2014/05/09 - 2014/05/23
26位(同エリア243件中)
jijidarumaさん
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ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
期間:2014年05月09日~23日 15日間)
参考:
≪ドイツの春:北方二州を巡る旅に出る≫
http://4travel.jp/travelogue/10883955
05月19日(月) 212km、朝方は曇り空、ヒルデスハイムからは晴れ、13.5~22℃
起床6:30、朝食8:00~8:30、散策、レッツリンゲン城博物館見学9:00~9:40、Letzlingen出発10:00 =>B71・B245・A2 (Helmstedt)・A2 (Peine)=>B444・B494 147km Hildesheimヒルデスハイムの世界遺産見学 12:00~15:00 =>B1・B3 16km Pattensen・ Schloss Marienburgマリエンブルグ城博物館見学 15:22~16:50 =>B3・B1(Hameln)・B1・L? 49km Aerzenアエルツェン ・Schlosshotel Muenchhausen古城ホテル ミュンヒハウゼン17:55着。
写真はヒルデスハイムのSt.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
イチオシ
*Kavaliershausキャバリエハウスでの朝食後、城の周辺の散策、格好の良いレッツリンゲン城や村の教会をまたカメラに写した。
写真はレッツリンゲン城の正面 -
写真は水堀に囲まれたレッツリンゲン城の右手
-
写真はレッツリンゲン城の右手・・・レセプションや朝食の間があるKavaliershausキャバリエハウスにはこの橋を渡る。
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写真はレッツリンゲン城の右手・・・テラスから昨夜の宿泊塔が見える
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写真はKavaliershausキャバリエハウスでの朝食
-
レッツリンゲン城内に住んでいると言うレセプションの女性も話し好きで、こちらが日本人ということもあってか、カメラのニコンの良さを褒めてくれた。
自分のパソコン画像・・勿論、ニコンで撮った自慢の写真・・を見せてくれました。
なかなかチェックアウトができず、ちょっぴり慌てたものです。
写真はKavaliershausキャバリエハウスでの朝食 -
写真はレッツリンゲン城の左に教会が見える
-
写真はレッツリンゲン城の橋の上で:荷物の引き取りに
-
<レッツリンゲン城博物館見学>
9:00~9:40 TipをEuro5+2=7
博物館は月曜日が休日であった。
本館を覗くと、偶々、事務の女性、掃除のおばさんがいて、頼み込む。
遠い日本からのお客ということなのだろう、“例外”でということで、
OKをもらった。
レッツリンゲン城の歴史、墓碑の展示が
、
写真はレッツリンゲン城の博物館 -
武器、城主の人物画、狩猟の道具、獲物の猪の剥製、鹿の角の展示
写真はレッツリンゲン城の博物館 -
写真はレッツリンゲン城の博物館・・・向こう側に銃器が見える
-
写真はレッツリンゲン城の博物館・・・さすがに狩りの城だけあって狩りの獲物の剥製が、これは大きなイノシシでした。
-
写真はレッツリンゲン城の博物館・・・鹿の角の展示
-
生々しい感じがしたのは病院時代の写真でした。
写真はレッツリンゲン城の博物館・・・野戦病院時代 -
そして第二次大戦後のコルビッツ・レッツリンガー・ハイデにおける旧東独軍の軍事演習の様子もピリピリした感じが
写真はレッツリンゲン城の博物館 -
またワルシャワ条約機構(ワルシャワ同盟軍:
旧東独、ソ連、ポーランド、チェコ、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア)の25周年を記念し、旧東独軍のホフマン大将の指揮により4万人の兵士が参加した合同軍事演習(1980年9月2日~9日)がレッツリンガー・ハイデにおいて実施された写真など、
冷戦下の東西陣営の緊張を思い起こすものがありました。
写真はレッツリンゲン城の博物館 -
レッツリンゲン城を出発(10:00)し、B71・B245を南下し、EilslebenでA2に乗る。55kmでHelmstedtヘルムシュテットの町を通過した。
アウトバーンA2を走ると、記憶にある検問所跡が見える。ここにかつての旧東西ドイツの国境線があり、西から東に入る際の最も厳しい東独側の検問所があった。
