2018/04/28 - 2018/04/28
2513位(同エリア6871件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1484冊
- クチコミ1138件
- Q&A回答73件
- 2,682,776アクセス
- フォロワー151人
「カタルーニャ美術館」のロマネスク美術を堪能した後はそのままゴシックの時代の美術に移ります。ロマネスクの最後とゴシックの初めは見分けのつかないような絵画などが並んでいます。途中から祭壇画などを見ていてゴシックに移ったのだと気が付くほどです。題材的には聖母子関係のものと殉教した聖人を描いたものが多かったです。1つ1つ読み解いていると時間がかかるので気に入ったものだけを見ていきますが、かなり時間がかかります。さらにルネッサンスからバロックへと移り進んでいきますが、いったいどこで終わるのだろうと思えるほど次から次に作品が現れます。時代順に展示してあるのでそう感じるのかもしれません。ルーベンスやエル・グレコからルーカス・クラナッハを見ている辺りで館内放送があり、「ただいま5時45分で閉館まで15分です。新しく展示室に入ることは出来ません。」と容赦ないお言葉。時計を見ないで見学してはいましたが、午後6時で閉まるとは思っていませんでした。ガイドブックをよく見ると4月と5月で閉館時間が違っていました。慌てて近代のコーナーに向かいましたが、扉の前で係員が「申し訳ないです。」と入室を断られました。ほんの数枚の絵が観たかったのですが…。諦めてミュージアムショップで日本語のガイドブックだけを駆け込みで買いました。あと2時間は必要だったみたいですが、ゆっくりしている時間はありません。水の止まったマジカの噴水の脇をエスカレーターで下り、スペイン広場から地下鉄に乗ってサンツ駅まで戻ります。そして5日間お世話になった「グランホテル・トレ・カタルーニャ」で預けた荷物を受け取ります。なんとなく旅が終わったような気になりますが、そのまま駅に向かって構内のスーパーで晩御飯用のサンドイッチセットを買い求めます。マドリッド行きの列車は前日のフィゲラス行きの列車と同じホームだったので勝手は分かっています。エスカレーターが壊れているというアクシデントで荷物を持って降りるのが大変だったです。エレベーターを待っていると荷物置き場が埋まってしまうと考えたからです。苦労しましたが何とか大きなバック2個を置く場所を確保しました。スペインの列車旅では何度か荷物置き場で苦労する場面がありました。そう考えると置き場の無い日本の新幹線なんてオリンピックに向けてどうするのだろうと心配になります。在来線の切符の予約とか発券、セキュリティーにも問題が山済みだと感じます。バルセロナを定刻に出るとイヤフォンが配られました。座席にはジャックがあり、通路上のテレビではコメディ映画が流されています。映画も面白かったですが、音楽もなかなか良いセンスでした。午後8時に出発しても10時過ぎくらいまでは車窓からの景色は明るかったです。残念ながら美しい夕焼けは見ることが出来ませんでした。20年前にセビリアからマドリッドへ向かう車窓から見た巨大な赤い夕陽は今でも忘れられない景色です。そして日付が変わる前にマドリッド・アトーチャ駅に到着しました。延々と通路を進んで地下鉄駅側から表に出ると予約していた「NHホテル」は目の前でした。ホテルには12時前にチェックインと連絡してありました。チェックアウトは翌日6時でセビリアまで向かう間の滞在です。これからアンダルシアの旅が始まります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
「聖母マリア」
13世紀の作品です。ロマネスクからゴシックの部屋へと移っています。部屋は繋がっているので、実際はどこから始まったのか分からないのですが、ホームページ上ではゴシックのカテゴリーです。 -
非常に端正な表情に惹かれます。この美術館の聖母像では一番心に残るものでした。
-
「大天使ミハエルの祭壇パネル」
ソリグエローラのサン・ミハエル教会の収蔵品です。 -
