2015/09/26 - 2015/10/09
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旅人のくまさんさん
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熱田神宮の南東に隣接する曹洞宗のお寺、『補陀山・圓通寺』の紹介です。秋葉山・圓通寺とも呼ばれ、『日本最古唯一の秋葉大権現ご出現の霊場』と同寺のHPに紹介されていました。
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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イチオシ
東側の南北の大通りに面した山門の光景です。まだ再建されて間もない建物に身あました。元々は、熱田神宮の中に祀られていた寺社のようです。同寺のHPには、『今より千八百年程前、草薙剣を奉齊した熱田神宮の境内に日本武尊を火難から救い、わが国の平和を守られた秋葉大権現を祀られたのが「秋葉社」の始めです』と紹介されていました。
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山門越しに眺めた、『補陀山・圓通寺』の本堂光景です。圓通寺の北側に熱田神宮の東門があり、西隣には、熱田神宮内に祀られた上知我麻神社があります。熱田神宮とは縁の深いお寺とされます。境内は、宮簀媛命が夫の日本武尊より預った草薙剣を奉じて熱田神宮を造営された際、この神剣と一体になって火の神様の秋葉権現を祀った『秋葉社』の地になるとされます。
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ここからは、境内に入城しての紹介です。山門脇の片隅に置かれていた月見灯篭の光景です。同寺のHPからの沿革の紹介の続きです。『この霊地に一小宇があった。白鳳年間(673~685年)には加賀の白山神社を開いた泰澄大師が錫を留め、自ら十一面観音を造作した。次いで、弘仁2年(811年)に弘法大師空海が熱田神宮に参籠された折、やはり自彫の十一面観音を奉納安置して寺を創建した。これが圓通寺の始りである』と紹介されていました。
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同じく、春日灯篭の光景です。『補陀山圓通寺』の山号は、『羽休山』と『秋葉山』も使われるようです。『羽休山』は、宮簀媛命と夫の日本武尊に纏わる熱田の白鳥伝説に因むようです。白鳥古墳(御陵)は、熱田神宮社伝では日本武尊の陵としています。これは、能褒野に葬られてのち白鳥となった日本武尊が当地に降り立ったという伝承に基づきます。神宮では、北方約300メートルにある断夫山古墳を『陀武夫御墓』と称して日本武尊妃の宮簀媛(みやずひめ)の墓としています。現在も毎年5月8日に白鳥古墳と断夫山古墳とにおいて御陵墓祭が行なわれています。
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高い台座の上に置かれた多層の石塔の光景です。その石塔の最下部に仏座像が祀られていました。その上に二文字の梵字がし刻まれていましたが、左の字は、釈迦如来を表す『パク』のようでした。
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『毘沙門天』の像です。説明立札には、『四天王第一の施福の大神、商売繁盛、除厄開運、初願成就の守である』と紹介されていました。梵名はヴァイシュラヴァナ、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神です。四天王では『多聞天』として表わされます。
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子守地蔵菩薩の像です。地蔵菩薩は、サンスクリット語ではクシティガルバと言い、クシティは『大地』、ガルバは『胎内』の意味で、意訳して『地蔵』と呼ばれます。日本では、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まりました。この地獄での責め苦からの救済を菩薩に求めるようになり、子供の守護尊となったのが子安地蔵です。
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イチオシ
『補陀山・圓通寺』の本堂光景です。長い石段の上にもけられた堂宇でした。『補陀山』は、『補陀落(ふだらく)』や『補陀落山(ふだらくせん)』とも呼ばれる、観音菩薩が降り立つとされる伝説上の山を指します。
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『補陀山・圓通寺・十一面観世音菩薩』の題字があった立看板の光景です。創立と開山と開基について紹介されていました。『十一面観世音菩薩』は、先に紹介した、泰澄大師作と、弘法大師作の御本尊の像を指すようです。
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楷書に近い字体で記された、金文字の『補陀山』の扁額の光景です。落款は、曹洞宗大本山永平寺第77世貫首で曹洞宗管長の丹羽廉芳師(1905~1993年)のようでした。静岡県の生まれの方です。