駐在中に車でベルリン旅行に行き、東側に入るために、ここの検問を受けた。
車のトランクから車の下まで1時間ほど検査されて、緊張しました。
参考;Helmstedtヘルムシュテット:
http://www.stadt-helmstedt.de/
ブラウンシュヴァイクから東に36km、マグデブルクから西に46km、かつての旧東西ドイツの国境線にあり、西から東に入る際の最も厳しい東独側の検問所があった。
今は当時の検問所跡があり、博物館や監視塔、検査設備などを見ることが出来る。
人口は22千人で、16~7世紀の400以上の木組みの家がある。
かつてハンザ同盟都市でもあった。
2014年11月9日には1989年の東西の壁崩壊25周年記念祭が行われる。
写真はHelmstedt-Grenzdenkmalヘルムシュテットの国境線だった記念碑はこんな形をしているとか。 -
レッツリンゲン城から一気にではなく、途中のKoe-Uhryでトイレタイムを取り、Hildesheimヒルデスハイムに向かった。
距離147km、およそ2時間を走った(12:00)。
ヒルデスハイム観光は2度目。旧市街近くのKlanerhagenクラナーハーゲンという駐車場(Euro3.5)に車を入れて、観光に出かけた。
写真はドイツ世界遺産地図:ヒルデスハイムも入っています(赤印)。 -
写真はWappen_Hildesheimヒルデスハイムの紋章
-
<Hildesheimヒルデスハイム観光>
12:00~15:00
http://www.hildesheim.de/index.php
2005年4月26日に初めて訪れた。ツェレのお気に入りのHotel Fuerstenhof Celle古城ホテル フュルステンホフに2泊し、ここからブラウンシュヴァイク、ヒルデスハイムの二都市を巡る小旅行をしたのである。
日本の観光本では出てこない世界遺産の町でもあったヒルデスハイムは見所も多く、今年の旅でももう一度行ってみたいと、行程に入れることにした。
写真はヒルデスハイムの17世紀の図 -
<ヒルデスハイムの歴史>
ヒルデスハイムは古くから東西を結ぶ重要な通商路の交差点であったことで繁栄し、その歴史は1000年以上前にさかのぼる。
815年、ヒルデスハイムに司教座が置かれた(参照:千年のバラの伝説)。
1249年には都市権を獲得。
1367年にはハンザ同盟に加盟した。
第二次世界大戦の空襲(1945年末期)で町が焼かれた際に、世界遺産の歴史的建造物を含む町の多くが破壊された。旧市街の木組の家が1500程あったがその内、200のみが残った。
戦後数年の間に、人々の驚異的な努力で、二つの世界遺産は元のように復元され、現在までに木組の家の多くが再建され、かつての中世風の町並みも再現されている。
写真はヒルデスハイム1729年の図 -
イチオシ
≪伝説・Huckup (Hock-auf背負う) Denkmalフックウプの記念碑≫
12:14
1905年に建てられたドレスデンの彫刻家Carl Roederカール・レーダーの作品フックウプの記念碑が、歩行者天国の南端、Schuhstrasseシュー通りとホーヘル小路の角にある。2005年4月の旅では気付かなかったのだが・・・。
いたずら好きの小人(妖精)が悪い人を懲らしめる伝説(別紙参照)の主人公なのだ。
≪伝説:フックウプ(ヒルデスハイム)Die Sage:Huckup(Hildesheim)≫
http://4travel.jp/travelogue/10969377
写真はヒルデスハイムのフックウプの記念碑 -
フックウプの記念碑側に旧市街を回る案内板があったのだが、実際に歩くとなると、遠回りをしてしまった。最初に行きたかったのはドームです。
写真はヒルデスハイムの案内版ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会 寺院・教会
-
ヒルデスハイムは世界遺産【1985年登録】の町である。人口10万人。
州都Hannoverハノーファーから、南に30kmのヒルデスハイムは世界遺産のDom聖マリア大聖堂(872年創建、キリストの円柱、十字路回廊、千年のバラ)とSt.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会(1010年建設、エッサイの樹)で有名だ。
とはいえ、駐在中の1970年代のAral観光本には掲載されているが、日本の観光本には載っていない。
2003年の“地球の歩き方”にも無い。1985年には世界遺産の町になっていたにも拘わらず。これほど魅力的な町なのだが、今もツアーの対象にはなっていないだろう。