テンペラの技法で描かれた板絵はロマネスクからゴシックに変わっても大きな変化は無いように思えます。
-
最後の審判で地獄へ送られ、釜で茹でられる罪人たちの姿が克明に描かれています。この絵の前で諭された子供の数は知れないでしょう。
-
聖ミハエルの竜退治の構図は尾っぽの顔が翼を噛むのが約束のようです。
-
ガルガヌスと雄牛の出現の場面です。ガルガヌスは数えきれないほど多くの牛や羊を飼っていましたが、1頭の雄牛が群れからはなれて山頂に登ってしまいます。山頂の洞穴の入口でこの牛を見つけますが、群れからはなれて勝手な行動をしたことに腹をたてて雄牛めがけて毒矢を放った。 ところが矢は風になぶられかのように向きを変えて射手の目を射抜きます。この牡牛は大天使ミカエルであったという黄金伝説の1節です。
-
最後の審判の図のテーブルの上の皿やゴブレットは真上か真横からの視線で描かれています。この当時はまだ透視図の概念など無かった時代です。
-
大天使ミカエルは死にゆく者を訪れて救いの機会を与え、死者を天に導きその魂を天秤にかける天使でもあります。
-
そして必ず天秤を細工しようとする悪魔の姿が描かれています。
-
「キリストの子供時代のパネル」
13世紀の木彫と彩色の美しいパネルです。これらの2つのパネルはキリストの幼年期に特化した祭壇画のサイドパネルですが中心のパネルは失われています。 -
左から右へ、そして上から下へ進む場面は聖母マリアの従姉妹のエリザベスへの訪問を描がき、キリストの誕生と羊飼いへの告知や寺院でのイエスの披露の場面です。
そして東方三博士の礼拝とエジプトへの逃避行の痕跡が見られます。 -
このパネルはゴシック時代の初めにカスティーリャ全域に広がっていた装飾の様式の1つだそうです。ほとんどのキャプションはスペイン語とカタルーニャ語ですが、重要な作品は英語の表記もありました。
-
上部には天使のお告げの場面と下には立体に表現された大天使ガブリエルと聖母マリアの姿があります。大きさといい個人的に欲しいと思った作品です。
-
ガブリエルとマリアは視線を合わせず、何か企んでるような表情です。きっと世界征服を企てているのでしょう。
-
「聖母子」
ナヴァタ教区の教会にあったアラバスター製の聖母子像です。彩色はかなり剥離していますが、衣の金色の葉などが残っています。 -
「アボットの聖母マリアと聖アントニウスの祭壇」
いかにもゴシックといった祭壇飾りです。聖アントニウスは西暦251年中部エジプトのコマという村で生まれた。彼が20歳になったころ両親が亡くなり、喪があけた後に教会へ行くと福音書の次の言葉が耳に入ってきます。「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。 そうすれば、天に宝を持つようになろう。 そして、わたしに従ってきなさい。」両親の残してくれた土地をすべて村の人々に与え、家財与えてしまいます。 -
その後は「聖アントニウスの誘惑」という題材でいろいろな画家の題材になっている悪魔の誘惑を受けます。特にフランドル絵画のボッシュの絵などは素晴らしいです。
-
「聖アントニウスの誘惑」
悪魔に殴られたり蹴られたりしていますが、頭上には神の手が守っているようです。もっと艶めかしい誘惑も場面もありますがこの彫刻では暴力的です。 -
「聖母の祭壇画」
この祭壇画には他のパーツがあったようですが、見つかってはいないそうです。画面上にはイエスの磔刑図が描かれ、中央には聖母子像が描かれます。向かって左側は「受胎告知」から「イエスの洗礼」までが描かれ、右側には「マリアの戴冠」までの彼女の生涯が描かれています。 -
非常に良い状態で残されたテンペラ画で1365年から1375年に描かれたものです。
-
とても美しい聖母子像です。左側の女性は持ち物から聖カテリーナだと分かります。右は聖バルバラと思われます。
-
「聖母子と東方三博士の礼拝」
フラ・アンジェリコの聖母を思わせるような厳かな雰囲気です。 -
「イエスの洗礼」
洗礼者ヨハネと水の中に立ち洗礼を受けるイエスの姿です。水の描き方がギリシャのオシオス・ルーカス修道院のモザイクの描き方に似ているのに驚きました。 -
