2015/03/31 - 2015/03/31
1759位(同エリア5446件中)
滝山氏照さん
JR金山駅下車、地下鉄名城線にて約20分の名古屋城は徳川御三家の筆頭の立場として家康九男義直(よしなお)を初代とする名古屋藩本拠として有名です。
入城券購入の際入手したパンフレットには次の内容(一部省略)が記されています。
「 名 古 屋 城 の 生 い 立 ち
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14年(1609)豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、清州から新城下への街まるごとの引越しを決定。この新たに造られた碁盤割りの街が現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれています。
慶長15年(1610)名古屋城築城にあたって徳川家康は、加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じました。これを天下普請といいます。天守や櫓の作事(建築工事)は小堀遠州・中井正清らに命じられ、慶長17年(1612)にほぼ完成しました。尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
維新後も名古屋離宮としてその美しいたたずまいを誇った名古屋城は、昭和5年(1930)、城郭建築における初めての国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)の名古屋空襲によって本丸のほとんどを失いました。しかし、名古屋のシンボルとして天守の再建を望む市民の声は日に日に高まり、昭和34年(1959)ついに天守が再建されました。」
また名古屋城の前身である那古野城跡に関する説明板には下記の通り記載されています。
『 那 古 野 城 跡
大永年間(1521~28)に、今川氏親が名古屋台地西北端(名古屋城二の丸あたり)に築いた城で一名「柳の丸」ともいわれ、一族の今川氏豊を城主とした。
織田信秀は、天文7年(1538)この城を奪い、ここに居するが、同11年(1542)ごろに古渡城を築城して、この城を去り、以後、嫡子信長が居城したとされている。
弘治元年(1555)織田信長が清洲に移った後は、一族の織田信光がしばらくの間居城していたが、やがて廃城となった。
名古屋市教育委員会 』
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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名古屋城案内図
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満開の石垣
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満開の石垣
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満開の石垣
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満開の石垣
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東門入口
ここで城郭見学券を購入し入城します。 -
名古屋城配置図
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名古屋城説明板
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二の丸東庭園
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南池
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二之丸広場
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那古野(なごや)城跡
足利氏の分流で三河今川荘を伝領した今川氏は当主氏親(うじちか)の頃名古屋台地西北端(現在の名古屋城二の丸)に築城、一族の今川氏豊(いまがわ・うじとよ)が支配した後織田信秀に奪取された経緯があります。 -
那古屋城跡説明
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二の丸茶亭
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名古屋城二の丸庭園説明板
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二の丸御殿と能舞台
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「二の丸御殿と能舞台」説明板
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案内板
当然ながら天守閣方向に向かいます。 -
清正公石曳きの像
天守の石垣普請は加藤清正に割り当てられ、清正が自ら石に乗って音頭を取ったとする姿が造られています。 -
「清正公石曳きの像」説明板
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東南隅櫓(辰巳櫓)
本丸の南東隅にある屋根二重・内部三階の櫓で、出窓には「石落し」が設けられています。この櫓には武具が納められていました。 -
本丸石垣と堀
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本丸石垣と堀
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「本丸搦手馬出」石垣修復工事案内板
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本丸表二之門
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本丸表二之門
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本丸表二之門
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「本丸表二之門」説明板
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東南隅櫓
表二之門に向かう土橋から東南隅櫓を望みみます。 -
西南隅櫓
表二之丸に向かう土橋から西南隅櫓を望みます。 -
枡形入口
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本丸表一之門跡
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「本丸表一之門跡」説明
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本丸石垣
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本丸石垣
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本丸御殿
慶長20年(1615)に尾張藩主の住まいとして建てられ、昭和20年(1945)焼失、平成21年(2009)から復元工事に着手し、平成25年(2013)から玄関の他御殿内部の一部である表書院(謁見の場)の公開を行っています。 -
「本丸御殿」説明板
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案内板
一度「清正石」と「旧二の丸東二之門」を見学します。 -
東一之門跡
本丸搦手の内門で、外門である本丸東二之門と共に枡形を形成していました。 -
「東一之門跡」説明
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イチオシ
清正石
ひときわ大きな石が組まれていますがこれは築城の名手である加藤清正により積み上げられたものです。 -
「清正石」説明