写真はヒルデスハイムの2005.4.26.マリア大聖堂・前景 -
≪Dom聖マリア大聖堂世界遺産【1985年登録】≫
12:30~12:50 入場料Euro1。
http://www.dom-hildesheim.de/
何故、入場料が安いのかと思ったが、大聖堂内に入って分かった。
大改装中でほとんど見るべき場所がない所為なのだ。
ただ、さすがに“千年のバラ”のある礼拝堂の周辺は一応見ることができた。
写真はヒルデスハイム:大改装中のマリア大聖堂・内庭にある千年のバラの木 -
イチオシ
この日はこの為に来たのだが、残念ながら、白いピンクのバラは数も少なく、しょぼくれた様子で咲いていました。
それでもイヌバラの花を接写してみると、やはり美しい。
写真はヒルデスハイム:大改装中のマリア大聖堂・内庭にある千年のバラも辛うじて花を咲かせていた -
写真はヒルデスハイムの2005.4.26.の頃はマリア大聖堂・内庭にある千年のバラはまだ咲いていませんでした。
-
写真はヒルデスハイム:聖マリア大聖堂・ルートヴィヒ敬虔王の “1000‐Jaerige Rose1000年のバラ” 伝説に出てくる野バラ(イヌバラ)はこんな感じでしょうか。
-
カール大帝の第3子、Ludwig Iルートヴィヒ1世・敬虔王(仏語ではLouis Iルイ1世)が聖マリア礼拝堂を9世紀に建てたもので、11~14世紀に渡り、ロマネスク、ゴシック様式での建物が加わり、今は聖マリア大聖堂としてたいへん壮大なものになっている。
写真はヒルデスハイム:千年のバラ伝説に登場するLudwik_I_敬虔王 -
<“1000-jaehrige Rose;千年のバラの伝説”>
聖マリア大聖堂の中庭にある礼拝堂の外壁に沿って伸びるイヌバラ(野バラ)の木を見にいきました。戦争で焼かれたにもかかわらず、新しい芽を吹き出し、今の様に大きく成長したのを、人はこれを“奇蹟”と呼んだと云う。
その伝説とはグリム伝説集に載っている。
『敬虔なキリスト教徒であった、ルートヴィヒ敬虔王が、司教座を置く土地を探していた時、何時も首にかけていた十字架を落としてしまい、家来に探させましたが、見つかりません。
王はもし見つかったら、そこに礼拝堂を建てて、神に感謝しようと心に誓っておりました。
家来達が雪の森を捜し歩いていると、時ならぬ緑の草地と野バラの茂みが見えました。王の十字架はそのバラの枝にかかっていたのです。
王はこれこそ、神の啓示と思い、その地に礼拝堂を建て、聖壇がバラの茂みの所になるように、命じました。
バラは大切に育てられ、今では礼拝堂の丸天井まで、伸びて花を咲かせるそうです。』と。
千年のバラは5月中旬、白いピンクの花を咲かせる。
写真はヒルデスハイム:聖マリア大聖堂の創建と千年のバラ伝説を描いた絵・1652年・・・中央右にバラの花がみえる。 -
写真はヒルデスハイム:大改装中のマリア大聖堂・内庭
-
(お茶)El.Puente Weltcafe ヴェルトカフェ
13:00~13:25 Euro10(1,322円)
D-31134 Hildesheim 、Langer Hagen 36
1時間の歩き疲れと少しお腹も空いていたので、まだ清掃していたカフェに入れてもらった。
お祖父さん、母親の家族経営の店で、9歳の女の子が掃除を手伝い、お店のテーブルで勉強をしていました。チップを多めのEuro2を付けました。
写真はヒルデスハイム:お勉強中のお嬢ちゃん・・・撮った写真は日本人旅行者よりとして、クリスマス時期に店宛てに送りました。 -
写真はヒルデスハイム:ヴェルトカフェで
右がBienenstichビーネンシュティッヒ(「蜂の一刺し」という名前のドイツのケーキ、アーモンドとキャラメルの香ばしい甘さと、ドイツ風 バタークリー ムのリッチな味わい。)、左にアップルトルテ、それにコーヒー。
これでEuro8ですから安いですね。 -
写真はヒルデスハイム:中央建物の右端のヴェルトカフェを小高いミヒャエルスの丘から撮りました。そうそうこの写真も一緒に送ったのです。
-
イチオシ
≪St.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会世界遺産【1985年登録】≫
13:30~13:50
http://www.michaelis-gemeinde.de/
聖ミヒャエルス教会は旧市街の左手上の小高いミヒャエルスの丘にある。カフェのある教会下の広場から見ると実に美しい眺めです。
目の前のなだらかな斜面を登り、きれいに改装された教会から振り返ってみる景観もまた良し。
教会の基になるベネディクト派修道院は996年にBernward von Hildesheimベルンヴァート司祭(ザクセンの騎士であった。後に聖人に列す)により創立され、皇帝Otto IIIオットー3世の支援を受け、1022年に教会が完成する。