「最後の晩餐」
イエスの前に寝てしまうヨハネの姿と左手前にはユダの姿が見えます。それよりも皿の上の動物の丸焼きが気になります。 -
ユダはお金の入った袋と共に描かれることが多いですが、ここでは悪魔を肩に乗せています。手を伸ばした皿の上の動物もユダに起因するものでしょうか。
-
「聖母マリアの就寝」
昔トルコのエフェソスへ行った際に聖母マリアの家へ参拝したことを思い出しました。映画の舞台になった場所へ行くのも好きですが、聖書に登場する人たちの足跡を訪ねるのも面白いことです。 -
「聖母マリアの戴冠」
被昇天ののちに天国で戴冠される聖母マリアの姿です。聖母はキリストのかたわらに座り、戴冠してキリストの祝福を受けています。 -
「聖母子像」と聖人のパネルですが、元々はどのような組み合わせになっていたのか分かりません。トルトサの大聖堂よりこの美術館に来たそうです。
-
楽器を持った天使たちの姿が可愛いの、聖霊を表す鳩を手に持った幼子イエスの姿が珍しいです。
-
スペインらしい姿で描かれたサンティアゴは十二使徒の聖ヤコブです。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者はホタテ貝を持って旅します。いつか巡礼路を踏破したいと思ってるのですが、まだ叶いそうもありません。
-
洗礼者ヨハネやマグダラのマリア、聖ペテロや聖クレアなどの姿も見えます。
-
「聖ペテロの磔」
聖ペテロはローマへ来た際に皇帝ネロからの迫害を受け、十字架による磔刑に処せられましたが、その際に逆さまに十字架に掛けられたとされます。自分がイエスと同じ状態で処刑されるに値しないとして、自らこの方法を望んだとされます。 -
「大天使ミハエル」
ゴシックの時代も15世紀になると表現のリアリティが感じられます。 -
「施しをする聖ルチア」
キャプションの英文のおかげでこのパネルが聖ルチアだと分かりました。殉教する前の貧者に施しをする場面です。 -
「聖ルチアの殉教」
イタリアのシチリアのシラクーサの生まれで、聖アガタの奇蹟を聞きつけてミサで母の病気治癒を祈ります。そして異教徒であった婚約者を捨てキリスト教に改宗します。そしてアガタと同じく火あぶりの刑で殉教します。また拷問では目をえぐったとされることもあるので、手に眼球を持った姿で描かれることもあります。 -
「バルセロナのエウレリアの殉教」
ディオクレティアヌス帝時代に行われたキリスト教徒迫害によってバルセロナで殉教します。バルセロナの町と船乗りの守護聖人とされています。 -
「聖アゴスティンの聖別式」ジャウム・ウゲート
-
聖職の任命式である主教按手(あんしゅ)の中で聖職者の頭に手を置き、聖霊を注ぐことによって聖別が行なわれ、これらの按手はカトリックでいう叙階の秘蹟に相当するものだそうです。しかし指輪の数がすごすぎます。
-
「コンセレアの聖母」ルイス・ダルマウ
一見してフランダースの画家の絵画かと思いましたが、スペインの画家のようです。 -
画家ヤン・ファン・エイクの画法を学ぶために1431年にアルフォンズ王朝はフランダースにダルマウを送りました。 1443年にダルマウは市庁舎の礼拝堂のためにこの祭壇画を依頼されました。 この作品はカタルニアの絵画に歴史にとって画期的なものであり、油彩のテクニックで描かれています。
-
「聖クルファスの殉教」アイネ・ブルー
聖クルファスはスペインの殉教者です。 彼の祝日は7月25日ですがスペインの守護聖人サンティアゴの重要な祝日になることを避けるため、7月27日に祝われます。 彼の名前は、「ジョークしている人、冗談を言っている人」という意味のフェニキア語が起源であると言われています。 -
「聖母胸像」
これくらいのクオリティのレプリカとか売っていたら買いたいと思いました。本当に欲しいなと思える作品でした。 -
聖母子と洗礼者ヨハネを描いたものです。作者のネーリ・ディ・ビッチは15世紀のフィレンツェの画家です。
-
イタリアの作家の作品を見るとちょっとほっとします。聖霊の鳩の下に大天使が祈りを捧げ、聖母マリアと幼子イエス、そして子供の姿をした洗礼者ヨハネの姿もあります。
