2017/12/05 - 2017/12/07
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旅人のくまさんさん
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淡路島の洲本城と、四国の勝瑞城を見学した後、この日最後となる徳島城の紹介です。江戸時代を通して徳島藩蜂須賀氏25万石の居城となりました。日本百名城の第76番に選定されています。
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徳島城に到着しました。徳島中央公園の駐車場からは、歩いての見学です。最初に紹介するのは、『徳島市民遺産(広域偏)』と題された写真パネルです。藩政時代の松並木や蜂須賀家の墓所など8箇所が写真紹介されていました。
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次の写真パネルには、『徳島市民遺産(徳島中央公園偏)』のタイトルがありました。6枚の写真と1枚の中央公園の平面図での説明でした。6枚の写真は旧徳島城表御殿庭園、徳島城の石垣や城山貝塚などの紹介でした。
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次は徳島城の略史の紹介です。戦国時代には、阿波の地は群雄が割拠し、しばしば城主が入れ替わりました。1582年(天正10年)には、土佐国の長宗我部元親が侵攻し、阿波が平定されました。長宗我部元親(1539~1599年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国の戦国大名で、長宗我部氏の第21代当主です。阿波・讃岐の三好氏、伊予の西園寺氏・河野氏らと戦い、勢力を広げました。
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褐葉の並木道光景です。左手は徳島中央公園内のバラ園です。徳島城の略史紹介の続きです。その後、織田信長の後継となった豊臣秀吉に敗れ、土佐一国に減知となりました。豊臣秀吉の四国征伐により、勲功のあった蜂須賀家政が阿波国に入りました。また、天正14年(1587年)、 戸次川の戦いで愛息・信親を亡くすと元親の生活は荒れ、家中を混乱させたままこの世を去ったとされます。
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徳島城の略史紹介の最後です。蜂須賀家政の入封当初は、徳島市西部にあった一宮城に入城しました。入封早々、現在の地に大規模な平山城を築造し、1年半後の天正14年(1586年)に完成しました。以後、江戸時代を通して徳島藩蜂須賀氏25万石の居城となり、明治維新を迎えました。
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『城山の海蝕痕』のタイトルがあった立看板です。平成8年3月28日の日付があった、徳島市教育委員会と徳島市文化財保勝会連絡協議会の連名による立札でした。『前面の岩肌に残る大小の円形のくぼみは、海の波に浸食された跡の「海蝕痕」とされます』と紹介されていました。
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『城山の海蝕痕』のタイトルがあった立看板の説明の続きです。『気候温暖化に伴う海面の上昇や陸地の沈降により、海水が内陸まで入り込んだいわゆる「海進」によるもので、大規模な海進があった6000~5000年前頃(縄文時代早~前期)には、この辺りが海であった」と解説されていました。
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『徳島市指定文化財(史蹟)・城山の貝塚』の史蹟標識があった付近の光景です。大正11年(1922年)、鳥居龍蔵博士らによって発掘調査が行われた貝塚です。鳥居龍蔵博士(1870~1953年)は、人類学者、考古学者で民族学者で民俗学者です。裕福な家庭に生まれながらも独学で学び、『人類学雑誌』の購読者となったことが縁で東京帝大の人類学教室との関係ができました。
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『城山の貝塚』のタイトルがあった説明看板です。徳島市指定文化財(史蹟)です。城山の貝塚は、4000~2300年前の縄文後期から晩期の岩陰・洞窟遺跡と紹介されていました。これは3号貝塚で、ほかに1号と2号貝塚があります。鳥居博士の紹介の続きです。在野の研究者であり、『民」の立場を貫いた学者でした。東京帝大助教授の職を捨てて、自宅に鳥居人類学研究所を設立しました。
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徳島城址の石垣の一部になるのでしょうか、その石垣のズームアップ光景です。徳島城址の石垣には、眉山の三波川変成岩(結晶片石)が使われています。岩石の種類としては、青石(緑簾石‐アクチノ閃石片岩・緑簾石‐藍閃石片岩)、紅簾片石や石英片岩が使われているようです。
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同じく、徳島城址の石垣の光景です。平城の石垣は現存するものが多く、山城の石垣はほとんどが現存するようです。山城では、三の丸跡の一部(現・城山配水池)などの石垣が失われたようです。
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『千秋閣』の庭園の前に見学した、『徳島城博物館』です。徳島中央公園内にある徳島市立の博物館です。平成4年(1992年)に 徳島城表御殿の跡地に建設され、主に徳島藩や蜂須賀家に関する歴史・美術資料を収集・展示しています。
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『徳島城博物館』の正面玄関の光景です。常設展示館は次の展示内容です。①藩政の変遷、②大名のくらしと文化、?城の構え、④城下町のくらし、⑤阿波水軍の活躍の五分野です。残念ながら、写真撮影は出来ませんでした。
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通路脇に展示されていた、『井筒(いづつ)』の紹介です。自然石をくり抜いた井筒は、井戸の地上部分と説明されていました。説明立札によれば、徳島城下八百屋町の豪商・松浦家からの寄贈品でした。
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この門を潜って、徳島中央公園内にある旧徳島城表御殿庭園の見学です。この庭園は国の名勝に指定され、『千秋閣』の名前でも呼ばれています。門柱には、『名勝・旧徳島城表御殿庭園』の表示がありました。
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イチオシ
