2017/12/05 - 2017/12/07
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旅人のくまさんさん
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山上の御殿は不便で手狭なため、江戸初期以降、藩政と生活の拠点は麓の二の丸に移りました。西の丸は藩主が自然風雅を楽しむ場として、内堀を池に見立てた庭園や能舞台、茶室などが営まれました。南の丸とともに徳川期に新たに造成された砂の丸は、藩の財政を担う勘定所が置かれていました。
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この後、もう少し大天守からの眺望を紹介しますので、大天守の四方の出入口の上に掲示してあった、写真での眺望の案内の紹介です。眼下に本丸跡が見える、東方向の紹介です。中央が『本丸跡』、その右が重文の『岡口門』、後方の左がJR和歌山駅、右が高野山方面の表示です。
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東西南北の順で紹介します。次は遠くに紀の川が見える西方向です。写真中央に表示されているのが『乾櫓』、その右上が『紀の川』、遠くに表示されているのが右から、『淡路島」、『四国方面』と『清掃センター』です。
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次は南方向です。中央が和歌山大付属の『小・中学校」、その右が『県立博物館』と『県立美術館』、左側が『岡山の時鐘堂』、遠くの4箇所は、右から『若ノ浦湾』、『マリーナシティ』、『紀三井寺」と『名草山』です。
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最後の北方向の紹介です。右寄りの下が『御橋廊下』、中央付近が『伏虎中学校」、後方の4箇所が、右から『紀の国大橋』、『和歌山市役所』、『北島橋』と『南海和歌山市駅』です。
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城内の樹木が生い茂った光景です。少し北に振った、東方向の光景になるようです。『本丸跡』の北側の端辺りになるようです。眼下に見えるのは、小天守の屋根の一部です。
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イチオシ
同じく、城内の樹木が生い茂った光景です。東方向の光景になるようです。中央付近に見えるのが本丸御殿跡、その右奥に内堀が見えます。写真では確認できませんでしたが、この方角に岡口門もあります。眼下の屋根は小天守です。
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南側方面の光景になるようです。右端に『和歌山県立近代美術館』と『和歌山県立博物館』が見えています。見学する時間はありませんでしたが、寺町がこの近くに残されているようです。
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南側方向の眺望で紹介した、手前が『和歌山県立近代美術館』、その奥が『和歌山県立博物館』の光景です。一体として建物や周辺のデザインが決められているようでした。
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ズームアップした、南方向の光景です。手前が『和歌山県立近代美術館』、隣接するその奥が『和歌山県立博物館』の光景です。公式HPでは、両館は地下で繋がっていて、空調システムや電気系統等を共通とする一体の建築物であると紹介されていました。
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イチオシ
眼下の天守の屋根のズームアップ光景です。中央から右手にかけて、平瓦が四列に並んでいるのは、雨だれ対策のようでした。取替が必要な時のメンテナンス作業を考慮したもののようです。江戸時代にこの光景があったわけではないようです。
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大天守の室内に展示してあった、縄張り模型です。中央に見えるのが、菱形をした敷地の天守郭、その四方に大天守、小天守、乾櫓と二の門櫓が見えています。天守閣への登り口は3箇所あります。
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天守閣内の見学を終えて、唐破風の玄関口に戻って来ました。もう少し見学時間が残っていましたので、現地ガイドさんの案内で、御台所から多門にかけの展示物を見学することになりました。
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天守郭内か、その付近でで撮影した石垣光景だったようですが、正確な場所は忘れてしまいました。表面は少し平らにしてありますが、野面積の範疇に入りそうな石積でした。
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『多門』か、『御台所』への入場口の光景です。入口右横に、『天守郭』の平面図が表示してありました。『天守郭』は、菱形の天守エリアを取り囲む、大天守や隅櫓とその間を繋ぐ多門から構成されています。
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『日本名城案内・多門』の入口光景です。和歌山ライオンズクラブの寄贈で構成されているようでした。城跡は国の史跡に指定され、日本城郭協会が主催する日本100名城の62番に選ばれています。