-
「受胎告知」エル・グレコ
このたりからビックネームが続いていくので驚きました。正直この美術館にはカタルーニャのロマネスク美術を観に来たので、それ以降の絵画はノーマークでした。 -
グレコの描くマニエリスムの長く伸ばされた体躯ではなく、正面に見据えて観るような絵です。心なしか聖母マリアの顔もふっくらしています。受胎を伝える大天使ガブリエルも人間的な姿です。
-
部分をカットするとエル・グレコの聖母とは思えないと思います。
-
大天使ガブリエルもちょっと運動不足のようです。色づかいはグレコを感じさせますが。「洗礼者聖ヨハネとアッシジの聖フランチェスコ」という絵もあったようですが、見つけることが出来なかったのか展示されていなかったのか…。
-
「キリスト昇天祭のブチントーロの帰還」カナレット
18世紀イタリアの都市景観画家カナレットの作品です。 -
毎年キリスト昇天祭のヴェネツィアではセンサと呼ばれる日にドージェ(ヴェネツィア総督)はブチントーロと呼ばれる豪華船の上から指輪を海に投げ入れ、「海との結婚」を誓っていました。
-
ヴェネツィアには4回ほど行っていますが、最初に行ったのは1991年の9月の第1日曜日でした。今から考えればよくそんな日に予約も無しに行ったものですが、「レガッタ・ストリーカ」(歴史的レガッタ)というお祭りを見ることが出来ました。大運河をこのような船が行き交い、中世の衣装を着た貴族が手を振ります。拍手でたたえると漕手はオールを立てて応えてくれます。その時の感動が忘れられずに何度も通っています。
-
「謙遜の聖母」フラ・アンジェリコ
フラ・アンジェリコも好きな画家です。特にフィテンツェのサン・マルコ修道院の壁面に描かれたフレスコ画は何度も観に行っています。 -
今回最後に行くマドリッドのプラド美術館の「受胎告知」に再会するのも楽しみにしていたのですが、その場所には「修復中」のキャプションが1枚…。
-
「聖母子と聖エリザベスと幼い洗礼者ヨハネ」ピーテル・パウル・ルーベンス
ルーベンスをはじめフランドルの画家も好きなジャンルです。 -
3年前にはじっくり美術館を周るためにオランダ・ベルギーを3週間かけて周り、その後もロンドンに行ったりサンクトペテルブルグ、再度オランダを訪ねていますが、まだ満足いかないのが現実です。
-
ルーベンスの絵を観るとアントワープの「ルーベンスの家」を思い出します。そしてルーベンスの不幸を続いた家族のことも思い出されます。
-
「磔刑図」フランシスコ・デ・スルバラン
ベラスケスと共に17世紀前半に活躍したセビーリャ派の画家で、生涯にわたり教会と修道院のために宗教画を制作しています。 -
激しい明暗対比と写実描写の作品でセビーリャで大成をおさめますが、激しい中にも柔らかい明暗表現を用いたムリーリョにその座を追われることになります。この絵も素晴らしい写実絵画ですが、この後に行ったセビリアの美術館の「磔刑図」はもっとすごかったです。
-
「十字架を運ぶキリスト」エル・グレコ
1590年から1595年頃の作品でグレコ50代の作品です。実にシリアスなキリストの表情はすべてを見通した透明さに満ちて決意にあふれています。赤い衣は緊張感を強め、背景のどんよりした雲も隙のない描き方で、観る者を不安な気持ちにさせます。 -
エル・グレコはこの後の晩年に向かって更なる高みに上り詰めていきますが、この作品はその先駆けとも思える見事な作品だと思います。バルセロナを出た後いろいろな美術館でグレコの作品を見直しましたが、特にトレドで細かくディティールを観ていると、その視線の持つ意思やその人物の人生などの背景を感じるようになりました。決して細かく描かれていないのにそう思えるのが不思議です。
-
「イエス・キリスト」アルブレヒト・ボウツ
有名なフランフドル絵画の画家ディルク・バウツの2人の息子の1人です。父親も同じような構図のイエスの顔を描いており、正面から見据えるイエスの顔はヴェロニカの聖顔布のようでもあります。確かイエスの顔を正面から描いたのはボウツが最初だったような記憶があります。 -
「エッケ・ホモ」マヌエル・ペレイラ
