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名古屋の歴史的な街並みの一つ、四間道(しけみち)の南端に位置する冨士浅間神社紹介の続きと、四間道の町並紹介です。(ウィキペディア)

2015秋、冨士浅間神社と四間道(2/3):冨士浅間神社、四間道の町並、商店街、土蔵街

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2015/09/26 - 2015/09/26

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旅人のくまさん

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名古屋の歴史的な街並みの一つ、四間道(しけみち)の南端に位置する冨士浅間神社紹介の続きと、四間道の町並紹介です。(ウィキペディア)

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  • 冨士浅間神社の境内の光景です。富士浅間神社は、応永5年(1396年)6月、三谷源太夫が富士山本宮浅間神社の御祭神である、木花開耶姫命の御分霊を勧請したのがはじまりと伝わります。

    冨士浅間神社の境内の光景です。富士浅間神社は、応永5年(1396年)6月、三谷源太夫が富士山本宮浅間神社の御祭神である、木花開耶姫命の御分霊を勧請したのがはじまりと伝わります。

  • 冨士浅間神社の拝殿の前に建つ鳥居の光景です。創建当初は、富士塚町(現・名古屋市東区)に鎮座していましたが、慶長15年(1610年)、名古屋城築城の際、現在地に遷座されました。

    冨士浅間神社の拝殿の前に建つ鳥居の光景です。創建当初は、富士塚町(現・名古屋市東区)に鎮座していましたが、慶長15年(1610年)、名古屋城築城の際、現在地に遷座されました。

  • 冨士浅間神社のご祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめ)です。瓊々杵尊(ににぎのみこと)の皇后で、桜の花が咲き誇るような美しい容姿と清らかな心を持った神様といわれ、家内安全、交通安全、安産、子育ての神様とされます。

    冨士浅間神社のご祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめ)です。瓊々杵尊(ににぎのみこと)の皇后で、桜の花が咲き誇るような美しい容姿と清らかな心を持った神様といわれ、家内安全、交通安全、安産、子育ての神様とされます。

  • 名古屋市保存樹のケヤキ(欅)です。日本神話の続きです。天照大神(アマテラス・オオミカミ)の孫である瓊々杵尊と、木花開耶姫の間には、ホデリ(海幸彦)と・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)が生まれたとされます。山幸彦は、初代天皇の神武天皇の祖父とされます。

    名古屋市保存樹のケヤキ(欅)です。日本神話の続きです。天照大神(アマテラス・オオミカミ)の孫である瓊々杵尊と、木花開耶姫の間には、ホデリ(海幸彦)と・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)が生まれたとされます。山幸彦は、初代天皇の神武天皇の祖父とされます。

  • こちらは、名古屋市保存樹のイチョウ(公孫樹)です。左手に見えているのは、入口の鳥居ですが、大正12年(1923年)建立の文字がありました。

    こちらは、名古屋市保存樹のイチョウ(公孫樹)です。左手に見えているのは、入口の鳥居ですが、大正12年(1923年)建立の文字がありました。

  • 入口の鳥居の光景です。鳥居の笠木の部分だけ、建物をへこませて造ってありました。

    入口の鳥居の光景です。鳥居の笠木の部分だけ、建物をへこませて造ってありました。

  • 雪見灯篭の光景です。雪見灯籠の型は、大きく分けて雪見灯篭丸型、雪見灯篭角型、古代雪見丸型、古代雪見角型の四種類とされます。これは、古代雪見丸型に近いようです。

    雪見灯篭の光景です。雪見灯籠の型は、大きく分けて雪見灯篭丸型、雪見灯篭角型、古代雪見丸型、古代雪見角型の四種類とされます。これは、古代雪見丸型に近いようです。

  • シャープな姿の石灯篭の光景です。春日灯篭などと同じ、立灯篭の1種のようです。立灯篭は、一般的に玉、笠、火袋、受、柱、地輪の六つの部品で構成されます。これは、地輪の下に更に基礎を持つタイプのようです。

    シャープな姿の石灯篭の光景です。春日灯篭などと同じ、立灯篭の1種のようです。立灯篭は、一般的に玉、笠、火袋、受、柱、地輪の六つの部品で構成されます。これは、地輪の下に更に基礎を持つタイプのようです。

  • 一対で設置してあった、シャープな姿の立灯篭型の石灯篭の光景です。

    一対で設置してあった、シャープな姿の立灯篭型の石灯篭の光景です。

  • 境内の中からの写真を紹介しましたが、こちらは、境内の外から撮影した茸のような石灯篭の光景です。

    境内の中からの写真を紹介しましたが、こちらは、境内の外から撮影した茸のような石灯篭の光景です。

  • ここからは、歴史的な街並みを残す、『四間道(しけみち)』の紹介です。名古屋では戦後の防災道路の100m道路が有名ですが、四間道は、その先駆けの尾張時代の防災道路です。

    ここからは、歴史的な街並みを残す、『四間道(しけみち)』の紹介です。名古屋では戦後の防災道路の100m道路が有名ですが、四間道は、その先駆けの尾張時代の防災道路です。

  • 冨士浅間神社の見学の前に、右手に見えていたモノクロの建物光景です。四間道を挟んで右手になる東側には土蔵が多いと紹介されていましたが、これも土蔵の一つのようです。