聖ミヒャエルス教会は1542年にプロテスタントとなるが、面白いことにベルンヴァート司祭が埋葬された地下の教会聖堂クリプタはいまだにカトリックを維持し、同じ教会内で新旧両派が併存していることだ。
こうした珍しい例をドイツワイン街道の町でも見たが、ドイツ国内ではその数が64を数えるという。
第二次大戦の爆撃で全焼した教会は1960年に再建されている。
幸いにも1943年には天井画、天使の柵も避難させていたため、生き残ったわけです。
写真はヒルデスハイム:St.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会(1010年建設、エッサイの樹) -
教会内にある見所は、教会の中央天井に見える、
12世紀半ばに改装された際にも残された1300枚の木の板に描かれた天井画“エッサイの木”(13世紀)です。
それはイスラエル王ダビデの父、エッサイからイエス・キリストまでの系譜を樹木で表現したもので大変見事な色彩で描かれたもの。
東の祭壇にはキリストの磔像(2008年)があり、西の奥のマリアの聖壇(後期ゴシック、1520年頃)は天使の柵(1200年ごろ)の横を上がると見ることができる。
写真はヒルデスハイム:聖ミヒャエルス教会のエッサイの樹 -
写真はヒルデスハイム:聖ミヒャエルス教会のエッサイの樹
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写真はヒルデスハイム:聖ミヒャエルス教会のエッサイの樹
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写真はヒルデスハイム:聖ミヒャエルス教会のエッサイの樹
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写真はヒルデスハイム:聖ミヒャエルス教会・東の祭壇のキリストの磔像(2008年)
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その階段を上った平場にベルンヴァート司祭の若い頃をイメージした像(14世紀)が大理石版の上に横たわって置かれていた。
ザーレ川沿いに中世より発展した町ナウムブルクの大聖堂(13~4世紀)に寄進者の等身大の石像彫刻(12体)があり、“Naumburger Meisterナウムブルクのマイスター”達が創った作品群とされていますが、ベルンヴァート司祭の石像の色合い、顔の表現はナウムブルクのマイスターが作ったと思うほど似ていました。
写真は聖ミヒャエルス教会:ベルンヴァート司祭の若い頃をイメージした像(全身) -
写真は聖ミヒャエルス教会:ベルンヴァート司祭の若い頃をイメージした像(上半身)
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マリアの聖壇の右手にBothmerボースマー家の立派な墓碑(1625年)がある。その横の階段を降りた地下聖堂クリプタにはベルンヴァート司祭の棺が置かれていた。
写真はヒルデスハイム:聖ミヒャエルス教会の地下聖堂クリプタ -
その石棺は当時の質素なままで、石棺の蓋には“炎の中の9人の天使”が彫刻されているそうですが、地下の暗闇の中で照明が光って良く見えなかった。
写真はヒルデスハイム:聖ミヒャエルス教会のベルンヴァート司祭の棺 -
1999年製と新しいパイプオルガンの演奏練習に熱心な学生が一人、荘厳な調べです。
写真は聖ミヒャエルス教会のパイプオルガンと演奏者 -
写真はヒルデスハイム:街角のお店で・・・何処か見たような顔が
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≪マルクト広場と木組みの建造物≫
14:00~~14:20
町の中心はマルクト広場にあり、周辺には市庁舎(1268~1290年)、Rolandbrunnen 騎士ローラントの泉(1540年)、
出窓の美しいTempelhausテンペルハウス(14世紀)、壁面が極彩色の細密な模様に描かれているルネサンス様式のWedekindhausヴェデキントの家(1598年)、Rolandhausローラントの家(14世紀)・・・今、税務署、貯蓄銀行の店、
最も素晴しい食肉・製パン協同組合Knochenhauer-Amtshausクノッヒェンハウワーアムツハウスの高さは29m、ルネッサンス様式のギルドハウス(1529年)und Baeckeramtshausベッカーアムツハウス(1800年) がある。
その他にもStadtschaenkeシュタットシャンケ(酒屋)とロココハウス、Wollenweber-Gildehausヴォーレンヴェバー・ギルデハウスなどの木組みの家があります。
