2018/04/26 - 2018/04/26
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kojikojiさん
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「グエル邸」の見学を終えた後は重たい買い物の荷物をもって近所の「ホテル・エスパーニャ」へ向かいました。思いついたのがディナーを予約したレストランがこのホテルにあるのでフロントで預かってもらうことです。分けを言うと思っていた通りフロントの女性たちは気持ちよく預かってくれました。身軽になったところでランブラス通りに出ると景色も違って見えます。懐かしい「サン・ジュセップ市場」にも行ってみました。市場自体は大きく変わってはいませんでした。20年前は白衣を着た人が働いていましたが、働いているのは東洋人か中東の人が目立つようになっていました。業態も観光客向けに大きく様変わりしていました。ということで観光客向けの1ユーロのフレッシュジュースでのどを潤しますが美味しかった!老舗のお菓子屋さんを冷かしたり時間を調整してタクシーで「ピカソ美術館」へ向かいます。ランブラス通りを下ってコロンブスの塔から「シウタデリャ公園」まで大きく回り込んでくれました。途中妻がくしゃみをしたら運転手さんが「お大事に。」と言いながらグローブボックスから箱に入ったティッシュを出してくれました。そのしぐさが面白く社内で3人で大笑いになりました。「ピカソ美術館」はお昼に通っていたのでタクシーを降りてもすぐに場所が分かります。ところが長蛇の列です。こんなの並んだら1時間以上掛かりそうなので、団体入り口に行ってストライキの話を持ち出して交渉するも「皆さん並んでいただいていますから。」とのことです。仕方ないので並びましたが15分くらいで入場できたので良しとします。最近は日本ではストライキの影響を受けることは無いので敏感に反応してしまいますが、ヨーロッパではしょっちゅうあるようで皆さん慣れた感じです。今まで旅行中にストライキの影響を受けたことはありませんが、旅行の最後で出会った方はバス会社のストの影響で到着が深夜2時になったとか。この旅行記を作っている間もフランス国鉄のストは続行中だし、先月はパリに住む姪が航空会社のストの影響で旅行の予定を変えたりしていました。「ピカソ美術館」は以前も来ていますが、どうしてももう一度見たかった作品にも再会できて良かったです。もちろん妻にもその感動を味わってもらいたいと思っていました。20年の間に多少は知識も増え、以前はあまり好きではなかったピカソも興味深く見ることが出来ました。その後はホテルへ戻るのですが「サン・ジャマウ広場」から延びるデモの群衆に阻まれて遠回りすることになりましたが、違う道を歩いたおかげでカテドラルのファサードやピカソの壁画なども見ることが出来ました。予想外だったのは身軽になった妻がさらにサンダルを買ったことでしょうか。ホテルに戻って荷物を受け取る前にもう1つ預けることになりました。モンタネールが内装を手掛けた「フォンダ・エスパーニャ」でのディナーは楽しいものでしたが、料理を監修したマルティン・ベラサテギ氏の名前ばかりが前に出ているようで期待したほどではありませんでした。食後は酔い冷ましにランブラス通りを歩いて「カタルーニャ広場」からタクシーに乗ってサンツ駅前のホテルへご帰還です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「グエル邸」の見学を終えてコインロッカーから荷物を出すと一気に体が重くなりました。そこで思いついたのがディナーを予約したレストラン「フォンダ・エスパーニャ」のある「ホテル・エスパーニャ」へ先に行くことです。ホテルに荷物を預けられると思いついたのです。
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「ホテル・エスパーニャ」もモデルニスモの建築で予約した「フォンダ・エスパーニャ」はドメネク・イ・モンタネールがデザインしたことでも知られる美しい店です。
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ホテルのロビー周りのデザインも素晴らしいです。ソファに座って少し休憩させてもらいました。
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そしてフロントのお姉さんたちに事情を言ってレストランの予約時間まで荷物を預かってもらうようにお願いしました。「妻が靴を買ったり陶器を買うので荷物が増えちゃって。」というと笑っていました。そしてこの後妻はエスパドリーユを買ったので、ホテルに戻った際には追加で荷物を預かってもらうようになりました。「また妻がサンダルを買ったんです。」というと2人は大笑いでした。店を出るまで気持ち良くフロントで預かってもらえました。
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さあ身軽になったのでランブラス通りに出ます。
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ミロがデザインしたモザイクも見ておきましょう。
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全体を見ることは出来ないし、誰もいない状態で写真を撮るのは夕方では無理だと分かりました。
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「リセウ劇場」も内部の見学が出来るようでした。
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ランブラス通りは新緑が映えてとても綺麗でした。以前に比べるとお店は増えたような気がします。
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「レイアール広場」のガウディの街灯も忘れずに見学します。
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以前はこんなにきれいではありませんでした。当時の写真は1枚だけ残っていて錆びついた兜だけが写っていました。
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兜は黄金色に、蛇は青く、支柱は赤く塗られていて驚きました。錆も全くなくなっています。
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周りの噴水は全く記憶にありませんでしたがとてもきれいな広場です。
