2018/04/28 - 2018/04/28
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kojikojiさん
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「グエル別邸」から「ベリェスグアルド」への移動は20年前も今回もタクシーで移動しました。今回は通り名の入った地図と住所と写真を見せて行き先を伝えました。前回も今回も同じでドライバーはこの建物を知りませんでした。20年前当時は「フィゲラス邸」という名前で呼ばれていました。20年の年月がすごいと思ったのは、この日のドライバーさんはカーナビに住所を打ち込んでいたことです。ところがテニスの競技場で迂回して、到着前も工事のクレーン車が道路をふさいでいて、一方通行の道が多いので最後は歩く羽目になりました。ここで思い出すのは20年前のことで、同じようにタクシーに乗ったのは良いのですが、連れていかれたのは高速を超えて山の上の女子修道院でした。こんなところ?と思っているうちにタクシーは帰ってしまいます。恐る恐るシスターに尋ねてみると「あなたが行きたいのはこの山の下のあそこよ。」と見晴らしの良いテラスまで招き入れて教えてくれました。確かに修道院の名前は同じようだったと記憶しています。仕方ないのでトボトボ山を下っていると後ろから車が来ました。脇で止まったので中を見ると先のシスターが運転しています。「町まで用事があるから乗りなさい。」と車に乗せてくれました。そして降り切ったロータリーで私を下すとUターンして修道院に戻っていきました。こんなことなら寄付のひとつでもして来ればよかったと思いました。そんなことまでしたベリェスグアルド邸は公開などしていなかったのですが、勝手に中に入って庭先のタイル張りのベンチと全体像を見て帰ってきました。帰りはタクシーではなく歩いて戻ったような気がします。今回は帰りのことまで考えて近隣の病院前のタクシー乗り場まで調べたのですが、土曜日で病院が休みでタクシーは停まっていませんでした。結果かなり下った大通りでタクシーをつかまえましたが疲れました。ベリェスグアルドの受付のお姉さんといろいろ話をしていたのでタクシーを呼んでもらえばよかったです。さて本題の「ベリェスグアルド」の見学ですが、受付でツアーの開始時間とオーディオガイドを渡されます。もちろん日本語も対応していて詳しい説明が聞けます。ツアーの開始時間はお客の人数次第で決まるようです。20分後に建物の前に集合してくださいと言われます。ガイドツアーといっても屋敷の中を移動するたびにオーディオガイドの何番を聞いてくださいと言われるだけです。約1時間の見学で最後には塔の下まで登ることが出来ます。ドラゴンの顔もこの通り見ることが出来ます。建物は山の中腹に建っているのでテラスからはバルセロナ中が見渡せます。後ろの山の中にお世話になった修道院があるはずなのですが、探してみましたが全く分かりませんでしたので、山に向かって心の中でお礼を伝えました。いろいろな意味で思いが遂げられたベリェスグアルドの見学でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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20年前に同じ「グエル別邸」の前からタクシーに乗って「ベリェスグアルド」へ向かいました。タクシーの運転手は分かったようだったのとガウディの建築ぐらいは知っているだろうと考えたのが甘く、山の上の同じ名前の修道院に連れていかれました。今回は地図を出力して住所を書いて、写真を見せたけど知らないようでした。ただ20年の進歩は素晴らしく、住所をカーナビに打ち込んでしまえば安心です。
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20年前は修道院から歩いて山を降りているとシスターがわざわざ車を出して送ってくれました。「町に出るから乗りなさい。」と言いながら私を下ろしてUターンして修道院に戻られたのを見て涙が出そうになりました。本気でキリスト教に改宗しようかなとも思いました。スムーズにタクシーで到着すると思ったのですが、ナダルの試合のせいで交通規制にあい、ベリェスグアルドの手前の道では道路に放置されたクレーン車のせいでかなり自力で歩くことになりました。まぁこれは一方通行が多くて迂回できなかったので仕方ありませんが。
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20年前は個人宅だったと思うのですが、建物の周辺だけは解放されていて中に入った記憶があります。今回は受付小屋でお金を払ってオーディオガイドを借りて、内部の見学時間を決めてもらいます。内部の見学は見学者の人数で決まるようで、20分後を指定されました。ここの日本語オーディオガイドは非常に細かい説明をしてくれるのですが、長すぎて覚えた先から忘れてしまいます。手が塞がっているので書き取りも大変でした。
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伝説によるとアラゴン王でバレンシア王、およびバルセロナ伯だったマルティン1世は呼吸器疾患があったようで住居を街の外に移動させることに決めました。最高の場所を決定するために山にヤギの肉を散らばします。最後まで肉が腐らなかった場所は、最高の空気がある場所だと考えて新しい城を建てるのに適しているとします。そこで王は「ベリェスグアルドBellesguard(景色の良い場所)」と名づけました。その場所がここで城は長年廃墟となりますが、17世紀には城の遺跡はセラロンガ(Serrallonga)として知られている山賊のホアン・サラ・イ・フェレーラ(Joan Sala i Ferrer)の隠れ家として役立ったと考えられています。
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マルティン1世は兄のフアン1世が男子を残さずに死去することによりアラゴン王位を継承します。1373年に結婚した王妃マリア・デ・ルナとの間の息子マルティンはシチリア王マルティーノ1世となります。1409年に息子が亡くなった翌年の1410年には自身も死去し、更に後継者も定めていなかったため君主位の継承者が定まるまでには2年を要したそうです。これは「カスペの妥協」と呼ばれます。