戦後の瓦礫の中から、マルクト広場は1984年~1990年にかけて再建され、中世の雰囲気を持った建物をよくこれまでに復興させたものと思う。ドイツ人に脱帽です。
写真はヒルデスハイム:マルクト広場の市庁舎マルクト広場 (ヒルデスハイム) 広場・公園
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写真はヒルデスハイム:マルクト広場の市庁舎(1268~1290年)、Rolandbrunnen 騎士ローラントの泉(1540年)
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イチオシ
最も素晴しい食肉・製パン協同組合Knochenhauer-Amtshausクノッヒェンハウワーアムツハウスの高さは29m、ルネッサンス様式のギルドハウス(1529年) がある。
写真はヒルデスハイム:マルクト広場の木組みの家・食肉・製パン協同組合の家 -
天気の良い日は写真の映りも良く、木組みの建造物の色合いも良く撮れた。
面白いことに食肉・製パン協同組合の建物の右の側面は現代風の絵が描かれていた。前回の時には気が付かなかったのだが・・・。
写真はヒルデスハイム:マルクト広場の木組みの家・食肉・製パン協同組合の家 -
写真はヒルデスハイム:マルクト広場の木組みの家・食肉・製パン協同組合の家
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写真はヒルデスハイム:マルクト広場2005.4.26.Hildesheim:広場の木組みの家・食肉・製パン協同組合の家
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写真はヒルデスハイム:マルクト広場の建物群
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写真はヒルデスハイム:マルクト広場の建物群・Baeckeramtshausベッカーアムツハウス(1800年)
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写真はヒルデスハイム:マルクト広場周辺を囲む木組みの家
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写真はヒルデスハイム:マルクト広場Rolandbrunnen 騎士ローラントの泉(1540年)と周辺を囲む木組みの家
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写真はヒルデスハイム:マルクト広場の建物群・出窓の美しいTempelhausテンペルハウス(14世紀)、
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写真はヒルデスハイム:マルクト広場の建物群・壁面が極彩色の細密な模様に描かれているルネサンス様式のWedekindhausヴェデキントの家(1598年)、Rolandhausローラントの家(14世紀)・・・今、税務署、貯蓄銀行の店、
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写真はヒルデスハイム:マルクト広場の建物群
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写真はヒルデスハイム:マルクト広場の建物群
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写真はヒルデスハイム:マルクト広場の建物群
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参考;Oskar Schindlerオスカー・シンドラー
ホロコーストに関する映画の代表的作品である『シンドラーのリスト』(1993年米映画)の主人公Oskar Schindlerオスカー・シンドラーはナチ政権下のドイツでユダヤ人1200人を救ったとして知られているが、1974年、ヒルデスハイムで亡くなった。
但し、彼の墓は彼自身の希望により、エルサレムのローマ・カトリックの教会墓地にある。
尚、日本の外交官・杉原 千畝(すぎはら ちうね:リトアニアのカウナス領事館勤務)は1940年、避難民だったユダヤ人たち6,000人の通過ビザ『命のビザ』を発行して救い、“日本のシンドラー”と呼ばれている。
むしろシンドラーの方が“ドイツの杉原 千畝”と呼ばれるべきだろう。
写真はヒルデスハイム:マルクト広場の建物群 -