リアルなキリストの頭部です。エッケ・ホモとはラテン語で「見よ、この人だ」を意味するが、「この人を見よ」と訳されることも多いです。磔刑を前に鞭打たれ荊冠を被せられたイエス・キリストを侮辱し騒ぎ立てる群衆に向けて、ピラトが発した言葉です。 -
「磔刑図」ヤコボ・デ・ポンテ(ヤコボ・バッサーノ)
この作家も個人的に好きです。ヴェネツィアからパドヴァに出て、そこから少し北に行ったところにグラッパで有名なバッサーノという町がありますが、ここの出身だという事もあります。とても綺麗な町で古い橋の上のバルでグラッパを飲み過ぎた記憶があります。 -
あまり有名な画家ではありませんが、大きな美術館には必ず1枚くらい収蔵されてはいます。そんな作品を見つけるのも楽しいものです。
-
「ゴルゴダに向かうキリスト」ジャンバプティスタ・ティエポロ
ティエポロは18世紀のイタリアを代表する画家であり、ヴェネツィア共和国の美術絵画の伝統を締めくくる最後の巨匠とも言えると思います。ゴルゴダの丘が目の前ですが、苦悩するイエスの表情が痛々しいです。 -
「ピラールの聖母の出現」フランシスコ・デ・ゴヤ
西暦40年にスペインのサラゴサで起こった聖母の出現で「ピラール」は柱を意味し、聖母が柱上に出現したことに因んで名付けられています。聖母マリアの出現の最初の例で唯一の存命中の出現でもあります。ピラールの聖母はスペイン及びヒスパニック世界の守護聖人とされるそうです。 -
十二使徒のひとりである聖大ヤコブは、まだ異教の地であったローマ帝国属州のヒスパニアのカエサラウグスタ(現在のサラゴサ)で福音を説いていました。改宗者が少なかったので落胆していましたが、弟子の何人かとエブロ川の岸で祈っていると聖母マリアが天使を連れて柱の上に出現するという奇蹟が起こります。聖母はヤコブに人々は最終的に改宗するであろう、そして彼らの信仰は聖母が立っている柱と同じぐらい強くなることを伝えます。そしてその柱と木彫りの木像を与えます。ヤコブもまた聖母が残した柱があったところに教会を建てさせ、ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂となります。
-
「聖ペテロと聖パウロ」
エル・グレコ -
グレコの絵画の登場人物の視線に惹かれますが、手の動きによって表される表現も素晴らしいと思います。20年前はマニエリスム自体があまり好きではなかったのですが、トレドで観た「オルガス伯の埋葬」とプラド美術館の「胸に手を置く騎士の肖像」を見た後から好きな作家になりました。
-
「聖バルトロメの殉難」ホセ・デ・リベーラ
リベーラはスペイン出身ですが、主にナポリで活動した画家です。イタリアでの名はジュゼッペ・リベーラで若くしてイタリアに渡り、生涯の大半をナポリで過ごして母国に帰ることはなかったそうです。当時のナポリはスペイン副王の支配下にあり、スペインの飛地領土でもありました。リベーラはナポリで代々の副王の庇護を受けて、聖人や殉教者などをカラヴァッジョ風の劇的な表現で描きました。イタリア人たちからは「ロ・スパニョレット」(小さなスペイン人)のあだ名で呼ばれたそうです。 -
皮剥ぎの刑で殉教したといわれ、ミケランジェロの「最後の審判」にも剥がれた自分の皮とナイフを持った姿で描かれています。右手から皮をはがれているのが画面から見て取れます。
-
拷問に遭いながら絵の前に立つ人に問いかけるような視線に胸が詰まります。バルセロナ以降はムリーリョやスルバランやこのリベーラに重点を置いて絵画を観て行こうとは思っていましたが、バルセロナを離れる前に先制パンチを食らった気分です。
-
「教皇ニコラス5世の見たアッシジの聖フランチェスコ」
フランシスコ・デ・スルバラン -
スルバランのアッシジのフランチェスコは、1640年に描かれたスルバラン42歳頃の作品です。スルバランの円熟が感じられます。静謐な画面構成の中で佇む聖フランチェスコの崇高な姿が胸に迫ります。
-
「リンゴとマルメロとザクロのバスケット」
フランシスコ・デ・スルバラン -
フランドルの静物画も非常に魅力的ですが、スペインの「ボデゴン」と呼ばれる静物画にも惹かれます。