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バルセロナの人気の高さが修復の原動力になっているのでしょうね。
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ただ目を止める人は全くいません。
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ランブラス通りには美しい建物がたくさんありましたが面白かったのがこの建物です。「カサ・ブルノ・クアドロス(Casa Bruno Quadros)」という建物で、1883年の竣工時は傘屋さんだったそうです。
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シノワズリーのデザインが目を惹きますが現在は銀行になっています。
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外壁には昔の名残の傘と扇子、そして団扇が日本的な雰囲気を感じさせます。
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多分スペイン人のイメージする日本か中国なのでしょうね。
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日本と中国が混ざってしまってます。
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壁画の部分は完全に日本の侍と花魁です。
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面白いものを見させてもらいました。
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ランブラス通りには花屋の屋台が多いのですがこんな野菜の種が売っていました。
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そんな屋台を冷かして「サン・ジュセップ市場」に到着しました。20年前の写真と比べてみると市場の看板の位置が変わっています。ステンドグラスみたいなフレームも無かったです。
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ただ看板い太陽光線が当たるようになったのでステンドグラス部分を含めきれいになりました。
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さぁ大好きな市場ですよ。
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昔に比べて果物屋さんが格段に増えました。以前は地元の人が買い物する肉や魚、野菜やキノコ専門店が多かったのですが、明らかに業態が変わっています。多分観光客が増えて地元の人が買いに来なくなったので肉や魚が売れなくなったのでしょう。
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以前はスペイン人の女性が白衣を着て販売していましたが、店の販売員もアジア人や中東系の人の姿が増えています。
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お土産物屋さんも増えています。
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確かにこんな商売の方が観光客には人気があるでしょうね。なるほどなと思わせる商売です。ドラゴンフルーツとスプーンね。べトナムではやりそうです。
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妻は初めてメルルーサの顔を知りました。
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それでも地元の人向きのお店も残っていました。卵を買う観光客はいないでしょうから。よく見ると大きな卵にはエミューと書かれてあります。
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こういったディスプレイってヨーロッパは上手ですよね。日本は何でも規格寸法で規格のパックにおさめられています。
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数多くの店がジュースを売っていました。果物屋が多いので在庫を捌く意味もあるのだと思いますが、これが1カップ1ユーロで美味しいのです。観光客にはもってこいのものだと思います。
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バルセロナのイチゴは甘くておいしかったです。中まで真っ赤でした。そして安い。
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ランブラス通りで喉が乾いたら市場はお薦めです。
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いろいろな組み合わせがあるのでいろいろ飲み比べてみたくなります。オレンジジュースは100%搾りたてが当たり前のお国柄なのでジュースはどれも濃厚です。
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生ハムもたくさん売られています。
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でも毎日ホテルでたくさん食べていると買いたい気持ちはどんどん減少していきます。最後には空港で試食を進められましたが手が出ませんでした。
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「エスクリバ」というお菓子屋さんにも寄ってみました。1906年に家庭に木炭を届ける仕事をしていたマテウ・セラ・イ・カペル氏が現在の場所にパン屋をオープンしたのが始まりだそうです。現在は彼の孫にあたるアントニ・エスクリバ・イ・セラ氏がお店のオーナーを務めています。
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20年前も当然にあった店ですが当時は全く気が付きもせず、毎日通り過ぎていたようです。これっぽっちも記憶に残っていません。
