2015/09/18 - 2015/09/18
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旅人のくまさんさん
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名古屋市中心部にある古社、日置神社の紹介です。延喜式の式内神社で、天太玉命、応神天皇などを祭神とします。日置の地名、社名は、暦を司った日置部があったことに因みます。
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日置神社の式内社の稲荷社紹介の続きです。稲荷神は、古代の京都一帯の豪族の秦氏の氏神です。その影響が残るのか、多くの神社で祀られています。秦氏は6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団です。そのルーツは秦の始皇帝説もあります。
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稲荷神社に付き物の白い狐さんです。狐は、古来から日本人にとって神聖視されてきました。また、稲荷と狐は、しばしば同一視されてきました。
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一対になった白い狐さんの、もう一方の像の光景です。稲荷神は元々農業神であり、狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食することや、尻尾が実った稲穂に似ていることから、稲荷神の使いと考えられてきたようです。
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これで、境内摂社の稲荷神社の紹介はおしまいです。赤鳥居の中から眺めた、出入口方面の光景です。稲荷鳥居は、複数の鳥居を重ね、祈りと感謝の気持ちを表したものとされます。
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恵比須社の前に置かれた石の鳥居の光景です。先ほどの稲荷社と、この恵比須社は境内摂社の中でも一段各上のような扱いを受けた広さでした。
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日置神社の拝殿光景です。その背後に、本殿があるようです。日置神社は、文禄元年(1592年)と寛文4年(1664年)に火災に遭い、昭和20年にも戦災に見舞われました。現在の社殿は、昭和33年(1958年)に復興された建物です。
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日置神社の社殿のズームアップ光景です。日置神社が鎮座しているのは、江戸時代の尾張名古屋の城下町の南端に当たる場所とされます。さらに南には、熱田神宮が位置します。
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『日置神社』の金文字が記された扁額のズームアップ光景です。祭神は、『天太玉命(あめのふとだまのみこと)』、『品陀和気命(ほむだわけのみこと)』と『天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)』の三柱です。
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比較的新しい造りのように見えますが、謹厳な姿をした狛犬の光景です。拝殿に向かって左手の吽形の雌獅子です。
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こちらは、胸を張って、どっしりとした姿の狛犬の光景です。拝殿に向かって右手の阿形の雄獅子です。
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大樹が生い茂る、日置神社の境内光景です。遠くから神社の位置を確認する時、一番参考になるのが、辺りより頭一つ抜け出た鎮守の杜の光景です。
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表示はありませんでしたが、神楽殿の建物のようです。木の柵で囲われ、立入りが制限されていました。防火対策かも知れません。銅葺屋根で、手摺りが付いた縁側を持った建物です。
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二つの丸く大きな石と、その中間に建てられた立札の光景です。江戸時代には、力石を使った力比べが盛んに行われていたようです。
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『力石』の説明看板のズームアップ光景です。右の石には、『いなり』、左の石には、『はちまん』の名前があることなどが紹介されていました。
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大きな方の石の『八幡』のズームアップ光景です。言い伝えによる量目は一石六斗です。江戸時代までの量目は、地方によって異なり、簡単には現代の計測単位には換算できないようです。一つの目安が、米一斗の質量が15キロ、米一俵が四斗というものです。一石六斗の質量と重さは、ざっと四俵で、240キロぐらいでしょうか。
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こちらが小さい方の石で、言い伝えによる量目が一石二斗の『いなり』です。一石二斗の質量と重さは、ざっと三俵で、180キロぐらいでしょうか。先ほどの立看板には、明治10年に氏子の一人が、『はちまん』を担いだとの口伝えがあると紹介していました。
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三つ葉葵の紋の透かし彫りがある門の光景です。その理由は、尾張徳川家の第二代藩主の光友公を祀った橘社のためでした。津島社、熱田社と秋葉社が合祀された社です。初代藩主である徳川義直の長男で、第二代藩主徳川光友公の墓は、建中寺にあります。