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石垣修理工事中案内板
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旧二之丸東二之門
本来は東鉄門(ひがしくろがねもん)といって二の丸東の枡方外門で、現在の東門の東側にあったが体育館建設により当所に移築されています。 -
旧二之丸東二之門近景
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「旧二之丸東二之門」説明板
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枡型虎口
清正が積み上げた巨大な石が見られます。 -
名古屋城城郭案内図
現在の位置関係を確認します。 -
天守閣
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イチオシ
天守閣
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天守閣入城口
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天守閣
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天守閣展示案内図
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天守閣入口
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金鯱
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「金鯱」説明板
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名古屋市街展望
天守閣から名古屋タワ−を中心に一望します。 -
名古屋市街展望
名古屋駅方面を捉えます。 -
名古屋市街展望
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天守閣展示館内部
家康・秀吉・信長の肖像画が展示されており、いずれも尾張・三河の出身です。 -
石垣説明
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二之丸庭園説明
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本丸御殿模型
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名古屋城全体模型
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天守閣模型
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本丸御殿
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小天守
天守閣と繋ぐ通路には小天守があり、その両側の塀は敵の進入を防護するために高台となっています。 -
案内板
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不明門(ふめいもん)
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御殿椿
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「不明門」説明
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不明門
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天守閣
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天守閣石垣
隅角は長方形の石の長辺と短辺とを交互に重ねあわせる「算木積み」によって石圧の強度を増しており、稜線もしっかり整えています。 -
天守閣石垣
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案内図
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天守礎石
昭和20年(1945)に戦火で焼失した旧国宝であった天守の礎石で、天守閣の再建によりそれまでの礎石が現在地に移設展示されています。 -
「天守礎石」説明板
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名古屋城天守閣
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名古屋城天守閣
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名古屋城石垣
上部が外側にそりだす扇勾配となって、石の重みや土の圧力を分散させる積み方となっています。 -
天守石垣
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石垣と空堀
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案内板
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桜並木と名古屋城
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剣塀(つるぎへい)
天守と小天守の連絡路の塀を高くし、併せて堀の軒には鋭い槍が並べてあり防御性を堅固にしています。 -
「剣塀」説明
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石垣と空堀
本丸西側は大規模な石垣と空堀が広がり、その先には西南隅櫓が見えます。 -
鵜の首(つるのくび)
堀を内側に入れ込み道幅を狭くして本丸への敵の進入を防ぎます。 -
「鵜の首」説明板
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西南隅櫓(未申櫓)
規模・構造は東南隅櫓とほぼ同一ながら、「石落し」の破風の形に相違があります。 -
隅櫓共演
手前の西南隅櫓(未申櫓)の向こうには東南隅櫓(辰巳櫓)の雄姿が視野に入ります。 -
西之丸
帰路は西之丸を進みます。夕闇が迫ってきました。 -
西之丸
正門近くで振り返ると西南櫓の雄姿が視野に入ります。 -
名古屋城正門(内側)
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名古屋城正門(外側)
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桜まつり開催中
夜桜見物の期間ということで19:30まで見学可能となっています。 -
名古屋城正門広場
夕方には仕事を終えたグル−プなどが三々五々来城してきます。 -
桜並木
内堀に沿った散歩道には桜の花が満開で夜桜見物が楽しめます。 -
桜並木
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桜並木
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桜並木
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桜並木
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桜並木
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二之丸大手二之門
二之丸西側にある枡形の外門で、内門である大手一之門と合わせて西鉄門と称され二之丸正門を形成していたそうです。 -
「二之丸大手二之門」説明板
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桜並木
夕闇に蘇る桜並木が城郭の雄姿と重なって幻想的な場面は見事です。 -
桜並木
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