2014/05/09 - 2014/05/23
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ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
期間:2014年05月09日~23日 15日間)
参考:
≪ドイツの春:北方二州を巡る旅に出る≫
http://4travel.jp/travelogue/10883955
05月19日(月) 212km、朝方は曇り空、ヒルデスハイムからは晴れ、13.5~22℃
ヒルデスハイム15:00 =>B1・B3 16km Pattensen・ Schloss Marienburgマリエンブルグ城博物館見学 15:22~16:50 =>B3・B1(Hameln)・B1・L? 49km Aerzenアエルツェン ・Schlosshotel Muenchhausen古城ホテル ミュンヒハウゼン17:55着。
写真はマリエンブルグ城
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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*クラナーハーゲン駐車場を15:00に出て、南に16km走る。20005年に訪れたが閉館中で、入る事が出来なかったから、次はリベンジである Pattensenパッテンゼン・ Schloss Marienburgマリエンブルグ城博物館に行く(15:22)。
写真はKoenigsreich Hannoverハノーファー王国の支配図 -
イチオシ
写真はマリエンブルク城を撮る。
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写真は2005年4月27日のアルバムから:Celleツエレからマリエンブルク城に出かけたが、閉館中!!
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前回、2005年4月27日(水)にマリエンブルグ城を訪ねたが、観光客が誰もいないので、作業中の人に聞いてみると現在は閉館中であるとの事でした。
この時はガックリして、ハーメルンを目指すといった経緯があったのです。
今日はリベンジですが、最初から出鼻をくじかれ、30分程待つことになった。
写真はマリエンブルク城の城門 -
しかもこの城は撮影禁止なのだ。
従って、旅の記念は数枚のお城の外観だけになった。
“Der Weg zur Krone(The Path to the Crown)王冠への道”といっても、以下やハノーファーで後述した事、つまり1714年に始まるHanoverian Dynastyハノーファー王朝、その時から数えて今年で300年という記念の年を迎えて、英国とハノーファー王家の親密な関係を特別展で説明したものでした。
写真はマリエンブルク城内 -
写真はマリエンブルク城の天守閣
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写真はマリエンブルク城・レストラン
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≪Schloss Marienburg an der Leineマリエンブルク城≫
15:22~16:50 入場料Euro12
D-30982 Pattensen 、Marienberg 1
http://www.schloss-marienburg.de/
http://www.youtube.com/watch?v=9Vb2z01xQgA
博物館:開館時間は10:00~18時、ガイドのみ。
Ausstellung特別展 "Der Weg zur Krone王冠への道”は2014年5月1日~9月9日。
ガイド時間は丁度出てしまい、次の一番早い特別展 "Der Weg zur Krone王冠への道”を選んだ(ガイド時間は4名のみ、16:00~16:45)。
写真は特別展 "Der Weg zur Krone王冠への道” -
<マリエンブルグ城の歴史>
マリエンブルグ城はLeineライネ川(全長281km、ヴェーザー川の支流)沿いの海抜135mの山上にあり、空堀を穿つ、中世の見事な城構えを持っている。
実際は19世紀(1857年~1867年の建設)にKoenig Georg V. von Hannoverハノーファー王ゲオルク5世がKoenigin Marie王妃マリーの39歳(1857年)の誕生日祝いに、夏の離宮・狩猟館(後には未亡人の居城)として建設し、プレゼントしたと云う。
写真はKoenig Georg V. von Hannoverハノーファー王ゲオルク5世 -
ここにはハノーファー南部を見晴らせる丘があったに過ぎませんでしたが、マリー王妃は高台に聳える、ロマンチックな中世風の城を手に入れる事になったのです。
ただ、王妃と王女Marieマリーは1866~67年の1年しかこの城に住んでいない。
ゲオルク5世が普墺戦争で敗れ、王の亡命と共に王妃たちもオーストリアに行き、後は執事が凡そ80年間、居住したそうだ。
写真は王妃マリーと王女Marieマリー -
写真は1864年のマリエンブルグ城
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国王夫妻は、早くも王妃39歳の誕生年1857年に夏の離宮の建設を開始し、ハノーファーの建築家ハーゼは四角形の中庭を囲む4翼式の宮殿・・・美しいメルヘン城を築城した。
2階吹き抜けの「騎士の間」は、未完成のままだが、家系図ギャラリーや銀家具(1720年にアウグスブルクの伝説的な金細工師が仕上げた)は見事だそうです。
食堂では宴会用に整えられたテーブル上に王妃の家紋の入った食器が並び、王族の饗宴の華やかさを伝えている。騎士の甲冑が飾られた、鋭角的な船底形(かまぼこ型)天井を持つギャラリー、パリの教会風の礼拝堂がある。最も美しい部屋に数えられているのが、南西塔内にある王妃の図書室で、芸術的な装飾が施された書棚はドイツ彫刻芸術の傑作とされている。王女たちのサロンは錫で縁取ったガラスの張り出しがあり、いばら姫等の様々なメルヘンのシーンが色鮮やかに描かれている。
写真はマリエンブルグ城の模型 -
写真はマリエンブルグ城の俯瞰・・・こんな環境に立っている
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写真はマリエンブルグ城・・・向かう道は一本道、右手の道を森の中を上っていく