-
「静物画」
フランシスコ・デ・スルバラン
この絵はここにあったのかという思いで観ました。同じ構図の絵はプラド美術館にもありました。 -
暗中の棚に整然と並べられた茶碗とアンフォラと壺を、写実に富んだ描写力とフランドルの静物画にはない深い精神性を感じさせる作品です。スペインのボデゴンを観るとフランドルの静物画は需要に応じた工芸に近いものもあるように思えます。
-
「鏡の前の少女」
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
ティツィアーノのギリシャ神話を題材にした作品も好きなものの1つです。 -
古典的な構図の中で身繕いをしている所を捉えられた夢見がちで官能的なヴェネツィアの若い女です。片手で自らの髪を持ち、もう片方の手で櫛を取ろうとしています。ほとんど同じ構図の作品がルーブル美術館にもありました。櫛ではなく香水瓶に変わっていましたが。
-
「愛のアレゴリー、キューピッドとプシュケー」
フランシスコ・デ・ゴヤ
ゴヤの作品にもバルセロナ以降に出会えると思っていましたが。 -
ある国に3人の美しい娘がいました。なかでも末娘のプシュケーの美しさは、言葉では表せないほどです。その美しさを一目見ようとたくさんの人々がこの国にやってきたために美の女神アフロディーテの神殿を訪れる人が少なくなり、プシュケーは女神の嫉妬を買ってしまいます。怒ったアフロディーテは息子のキューピッドを呼んで、プシュケーが不細工な男を恋するようにしむけるように命じます。
-
アポロンの神託でプシュケーは山の怪物と結婚することになります。実際にはキューピッドと結婚しますが、姿を見てはいけないといわれます。この場面はプシュケーが姉たちにそそのかされて姿を見てしまった瞬間のようです。この後に3つの試練を乗り越えてハッピーエンドになります。エルミタージュの新館にあるモーリス・ドニの「プシュケの物語」の一連の作品にはそれぞれの場面が詳しく描かれていたことを思い出します。
-
「年齢差のある愛し合うカップル」
ルーカス・クラナッハ
この作品もクラナッハは何枚も描いています。 -
これはスペインの大物政治家だったフランシスク・カンボーのコレクションの一部です。このコレクションはカンボーがこの美術館に寄贈しました名作ばかりのコレクションです。先に紹介したルーベンスなどもそのコレクションに含まれています。またフラ・アンジェリコなどはマドリッドのテッセン・ボルミネッサコレクションの一部です。
-
「年齢差のある愛し合うカップル」
ルーカス・クラナッハ
クラナッハもデューラーと共に大好きなドイツの画家です。 -
クラナッハは非常にたくさんの同じ題材の作品を残しています。題材の意味をたどっていくと…。アレクサンドロスの家庭教師だったアリストテレスが、王子がフィリスに夢中なのを知って説教をします。フィリスはアリストテレスを誘惑して「お馬ごっこ」の馬にしてしまいます。そこにアレクサンドロス王子がやってきます…。ドイツで13世紀末頃に書かれた「アリストテレスのお馬ごっこ」の話は、権威を屈服させるという説話ですが、醜い老人はアリストテレスでありながら権威を象徴し、若い女は権威に対抗する象徴です。権威は宗教でありマルチン・ルターの宗教改革は権威を屈服させる側という意味が潜んでいるようです。ルターとクラナッハは友人でもありました。
-
時間を気にしないでいると館内放送で閉館の案内が流れました。エッと思って時計を見ると午後5時45分です。慌てて近代絵画や彫刻のあるエリアに向かうと、すでに扉は閉められていて係員さんが「申し訳ありません。」とちょっと悲しそうな顔で出口へ促されます。
-
正味2時間30分しかなかったので、もう少し早く回ればよかったのかもしれませんが、近代絵画は数点の作品が観たかっただけなので諦めもつきました。マジカの噴水も復活したようで涼しげな水を噴き出しています。夜のライトアップを見ることが出来なかったのは残念でしたが、いろいろ詰め込みすぎてへとへとになってしまったバルセロナの旅でした。
-
