2017/12/05 - 2017/12/07
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旅人のくまさんさん
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大阪湾の周りの名城巡りです。3日間で9箇所巡る予定の8箇所目は、大阪府の岸和田城です。羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城され、その急ごしらえで造られていた城を、小出秀政が5重天守の本格的な構えとしました。
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和歌山城の見学を終え、次にやってきた岸和田城です。大阪府にお岸和田市の公式HPに記してあった『岸和田』の名前の由来です。『建武元年(1334年)、楠木正成の一族和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりになった』と紹介されていました。
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岸和田城のバス駐車場からの撮影が続きます。お堀越しに眺めた、石垣と建物光景です。岸和田城は、大阪府岸和田市岸城町に位置し、『千亀利城(ちきりじょう)の別名を持ちます。江戸時代には、岸和田藩の藩庁が置かれました。『二の丸跡』にある、市民道場の『心技館」の建物光景です。
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長い白塀は、『岸和田城跡』を意識した造りのようでしたが、その下は、規格品の石を斜めに積んだ、現代工法の石垣でした。
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再建された城郭ではありませんが、二の丸跡に相応しい本瓦の建物でしたから、もう少し外観を紹介をしておきます。向かって左手の甍光景です。確認はしていませんが、木造ではなく、鉄筋コンクリート造りのようです。壁は白漆喰固めのような外観でした。
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本瓦が葺かれた建物の、向かって左手の甍光景です。既に紹介したように、前身となる古岸和田城は、現在の岸和田城跡から約500メートル東(野田町1丁目周辺)に築かれました。楠木正成の命により城を築いた和田高家(にぎた・たかいえ)は、楠木正成(1294~1336年)の甥にあたります。鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将の一族です。
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本瓦葺きの甍の右端に乗せられた、鯱の屋根飾りのズームアップ光景です。その鯱が乗せられた大棟は、瓦が二十枚以上重ねられた分厚い造りでした。屋根に鯱を載せるのは、雨を降らせる力があると信じられ、火災除けの意味があるようです。
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こちらは、本瓦葺きの甍の左端に乗せられた、鯱の屋根飾りのズームアップ光景です。鯱に雌雄があるなら、こちらが雌で、先に紹介した方が雄のようでした。雄と雌では鱗の枚数をはじめ、大きさも少し違っているようです。
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『二の丸跡』に建てられた、市民道場の『心技館』の建物の破風光景です。岸和田市の公式HPには、葡萄教室一覧に、柔道、剣道、居合道と空手道が紹介されていました。
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岸和田城址に向かう途中、高台の上から眺めた岸和田市街の光景です。高層建築がない、落ち着いた雰囲気の住宅街らしい町並みでした。
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二の丸石垣の下の方にいた、アオサギさんの光景です。『夏季にユーラシア大陸中緯度地方で繁殖し、冬季になるとアフリカ大陸中部、東南アジアなどへ南下し越冬する(ウィキペディア)』と紹介されていました。
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岸和田城の遺跡は、曲輪、石垣と横堀(水堀)とされます。また、再建されたのは、復興天守、櫓と門です。この光景では、濠と石垣が以降、建物が再建されたものになるようです。
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アオサギは1羽だけでなく、6羽以上を目にしました。アオサギの生態は、『河川、湖沼、湿原、干潟、水田などに生息する。非繁殖期には単独で生活するが、本種のみで数羽が同じねぐらに集まったり、コサギなどのねぐらに混ざることもある』と紹介されていました。本丸を取り囲む石垣の南面から東面にかけての『犬走り石垣」と呼ばれる周堤帯です。
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少しだけズームアップした、同じ方向を向いていた5羽のアオサギさんの光景です。繁殖期では、『松林などに集団繁殖地(コロニー)を形成する。主に本種のみのコロニーを形成するが、同科他種のコロニーに混ざることもある。主にオスが巣材を集め、メスが樹上に木の枝を組み合わせた皿状の巣を作る。(ウィキペディア)』と紹介されていました。