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『補陀山・圓通寺』の境内の光景です。同寺のHPからの紹介です。第二次大戦中は、兵士の駐屯地にもなっていましたが、昭和20年(1945年)5月17日に戦災を受け、弁天堂と疎開してあった御神体、秋葉権現像、仏像を残して全山を焼失しました。
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本堂前の石段の上から眺めた境内の光景です。学校の工程のような光景でした。同寺のHPからの紹介が続きます。戦後まもなく仮本堂、庫裡が建立され、昭和30年(1955年)10月には、三十世祖岳喜参が神殿の再建を発願し、同32年(1957年)10月に完成しました。
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境内に置かれていた大きな庭石の紹介です。『桜三羽』のタイトルの説明書きがありました。三羽石は、日本三大銘石の一つとして、(三羽石を産する三羽石峡は)天然記念物に指定されていると紹介されていました。
①学名:秩父僧・水成岩
②産地:群馬県・鬼石
なお、『日本三大銘石』でネット検索しましたら、ウィキペディアでは『佐渡の赤玉石(新潟県佐渡島)、神戸の本御影石(兵庫県神戸市)、鳥取の佐治川石(鳥取県鳥取市)』を挙げていました。また、三羽石を産した三羽石峡は、非常に貴重な自然と地質学上の貴重さから、1957年(昭和32年)に国指定の名勝、そして天然記念物の指定を受けました。 -
こちらの庭石には、『子持石』の名前がありました。こちらも群馬県の鬼石で産する『三羽石』です。少し青みを帯びた、粒の大きな細石のような外観でした。
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『子持石』のタイトルがあった説明立札の光景です。こちらにも天然記念物の『三羽石』の表示がありました。現在は、鬼石町は藤岡市に編入されています。三波石峡(さんばせききょう)は、神流川上流に位置し、群馬県から埼玉県に跨る景勝地です。行政上では埼玉県児玉郡神川町、群馬県藤岡市に属します。
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アクロバット的な乗せ方をされた石灯篭の光景です。自然石が加工されて使われていました。この石灯篭にも、銘石が使われているかも知れません。
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『補陀山・圓通寺』の境内にある堂宇の光景です。同寺のHPには、『昭和41年(1966年)に三十二世住職に就いた仙巌一雄師は、大黒天堂や奥の院毘沙門天堂などの諸堂を建立するとともに、同60年(1985年)4月には鉄筋コンクリート二階建、入り母屋造りで、一階は大広間、二階は本堂の新本堂を完成し落慶法要を営んだ』と紹介されていました。これにより、昭和の大復興が完成しました。
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『秋葉山』の金文字が揮毫された扁額の光景です。落款は見当たりませんでした。秋葉山は、静岡県浜松市天竜区春野町領家に位置する、赤石山脈の南端を占める標高866メートルの山です。明治以前は、秋葉大権現として秋葉社と秋葉寺の両方が存在する両部神道でした。しかし、明治初めの神仏分離・廃仏毀釈により、秋葉山は神社と寺院とに分離されました。
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『秋葉大権現』の文字が記された赤提灯の光景です。秋葉権現(あきはごんげん)は、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神です。火防の霊験で広く知られます。
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団扇を模したようにも見える、大きな蝋燭立と、その左奥に見えていた絵馬掛けの光景です。
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古代の青銅器を思わせるような外観の、大きな線香立の光景です。『秋葉権現』は『火の神様』だけに、この種の用品には贅を尽くしているようでした。
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イチオシ
こちらは大きな赤いテングノウチワ(天狗の団扇)が記された金属容器です。防火用水のようにも見えました。テングノウチワとは、天狗が持つという、ヤツデの葉の形をした大きな団扇のことです。寺紋のようにもなっているようでした。
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『秋葉三尺坊』を巡って、江戸時代に本家争いが起きました。火伏せ(火防)に効験あらたかであるということから、秋葉三尺坊の勧請を希望する寺院が方々から現れ、越後栃尾の秋葉三尺坊大権現の別当、常安寺はこれを許可しました。これに怒った、もう一方の本山を主張する遠州秋葉寺は訴えを起こし、寺社奉行において裁きが行われました。子の堂宇は、『大黒堂』のようです。
