2017/12/05 - 2017/12/07
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旅人のくまさんさん
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大阪湾の周りの名城巡りです。この日の2箇所目は戦国武将の三好氏の本城跡、徳島県藍住町勝瑞(しょうずい)にある勝瑞城です。続日本100名城の175番に選定された城跡です。
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イチオシ
国指定の史跡に建つ、臨済宗の妙心寺派のお寺、『龍音山・見性寺』の本堂光景です。本尊は釈迦如来と聖観音とされます。
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『龍音山・見性寺』の境内は、境内を取り巻く堀を含めて、国の史跡に指定されています。取り巻く堀が残ったのは、この場所が『勝瑞城跡』に認定された場所のためです。境内には、この地を納めた三好氏四代の五輪塔などが残されています。
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イチオシ
石造の柵に囲まれたエリアに建つ、三好氏四代の五輪塔の光景です。三好之長、元長、善賢、長治の四代とされます。三好氏は、鎌倉時代の守護だった小笠原氏の後裔と伝えられる氏族です。三好郡内に居住した三好氏が、その土地の名を名乗ったのが始まりとされます。
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庫裏のような建物の前にあった石標の光景です。消えかかった『嶺雲の庭』の文字が読み取れました。三好氏の歴史紹介の続きです。三好氏は、三好郡で力を蓄え、室町時代の寛正6年(1465年)には、三好式部少輔(生没年不詳)が、阿波三郡の守護に任じられました。
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『嶺雲の庭』と名付けられた、庫裏のような建物の前の石組の席亭の光景です。縦長の石が高山を象徴しているようでした。三好氏の話題に戻ります。三好氏が中央で知られるようになったのは之長(ゆきなが:1458~1520年))の時代とされます。阿波で最有力の国侍だったされる三好長之の嫡男として誕生、阿波守護だった細川氏分家の讃州家の細川成之に仕えました。
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三好氏に所縁の有力武将だった人のお墓かと思って撮影しましたら、中央に『三好家霊廟」の文字がありました。藩主の墓に相応しい立派な造りの霊廟でしたが、新しい造りなのに、なぜか右側の石灯籠が大きく傾いていました。
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こちらは無縫塔の一群の光景です。無縫塔(むほうとう)は、主に僧侶の墓塔として使われる石塔です。塔身が卵形という特徴から、『卵塔」とも呼ばれます。見性寺之歴代住職などのお墓のようでした。
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錫杖を持たれたスマートな姿のお地蔵様の光景です。子供を抱かれていますので、子守地蔵尊のようでした。お地蔵さまは、赤ちゃんや子供達の強い味方です。
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墓標として建てられていた、五輪塔のズームアップ光景です。『吉田家累代之葉か』の文字が刻まれていました。五輪塔は下から四角(六面体)・丸(球)・三角(四角錐または三角錐)・半丸(半球)・上の尖った丸(宝珠型)または尖っていない団子型(団形)を積み上げた形に作られます。推測ですが、この墓碑は、五輪塔を部費に適した形に改造したもののようでした。五輪塔には墓碑のほかに梵字も刻まれていました。三好家との関係を少しだけ調べてみましたが、今のところ何も分かりませんでした。
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二体並んだお地蔵様風の石仏と、両脇の石灯篭の光景です。供養のために寄贈された像のようにも見えました。その前には線香立などがありました。
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同じく、勝瑞城跡とされる『龍音山・見性寺』境内にあるお墓の光景です。勝瑞城は、室町時代の阿波国守護細川氏及び、その後三好氏が本拠とした城です。徳島県内に残る中世城郭の中では珍しい平城です。
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なぜか倒れたままになっていた、『龍音山・見性禅寺』の文字が記された看板の光景です。看板自体は、根元が腐朽して倒れたようでした。ネット情報では、『見性禅寺』より『見性寺の表記が多かったので、『見性寺』の方に統一することにしました。
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『龍音山・見性寺』の周りを取り囲む堀の光景です。周りの堀を含めて、国の史跡のエリアに指定されています。
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勝瑞城跡とされる『龍音山・見性寺』境内にあるお墓と、その脇の堀の光景です。お墓の先に見える建物は、庫裏のようでした。
