2017/12/05 - 2017/12/07
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旅人のくまさんさん
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遺構として石垣、堀をはじめ、公園内には岡口門と土塀、追廻門が現存しています。中でも岡口門と土塀は国の重要文化財に指定されています。また、大小天守群と櫓・門、大手門と一之橋が復元されています。
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御台所から多門にかけて展示してあった『和歌山市の偉人・先人』のパネル紹介の続きです。『嶋清一(1920~1945年)』は、和歌山県出身の野球選手(投手)です。高校野球史に全5試合完封・2試合連続ノーヒットノーランの記録を打ち立て、『伝説の大投手』として名を残しましたが、太平洋戦争開戦に伴う学徒出陣で召集され戦死しました。
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撮影時間の都合で、後は二枚纏めての紹介です。左は『山田猪三郎(1863~1913年)』、山田式飛行船の発明者で、航空機業界に大きな業績を残しました。右は『山田虎楠(1851~1916年)』、その名を冠した『ヤマハオルガン』の開発者です。ピアノの国産化も行いました。
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左のパネルは『古武弥四郎(こたけ・やしろう:1879~1968年)』、岡山県出身の生化学、医化学者で、1942年(昭和17年)に和歌山高等医学専門学校初代校長、1948年(昭和23年)に和歌山県立医科大学初代学長に就任しています。アミノ酸、特にトリプトファンの中間代謝の研究で知られる学者です。右は、『国部ヤスエ(1890~1979年)』、戦前、戦後を通じて献身的な看護活動をされた人です。
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最後のパネルの祖愉快です。左は『松下幸之助(1894~1989年)』、経営の神様と称される人です。教育、文化、体育、社会福祉など、多方面での貢献があり、若山名誉市民に選ばれました。右のパネルは『由良浅次郎(1878~1964年)』、和歌山市の紀州ネル染色創業者『日高屋』由良儀兵衛の五男として生まれました。和歌山県の染料工業の発展に寄与した人です。
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小天守から乾櫓方面に伸びる『多門』の室内での展示状況です。ガラスケースや額縁の中に写真や説明パネルなどが掲示してありました。
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『多門』の室内で展示してあった遺物の紹介です。写真撮影した文字が読み取れませんでしたから、遺物の概略の紹介です。全レルは左から、柱片、礎石と矢跡が付いた石片です。奥は、四辺に割れた石製らしい容器です。
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前列左は、『鬼瓦(青い門)』、前列右は、文様が入った石標のようです。文字などは読み取れませんでした。後列左が、『大天守礎石』右も同じく『大天守礎石』です。
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多門の展示物の見学を終え、天守郭の中庭に戻って来ました。その中庭の中の桜の古木の光景です。
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楠門とも呼ばれる『天守二の門』の前から眺めた多門櫓と大天守の光景です。西北側の光景になります。
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天守郭の石垣光景です。通常は天守台と呼ばれています。上部の方の石積は新しくなっていましたが、その株は、徳川御三家が入る前の野面積の石垣のままのようでした。
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振り返って眺めた、天主郭への登りの石段光景です。登った先にあるのが、楠門とも呼ばれる『天守二の門』です。この場所の守りの中心が『二の門櫓』になるようです。二の門櫓は、天主郭の西南角に位置します。
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『史跡和歌山城』のタイトルがあったまだ新しい説明看板の光景です。同じような看板は、別の箇所でも目にしました。この看板には、現在位置が、天守郭の入口下に記されていました。
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同じ場所にあった、別の説明看板の光景です。こちらは『天守郭(ぐるわ)と天守閣』のタイトルがあった、和歌山城史跡解説です。『天守郭(ぐるわ)』の呼び名は、元和5年(1619年)、徳川御三家の初代藩主の徳川頼宣(よりのぶ:1602~1672年)公の時代からと説明されていました。徳川家康の十男の頼宣公は、8代将軍徳川吉宗の祖父にあたる人です。
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イチオシ
大天守1階の南東角付近のズームアップ光景です。周りを白漆喰で固めたデザインの石落しがありました。このデザインも江戸時代に残された図面が参照されたもののようでした。
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更にズームアップした、周りを白漆喰で固めたデザインの石落しの光景です。周りの小窓や格子窓も一体となった防御施設のようでした。