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マルティン1世はこの城の上から海を眺めていると白い蝋燭を灯した船が入港してきて息子の死を知ったと説明がありました。後ほどこの建物の屋上から海の方向を見渡しましたが、果たして海に浮かぶ船の明かりが確認できたかは疑問です。
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その居城の跡に1900年になってドニャ・サゲス(フィゲラス未亡人)の依頼でガウディが城壁跡を活かして彼女の住む屋敷を建てます。「カサ・フィゲラス(フィゲラス邸)」とも呼ばれていました。 建物はネオゴシック様式でガウディにしては珍しい直線の多い建築物でもあります。
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20年前は個人住宅で見学できないのは知っていましたが、庭先のこの辺りまで入って写真を撮ったことを覚えています。なんか情けない話です。そしてこのサメだと思っていたものはこの日オーディオガイドでイルカだったことを知りました。
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トレンカディスを多用したベンチがたくさん設えてありました。
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グエル公園のベンチを思い出させるデザインです。
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かなり大きなベンチが中央の噴水を挟んで一対に置かれてあります。
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古い城壁の前には赤いバラが植えられています。サンジョルディの日の数日後なので聖ゲオルギウスの退治した竜の血を想像してしまいます。
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コルセローラというバルセロナの山の石がメインの建築素材として使われ、直線的で非常に重厚な印象を受けます。この建物の尖塔の上までは33メートルでキリストの亡くなった齢を表しています。尖塔の上の立体十字架の下の部分はアラゴン王の冠と国旗を表しています。フランコ政権の時代はこの尖塔はグレーに塗られたそうです。バルコニーは父と子と精霊の三位一体を表し、門の上のステンドグラスはステラ・マリス(ヴィーナスの星)で聖母マリアを意味するそうです。
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スペインの内戦の間この屋敷は孤児院として使われ、オリジナルのモダニズム家具は残念ながら木材として部屋を暖房するために燃やされて失われます。 1940年代に新しいオーナーになり、1945年には婦人科および産科クリニックが設置されました。 そして1970年代には家族はそれを私邸として再利用することに決めました。
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内部の見学の集合時間まで表のディティールを見てみます。人の歩く高さの窓には鋳鉄の格子が嵌め込まれ、その上にはフラワーポットを置くフェンスがありますが、これは泥棒除けの槍のような構造になっています。その上の窓は実際に個人が住む住宅の窓といった風情です。
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オーディオガイドによるとこのモザイクの意味はマルティン1世の息子の死を意味するそうです。
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20年サメだと思っていたイルカの王冠とイニシャルはマルティン1世のMのようです。
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もう1つのベンチにもイルカと王冠とMのイニシャル。
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こちらのモザイクの説明は失念しました。
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入り口の鉄扉も鉄で出来ているとは思えない軽やかさがあります。
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オーディオガイドの説明はまだまだ続きます。
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五線紙の上に流れる音符のように「Ave Maria Pur?・ssima sens pecat fou concebuda」の文字が読み取れます。
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バルコニーの三位一体と門の上のステンドグラスのステラ・マリスが良く分かります。
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ステンドグラスはステラ・マリス(ヴィーナスの星)です。
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館の名前の「ベリェスグアルドBellesguard」の文字が読み取れるモザイクのプレートが埋められています。
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表から見てもきれいですが、内部から見るとさらに美しいです。
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トレンカディスの立体十字架が王冠の上にそびえます。