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江戸時代に寺社奉行に持ち込まれた本家争いの裁決です。『秋葉権現は二大霊山とすることになりました。現在では信仰を広めた遠州の秋葉山本宮秋葉神社を『今の根本』、行法成就の地である越後の秋葉三尺坊大権現は『古来の根本』となりました。同じく、『大黒堂』のようです。
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建物の名前を特定はしていませんが、『秋葉大権現出現道場』とも呼ばれている堂宇のようです。
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『秋葉大権現出現道場』らしい建物の破風のズームアップ光景です。鬼瓦には、テングノウチワ(天狗の団扇)の文様がありました。
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斜め前から眺めた堂宇の光景です。右が大黒堂、左が『秋葉大権現出現道場』の建物のようです。
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『秋葉山・圓通寺」のタイトルがあった説明パネルの光景です。ステンレス製のようでした。宗派の曹洞宗、開創の明徳2年(1391年)、本尊の釈迦牟尼仏と十一面観世音菩薩、鎮守の秋葉大権現などのほか、熱田と秋葉の両詣りや、秋葉大権現についての解説が記されていました。
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『日本最古の秋葉大権現出現の霊地』とのタイトルがあった説明看板の光景です。日本武尊の草薙の剣神話が紹介されていました。日本武尊(やまとたけるのみこと)は、第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたるとされます。熊襲征討、東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄です。写真紹介はしていませんが、『秋葉出現道場』の扁額の文字は、小松宮により揮毫されたことが紹介されていました。
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『大黒天』のタイトルがあった説明立札の光景です。『大黒堂』に祀られている『大黒天』の説明のようでした。福徳、商売繁盛の神として、古くから宮の恵比須、秋葉の大黒が、福徳のご利益あらたかと紹介されていました。『宮の恵比須』とは熱田神宮の恵比須様、『秋葉の大黒』とは、圓通寺の大黒様を指すようでした。どちら七福神の神様です。
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四方転びの柱の上に銅葺屋根を持つ、『補陀山・圓通寺』の手水舎の光景です。熱田には、蓬莱伝説が残されていて、その伝説に因むのが、熱田台地を支える大亀とされます。このため、『亀』や『蓬莱』の文字が付いた山号を持つ古寺が熱田には多くあります。一方、お店ではひつまぶしの『あつた蓬莱軒』や、お菓子の『亀屋芳広』が有名です。この手水舎には『奉納・亀屋芳広』の文字がありました。
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手水舎の中にあった水盤の光景です。側面に『羽休』の文字が刻まれていました。亡くなった後、白鳥になって飛んできた日本武尊が熱田で羽を休めたとする、熱田の白鳥伝説に因む表記のようです。
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境内側から眺めた、出入口方面の光景です。『秋葉三尺坊大権現』の白い幟が林立していました。
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鬼瓦と軒丸瓦のズームアップ光景です。それぞれに、テングノウチワ(天狗の団扇)の文様がありました。
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ブロンズ製の大きな灯籠の光景です。頂部の飾りには、火の神様らしい、火焔文様がありました。
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白い筋が流れた、秋晴れの空をバックにした白い幟の光景です。『秋葉三尺坊大権現』の文字がありました。
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『火の神様・秋葉山』の文字が印された大きな看板の光景です。四方に同じ文字と赤いテングノウチワが記してあるようでしたが、小文字の『火の神様』の部分は、『日本最古』の文字が隣に見えました。
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逆光での撮影になってしまいましたが、『秋葉出現道場・圓通寺』の文字が刻まれた大きな石標の光景です。
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旅行記グループ 2015年、尾張の寺社巡り(その2)
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