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可愛らしいお菓子が並んでいますが、お土産に持って帰れないのが残念です。
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店の奥はカフェになっていました。
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ネズミのバレリーナを見ていたら姪を思い出しました。おじちゃんアルパルガータ(エスパドリーユ)をお土産に持って帰るからね。
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お店の外にもテラス席がありました。
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ランブラス通りから「ピカソ美術館」まではタクシーで移動しました。妻が車内でくしゃみをしたらドライバーさんがグローブボックスから箱に入ったティッシュを出して渡してくれました。そのタイミングがおかしくて3人で大笑いです。
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旧市街は一方通行が多いので美術館の近くで車を降ります。午後6時を回っていたのですが美術館の前は長蛇の列でした。裏の団体入り口で交渉したのですが、どうやら他の人も同じように並んでいるらしいので諦めて並びます。1時間くらいかかるかと絶望的な気分でしたが、あっという間に入場できました。ここは撮影禁止なので諦めてカメラもロッカーに預けました。以下の写真は購入した絵葉書の物です。
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「ベレー帽の男」
1895年にラ・コルーニャで描かれた作品です。1891年にピカソの一家はマラガから船でビーゴへ移動し、そこから陸路をラ・コルーニャへ赴きます。ピカソは当時10歳だったそうです。14歳でこの絵を描いたことになります。以前がどうだったか覚えていないのですが、時代順に分かりやすく展示されているので彼の人生について学ぶことが出来ました。 -
「マラガ港の小屋」
1896年に描かれた作品です。1895年には妹のコンチャが亡くなりますが、父親のバルセロナ美術学校への栄転が決まります。ガリシアの首都の職をノバロ・ガルシア教授と交換したそうです。バルセロナに引越すと父親が教授だったラ・ロンハに合格します。 -
「初めての聖体拝領」
この絵を観て思い出すのはマルタ島のカテドラルで行われていた堅信礼の儀式です。
まるで花嫁のように着飾った女の子やタキシードを着た男の子たちが凛々しく見えました。観光客が我々以外全くいない不思議な時間でした。 -
「科学と慈愛】
1897年の作品です。15歳の時の作品「初聖体拝受」や16歳で数々の賞を受賞した「科学と慈愛」は、伝統的な写実技法で描かれた作品です。 -
医者と尼僧が象徴する「科学と慈愛」はコンクールに出展するために父親が注意深く選んだ主題だったそうです。科学の象徴である医者が老婆の脈をとりながら命の行方を探っています。慈愛の象徴である幼子を抱いた尼僧はスープをさしだしながら召されゆく命を見つめています。ピカソは驚異の技巧で命の終わりという運命の時を描ききっています。ピカソは「科学と慈愛」の下絵を亡くなるまで大切に持っていたそうです。妹のコンチャがジフテリアで亡くなる前にピカソは神に祈ります。妹を助けてくれるなら二度と絵を描かないという誓いは妹の死をもって反古となりピカソは妹が自分を絵描きにしてくれたと思うようになります。その時の思いを感じずにはいられません。
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「静物」
1901年にパリで描かれた作品です。この年友人カサへマスとと共にパリに出て、バルセロナへ戻るイシドロ・ノネルが残した部屋に住みます。モンマルトルの洗濯船の時代ですね。妻と歩いた2011年の旅を思い出します。この絵は当時のパリにいたゴーギャンの影響を受けているそうです。 -
「小人の女」
1901年のこの絵も他の作家の影響を感じさせる点描で描かれた作品です。 -
「マルゴット(待合い)」
この作品はゴッホに影響を受けたと言われる点描法を使った娼婦の絵です。
黄色や赤、緑や黒などの原色を点描法を使い、背景と華やかな赤い洋服を着た娼婦に漂うアンニュイな雰囲気を上手く描いています。 ピカソがパリに来た20歳くらいの時に描いたもので、国際的に知られるきっかけとなった非常に有名な絵です。 -
「カナルス夫人の肖像(ベネデッタ・ビアンコ)」一緒にバルセロナから出てきた親友カルロス・カサヘマスが恋愛沙汰でピストル自殺を図った事件に影響を受けた青青の時代の後のばら色の時代の1905年の作品です。
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「アルルカン」
1907年に始まるキュービズムの時代は「アヴィニヨンの娘たち」に始まり、この絵の描かれた1917年に終わります。個人的にトリックスターであるアルルカンを描いた絵が大好きです。特にパリのオランジェリー美術館のアンドレ・ドランの2枚のアルルカンの絵が好きです。そういえばオランジェリーにもピカソの新古典主義の時代の秀作が何枚かありました。 -
そしてどうしてももう一度観たかった「マンティラを身に着けた女(ファトマ)」
未完成の作品ですが20年前に観て衝撃を受けた作品です。その当時この美術館で唯一買った絵葉書がこれです。 -
アンダルシアを旅していると異常に大きい鼈甲のような櫛を見掛けると思います。フラメンコの衣装や扇子を売っている店にも置いています。長い髪を団子状に束ね、そこのその櫛を刺し、マンティラベールを被るとこのような姿になります。
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「エル・パセオ・デ・コロン」見た瞬間にどこだか分かりました。セッテ・ポルタスでパエリアを食べた後この塔を目指して歩きましたから。そうコロンブスの塔です。右手にランブラス通りが伸びている訳です。
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「鳩たち」
1957年の作品です。1955年に妻のオルガ・コクロヴァが亡くなり、ジャクリーヌ・ロークと知り合って再婚する前です。フランソワ・ジローとは別れています。しかし愛人の多い人です。 -
こんな可愛らしい鳩を描いているのですが。