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側面の意匠も非常に凝っています。使っている素材は1つですが、排水管も窓枠もすべてが一体化しています。
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針金細工のような軽やかさで窓を守っているのが分かります。
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簡単な円と曲線の平行線の組み合わせですがシンプルな美しさがあります。
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そして窓の形に合わせたフェンスは糸を編んだようなデザインです。
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アメリカでは有刺鉄線の形で特許が取れますが、これも特許取れるのではないかと思いました。これではフェンスを登っていくことは出来ません。
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ぐるりと建物の周りを一周しました。
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陽の当たる南側はバラの花がきれいに咲いていました。
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南側は意外にシンメトリーのデザインで、城のように見えるのは中世の王へのオマージュを感じます。
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この館の一部にはオーナーさんが住んでいるようでしたので庭の手入れもされているのでしょう。観光客のあまり来ない南側にそんな気配を感じます。
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時間になり内部の見学が始まります。まずはエントランスホールに入ります。建物の割りに小さいことに気が付きます。白漆喰で覆われた壁の印象はブダペストの分離派建築第一人者のレヒネル・エデンの地質学研究所やシペキ邸を思い出させます。
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ハンガリーの民族的な要素やインドを感じさせる要素を取り入れたレヒネルと、スペインやアラブの要素を取り込んだガウディの比較をするには良い建物だと思いました。
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スペインのホテルに泊まるとフロントの周りにピッチャーにオレンジやレモンを入れた水差が置かれているのを見かけると思います。旅人に水を提供するという習慣があるのですが、コルドバのパティオの祭りでは素焼きの皿に水を張って、素焼きの水差しを置いて訪問者に提供していました。この壁の水道も同じ意味なのだと思います。モザイクの絵が水を入れる壺ですから。
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100年くらい前のオリジナルの水栓ではないでしょうか。
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カタルーニャはどこへ行っても聖ゲオルギウス、サン・ジョルディの姿を見つけることが出来ます。上部の飾りはグエル邸と同じ蝙蝠です。蝙蝠はバルセロナのシンボルだった時代があったそうです。
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木製の家具は孤児院時代に壊して暖炉にくべてしまったので、残っているのは燃えない家具ばかりのようです。ガイドさん、といってもオーディオガイドの何番を押すか教えてくれる女の子ですが、オリジナルの家具はこのエントランスにしかないと、その程度のことは教えてくれました。
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外壁のテラスのフェンスと同じデザインの照明はインパクトがあります。ステンドグラスが妙に現代的でもあります。
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表から見えたマリアを表す星形のステンドグラスも内側から見たほうがきれいです。
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カタルーニャ・ボールドの緩いアーチと支える積み上げたレンガは白漆喰で覆われています。上の階に行くとむき出しのレンガで同じ構造を見ることが出来ます。
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細い階段は昔の城の構造を模しているそうです。中世の城では責められた王は上へ逃げたそうです。日本だと天守閣にあたる部分と言えば分かり易いですね。途中で防御しやすいように階段の幅は狭くしたそうで、それに倣った訳です。
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レンガ積みの建物の外壁を石で積み上げた構造なのでしょうか。2階も階段のあるホールのようにアーチで天井を支えているのが分かります。
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そのために窓などの開口部も多く設けられるのでしょう。この部分で尖塔も支えているようです。
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表から見ると城のような重苦しい印象を受けますが、中から見ると全く違う雰囲気です。
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天井も高く住みやすそうです。