閉館と同時に水が流れるようにお客さんも「スペイン広場」に流れていきます。
-
バルセロナでの目的はほぼ達成できたので満足です。
-
「スペイン広場」も見納めです。
-
地下鉄のT10チケットが2回分残っていたのでサンツ駅まで地下鉄で戻ることにします。
-
バルセロナの地下鉄もこれで乗り納めです。東京の地下鉄に比べれば世界中どこも乗り換えは簡単です。
-
サンツ駅から駅前の「グランホテル・トレ・カタルーニャ」へ戻って荷物をピックアップします。
-
サンツ駅までの移動距離が短いので助かります。ツアーだと荷物の心配はありませんが、個人旅行だといちいち考えておかないと苦労することになります。最後にはこの倍ほどの荷物になってしまいました。
-
午後7時過ぎのバルセロナ・サンツ駅です。20年前はここから夜行列車でコルドバへ向かいましたが、昼間に切符を買いに来ても薄暗くてアフリカ系の怪しい人たちがたむろしていました。あまり良い環境ではありませんでしたが、今ではそんなことも想像できないほど明るい駅です。
-
構内のスーパーで列車内で食べる軽食を買っておきます。サンドイッチとプリングルスとビールセットなんてあります。セットで安いのかと思いましたが、レジではそれぞれバーコードを読んでいたので安くないのかもしれません。掲示板には5番線の案内があったので前日のフィゲラス行きと同じでした。待合室の隣に座っていたメキシコ人のご夫婦と少し話をしていたらメキシコに行きたくなりました。
-
列車が出発してから軽い晩御飯を食べます。お昼が遅かったのであまりお腹は減っていません。
-
無事バルセロナ5日間が終了しました。今回の旅行のタイトルのバルセロナへの「復讐」が終わりました。妻にとって30年前のスペイン旅行でマドリッドからバルセロナへ飛行機で移動した際に預けた荷物が無くなった経験がありました。元気なうちにと考えた今回の旅で、バルセロナを無事出発できたのでミッション1つクリアです。後は無事にマドリッドを発つだけです。
-
車掌さんがレンフェのイヤフォンを配っていきます。その後も使いまわしていたのでたくさん溜まってしまいました。帰りの飛行機でありがたく使わせていただきました。飛行機のヘッドフォンは長時間の使用は疲れますから。
-
これでモニターの映画の音声が決めますが、スペイン語なので何を言っているか分かりませんがコメディなので見当は付きます。他のチャンネルではクラシックやポップスも流れています。
-
午後10時ころになって外の景色が暗くなってきました。
-
ほとんど山は無く延々と畑が続くかオリーブの木が流れてゆくだけです。
-
20年前はセビリアからマドリッドに戻る車窓から巨大な夕日が見えて感動したのですが、今回の旅ではそんな夕日には出会えませんでした。
-
午後11時にマドリッドに到着です。
-
かなり遅い時間なので駅構内も閑散としています。ただ危険な雰囲気は全くありませんでした。
-
ここから先の動く歩道も長いです。
-
お疲れさまでした。でもここからアンダルシアの旅が始まります。
-
この日は駅から一番近いので選んだ「NHアトーチャホテル」です。タクシー乗り場側に出て横断歩道を渡ったところにありました。
-
遅いチェックインは事前に連絡しておきました。思ったより小さいデザイナーズホテルといった感じです。窓にはベランダもありアトーチャ駅が正面に見えます。
-
洗面所もコンパクトで使い勝手は良いです。
-
今回マドリッドでは同じNHホテルチェーンの別のホテルに泊まりましたが、デザインは共通です。
-
シャワーは使いやすくどこのホテルもお湯はストレスなく出ました。アメニティも共通でシャンプーやバスジェルも良いものでした。
-
ホッとしたところで時計は12時を回りました。翌朝は午前5時に起きて6時過ぎにはアトーチャ駅へ向かい、7時の列車でセビリアへ移動します。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2018 スペイン周遊の旅(1)
-
スターアライアンス特典航空券で羽田からミュンヘン経由バルセロナin、マドリッドoutでフランクフルトとデュッ...