写真はヒルデスハイム:マルクト広場の市庁舎と泉
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駐車場に帰る道すがら、2軒の店で孫たちのお土産を買う。
ヒルデスハイムのH&M:
孫娘たちのJeansジーンズのズボン2本・・・Euro19.9(2,818円)
HildesheimヒルデスハイムのD’Agama:
一番上の孫娘に少々上等なイタリア製ブラウス・・・元値はEuro80でしたが、Euro30(3,967円)
写真はヒルデスハイム:市街 -
前述したように世界遺産の町Hildesheimヒルデスハイムに伝説・Huckup (Hock-auf背負う) Denkmalフックウプの記念碑があります。
ドイツのいたずら好きの小人(妖精)が悪い人を懲らしめる民話ですが、小人(妖精)の話を読んでいたら、グリム童話Rumpelstilzchenルンペルシュティルツヒェンの話が出てきた。
こちらはおまけです。
≪もう一つの小人(妖精)の話:ルンペルシュティルツヒェン≫
http://4travel.jp/travelogue/10970916
写真はグリム童話Rumpelstilzchenルンペルシュティルツヒェン -
写真はヒルデスハイム:写真はルンペルシュティルツヒェンの旧東独の切手シリーズ
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また、「悪魔(鬼)の名前当て」というモチーフは、日本の『だいくとおにろく』とも同じだ。
写真は絵本・大工と鬼六
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この旅行記へのコメント (2)
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- rinnmamaさん 2016/11/17 11:24:30
- 素敵な木組みの建物ですね!
- jijidarumaさん、こんにちは
中々、書き込みができませんが、素敵な木組み・ギルドハウスです。
最近、ドイツの治安も取りだたされていますが、このような地域なら大丈夫そうですね!
ヒルデハイム・・覚えておきます。見てみたいです^^
そして、最後の切手も面白くていいですね。
日本とも違う色合いで楽しい・・・
私も一時期、日本の切手を集めていて、綺麗な色彩・構図などを見て楽しんでいました。
特に日本画家シリーズはシート買いしました。。
そして、途中のイヌバラ・・
実家の横に防火用水があり、父が子供が落ちると大変という事で、周りにイヌバラを植えました。
ピンクの花でしたがjijidarumaさんのお写真で懐かしく思い出しました。
有難うございます。
今年は秋が短く一気に冬の装いですね。
季節の変わり目は体調管理も大変です。お気をつけて下さいませ。
rinnmama
- jijidarumaさん からの返信 2016/11/17 12:51:39
- 素敵な木組みの建物ですね!
- rinnmamaさん
こんにちは。
ご投票とコメントありがとうございました。当方も時間を見ながら、
皆さんの旅行記を拝見している所です。
ドイツの田舎巡りは大丈夫です。ヒルデスハイム、天気に恵まれて
良かったです。この町は意外にまだまだ日本で知られていないですね。
ドイツ北部はベルリン、ドレスデンが中心で、この北方2州は観光面では
未開拓地域のようです。
“木組みの家並み街道”という観光街道があり、ヒルデスハイムは
入っていないのですから、ドイツにはここ以上の町がたくさんあると
いう事でしょう
残念だったのは大聖堂、大改修中で伝説のバラも可哀そうでした。
それでもけなげなピンクのバラにお目にかかり、ホッとしたものです。
ルンペルシュティルツヒェンの旧東独の切手シリーズ、確かに面白くて、
楽しいですね。グリム童話シリーズはいろいろあって、コレクションにも
あります。切手のコレクションも孫たちにと思って大事にしています。
今日はいやに暖かく、窓を開け放しにしてPCに向かっています。
ドイツの秋から帰って、自分用の旅行記に取り掛かりましたが、
漸く昨日で5日目に入りました。慣れ親しんだ地域ながら、
10年ぶりの場所もあり、懐かしくいろいろと書き込みが増えています。
まだ3分の2が残り、完了も忙しい12月になってしまいそうです。
それではまた、お元気でお過ごしください。
jijidaruma
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旅行記グループ 2014年ドイツの春・北方二州を巡る
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