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勝瑞城跡とされる見性寺境内の境界付近の光景です。発掘調査では、堀跡のほか、土塁も確認されています。石垣がお城に使用される以前の、中世時代の造りの城だったようです。
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同じく、勝瑞城跡とされる見性寺境内の境界付近の光景です。敷地の南東端付近の光景になります。南面にある堀が見えていました。
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現在は見性寺境内となった、勝瑞城祉から眺めた東側方面の光景です。お堀の先には田圃が隣接していました。勝瑞城祉には土塁の残土らしい土盛が見えました。
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敷地の南側方面から眺めた、『勝瑞城跡』の光景です。右奥の建物が見性寺本堂、左手前の建物が庫裏のようです。
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句碑のようですが、中々文字が読み取れませんでした。読み取れた分だけを記します。『初●(詣?)踏む玉砂利乃●(国?)きよや』、詠み人は、『松●(寿)』のようでした。徳島出身の俳人なども調べてみましたが、分かりませんでした。
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それほど古くない、背丈の低い石標の光景です。花崗岩らしい石材に、『祥瑞寺公整備工事・第6期(第1分割)・藍住町祥瑞』の文字が刻まれていました。
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『見性寺境内・勝瑞義家碑』のタイトルがあった説明看板の光景です。藍住町教育委員会名での建立でしたが、この説明文の記述だけでは、『歴史的な記録』の意味が理解できませんでした。念のために、徳島県や藍住町の公式HPも参照しましたが、『藍住町指定有形文化財』に関する手掛かりがありませんでした。
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おおいの屋根が設けられた、『見性寺境内・勝瑞義家碑』の光景です。先程の説明文には、『藍住町指定有形文化財』と紹介されていた碑です。先程の説明文にあった、那波魯道(1727~1789年)は、酒田市漆曽根(北平田)の大庄屋・岡本善作の三男に生まれた、僧侶で国学者だった人です。諸国行脚を経て、27歳の時に青原寺住職、41歳で新田目の梵照寺住職に移り、51歳の時に能登総持寺の輪番を務めました。
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に麺の文字が読めるよう撮影した新しい造りの石標の光景です。右側には一部推測が入りますが『祥瑞寺公整備工事・第3期・藍住町祥瑞』の文字が、左側には工事を担当した会社名が刻まれていました。
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竹藪越しに眺めた、『勝瑞城跡』を取り囲む堀の光景です。平成6年(1994年)から始まった発掘調査では、平成9年(1997年)に『上幅13メートルの堀や、基底部幅2.5メートル、高さ2.5メートルの土塁が確認された』と現地入手のパンフレットに記述されていました。
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イチオシ
先ほど紹介した、『藍住町指定有形文化財』と紹介されていた碑があった方面の光景です。回り込んではみませんでしたが、この『見性寺境内・祥瑞義家碑』の石碑の裏側に『戦国武将三好家の盛衰と戦没者の慰霊文』が刻まれているようには思えませんでした。
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斜め前から眺めた、『龍音山・見性寺』の本堂光景です。発掘調査が済んだ後に建てられた本堂かもしれません。勝瑞城跡は、昭和31年(1956年)に県の史跡に指定されていました。
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『矢竹(やだけ)』のタイトルがあった、タイル造りの説明文の光景です。イネ科の植物で『シノダケ(篠竹)』の別名を持ち、有事には矢の材料になることなどが紹介されていました。
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『勝瑞城跡』の堀に架かる小橋の光景です。車の通行禁止のためか、橋の中央に石杭が建てられていました。敷地の北側に位置するようでした。
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『勝瑞城跡』のタイトルがあった、タイル造りの説明文の光景です。右上に国指定史跡・祥瑞城館跡』の文字が追加されていました。室町時代に始まり、土佐の長曾我部氏により、天正10年(1582年)に攻め落とされ、その後、天正13年(1585年)に蜂須賀氏の阿波の国入部により、寺院などが現在の徳島市に引越し、かつての城下町は寂れたことなどが記されていました。
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敷地の北側方面から眺めた、『勝瑞城跡』の光景です。右手に墓所が見え、正面奥には、黄葉が済んで落葉した銀杏の大木が見えました。
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