『千秋閣』の庭園のビル街からの目隠し、あるいは借景として植え込まれたような褐葉の針葉樹の光景です。メタセコイア当たりでしょうか。6本が行儀よく並んでいました。ヒノキ科(またはスギ科)メタセコイア属の落葉樹です。イチイヒノキ(一位桧)の和名や、アケボノスギ(曙杉)の訳名を持ちます。
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『千秋閣』の枯山水の庭園光景です。昭和16年(1941年)に国の名勝に指定された、『表御殿庭園』の現在の光景です。枯山水の庭と池泉回遊式の庭園です。江戸時代初期に、武将で茶人の上田宗箇(1563~1650年)によって造られた、豪壮な石組みによる桃山様式の庭です。上田宗箇(重安)は、はじめ丹羽長秀、のちに秀吉の配下となった、武勇で知られる武将です。
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『千秋閣』の枯山水の庭園光景が続きです。中央奥に見える名物の長い石橋は、この後紹介します。上田宗箇の茶道は、はじめは千利休、ついで古田織部の門下となりました。武人としてあまりに高名であったため、茶人としての逸話はそれほどには伝えられていないようです。しかし、上田流は現在にも伝わる茶道の流派です。
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それほどには伝えられていないとされる、上田宗箇の茶人としての逸話の紹介です。大坂夏の陣の時の逸話です。一時、竹藪に隠れていた折り、美竹を見つけて茶杓を削りはじめ、あまりに無心に削っているため、敵兵がかえって怪しんで逃げたという逸話があります。『敵がくれ』と呼ばれる茶杓が、この時の茶杓とされます。現在は、上田流家元の所蔵とされます。
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元に戻って、上田宗箇の誕生の時からの略歴の紹介です。永禄6年(1563年)、尾張国愛知郡星崎(現名古屋市南区星崎)で、丹羽長秀の家臣・上田重元の子として誕生しました。10歳の時に父・重元が死去し、祖父・重氏に育てられました。元服後は丹羽氏の家臣として各地を転戦し、天正10年(1582年)6月の本能寺の変後、明智光秀への関与を疑われた津田信澄の首を挙げ、翌天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの後に越前国に1万石を与えられて大名となりました。
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庭園側から眺めた、『徳島城博物館』の建物光景です。上田宗箇の略歴紹介の続きです。豊臣秀吉によって長秀の子・丹羽長重が減封されると、秀吉の家臣となりました。天正15年(1587年)の九州平定、同18年(1590年)の小田原征伐、文禄元年(1592年)には朝鮮出兵に従軍しました。また、武功を重ねる傍ら、古田重然(織部)に茶道を学びました。
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同じく、庭園側から眺めた『徳島城博物館』の建物光景です。秀吉配下の杉原家次の娘で、秀吉の正室・寧々(高台院)の従姉妹にあたる、『とく』を正室に迎えました。文禄3年7月(1594年9月)には、豊臣姓を賜っています。しかし、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは西軍に属して敗戦しました。領地を没収され、摂津国に流遇して剃髪し、宗箇と名乗りました。
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イチオシ
『千秋閣』の枯山水の庭園名物の青石のズームアップ光景です。『阿波青石」と呼ばれ、加工しやすいことから古墳時代から利用されてきたようです。 青石の学術名は、緑泥片岩です。アルミニウム、鉄、マグネシウムの含水ケイ酸、塩鉱物を主成分とする緑泥石が、地中深くで地殻変動などによる『動力変性」を受けたものとされます。全国各地で地殻変動の顕著な場所で産出します。
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同じく、藩主が怒りの余り踏み割ったとされる青石の光景です。先程と同じ石の、反対側の光景です。上田宗箇の略歴紹介に戻ります。剃髪して宗箇と名乗った後、蜂須賀家政に強く請われ、その客将となり阿波国徳島に住みました。その時に家政の依頼で作庭したのが、徳島城表御殿庭園です。
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イチオシ
枯山水の庭園のズームアップでの紹介が続きます。石橋が架かった先に見える場所は、小島を表現しているようです。小島には、太い幹を持った松の庭木と、風流な姿の石灯篭がありました。上田宗箇の略歴紹介に戻ります。その後、姻戚であった紀州藩主・浅野幸長の家臣となることで1万石を与えられ、大御所・徳川家康の許しも得て、還俗しました。
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上田宗箇の作庭による、豪壮な石組光景が続きます。和歌山で浅野家に仕えている間に和歌山城・西の丸庭園、粉河寺庭園を作庭しています。還俗した後、大坂の陣に徳川方として出陣し、敵方の大将の1人である塙直之の首級を挙げるなど戦功を立て、二代将軍徳川秀忠と大御所・家康から激賞されたと伝わります。
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上田宗箇の作庭による、豪壮な石組のズームアップ光景です。元和5年(1619年)、浅野氏が和歌山藩から安芸広島藩に移封されると、重安は佐伯郡小方村(現大竹市小方)に1万2000石を与えられました。江戸にも滞在しましたが、国許にも出向きました。以後は、茶道と造園を趣味として生活を送りました。
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庭園内の小高い場所から見下ろした庭園光景です。右手に活けの光景が見えました。この後紹介する『心字池』です。重安は、浅野家の別邸・縮景園を作庭したほか、請われて名古屋城・二の丸庭園の作庭も担当しました。縮景園は、1945年(昭和20年)8月6日の広島市への原爆投下で、壊滅的な打撃を受けました。名古屋城・二の丸庭園は、現在は国の名勝になっています。
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同じく、庭園内の小高い場所から見下ろした庭園光景です。数々の戦功により西軍に就いた罪を許された重安は、徳川将軍家より出仕を促されましたが、断る代わりに嫡男・重秀を徳川家に出仕させました。子孫は代々相続し、上級旗本として江戸幕府に仕えました。
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同じく、庭園内の小高い場所から眺めた庭園の外の光景です。先に紹介した、『徳島市指定文化財(史蹟)・城山の貝塚』の白い史蹟標識が見えていました。
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