    冨士浅間神社の見学の前に、右手に見えていたモノクロの建物光景です。四間道を挟んで右手になる東側には土蔵が多いと紹介されていましたが、これも土蔵の一つのようです。

  • 『名古屋市四間道町並み保存地区』のタイトルがあった案内看板です。1610年に始まった名古屋城築城に合わせて行われた、清州からの移住、『清州越し』との関連で解説してありました。この地区は清州越しの商人の町が起源です。

    『名古屋市四間道町並み保存地区』のタイトルがあった案内看板です。1610年に始まった名古屋城築城に合わせて行われた、清州からの移住、『清州越し』との関連で解説してありました。この地区は清州越しの商人の町が起源です。

  • 振り返って眺めた南側方面の光景です。最初に見学した冨士浅間神社の境内の樹木が右手に見えていました。

    振り返って眺めた南側方面の光景です。最初に見学した冨士浅間神社の境内の樹木が右手に見えていました。

  • 『四間道ご案内』のタイトルがあった看板です。四間道から御本坊筋、五条橋までの主な商店が紹介されていました。

    『四間道ご案内』のタイトルがあった看板です。四間道から御本坊筋、五条橋までの主な商店が紹介されていました。

  • 四間道を挟んで、左側になる西側が商店街、右側が蔵の多く建つ街並み光景です。蔵街の一部は駐車場になっていました。

    四間道を挟んで、左側になる西側が商店街、右側が蔵の多く建つ街並み光景です。蔵街の一部は駐車場になっていました。

  • 四間道に面した建物のピックアップ光景です。『四間道・散策ギャラリー・花御堂』の看板があったお宅です。

    四間道に面した建物のピックアップ光景です。『四間道・散策ギャラリー・花御堂』の看板があったお宅です。

  • 歩道面に設置された観光ルート案内図です。矢印の上下が四間道、上の矢印が北側方面の名古屋城の案内のようです。

    歩道面に設置された観光ルート案内図です。矢印の上下が四間道、上の矢印が北側方面の名古屋城の案内のようです。

  • 四間道に面した西側の商店街の建物の光景です。連子窓に下見張りの板塀が、黒色に統一されていました。

    四間道に面した西側の商店街の建物の光景です。連子窓に下見張りの板塀が、黒色に統一されていました。

  • こちらは、東側になる蔵街の建物光景です。石垣の上に建つ建物は、窓がない蔵そのものです。

    こちらは、東側になる蔵街の建物光景です。石垣の上に建つ建物は、窓がない蔵そのものです。

  • 四間道に面した西側の商店街の建物の光景に戻りました。民からしい玄関横には、たくさんの鉢花が飾られていました。

    四間道に面した西側の商店街の建物の光景に戻りました。民からしい玄関横には、たくさんの鉢花が飾られていました。

  • 四間道に面した東側の建物光景です。元々は蔵だった建物をお店として改造したように見受けました。石垣の一部が切り取られていました。

    四間道に面した東側の建物光景です。元々は蔵だった建物をお店として改造したように見受けました。石垣の一部が切り取られていました。

  • 同じ建物の光景です。通り過ぎた後で振り返っての撮影です。『右近』の名前のレストランでした。

    同じ建物の光景です。通り過ぎた後で振り返っての撮影です。『右近』の名前のレストランでした。

  • これから見学に向かう、北側方面の光景です。元々の石垣は、連続していたようですが、四間道側に出入口が造られた場所は途切れていました。

    これから見学に向かう、北側方面の光景です。元々の石垣は、連続していたようですが、四間道側に出入口が造られた場所は途切れていました。

  • 同じく、これから見学に向かう、北側方面の光景です。右側が石垣の上に土蔵が並び、左側が民家の街並み光景です。元文年間(1740年頃)に原型が形成された街並みとされます。

    同じく、これから見学に向かう、北側方面の光景です。右側が石垣の上に土蔵が並び、左側が民家の街並み光景です。元文年間(1740年頃)に原型が形成された街並みとされます。

  • 石垣の上に土蔵が並ぶ街並み光景です。屋根の方角が90度異なる土蔵が中間にありました。

    石垣の上に土蔵が並ぶ街並み光景です。屋根の方角が90度異なる土蔵が中間にありました。

  • 四間道の西側にあったお店です。『四間道ガラス館』の名前のお店です。製造ではなく、販売店のようでした。

    四間道の西側にあったお店です。『四間道ガラス館』の名前のお店です。製造ではなく、販売店のようでした。

  • 同じ意匠の建物が長く続いた東側の街並み光景です。白壁の所々に、小さな窓があるだけでした。

    同じ意匠の建物が長く続いた東側の街並み光景です。白壁の所々に、小さな窓があるだけでした。

  • 北側に向かって暫く歩いた後、振り返って眺めた南側方面の光景です。

    北側に向かって暫く歩いた後、振り返って眺めた南側方面の光景です。

  • 歩道面に設置された観光案内ルート図です。左向きの矢印で、10メートル先が『屋根神さま』と表示してありました。立寄ることにしました。

    歩道面に設置された観光案内ルート図です。左向きの矢印で、10メートル先が『屋根神さま』と表示してありました。立寄ることにしました。

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