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鎧戸が内側についているのも面白いです。表からの見え方にこだわったのでしょう。
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構造体が気になるので同じような写真ばかり撮っていますが、美しいアーチの意匠です。
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これが最上階に上がるとレンガがむき出しになります。建物の大きさ全体が1部屋になっているので1フロアの広さを実感できます。用途は物置であったようですが、カサ・ミラと同じように断熱効果や保温を考えての構造のようです。まるでドラゴンの腹の中にいるような気分です。屋上に上がるとそれは確信に変わるのですが。
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レンガの積み方に萌えます。ここがドラゴンの口の中です。吊り上がった目が怖いです。
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部屋の中央にはアラゴン王のマルティン1世へのオマージュとして王冠を逆さまにしたデザインのシャンデリアが吊られています。
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フロアの中心には芯柱があり、大屋根を支えています。登れば分かりますが大きな屋根をこの柱で支えるとは驚きです。軽やかに見せるためにレンガのトラス構造まで使われています。 -
小さいテラスはお城のようでワクワクします。そんな遊び心を感じさせます。全く実用性は感じられません。
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屋根の上に出ました。尖塔はもはやドラゴンの尾にしか見えません。
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ガウディらしいトレンカディスの立体十字の下のアラゴンの王冠も形が良く分かります。そしてアラゴンの国旗のストライプです。この場所の歴史を上手に取り入れたデザインだと思います。しかし王冠のところまで登れるのと滑車も付けられています。
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ドラゴンの顔です。先ほどの顔の内側の吊り上がったのはこの窓です。カテナリーアーチの連続がドラゴンのあばら骨に見えると思います。そして尖塔は尾っぽなのだと思います。
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あんまり近づくと食べられますよ。妻に言われるまでこの顔に気が付きませんでした。
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まだまだ上に上ります。この時のガイドツアーは他にドイツ系の女性が2人の4人だけでした。
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下から見ると尖塔だけが伸びているイメージですが、単独ではそんなに高くありません。
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まだまだ上ります。煙突もドラゴンの角のように見えます。
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一番上の展望台まで上がりました。この建物の名前のベリェスグアルドが美しい場所という意味が実感できます。
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遠くサグラダ・ファミリアも望めますし、その先にはトレ・アグバルも見えます。
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バルセロナ市内とモンジュイックの丘も見渡せます。
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バルセロナ市内からは遠くに見えていたバルセロナのTV/電波塔コイセローラ・タワー(Torre de Collserola)も目前に見えます。デザインはイギリスの建築家ノーマン・フォスター(Norman Foster)によるもの)です。
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「ティビタボ遊園地」の横には「サグラット・コール教会(Temple del Sagrat Cor)」も見えます。夜ライトアップされた姿はホテルの部屋からも良く見えました。この遊園地が開園したのは古く1901年のことだそうです。そう考えるとこの館より古いことになります。
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屋上から20年前に間違って行ってしまった修道院を探してみました。もっと傾斜があって見下ろした印象だったのですが、緩やかな丘はかなり造成が進んでいて見つけることは出来ませんでした。当時60代半ばだったのでご存命ではないかもしれません。屋上から山に向かってお礼をしました。
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この屋敷にはゴーストやゴブリンが出るみたいです…。帰りは上の大きな通りでタクシーを捕まえようとしましたが、土曜の昼過ぎでタクシーは走っていません。事前にチェックしておいた近所の病院の前のタクシー乗り場も病院が休みなのでダメ。重力に逆らわないように、そして一方通行を考えながら道を下り、しばらく歩いた大通りでタクシーを見つけて「スペイン広場」に向かいました。ベリェスグアルドの見学と修道院へお礼が言えて2つのミッションが終了です。
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