2017/12/05 - 2017/12/07
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旅人のくまさんさん
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1846年(弘化3年)7月の落雷により、御殿を除く大小天守など本丸の主要建造物が全焼しました。武家諸法度では天守再建は禁止されていましたが、御三家という家格により再建が許可されました。
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大手門から入場し、本丸に向かう途中の光景です。通路の脇に虎口を形成しているらしい巨大な石垣の壁がありました。縄張図を参照しますと、『一中門跡』辺りのようでした。
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全体に青みを帯びた石垣の光景です。切込み接ぎのようですから、徳川御三家時代に積まれた石垣のようです。ただし、徳川期に切り込み接ぎに使われたとされるのは、熊野産の花崗斑岩です。熊野地方は、紀伊半島の和歌山県と三重県にまたがる地域で、世界遺産にもなっている熊野信仰の聖地は、1500万年前の噴火に由来する熊野カルデラと重なり合っています。
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台座の部分に、右から読んで『伏虎』の揮毫と、その左に『昭和34年1月・和歌山市長・高垣善一書』の落款があった置物の光景です。口を真一文字に結んで、目線の高い顔付きの虎さんでした。
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『伏虎像』のタイトルがあった説明立札の光景です。少し拾い読みしますと、和歌山城が建つ山が、海上から見ると虎が付した姿に見え、お城も『虎伏山・竹垣城』と呼ばれていたことに因むと紹介されていました。銅製のため戦争で供出され、現在の像は二代目です。
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虎口のような石垣が残る場所の光景です。綺麗に加工された石材を使った、文句なしの切込み接ぎの石垣です。熊野産の花崗斑岩が使われているようでした。『東南海・南海地震予測のための地下水等総合観測点整備』で2006 年に実施された観測点のボーリング結果からの紹介です。井内浦(いちうら)観測点は、三重県南西部にある熊野市磯崎町の海岸部に位置します。花崗斑岩が露出している場所です。
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観測点のボーリングで得られたのは、地表から深度600メートルの孔底まで、ほぼ連続した熊野酸性岩体の垂直連続試料です。『コア試料の上部にみられる熊野花崗斑岩は、斑晶鉱物として斜長石、アルカリ長石、石英、斜方輝石、黒雲母を含む花崗斑岩で、角閃石があまり含まれないのが特徴』とされ、熊野花崗斑岩が地表から464.25メートルまでを占めることも報告されていました。
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自然石を利用しながら積まれた石垣の光景です。ボーリング調査の紹介の続きです。『花崗斑岩の貫入を受けた凝灰岩層にも境界からの距離に応じた変化が見られ、花崗斑岩マグマによって凝灰岩が熱変成を被った』ことが分かったのが大きな成果の一つと総括されていました。観測地点は、30~40キロの規模を持つ、陥没カルデラ構造を持つと考えられている場所です。
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同じく、自然石を利用しながら積まれた石垣の光景です。この辺りは、ほとんどが自然石でした。ボーリング調査の紹介の締め括りです。熊野花崗斑岩のネット検索から、紀伊半島の生い立ちを垣間見ることができました。引用させていただいた元資料を記してお礼に代えさせていただきます。『地質ニュース662号、「三重県熊野市の井内浦観測点掘削で得られたボーリングコア試料からみた熊野酸性岩の構造と岩石学的特徴」、2009年10月、下司信夫ほか』
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現在地は『二の丸広場』のようです。前方に天守に向かう、登り階段が見えてきました。天守は、写真の右方向になります。
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七枚の道案内が重なっていた標識の光景です。右方面の矢印が岡口門、左向きの矢印が西の丸庭園や和歌山歴史館、手前向きの矢印が、これから向かう『天守閣(表坂)』方面でした。
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小休止した後、これから向かう予定の『天守閣(表坂)』方面の光景です。傾斜を緩和するように配慮されたらしい、複数に折れ曲がった石段の坂道が見えました。天守へ向かう道ですから、勝手は厳しい防御施設が施された坂道かも知れません。
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登り始めた、『表坂』の光景です。本丸への登り口は,現在三つあります。今回登った東側の『表坂』、この南側の『新裏坂』、それに本丸御殿と天守郭の中間辺りに上がってくる北側の『裏坂』があります。
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本丸に向かう途中、階段の途中から振り返って眺めた、『二の丸広場』方面の光景です。本丸からは、北側になります。
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同じく、本丸に向かう途中、階段の途中から振り返って眺めたじぃおう内の光景です。左上に池と、中央奥に門が見えました。『岡口門』のようでした。