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『猪伏山』の表示があった入口光景です。岸和田城は、猪伏山(いぶせやま)と呼ばれた小高い丘の上にあり、本丸と二の丸を合せた形が、機の縦糸を巻く器具『縢(ちきり)』に似ていることから蟄亀利城(ちきりじょう)と呼ばれるようになりました。後に『千亀利城』の文字が当てられました。
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イチオシ
『猪伏山』の標識があった城門の光景です。櫓門とその脇の長塀が再建されていました。岸和田城は、大坂城と和歌山城の中間地点にあり、紀州藩の監視の意味もあったようです。
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光の反射で読み難くなっていましたが、左から読んで『岸和田城』の文字が刻まれた石標の光景です。岸和田城は、日本100名城の選定対象となりましたが選に漏れ、2017年(平成29年)4月の続日本100名城の161に選定されました。
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除虫菊と同じような効果があるハーブの『ローズ・ゼラニウム』のピンクの花の光景です。名前の通り、バラに似た香りを持ちます。センテッドゼラニウム(ニオイゼラニウム)の仲間です。
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同じく、『ローズ・ゼラニウム』の花の光景です。フウロソウ科ペラルゴニウム属の植物です。 華やかなピンク色の花です。
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花壇で咲いていた花の紹介が続きます。こちらもハーブの仲間の『ロ-ズ・マリー』です。地中海沿岸地方の原産で、シソ科に属する常緑性低木です。和名がマンネンロウです。
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竹のようにまっすぐ伸びている植物が『トクサ(木賊)』、その後ろのピンク色の花が『ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)』です。左手に『ローズ・ゼラニウム』の葉が見えています。
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判読し難くなっていましたが、岸和田城のかつての縄張り図が記されていた、『岸和田城絵図』です。天守閣を中心に、三重から、場所によっては四重の堀が廻らされた堅城です。
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イチオシ
再建された、岸和田城の櫓門の光景です。再建されたのは、昭和44年(1969年)とされます。
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昭和44年(1969年)に再建された櫓門の扉のズームアップ光景です。金属が補強に使われた、鎧戸の光景でした。
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同じく、櫓門の天井部のズームアップ光景です。柱が二本、金時億バンドで結束されていましたが、太い柱材が入手できなかった理由のように思えました。節のない柱や板も再建櫓門ならではの資材のようです。
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櫓門上階のズームアップ光景です。格子窓は見張りや攻め手に対する攻撃のためのようです。古い櫓門には、二階の床に槍での攻撃ができるような工夫もされているものがありました。
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最上部に横書きで『岸和田城址碑』の題字があった石碑の光景です。大正6年(1917年)1月に建立された、『謹按建武中興楠公正成為和泉河内両國守護使族和田高家城于和泉岸村岸和田之稱始於是時云』で始まる漢文の石碑です。
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櫓門を潜った先の城内の光景です。守りのための虎口が形成されていた場所のようでした。正面に石垣があるのも、敵兵を直進させないための目的のようです。
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無造作に展示してあった、『甑(こしき)用巨釜』の光景です。『甑(こしき)』は、古代中国を発祥とする、米などを蒸すための土器が始まりとされます。この展示品は、金属製の甑のようです。
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『甑(こしき)用巨釜』のタイトルがあった説明文です。酒造用に使われていたもので、外形が180センチ、直径が150センチ、深さが15センチ、容量が1800リットル(10石)と紹介してありました。石(こく)は、尺貫法における体積(容量)の単位の一つです、米の1石は下位単位では10斗にあたり、同じく100升、1,000合に相当します。1食1合として、1石が1年間の一人のお米の消費量にも相当します。
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『岡部氏記念碑』の文字が刻まれていた石標の光景です。岡部宣勝(1597~1668年)は、大垣藩主・播磨国竜野(兵庫県竜野市)、摂津国高槻(高槻市)藩主を経て、寛永17年(1640年)に6万石で岸和田藩主となりました。以後、明治4年(1871年)の廃藩置県によって東京に移住するまで13代、約230年に亘って岡部氏が岸和田藩を治めました。
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