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イチオシ
『多門』かあるいは『御台所』に展示してあった槍の類の武器展示の光景です。その刃先だけの紹介です。突き刺すだけの構造や、薙刀のような形など、様々な形状をしていました。
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『和歌山市の偉人・先人』のタイトルがあったパネル紹介です。この種の展示は、多くの城郭や城下町で見かけることがあります。城下町ではパネルのほか、銅像なども見掛けます。
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『和歌山市の偉人・先人』のタイトルがあった紹介パネルの展示状況です。右が『川合小梅』、左が『下村観山』の紹介パネルです。改めて、この後で個別に紹介します。
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『川端龍子』の紹介パネルです。『川端龍子(かわばたりゅうし:1885~1966年)』は、和歌山市生まれの日本画家で俳人です。10歳の頃に家族とともに東京へ移転しました。画家としての龍子は、当初は白馬会絵画研究所および太平洋画会研究所に所属して洋画を描いていました。1913年(大正2年)に洋画を学ぶために渡米しましたが、失意の中、立ち寄ったボストン美術館で目にした鎌倉期の絵巻の名作『平治物語絵巻』を見て感動したことがきっかけで、帰国後、日本画に転向しました。昭和の動乱期に画壇を飛び出し、独自の芸術を切り開いた龍子は、1959年(昭和34年)、文化勲章を受章しました。居宅に近い東京都大田区の池上本門寺大堂天井画の『龍』を描きましたが、未完のまま死去しました。後日、日本画家の奥村土牛(1889~1990年)が画龍点睛して開眼の上、大堂に奉納されました。
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『ヘンリー杉本』の紹介パネルです。ヘンリー・ユズル・スギモト(1900~1990年)の日本名は杉本謙、和歌山市生まれの日本画家です。第二次世界大戦における日系人の強制収容の経験者です。1952年にアメリカの市民権を取得しました。スギモトはさまざまな画風やモチーフの絵を残しているものの、最も有名な業績は、収容所絵画とされます。スギモトの作品は、現在、全米日系人博物館及びスミソニアン博物館のコレクションの一部となっています。
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『南方熊楠』の紹介パネルです。『南方熊楠(みなかた・くまぐす:1867~1941年)は、博物学者、生物学者で民俗学者です。和歌山県に生まれ、東京での学生生活の後に渡米、さらにイギリスに渡って大英博物館で研究を進めました。多くの論文を著し、国内外で大学者として名を知られましたが、生涯を在野で過ごしました。生物学者としては粘菌の研究で知られ、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしていて、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行っていました。英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献に精通していたとされます。生涯で『ネイチャー』誌に51本の論文が掲載され、これは現在に至るまで単著としては歴代最高記録とされます。
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『杉村楚人冠』の紹介パネルです。『杉村楚人冠(すぎむら・そじんかん:1872~1945年)は、新聞記者、随筆家で俳人です。本名は杉村廣太郎、和歌山市の生まれ、父は旧和歌山藩士の杉村庄太郎です。在日アメリカ公使館の通訳を経て、1903年に池辺三山の招きにより東京朝日新聞(のちの朝日新聞社)に入社しました。入社当初の楚人冠は、主に外電の翻訳を担当していました。1904年8月、レフ・トルストイが日露戦争に反対してロンドン・タイムズに寄稿した『日露戦争論』を全訳し、掲載されました。戦争後、特派員としてイギリスに赴き、滞在先での出来事を綴った『大英游記』を新聞紙上に連載、軽妙な筆致で一躍有名になりました。『楚人冠』の名は、史記の項羽に関する逸話から採られたものです。アメリカ公使館勤務時代に、白人とは別の帽子掛けを使用させられることに憤り、以来『楚人冠』と名乗ったといわれます。
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『川合小梅』の紹介パネルです。『川合小梅(1805~1889年)は、江戸後期から明治時代の画家です。紀州藩校の学習館の助教である川合鼎と、その妻(辰子)の間に生まれました。小梅が5歳の頃に鼎が病死してからは、祖父の川合春川と辰子に養育されました。結婚した16歳から70年に亘り書き続けた日記が、後に『小梅日記』として出版されました。幕末から明治にかけて書かれた小梅の日記は、幕末当時の生活や動乱、明治維新後の士族の暮らしぶりを知るための貴重な史料となっています。小梅は日記のほかにも、花鳥画や人物画などの文人画を多く残しています。