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眼下に見えるのは、城内に設けられた動物園のようです。『お城の敷地内にある全国でも珍しい動物園です。大正時代 の開園以来、無料で運営され、現在は、ほ乳類13 種28 点、 鳥類20 種76 点、合計33 種104 点の動物を飼育していま す(平成27 年5 月末時点)』と自己紹介されていました。
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眼下に見下ろした動物園のズームアップ光景です。馬よりはかなり小型のロバ当たりが飼われているようでした。ロバ(驢馬)は、ウマ科ウマ属ロバ亜属の馬で、馬の中では最も小型とされます。力は強く、記憶力が良いとされます。他方、コミュニケーションは淡白で、多頭曳きの馬車を引いたり、馬術のように乗り手と呼吸を合わせる作業は苦手とされます。
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表坂を上って、本丸エリヤにやって来ました。空地のような場所から眺めた、本丸の北側方面の光景です。和歌山市街光景の中に、紅白の通信鉄塔らしいものが見えました。
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一重咲の黄色い花の群生光景です。タンポポなどと同じキク科の植物には間違いないようですが、正式名は分かりませんでした。背丈は低く、花弁の数は10枚ほどで、先端が少し下垂する性質を持つようでした。白い花の『ヨメナ(嫁菜)』に花姿は似ていました。
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元々あった斜面の傾斜に合わせたのでしょうか、緩やかな傾斜で積まれた部分もあった石垣の光景です。斜面の自然石も利用された部分もあるようでした。
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『七福の庭(しちふくのにわ)』の光景です。中央奥に見える石群が七福神を表したもののようです。九つあるのは、船首と船尾を表した二個が加わっているためのようでした。七福神は、インドのヒンドゥー教の神が起源ですが、日本では、恵比須(日本)、布袋、福禄寿、寿老人(以上中国) 、大黒天、毘沙門天、弁財天(以上インド)の七神とされます。
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『七福の庭(しちふくのにわ)』のタイトルがあった、和歌山城史跡解説のパネルの光景です。七個の大きな庭石を七福神に見立てた庭であることが説明されていました。七福神が宝船に乗った姿です。
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直近の場所から見上げた大天守の光景です。和歌山城の天守閣は、三層三階の大天守閣と二層二階の小天守閣を多門櫓で結んだ連立式天守と呼ばれる様式でしたが、太平洋戦争時のアメリカ軍の和歌山大空襲で焼失してしまいました。現在の天守閣は、昭和33年(1958年)に再建されたものです。
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イチオシ
大天守の最上階付近とブロンズ製の鯱のズームアップ光景です。現在の天守は、1850年(嘉永3年)の天守再建時の大工棟梁・水島平次郎の子孫である栄三郎氏が所蔵していた天守図と、『御天守御普請覚張』を参考にして再建されたものです。
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復元には、東京工業大学名誉教授の藤岡通夫(1908~1988年)氏の指導を受けたとされます。鉄筋コンクリート構造による外観復元です。復元設計にあたり、参考にされていた文献や図には、天守群の高さが記入されていなかったため、焼失前に撮影された写真に写る他の建造物との高低比から天守群の高さが算出されました。
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連立式天守への入口の楼門の光景です。天守群の外観復元を指導された、藤岡通夫氏の紹介の続きです。日本の建築史家で東南アジア諸国の王宮や日本の城郭などを研究した人です。西南戦争で失われた熊本城や、アメリカ軍の空襲で焼失した和歌山城の外観復元のほか、小倉城、岩国城、大多喜城や中津城なども手がけました。
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イチオシ
楼門の前から眺めた大天守方面の光景です。藤岡通夫氏は、戦前にアンコールワットを訪れる等、アジア建築にも興味を持ち、アンコールクール関する著作やカトマンズ盆地に三つある王宮の調査と報告書、編著も二冊出版されています。国内の城郭では、『城と城下町』、『日本の城』、『姫路城』や『熊本城』など多数、『京都御所』や『桂離宮』の著書などもあります。
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白漆喰風の壁面と、その前にあった立札の光景です。立札には、『二の門櫓』の文字がありました。本丸の南西角に位置します。大天守は三層ですが、小天守や隅櫓は二層の造りでした。
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二層の隅櫓の『二の門櫓』の光景です。大天守の鯱の屋根飾りはブロンズ製でしたが、この隅櫓の鯱の屋根飾りは瓦製でした。
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先ほど入場した楼門を、本丸から見下ろした光景です。その両脇は多門櫓になっているようでした。
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イチオシ
『天守郭』と呼ばれているエリアの光景です。正面奥に見えているのが、唐屋根を持った天守への入場口、右端の建物が大天守です。大天守の3階部分には、望楼も見えています。
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