乗機に向かいます。小型ジェット機でスエーデンのストックホルム国際空港までの搭乗です。
タリン ウレミステ空港 (TLL) 空港
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ジェット機は1時間程で、ストックホルム国際空港に到着しました。預け入れ荷物を引き取って、これからスエーデン南部、ダーラナ地方に向かいます。銅鉱山などのスエーデン世界遺産と美しいスエーデンの地方訪問が目的です。
タリンを含めてエストニアの町々を巡りました。エストニアはバルト三国の小さな国ですが、地方も含めて中世時代からの多くの建造物や遺跡が残されていました。デンマーク、スエーデン、ロシア、ソ連などに征服された複雑な歴史を持ち、住んでいる人もエストニア系、ロシア系など様々で、理解する言語も地域や年代によって異なっていることが分かりました。単一言語で単一民族が中心の日本とは、様子が大分異なっています。
エストニアの自然は美しく、また食べ物や料理はとても美味しく感じました。物価がスエーデンなど北欧に比べて格段に安いのも気に入りました。とても楽しいエストニア訪問であったと思います。
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