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写真はマリエンブルグ城の城郭・・・それほど大きな縄張りではない
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写真は秋のマリエンブルグ城
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写真は秋のマリエンブルグ城
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写真は冬場のマリエンブルグ城
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写真はマリエンブルグ城の夜景
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Georg V.Friedrich Alexander Karl Ernst Augustゲオルク5世・フリードリヒ・アレクサンダー・カール・エルンスト・アウグスト :
最後のハノーファー王ゲオルク5世(1819~78年、在位:1851~66年)はイギリス王ジョージ3世(ハノーファー王ゲオルク3世)の孫である。
1866年に起こった普墺戦争(プロイセン王国とオーストリア帝国との戦争)で、ハノーファー王国はオーストリア側に就いた。
この為、ハノーファーはプロイセン軍に占領され、1866年6月29日にハノーファー軍は降伏した。この事でドイツはプロイセン主導で統一されていく。
王と家族はオーストリアへ亡命し、プロイセン政府は9月にハノーファー王国を正式に併合したが、ゲオルク5世は権利を放棄せず、併合も認めなかった。
亡命地であるオーストリアのグムンデンからヨーロッパの列強にハノーファー問題への介入を要請したが叶わなず。
ゲオルク5世は1878年に死去すると、英国ウィンザー城の礼拝堂に埋葬された。
写真はハノーファー王ゲオルク5世の家族・・・ゲオルク5世は1843年に、ザクセン・アルテンブルク公ヨーゼフの長女マリーと結婚した。2人は王太子エルンスト・アウグストの他、2女をもうけた。 -
Marie Prinzessin von Hannover und Cumberlandハノーファー王女マリー・フォン・ハノーファー・ウント・クンバーラント:
ハノーファー王女マリー (1849~1904年) はハノーファー王家の王女である。
ハノーファー王ゲオルク5世と王妃マリーの間の第3子、次女として生まれた。
1866年に父が王位を追われた後も母と一緒にマリエンブルク城に留まっていたが、翌1867年7月にオーストリアに亡命し、GmundenグムンデンのSchloss Cumberlandクンバーラント城に落ち着いた。
ヴィクトリア女王の三男で又従弟にあたるコノート公アーサー王子との縁談もあったが、実現はしなかった。そのまま独身を通し、母マリー王妃と一緒に暮らした。
1904年に母に先立って54歳で亡くなり、クンバーラント城内の霊廟に葬られた。
クンバーラント城は現在、病院になっている。
グムンデンには2004年南独・オーストリア周遊の旅で1泊したが、この事は知らずじまいであった。
・・・・・・
写真はグムンデンのSchloss Cumberlandクンバーラント城でのハノーファー王女マリーと王妃マリー -
写真は王妃マリーの晩年
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写真はマリエンブルグ城内・・・回廊
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写真はマリエンブルグ城内・・・鋭角的な船底形(かまぼこ型)天井を持つギャラリー
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写真はマリエンブルグ城内・・・王子の部屋
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写真はマリエンブルグ城内・・・王妃のサロン
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写真はマリエンブルグ城内・・・王の書斎
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写真はマリエンブルグ城内・・・パリの教会風の城内礼拝堂
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現在もマリエンブルグ城はハノーファー家の私有となっている。
写真は2012年より城主になっている Ernst August Erbprinz von Hannoverハノーファー家の皇太子エルンスト・アウグストが
2016年に死後300年となるドイツの”Universalgenie万能の人”と称された哲学者Leibnizライプニッツの胸像を城内図書館に安置したもの。
彼はかつてハノーファー王家に仕えた。
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写真はGottfried Wilhelm Leibnizゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ
(1646年~1716年)ドイツの哲学者、数学者。ライプツィヒ出身。
1676年、ブラウンシュヴァイク・カレンベルク公ヨハン・フリードリヒ(ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグストの兄)は哲学者ゴットフリート・ライプニッツを顧問官および公爵家図書館の司書として雇い入れた。
これがライプニッツとハノーヴァー家との40年にわたる結びつきの端緒となり、ライプニッツはその後のハノーヴァー家3代をパトロンとし、ヨーロッパ随一の哲人の名をほしいままにした。 -
写真はマリエンブルグ城・・・特別展 "Der Weg zur Krone王冠への道”のデモンストレーション
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写真はマリエンブルグ城・・・英国スコットランドの首都エディンバラの城で行われる最大の祭典「ミリタリー・タトゥー」tattooを模した催しが行われた。
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