2017/12/05 - 2017/12/07
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旅人のくまさんさん
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慶長19年(1614年)、大坂冬の陣では松平信吉が城主となり、その後、北条氏、小出氏、松平氏へと代わり、寛永17年(1631年)、高槻城より岡部宣勝が入城し、6万石の城主となり歴代藩主が維新まで続きました。
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城内に掲示してあった岸和田城の歴史紹介パネルです。そのスタートの説明パネル光景です。最初に築城者や時期を巡って、『歴史の謎に包まれた岸和田の城』の記述がありました。
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次の説明パネルには、『岸和田古城」のタイトルがありました。『岸和田古城図』をバックに、16世紀の初め頃まで存在したとされる『岸和田古城」が紹介されていました。現在の城より、東に500メートル離れた場所とされます。
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次の説明パネルは『岸和田合戦』のタイトルです。天正12年(1584年)、小牧。長久手の合戦に室陣した秀吉の隙をついて攻め寄せた、3万の根来勢と岸和田城を守る5選の守備平との戦いの紹介パネルです。城は落ちずに、守られました。背景の古図面の左下に『岸和田城』、右下に『根来出城』が記されていました。
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次の説明パネルは『蛸地蔵縁起』のタイトルです。天正12年(1584年)、岸和田城が根来寺の軍勢から攻められ落城寸前となった時、大蛸に乗った一人の法師と数千の蛸がどこからともなく現われ、凄まじい勢いで敵兵をなぎ倒し、城の危機を救ったとする伝説の紹介です。背景の絵図は、岸和田の『蛸地蔵さん」と呼ばれる天性寺の縁起絵巻です。
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5枚目の説明パネルは、『岸和田の天守』のタイトルです。文禄4年(1595年)から作事がはじめられ、慶長2年(1597年)に天守が上げられたと、『岸城古今記』に記されていることが紹介されていました。背景は承応2年(1653年)に描かれた、『岸和田城図』です。中央に五層の天守が描かれています。
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次の説明パネルは『別名は「ちぎり城」』のタイトルです。岸和田城の別名が、『ちぎり城』、その理由は、本丸と二の丸を連ねた形が、機織りの時の縦糸を巻く『ちきり』に似ていることが紹介されていました。
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次の説明パネルは『大阪までを結ぶ道』のタイトルです。和歌山から岸和田城下を通り、大阪に至る道が紀州街道、紀州街道から大阪、京を通る道が、岸和田城の岡部家の参勤交代の道筋であったことが紹介されていました。
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イチオシ
次の説明パネルは『岡部家の家紋』のタイトルです。岡部家の家紋、『三つ巴紋』に関する解説でした。本拠地は、現在の静岡県藤枝市になる、駿河の国の岡部郷です。
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次の説明パネルは『天守の焼失』のタイトルです。文政10年(1826年)11月20日の午前4時頃に天守に落雷があり、天守をはじめ、多門櫓などが焼失したことが紹介されていました。背景の縄張り図は、安政6年(1859年)、天守が焼失し天守台だけが描かれた絵図です。
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10枚目の説明パネルは『藩ヲ廃シ県と為ス』のタイトルです。明治4年(1871年)7月の廃藩置県により、岸和田藩が、岸和田県になったことが紹介されていました。背景は二の丸御殿の平面図、『二ノ丸殿中ノ図』です。
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次の説明パネルは『もう一度、城を見たい』のタイトルです。文政10年(1827)年の落雷による天守焼失以来126年、市民の力により天守の再建が決まった時の紹介です。背景の絵図は、本丸があった頃の鳥瞰図です。
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次の説明パネルは『蘇った岸和田の城』のタイトルです。写真は、昭和28年(1953年)、再建された岸和田城からの眺めのようです。石油産業の前の石炭産業の時代ですから、あちらこちらに高煙突が見えました。
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次の説明パネルは『今に残る浜の石垣』のタイトルです。城の防備と防潮堤を兼ねて築かれた、長さ800メートルの『浜の石垣』の紹介でした。
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次の説明パネルは『平成の大改修』のタイトルです。平成4年(1992年)、竣工以来38年振りの改修工事で、昔の美しさが蘇ったことが紹介されていました。
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15枚目になる最後の説明パネルは『見上げれば何時もそこに』のタイトルです。昭和の時代には見えた煙突が、平成の時代にはなくなっていたことが紹介されていました。