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一見子供が描いたような絵ですが、画面構成は素晴らしいなと思えます。
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「ジャクリーヌの肖像」
1957年の作品ですから再婚する直前のある意味で幸せな時代です。 -
「マルガリータ・マリア王女」
言わずと知れたラス・メニーナスに描かれた王女の姿です。 -
「ラス・メニーナス」
世界三大絵画のひとつ「ラス・メニーナス」の連作で、バルセロナのピカソ美術館の目玉的な作品です。プラド美術館所蔵のスペインの宮廷画家ベラスケスの作品を70歳を過ぎたピカソが描いた連作は、ピカソならではのアプローチで全体や部分が切り取られ分解され、更に独自の解釈を加えて再構築されたもので、この美術館の必見作品でもあります。実際のベラスケスの作品よりは小さい印象を受けます。 -
「女官たち」
ここまで簡略化されてもラス・メニーナスと分かるところがすごいです。 -
「女官たち」
個人名を冠した美術館は数多くありますがその中では大規模な美術館だと思います。2度目の訪問でしたが20年経っているので新鮮な気持ちで見学することが出来ました。 -
「女官たち」
同じラス・メニーナスが題材ですが、マティスの切り絵の作品のようにも見えます。
ピカソは「マティスは死んで、私にオダリスクを遺産として残していった…。」と言い残しているので外れてはいないかもしれません。 -
いろいろな美術館で時間が無いとパスしてしまうことが多かったピカソですが、改めて時代を追って見学すると勉強になりました。ただストライキの影響で混雑していたのが残念でした。
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ピカソというとサンクトペテルブルグでエルミタージュ美術館を案内してくれた現地ガイドの女性を思い出します。ジャネット・リンに似た(知らない人多いですね)かわいらしい女性でしたがピカソのフルネームを「パブロ・ディエーゴ・ホセー・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・マーター・パトリシオ・クリート・ルイス・イ・ピカソ」と完璧に覚えているのに驚かされました。もっとも間違っていても指摘できませんが。
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「ピカソ美術館」から「ホテル・エスパーニャ」へ戻るには「サン・ジャウマ広場」を抜けるのが一番なのですが、このとおりのデモで通り抜けられません。プラカードを見ると「女性の問題は常に男性の問題だ!」とか「それは違反ではなく虐待だ。」なんて言葉が並んでいます。
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そのままライエタナ通りに入り海の方へ進んでいます。女性の姿が多かったですが、女性の人権のためのデモだったようです。1週間ほど前にはプッチダモン元州知事が逮捕されたことに対するデモがあったのでカタルーニャ州に関するデモかと思いましたが。
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ということで車両が通れないライエタナ通りの山側は歩行者天国状態でした。
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サンタ・アガタ礼拝堂前にある馬上の騎士は1096年から1131年までバルセロナ伯になったラモン・ベレングエル3世像です。ベレングエル3世はタラゴナ大司教座を再興し、カタルーニャ教会をナルボンヌ大司教座の管轄から独立させることに成功をおさめ、カタルーニャから南フランス一帯にまたがるオクシタニア国家建設の政治構想の実現に一役を担った偉大な人物です。
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デモのおかげで通りを迂回したので「カテドラル」のファサードを見ることが出来ました。
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きれいに月が登っていました。午後8時過ぎのバルセロナはまだ明るいです。
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20世紀の改修ではガウディもファサードのデザインコンペに参加していたはずです。
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カテドラル前の広場では蚤の市が催されていました。1人旅をしていた頃はアンティーク店に必ず寄っていましたが、最近はあまり行かなくなりました。
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ピカソの壁画とも記念写真を撮っておきましょう。描かれた人間と何となく妻のシルエットが似ていますね。
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身軽にしたのが悪かったのかまたアルパルガータのお店に入って試し履きです。
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自分用も考えましたが男性用は普通のデザインばかりです。
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という事でまたお買い上げになられました。
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2足目のアルパルガータはこんなでした。
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姪にも2足目を買いました。
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「ホテル・エスパーニャ」に戻るとフロントには先ほどの女性たちがいました。我々を見ると「食事が終わるまでフロントで預かりますか?レストランで預かりますか?」と尋ねます。「このままフロントで預かってもらえます。それと、また妻が靴を買っちゃったんだよね。これも預かってもらえます?」というと大笑いです。