2018/04/24~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(1)バルセロナの宿泊はサンツ鉄道駅の前に建つグラン・ホテル・トレ・カタルー...
2018/04/24~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(2)20年ぶりのバルセロナの旅のスタートはサグラダ・ファミリアで、その建築...
2018/04/25~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(3)20年の思いが叶い内部の見学ができたモデルニスム建築のサン・パウ病院を...
2018/04/25~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(4)有料になったグエル公園に驚きながらも公園内のカフェでようやく一休みする...
2018/04/25~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(5)2017年末から公開が始まったカサ・ビセンスの内部を見学してその完成度...
2018/04/25~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(6)部屋の中の見学が出来るようになったカサ・ミラを訪問し、美しい屋上で20...
2018/04/25~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(7) カサ・バトリョの見学の後は結婚記念日のディナーで、ラ・パルメラでテイ...
2018/04/25~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(8) ガウディのカサ・カルベットとどうしても妻に見せたかったカタルーニャ音...
2018/04/26~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(9)チュロスを食べてストライキのピカソ美術館からゴシック地区をさまよい歩き...
2018/04/26~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(10)アントニオ・ガウディの住宅建築の最高傑作のグエル邸を妻と2人で彷徨う...
2018/04/26~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(11)ピカソ美術館とサン・ジュセップ市場とホテル・エスパーニャでテイスティ...
2018/04/26~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(12)バルセロナからの日帰りで20年前には断念したフィゲラスのダリ劇場美術...
2018/04/27~
フィゲラス
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(13)ジローナでUDONを食べてサン・ロカ3兄弟のロカンボレスク・ジェラー...
2018/04/27~
ジローナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(14)ミラーリェス邸の石門でガウディと記念写真を撮り、グエル別邸のドラゴン...
2018/04/28~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(15)念願のガウディのベリェスグアルド邸の内部の見学をして、20年前に助け...
2018/04/28~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(16)ミース・ファン・デル・ローエ記念館から階段を上がり、カタルーニャ美術...
2018/04/28~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(17)土曜の午後は無料のカタルーニャ美術館でロマネスク美術に溺れる。
2018/04/28~
バルセロナ
-
復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(18)カタルーニャ美術館の中世美術見学までで閉館時間になり、失意のうちにマ...
2018/04/28~
バルセロナ
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- 茶々さん 2018/05/31 21:32:52
- 宗教画
- こんにちは。最近宗教画に興味を持ち始めたので、こちらの旅行記に詳しい説明があって、とても面白い内容でした~
- kojikojiさん からの返信 2018/05/31 23:18:55
- Re: 宗教画
- 茶々様
旅行記にお立ち寄りありがとうございます。聖書とかギリシャ神話のストーリーを知っていると西洋絵画をまた違った目で見ることが出来て面白いです。パリやベルギーやオランダ各地、他にもいろいろな美術館の絵画や彫刻についても旅行記をアップしているのでお時間があったらまたお立ち寄りください。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
バルセロナ(スペイン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2018 スペイン周遊の旅(1)
2
116