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日本画家の『下村観山』の紹介パネルです。『下村観山(1873~1930年)』は、和歌山市に生まれ、8歳のとき東京へ移住しました。最初は狩野芳崖に、その没後は芳崖の親友である橋本雅邦に師事しました。東京美術学校(現・東京藝術大学)を第一期生として卒業後、同校で教えていましたが、1898年に岡倉覚三(天心)が野に下ったときに行動を共にし、横山大観、菱田春草とともに日本美術院の創設に参加しました。1906年、天心が日本美術院を茨城県北部の五浦海岸へ移した際、大観、春草、木村武山とともに同地へ移住し、画業を深めました。『木の間の秋』(1907年作:東京国立近代美術館蔵)と『弱法師(よろぼし)』(1915作:東京国立博物館蔵)は、国の重要文化財に指定されています。
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作曲家だった『石桁眞禮生』の紹介パネルです。『石桁眞禮生:いしけた・まれお:1915~1996年)』は、和歌山県生まれ、東京音楽学校で下総皖一に師事し、1943年の第12回音楽コンクールに『小交響曲』で入賞、後に、グループ新声会に参加、ドイツ古典派に規範をおく作品を発表しました。1946年より東京音楽学校のち東京藝術大学の講師に就任し、68年には作曲科教授、74年には音楽学部長を務めました。門下生には、指揮者の小林研一郎氏などがいます。
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軍人、外交官で政治家だった『野村吉三郎』の紹介パネルです。『野村吉三郎(1877~1964年)』は、和歌山市出身で、位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級です。国際法の権威として知られ、阿部内閣で外務大臣をつとめたのち、第二次近衛内閣のとき駐米大使に任じられ、真珠湾攻撃の日まで日米交渉に奔走して戦争回避を模索しました。1901年(明治34年)に完成した戦艦三笠引取りのためにイギリスへ渡ったのをはじめ、オーストリア、ドイツ駐在を経て、在アメリカ日本大使館駐在武官を歴任したほか、パリ講和会議とワシントン軍縮会議の全権団に随員として加わるなど、海外経験が豊富でした。後にアメリカ大統領となるフランクリン・ルーズベルト海軍次官ら海外の政治家とも親交がありました。
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外交官で政治家の『陸奥宗光』の紹介パネルです。『陸奥宗光(むつむねみつ:1844~1897年)』は、紀州藩の藩士の子として生まれ、明治初期に行われた版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正に大きな影響を与えました。また、カミソリ大臣と呼ばれ、伊藤博文内閣の外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るいました。土佐藩の坂本龍馬、長州藩の桂小五郎(木戸孝允)・伊藤俊輔(伊藤博文)などの志士と交友を持った人です。明治中期の第2次伊藤内閣における陸奥宗光外務大臣の外交政策は、陸奥外交と呼ばれ、多くの不平等条約の撤廃の生家を挙げました。
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奥まった場所で、斜めからの撮影になりましたが、有吉佐和子さんの紹介パネルです。有吉佐和子(1931~1983年)さんは、和歌山市出身の小説家、劇作家で演出家です。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで、広いテーマで活躍されました。代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』や『恍惚の人』です。長州人エリートを父方に、紀州の名家を母方に持つ『お嬢さま』で、幼い頃から病弱であり、学校は休みがちで、家で蔵書を乱読したようです。自らの家系をモデルとした長編が、『紀ノ川』です。代表作であり、出世作です。
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こちらも奥まった場所でしたから、斜めからの撮影になりました。高橋克己さんの紹介パネルです。高橋克己(1892~1925年)さんは、和歌山市出身の農学博士です。大正12年(1923年)、理研コンツェルンの研究員になり、『油脂よりビタミンAを抽出する方法』で、欧米各国で特許を取りました。このビオステリンの名称の栄養剤により、夜盲症に悩む多くの人々を救いました、32歳での早世でした。
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西本幸雄さんの紹介パネルです。西本幸雄(1920~2011年)さんは、和歌山市出身のプロ野球選手で、内野手、コーチ、監督、野球解説者、野球評論家を務めました。20年間の監督生活で8度のリーグ優勝を果たしながら、日本シリーズでは1度も日本一に就けず、『悲運の名将』と言われましたが、本人は否定的で、『幸運な凡将』と謙遜されていました。大毎、阪急と近鉄で優勝監督になりました。三つのチームを優勝に導いた監督は、プロ野球史上で西本、三原脩、星野仙一のみです。近鉄監督就任時の仰木彬(1935~2005年)さんの会見からのエピソードの紹介です。『私は三原さんから知を学び、西本さんから情熱を学んだ。お二人の足したような野球がやりたい』と抱負を述べています。仰木監督はイチローを育てた人としても知られますが、その原点は西本監督と三原監督にあったようです。
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