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虎口を形成していた石垣のようです。『天守郭』を北側に下りる途中にあった石垣です。裏坂登り口の途中になります。切込み接ぎの石垣でした。
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低い屋根で覆われた、『銀名水』の光景です。その傍らに説明立札がありました。『金名水』や『銀名水』の呼び名は、多くの城で用いられているようです。籠城時には、何にもまして重要な水の役割があります。
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『銀名水』のタイトルがあった、説明立札の光景です。北側にある『金明水』とともに、日曜に使用されたほか、籠城時の非常用水であることが説明されていました。この二つの井戸を含め40箇所ほどの井戸があるようです。
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『銀名水』を過ぎた右手にあった石段の光景です。この石段は通りませんでした。本丸から二の丸に向かうつ中の光景になります。推測になりますが、本丸跡の給水施設がある方面への石段のようでした。
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本丸から二の丸に向かう途中の光景になります。この当たりの下り坂は、まだ本丸エリアのようでした。緩やかな下りの通路脇に、石垣とその上の笹が生えた土手の光景が続きました。
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本丸から二の丸に向かう途中の光景が続きます。通路脇の石垣のズームアップ光景です。野面積と打込み接ぎを折衷したような積み方のようにも見えましたが、どちらかと言えば野面積です。この辺りでは上部の石垣が積み直されているようでした。
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江戸時代に築造された石垣でしょうか、綺麗な算木積のコーナーを持った切込み接ぎの石垣光景です。江戸時代の元和5年(1619年)以降に積まれた石垣のようです。その時の石材は、熊野の『花崗斑岩』が使われています。『花崗斑岩』は、花崗岩と同じ化学成分の岩石で、長石、石英、雲母などが比較的大きな斑晶を示す岩石です。
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同じく、江戸時代に築造された石垣でしょうか、綺麗な算木積のコーナーを持った切込み接ぎの石垣と、その間にあった石垣の光景です。江戸時代に熊野の『花崗斑岩』が使われる前には、和歌山城の石垣には、『緑色片岩』が使われていました。
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『緑色片岩』の欠点になるのでしょうか、半ば押し潰されて、前部が剥落してしまった石材のズームアップ光景です。『緑色片岩』の基になるのは、主に塩基性(SiO2含有量(重量%)が50%程度)や、苦鉄質の火成岩(玄武岩や火山砕屑岩など)、凝灰岩や、珪質堆積岩とされます。このほかにも、泥岩や砂岩からできたものも確認されています。
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振り返って眺めた、なだらかな登り坂の光景です。『緑色片岩』の説明の続きです。先ほど紹介した源岩が、比較的低温・低圧の環境下で広域変成作用により生成されたものが『緑色片岩』です。一般的には、その温度は摂氏200℃ないし300℃から450℃、圧力が2キロバールから10キロバールとされています。変成度が低く、緑泥石の割合が高い場合は『緑泥片岩』とも呼ばれます。
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イチオシ
武者走りのような、内側からは低い石垣と、その石垣に登る石段の光景です。石段には、木の根が張り付いていました。『緑色片岩』の説明の続きです。広域変成作用によって再結晶作用が進み、鱗状や板状に結晶が配列して片理と呼ばれる面状構造となります。この変成作用があまり進まない場合には、『緑色岩』と呼ぶこともあるようです。
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同じく、武者走りのような石垣と石段の光景です。『緑色片岩』の説明の締め括りです。広域での変成作用が進行しますと、緑閃石や藍閃石、ローソン石を含むようになります。これは『青色片岩』と呼ばれますが、しばしば『緑色片岩』に含めて呼ばれるようです。
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偶然目にした光景ですが、名所の一つになるようです。石垣の間から顔を出して、その下に潜り込んだ姿が、石垣を登ろうとする人の姿そっくりでした。残念ながら、写真のピントは外れてしまいました。
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イチオシ
虎口らしい場所の光景です。この場所から、中央奥に大天守が見えていました。確認はできませんでしたが、二の丸と本丸の間の虎口のようでした。
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虎口の石垣のズームアップ光景です。打込み接ぎの石垣でした。日当たりがあまりよく無い場所でしょうか、石垣には苔類が目立ちました。
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