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橘社の紋に飾られた、三つ葉葵の紋の透かし彫りのズームアップ光景です。尾張徳川家は徳川御三家の筆頭、この紋所は、『尾州中納言葵』と呼ばれています。
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青々と葉を茂らした大樹の光景です。名古屋市保存樹に指定されている、『ムクノキ(椋木)』です。単にムク(椋)、またはエノキ(榎木)に似るため、『ムクエノキ(椋榎)』とも呼ばれます。
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名古屋市保存樹の『ムクノキ』の標識です。アサ科ムクノキ属の落葉高木です。高さは20メートル以上、幹の直径は1メートル以上になり、板根が発達する場合もあります。
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日置神社の西隣に位置する、高顕寺の甍の光景です。摩利支真天が祀られている曹洞宗の寺院です。ネット情報では、明治42年(1909年)の建立との書き込みがありました。創建は新しいようです。場所から判断して、神仏混交時代の日置神社との因縁がありそうなお寺です。
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日置神社の手水舎の光景です。まだ新しい造りの、本瓦葺きの立派な手水舎でした。
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『椨の木』のタイトルがあった、説明立看板です。『椨の木(たぶのき)』は、クスノキ科タブノキ属の常緑高木です。立札には、樹齢数百年、海上からの漂着神が宿るご神木と紹介されていました。
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『椨の木(たぶのき)』の名前は『霊が宿る木』とされていたことから、『霊(たま)の木』と呼ばれ、それが次第に『たまのき』から『たぶのき』にに変化していったとの説があるようです。立札には、平成11年(1999年)の台風の被害に遭ったことが紹介されていました。
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日置神社の社務所の光景です。唐風の造りの玄関には、注連縄が張られていました。常駐の人はいないらしく、戸が閉まり、入り口前には移動柵が置かれていました。
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名古屋市指定の保存樹の『クスノキ(楠木)』の光景です。社務所などの建物の前にあるためでしょうか、低い位置の枝は取り払われていました。
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名古屋市指定の保存樹の『クスノキ(樟、楠)』の標識のズームアップ光景です。根元付近は、苔で覆われていました。クスノキ科ニッケイ属の常緑高木です。幹周囲が10メートル以上の巨樹になる個体も珍しくない樹木で、神社ではよく見かけます。
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戸が閉まった社務所の並びにあった建物です。『祈祷受付所』の表札がありました。お御籤などを販売している授与所を兼ねているようでした。表札の下に呼び鈴がありましたが、例祭などの時だけ開かれているようでした。
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南側方面から眺めた参道と、その先に見える拝殿光景です。参道に車が乗り入れないように置かれたらしい移動柵が参道に置かれ提案した。人は自由に通行できました。
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に補器神社南面にある医師の鳥居の光景です。通常は、こちらが出入口になるようですが、今回は寺社巡りの道順の関係で、西北側から入場しました。
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名古屋市教育委員会名の『日置神社』の立札です。平安時代食に記された『延喜式』に記載された、『愛智郡日置神社』に比定される、格式の高い古社であることなどが紹介されていました。末尾には、信長の桶狭間の戦いと、戦勝お礼の千本松のエピソードも紹介されていました。
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鳥居に右脇に置かれていた、阿形の雄獅子の光景です。左前脚の下に玉を押さえ込んだ、ダイナミックなデザインの石像です。台座には、『麻の葉紋』と呼ばれる神紋のレリーフがありました。
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鳥居に模擬脇に置かれていた、吽形の雌獅子の光景です。右前脚に子獅子がじゃれついたデザインの石像でした。こちらの台座のレリーフは、『橘紋』のようでした。
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南面の鳥居近くにあった『式内・日置神社』の由緒書きです。三柱の祭神に始まり、由緒と10月15日の例祭が紹介されていました。締め括りは、古代の日置部に因む地名と社名の紹介でした。古代日置氏族の集住した地として伝わる日置郷は、『和名抄』には大和国葛上郡、和泉国大鳥郡、伊勢国一志郡などが記されています。千葉県から鹿児島県にかけて広く分布したようです。日置族は、出雲臣族に属するとも言われます。
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日置神社とは、道を挟んだ南側の広場の光景です。かつては、この一帯も境内の一部だったかも知れません。織田信長が千本の松を戦勝のお礼に寄進したとされる神社ですから、かつての境内は相当の規模だったことが窺われます。明治29年(1896年)、千本松の最後の1本が枯れたと伝わります。
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旅行記グループ 2015年、尾張の寺社巡り(その2)
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