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フロントの裏側にあるレストラン「フォンダ・エスパーニャ」は美しい内装でした。ここもトリップアドバイザーのサイトから予約しておきました。内装は昨日見学した「サン・パウ病院」やこの日見学した「カタルーニャ音楽堂」を設計したドメネク・イ・モンタネールがデザインしています。
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またこのレストランはマルティン・ベラサテギ氏というバスク出身のミシュラン3星のレストランのオーナーシェフが監修しているという事で楽しみにしていました。
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モデルニスモの美しいデザインの中で食事が楽しめます。
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腰壁のモザイクタイルとコート掛けのフックも美しいです。昔はベンチシートが壁側にあったのではないでしょうか。
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「バルセロナの薔薇」(La Rosa de Barcelona)という40ユーロのテイスティング・メニューを注文して、ワインのペアリング・オプションを頼みました。妻はダム・レモンを注文しました。最初はカバからスタートです。カバ・マルケス・デ・ジェリーダというブランドです。
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乾杯。2回目の結婚記念日のディナーです。
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ヒトデの骨格標本にチップの上にムール貝とパプリカソースの乗ったタパからスタートします。
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木箱に小石が敷き詰められウニのような形の揚げ物です。マヨネーズソースをつけて食べます。この辺りは面白さが前面に出た料理です。
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芝の上に乗ったホタテのマリネ。
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ここまでの3品がアペリティフです。
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ここで白ワインに変わります。ラヴェントス・デ・アレーリャ パンサ・ブランカというバルセロナの北25キロ、ローマ時代に遡るティアナという町に設立されたワイナリーのものです。
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バルセロナ市内の道路の敷石タイルを模したタイルに乗ったコロッケです。メニューのコースの名前はこのタイルの薔薇の模様から取っているのでしょう。
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マグロのタルタルです。スペインはマグロが美味しいですからね。
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フォンダ風のパエリアです。これはお昼にパエリアを食べに行っているのでちょっと失敗。でもお昼はシーフードとイカ墨で、こちらはウサギだったので味も違い美味しかったです。
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何故か2人なのにコロッケは1つ。???
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干しタラの料理は妻は絶対に合わないなと思ったらやっぱりダメだったそうです。今は閉店してしまいましたが、ベルギーのブリュージュのデ・カルメリートの魚料理もダメだったことを思い出します。妻の舌にはミシュラン3星は合わないようです。
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ここで赤ワインに変わります。トーレスのマス・ラベルはバルセロナのワインです。地元の料理には地元のワインですね。
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子牛の煮込みは柔らかくて美味しかったです。
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デザートのお皿はカサ・ミラのカフェの天井やカサ・バトリョのサロンの天井を思い出させます。メロンのシャーベットに飴細工が乗り、レモンシャーベットが乗っています。
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お昼と夜とよく食べました。
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最後のプチフールは歩道のタイルの上にお菓子が乗ってきました。
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お菓子はどれも美味しかったです。そしてエスプレッソをいただきます。お店は我々以外に5~6組と平日としても空いている印象です。サービスも良いレストランです。ただ有名シェフの監修という事はあまり感じませんでした。
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バルセロナ3回目の夜も無事に終わりました。このようなレストラン巡りが2週間続きました。
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フロントの女性たちは帰ったようで、夜番のおじさんに荷物は引き継がれていました。お礼を言ってホテルを後にします。レストランも含め気持ちの良いホテルでした。
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床に埋め込まれたプレートがあるので、このホテルも100年を越す老舗のようです。
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深夜のランブラス通りを歩いてカタルーニャ広場からタクシーでホテルに帰りました。翌日は6時30分にはサンツ駅へ行って7時のAVEでフィゲラスへ向かいます。
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