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15枚の岸和田城の歴史を紹介したパネルの最後の部分の光景です。今後は、雨天時などを考えた場所を用意した方がよさそうです。
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八陣の庭は、まだ天守閣を建てるという話のない昭和28年7月に着工され、同年12月に砂紋を入れて完成しました。京都林泉協会会長で、日本庭園図鑑の著者であり、また庭園考証の権威者としても知られていた重森三玲氏の創作による、現代庭園の傑作とされる定評のある石庭です。中央部分は、庭中最大の巨石を用い、四方に各陣形を指導している姿を表現した、『大将』の石組のようです。
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国の名勝に指定されている枯山水の庭園、『八陣の庭』の中心部分の石組光景です。庭園は諸葛亮孔明の八陣法をテーマにしたとされ、中央の大将とその周りに天・地・風・雲・鳥・蛇・龍・虎の各陣に石組みが配されています。長石を棒状に立石として、陣勢が天にのぼる勢いを表した『天陣』の石組光景です。諸葛亮孔明(181~234年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家で軍師です。
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イチオシ
撮影する場所を変えて、参観しながら撮影した、『八陣の庭』の光景です。中央付近に、先に紹介した『天陣』の石組が見えています。その左奥が『大将』、右奥が『虎陣』の石組です。諸葛亮孔明の八陣法は、変幻自在な陣法とする説もあるようです。青石は和歌浦の沖ノ島から陸揚げした水成岩です。作者自ら現地において指揮し、採石したものとされます。
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国の名勝に指定されている砂庭式の枯山水庭園、『八陣の庭』の光景が続きます。昭和期を代表する作庭家で、日本庭園史の研究家の重森三玲(しげもり・みれい)氏により、昭和28年(1953年)に作庭されました。中央付近に見える平べったい石組は、『地陣』です。更にその奥が『鳥陣』になります。
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諸葛亮孔明の八陣法を、唐の太宗が李靖と問答する場面の紹介です。『前をもって後ろとなし、後ろをもって前となし、進むに速奔なく、退くに遽走なく、四頭八尾、衝突したところが首になり、敵がその中を衝けば、両頭がこれを救う』とされる問答があります。後世の脚色などもあるかも知れませんが、まさに変幻自在の陣形と、その運用法です。
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右手前に見える石組は、『八陣図』の中の『蛇陣』です。3個の長石の石組に傾斜をつけ、大蛇が獲物に飛びかかる勢いを表しています。中央奥に『大将』の石組も見えます。庭は三段に構えて、各段は約20センチメートルの高さとして、古城の縄張りを美術的に造形して組み合わせたものです。
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天守を背景にして、影が映り込んだ手前付近の石組は、『雲陣』です。三個を用いて、雲の去来飛散をして常に千変万化する姿としたものです。真後ろに『大将』の石組、左後ろに『龍陣』や『風陣』が見えています。
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『八陣の庭」の背後に建つ、模擬天守の光景です。外観復興された現在の天守は、連結式望楼型3重3階の規模です。昭和29年(1954年)に再興されました。左手に見える建物に見学用の入口がありました。
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天守の前を通り過ぎ、振り返って撮影した天守の光景です。慶長2年(1597年)の築城時には、複合式望楼型5重5階の天守、元和5年(1619年)の改築時には、複合式層塔型5重5階の天守でした。
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天守台の石垣のズームアップ光景です。岸和田城の石垣は、『和泉砂岩」と呼ばれる脆い石を多く用いているようです。本丸を取り囲む石垣の南面から東面にかけて、『犬走り石垣」と呼ばれる周堤帯が設け圧れていたのも、強度を補強する目的に作られたものとされます。この石垣も、落石したり、補修した痕跡が見られるようです。
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イチオシ
模擬天守に入城する途中、階段の途中から振り返って眺めた『八陣に庭』の光景です。諸葛亮孔明の八陣法を表現した石庭だからでしょうか、見る高さ、みる位置によっても、大きく趣が変わって見えた庭園でした。
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ここからは、天守に入城してからの撮影です。頑丈な金属製の手摺りに『東』の方向表示がありました。500メートルほど先に、『古岸和田城』があった方角になります
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眼下のお堀と、その先の岸和田市街の光景です。概ね東南側方面の光景になるようです。お濠近くに岸和田高校と、写真左奥付近に岸和田だんじり祭の『岸城神社』方面の社殿が見えていました。
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同じ方角の光景です。眼下に見える岸和田城の本瓦の屋根と、お堀の東南角付近の光景です。
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